第4話 ハイタッチ
……ちょっと待ってくれ。
あ、ありのまま、今起こったことを話すぞ。
俺はグーを出して一ノ瀬さんとペアになるはずだった。
だが、気づいたら、三間坂さんとペアになっていた。
な、何を言っているのかわからないと思うが、俺にも何が起こったのかわからない。
頭がどうにかなりそうだ。
催眠術だとか、後出しだとか、そんなチャチなもんじゃ断じてない。
もっと恐ろしいものの片鱗を味わった気分だ。
「おー、一ノ瀬、同じチームだな。よろしくな!」
「うん、足を引っ張っちゃうかもしれないけど、よろしくね」
くっ! 下林君が一ノ瀬さんの隣に立ち、当たり前みたいに会話を始めている。
本来、あそこに立っているのは、俺のはずだったのに!
悔しさで噛みしめた唇が痛い。
そこへ、三間坂さんが近づいてきた。
距離が詰まっても速度が落ちない。
そのまま三間坂さんの顔がぐっと寄ってきた。
……いや、ちょっと近すぎないか?
中学までの俺なら、女子と喋るとき、まともに顔を見ることなんてできなかった。今は……まぁ、三間坂さんで鍛えられた。それでも、この距離はさすがにきつい。ほんのりシャンプーの匂いまでする。
「ちょっと。合図したのに、なんでグー出してるのよ」
小声だが、明らかにイラっとしている。
……なぜ俺が怒られている?
「いや、待ってくれ。三間坂さんがグー出せって合図したから、僕はグーを出したんだけど……」
「違うって! あれは『私はグーを出すよ』って意味!」
……わかるか、そんなもん!
これはさすがに、俺は悪くないと思う。どう考えても誤解するだろ。
文句の一つも言ってやろうとしたが、その前に三間坂さんはいつもの顔に戻っていた。
「まぁ、でも……もうチーム決まっちゃったしね」
彼女は、少しだけ肩をすくめて続ける。
「一緒にやってれば、一ノ瀬さんと仲良くなるチャンスもあるでしょ。せっかくだし、楽しもうよ」
そう言って笑った三間坂さんは、ほんの一瞬だけ俺から目を逸らした。
……まぁ、確かに一理ある。
「……そうだね。せっかくみんなで来たんだし、楽しむのが一番だよね」
「そうそう!」
三間坂さんは、にかっと笑った。
俺の勘違いで、せっかくのお膳立てを台無しにしたはずなのに――それでも、こんなふうに笑ってくれる。
……うん。
やっぱり、三間坂さんって、ちょっと苦手なところもあるけど――いい人、なんだよな。
そして――シューズを借り、ボールを選ぶ。
ボールは12ポンド。俺はコントロール重視だから、この軽さが一番しっくりくる。
レーンに戻ると、すでに一ノ瀬さんと三間坂さんはボールを台に置き終わっていた。下林君はまだ遠くの棚の前で、ボールを持ち上げては首をひねっている。
「下林君、まだ選んでるね。こだわり派なのかな?」
棚のほうを見ながら、三間坂さんが首をかしげる。
「手が大きいから、合う穴がなかなかないんじゃないかな」
とはいえ、一ノ瀬さんを待たせるのはいただけないぞ、下林君。
ちらりと一ノ瀬さんのほうを見ると、彼女はボールを置いた台の前で、備え付けの布を手に取っていた。そのまま、自分のボールの、指を入れる穴の周りを拭う。続けて、三間坂さんのボールも、俺のボールも。
あの布は、ボールについたレーンのオイルを拭き取るためのものなんだよな。曲がり方が安定するとかで。まだ誰も投げていない今、拭いても仕方ないし、そもそも俺たちの中に曲がるボールを投げられる奴がいるとは思えない。
でも、一ノ瀬さんが考えているのは、たぶんそういうことじゃない。前に使った人の汚れが穴に残っていて、指が滑ったら危ない。きっと、それだけだ。だから、自分の分のついでに、自然とみんなの分まで手が動く。
