第5話 運命の一投
「興奮したせいか、なんだか暑くなってきたよ」
そう言いながら、三間坂さんは俺の目の前で淡いベージュのカーディガンを脱ぎ始めた。
ふわりと肩から落ちたその下から現れたのは、両肩がまるごと出た白いシャツだった。たしか、オフショルダーとかいうやつだ。
……ちょっと待ってくれ。肩だけじゃなく、鎖骨まで見えてるじゃないか。
露わになった華奢な肩と、白い二の腕に、俺は思わず視線を逸らす。
相手が三間坂さんだというのに、なぜかどきどきしていた。
俺が自分の心臓の異変に戸惑っている間に、視線を逸らした先――隣の席に、三間坂さんが腰を下ろす。
――――!
距離、近っ!
目の前に、さっきまで隠れていた肩がある。丸みを帯びた、折れてしまいそうなほど細いライン。
この身体で、俺と1ポンドしか違わないボールを投げてるのか……。
さっきの投球で、どこか痛めてないだろうか。
そんなことまで気になってしまい、ますます落ち着かなくなる。
「次、高居君の番だよ」
顔を覗き込まれて、心臓が一際大きく跳ねた。
まさか、肩を見て変な妄想をしていたのがバレたのか――と思ったが、どうやら違う。
いつの間にか、下林君と一ノ瀬さんは二フレーム目を投げ終えていて、もう俺たちの番になっていた。さっきは三間坂さんが先だったから、今度は俺が一投目だ。
「あ、ごめん」
俺は慌てて立ち上がる。
……ちょっと肩を見てただけのつもりだった。それなのに、こんなに時間が経ってるってことは――もしかして、「ちょっと」じゃ済まないくらい見てたのか?
胸の高鳴りが収まらないまま、俺はボールを手にレーンの前へ立った。
ああ、まだ頭の中に三間坂さんの肩が焼き付いてる。一ノ瀬さんの素肌ならともかく――いや、なんで三間坂さんなんだよ!
頭の中がぐちゃぐちゃのまま、俺はボールを投げてしまった。
――当然、うまくいくはずがなかった。
ヘッドピンを大きく外し、倒れたのは端のほうのピン三本だけ。
……しまった。
スペア後だったことを思い出したのは、投げ終わってからだった。
よりによって、三本。
一フレーム目の俺たちのスコアは、たったの十三点になってしまった。
くそ……。もう少し落ち着いてから投げるべきだった。
後ろを振り向くのが、怖い。三間坂さんなら、怒ってもおかしくない。
明らかに俺の失敗だ。どんな文句でも受け入れる覚悟で、肩を落とし、うつむいたまま振り返る。
「……ごめん」
上目遣いで三間坂さんの顔を見る。
「大丈夫。私が取り返してくるから!」
三間坂さんは、いつもの軽い笑顔でそう言った。
……え?
怒ってない。それどころか、恨み言一つ言わず、むしろ俺を気遣うように笑っている。
三間坂さんは励ますように、俺の肩をぽん、と軽く叩いてから、ボールを取りに向かった。
……なんだろう。
今日の三間坂さんは、いつもと違う。
やけに機嫌がいいというか、余裕があるというか。
俺のミスなんて気にならないくらい、何かいいことでもあったんだろうか。
そんなことを考えているうちに、三間坂さんは迷いなく二投目を投げ――
きっちり、スペアを取ってみせた。
……格好よすぎるだろ。
おまけに、ドヤ顔で帰ってきてもよさそうなのに、ただ嬉しそうな顔で戻ってくる。
「にゃはは。やったぁ!」
三間坂さんがよくやる変な笑い方。
でも、今はそれさえちょっと心強く思える。
「ナイス、スペア!」
気づけば、俺たちはまたハイタッチを交わしていた。
春先だというのに露出多めな三間坂さんのせいで、序盤の俺はぼろぼろだった。
それでも、彼女が毎回きっちり投げてくれるので、引っ張られるように感覚が戻ってくる。
もしかすると、さっきから見えている肩や太ももにも、少し慣れてきたのかもしれない。
……いや、こういう言い方をすると「見慣れるほど見ていたのか」と突っ込まれそうだが――実際かなり見ていたので、反論はできない。
俺と三間坂さんは、ストライクこそ出ないものの、堅実にスペアを重ねていった。
スペアが決まるたび、自然とハイタッチ。
最初は手が触れるだけでドキリとしていたのに、四回目にもなると、俺のほうから手を差し出していた。
初めは「これが一ノ瀬さんだったらな」なんて思っていた。けれど、四回目のハイタッチをしたとき――
……あれ? さっきから、一ノ瀬さんのこと考えてなかったな。いつの間に、こんなことになってるんだ?