――こういう人なんだ、一ノ瀬さんは。
なんだか嬉しくなってくる。
しばらくすると、下林君が戻ってきて、ようやくゲーム開始の準備が整った。
チーム名は、申し込み用紙を書くときに、三間坂さんがさっさと決めてしまっていた。
俺と三間坂さんのペアが「ソラノユキ」、下林君と一ノ瀬さんのペアが「ウミノシズク」。
高居宙と三間坂雪、下林海と一ノ瀬雫。名前をくっつけただけのチーム名だ。
その三間坂さんが、また何かを企んでいる目を、みんなのほうに向けている。
「ねぇねぇ、どうせやるならさ、何か賭けない?」
おいおい三間坂さん。賭け事は法律で――と言いかけて、口をつぐむ。あの目をした三間坂さんが、ただの思いつきで言い出したとは考えにくい。何か考えがあるはずだ。
「いいな。じゃあ、負けたチームが勝ったチームに自販機のジュース奢るとか?」
「ジュースよりアイスがいい! アイス! ほら、あそこアイスの自販機あるし。一ノ瀬さんもアイスのほうがよくない?」
「私は……どっちでも……」
「はい決定~。アイスね!」
俺が何も言っていないのに、アイスを奢ることが決まってしまっていた。
だけど、悪くない。
奢るにしろ、奢られるにしろ、一ノ瀬さんと関わることができる。これは、同じチームではなく、対戦相手だからこそ成立する関係だ。
さすがだ、三間坂さん。そこまで考えてくれていたとは。
俺はこっそり礼を言うために、三間坂さんに近づいた。
「高居君、勝とうね! 私、クッキー&クリーム食べたいし!」
三間坂さんは、両手でグーを作って、目をきらきらさせていた。
……何も考えてない。これは、単に自分が食べたかっただけだ。
さっきの感心を返してほしい。
「どうしたの? そんな落ち込んだ顔して。もしかして、負けそうとか思ってる?」
「思ってない。――ここは、勝つよ」
「おっ、言うじゃない。頼りにしてるよ」
三間坂さんの思惑が、食べたいだけだったとしても構わない。結果として、一ノ瀬さんと関われるのは間違いないんだし。それに、どうせなら、一ノ瀬さんから手渡されたアイスを食べたい。
ここは、意地でも負けられない!
こうして、アイスを賭けた「ソラノユキ」と「ウミノシズク」の対決が始まった。
先攻は「五十音順」という、よくわからない理由でウミノシズクからだ。
「じゃあ、まず女子からどうぞ~」
「え、私からなの?」
下林君の言葉に、一ノ瀬さんが戸惑いの声を上げる。
こういうのもレディファーストと言うのだろうか。
いや、でも普通は先に投げて格好いいところを見せるべきじゃないのか、下林君。まだまだ甘い男だ。
「ピンが残っても大丈夫。俺が倒すからさ」
…………。
なるほど、そういう考え方もあるのか。
今度、俺も使おう。
「じゃあ、行くね」
少し恥ずかしそうに、一ノ瀬さんがボールを抱えてレーンへ向かう。
――可憐だ。
パンツスタイルのせいか、動きがすごくきれいに見える。
一ノ瀬さんの一投目。フォームは無駄がなく、静かで、品がある。
その場で止まって投げたり、意味なく助走を止めたりもしない。レーンにボールが置かれる音さえ、控えめで美しい。
……見ているだけで、満たされた気分になる。
そうやって投げられたボールは、ヘッドピンにしっかり当たった。
しかし、右側に三本、ピンが残る。
「あとは俺に任せとけ!」
下林君がボールを手に前へ出る。
――くそっ!
あの残り方なら、俺だってスペアを取れるのに! このままじゃ、いいところ全部持っていかれる!
外せ。外せ。外せ。
友達同士のボウリングで考えることじゃないのはわかっている。
でも、これは――仕方ないよな?