……まぁ、いいか。今は勝負だ。
ただ、肝心のスコアはというと――どうも今日は下林君の調子がいい。
二度もストライクを出され、点差はなかなか縮まらない。
そして迎えた最終、第十フレーム。
ウミノシズクチームが先に投げ終えた時点で、点差は十点。向こうがリードしている。
つまり、ここで俺がストライクを取れば、負けはなくなる。逆に、中途半端に残せば――かなり厳しい。
「ここが勝負だね」
「……わかってる」
静かに立ち上がる。心の奥では、さっきまでとは比べものにならないほど、熱が燃え上がっていた。
ここは、どうしてもストライクが欲しい。
下林君が二度も出しているのに、俺はまだ一度も出していない。ここで決めて、三間坂さんに格好いいところを――
……ん?
いや、それは当初の目的とは違う。俺は一ノ瀬さんにいいところを見せようと思っていたはずだ。……いや、三間坂さんにも見せたいとは思うけど。
速まる鼓動を抑えながら、俺はボールを手に取った。
ここで俺が決めれば、三間坂さんは気楽に投げられる。けれど、もし俺がピンを残せば――勝敗はすべて、次に投げる三間坂さんに委ねられる。
普段の俺なら、「負けても自分のせいじゃないし」なんて、どこかで逃げ道を考えたかもしれない。
だけど、今日は違う。
なぜか、そんなプレッシャーを三間坂さんに背負わせたくないと思ってしまう。
彼女のためにも、俺が、ここで決める。
そう思っていることに、自分でも少しだけ驚いた。
「高居君、がんばれっ!」
後ろから届いた声援に、背筋が伸びる。
俺はレーンの前に立ち、ボールを構え、ヘッドピンをまっすぐに見据えた。
――絶対に、外さない。
手のひらが、少し汗ばんでいる。
深く息を吸い、ゆっくりと吐く。
心拍を落ち着かせ――
俺たちの命運を乗せた一投を、レーンへと放った。
――頼むっ。
俺が投げたボールは、狙い通りのラインを描きながらヘッドピンを捉えた。
よしっ!
弾かれたピンが、後ろのピンを次々となぎ倒していく。
そのまま、全部倒れろ!
だが――俺は、その場に膝から崩れ落ちた。
レーンの奥には、二本のピンが残っている。
右と左に、一本ずつ。
奥から二列目の左端と、一番奥の右端――4番と10番。
スプリット。スペアを取るのは簡単じゃない。
……やらかした。この、勝負がすべて決まる最終フレームで。
三間坂さんに、合わせる顔がない。
よりによって、こんな場面で。
それでも俺は、重たい足を引きずるように立ち上がり、振り返った。
見たくはなかったが、逃げるわけにもいかない。
三間坂さんの表情は、確かに険しく見えた。
怒っている――そう思った。
当然だ。
アイスを賭けた勝負。
最終フレーム。
スペア以上が必要な場面で、まさかのスプリット。
これなら、まだガターで十本まるごと残されたほうがマシだっただろう。
しかし――これは、俺のミスだ。何を言われても、仕方がない。
そう覚悟して、俺は三間坂さんのもとへ戻った。
「……三間坂さん、ごめん」
「まだだよ。まだ終わってない」
「え?」
落ち込み切った俺とは違い、三間坂さんの声は、少しもぶれていなかった。
顔を上げて、彼女を見る。
確かにその表情は引き締まっている。だが、それは怒りではなかった。
いつもの軽い調子とは違う。真剣な顔だ。険しく見えたのは、俺の勝手な思い込みだった。
そういえば、声にも苛立ちはなかった。
「なんとかするから。ちゃんと見てて」
「……うん」
その迫力に押され、俺は情けなくうなずくことしかできなかった。
三間坂さんは、諦めていない。本気でこのスプリットを取りにいくつもりだ。
勝つには、4番ピンの左側を薄く捉え、右へ弾き、その勢いで奥の10番ピンを倒す――それしかない。
理屈ではそうだけど、やるのは簡単じゃない。
ボールを曲げられれば話は別だが、三間坂さんはまっすぐにしか投げられない。
となると、レーンの左端ぎりぎりを、ピンを弾き飛ばせるだけの速さで通すしかない。
正直、俺にはできる気がしない。
それでも――三間坂さんは、挑もうとしている。
レーンの前に立つ彼女の背中を見つめる。
さっきまでどこか頼りなく見えていた肩が、今は不思議なほど大きく、頼もしく感じられた。
一ノ瀬さんも、下林君も、息を呑んで見守っている。
三間坂さんはレーンの左端に構えた。結んだサイドテールが、小さく揺れて止まる。
ほんの一瞬だけ呼吸を整え――迷いなく、腕を振り抜いた。
放たれたボールは、ガターのすぐ隣を滑るように進んでいく。ほんのわずかでも左に逸れれば、それで終わりだ。
ボールは、まっすぐ。
ひたすら、まっすぐに。
すごい……。
これなら――もしかして……!
胸の奥で期待が膨れ上がり、気づけば――
「いけぇぇぇぇ!」
俺が誰よりも大きな声で叫んでいた。
その声に応えるように、ボールは4番ピンの左側を捉え、白い影を右へと弾き飛ばす。
奇跡よ、来い――!