「よっしゃ!」
俺の祈りもむなしく、下林君の力強いボールが残りのピンをまとめてなぎ倒した。
しかも、こっちに戻ってきて――一ノ瀬さんと、両手でタッチ。二人の手が音を立てて触れ合う。
――ああ、くそ! 本当なら、俺があんなふうに手を合わせていたはずなのに……。
今さらながら、あのときのグーパーが悔やまれてならない。
「高居君、私たちも負けていられないね!」
俺と違って、三間坂さんはメラメラという文字が見えそうなほどやる気満々で、心底楽しそうだった。
……まぁ、せっかくボウリングをしにきているんだから、楽しそうなのが普通だよな。三間坂さんを見ていると、勝手に悶々としている俺のほうが、どうかしている気がしてきた。
そんな俺をよそに、三間坂さんは11ポンドのボールを手に、レーンの前に立った。
こうして三間坂さんの後ろ姿をじっくり見るのは、初めてかもしれない。横顔なら隣の席で見慣れているけど。
しかし、こうして後ろから見ると、黒のニーソックスに縁取られた脚のラインが、やけにはっきりと目に入ってくる。
きっと下林君が、三間坂さんの脚がきれいだなんて言ったせいだ。
見るべきじゃないと思えば思うほど、余計に意識が向いて、ふくらはぎの締まり具合や、太ももの肉付きまで見てしまう。細いけれど形のいいふくらはぎ。そこからつながる、存在感のある太もも。ニーソックスがそこに食い込んでいるのが、妙に生々しい。
――いや、違う。
これは別に、三間坂さんだからどうこうという話じゃない。
同級生の女子がこういう格好で目の前に立っていれば、健全な男子高校生なら多少は意識する。それだけだ。
そんなことを頭の中で必死に言い訳しているうちに、三間坂さんは意外なほど迫力のあるフォームで一投目を放った。
ボールはいいコースを通り、ヘッドピンを直撃。
白いピンが派手に弾け飛ぶ。
「ああ、惜しい!」
声が出た。
ストライクかと思ったが、右端に一本だけ、しぶとくピンが残っている。
「いい感じだったんだけどね。高居君、あとはお願い」
戻ってきた三間坂さんが、少し申し訳なさそうにこっちを見てきた。
いやいや、十分すぎるだろ。女子でこれだけ投げてくれたら、文句のつけようがない。
本当なら「任せて」と格好よく言えればいいんだろうけど――
「……やれることは、やってみるよ」
それが、今の俺に言える精一杯だった。大口を叩いて失敗するほどのメンタルは、残念ながら持ち合わせていない。
12ポンドのボールを手に、レーンへ向かう。
……思った以上に緊張する。チーム戦って、自分一人で投げるより、ずっとプレッシャーが重い。
残っているのは、右端の一本。
セオリーなら、左から斜めにクロスで狙う場面だ。
しかし、俺はその投げ方が苦手だった。レーンのまっすぐな木目が目に入ると、どうしても感覚が狂ってしまう。
だから、まっすぐ。
右端から、そのまま右端のピンを倒すつもりだ。
――俺は、まっすぐなら投げられる。
そう自分に言い聞かせながら、ボールを構える。
力はいらない。
後ろに振った腕を、ただ前に出すだけ。
迫力とは無縁のフォームから放たれたボールは、三間坂さんの球速と大差ない、いや、下手をすればそれより遅いくらいの速度で、レーンの端を静かに転がっていく。
――行け。
頼むから、ガターに落ちるなよ。
綱渡りを見守る観客みたいな気分だ。
ボールは右に逸れることなく進み続け、やがて――
コツン。
小さな音を立てて、右端のピンが倒れた。
――よっしゃあ! スペアだ!
派手なガッツポーズなどできない俺は、代わりに右手を強く握りしめる。
振り向くと、三間坂さんが目に飛び込んできた。まるで自分のことのように嬉しそうな顔だ。
しかも、立ち上がって両手を広げて待っている。
……え、これって。
ほんの一瞬だけ固まったが、体は勝手に動いていた。
俺は走り寄り、差し出されたその手に、自分の手を重ねる。
「ナイススペア!」
「……うん」
触れ合った瞬間、三間坂さんの温もりが伝わってくる。
温かい――それ以上に、小さくて、驚くほど柔らかい。
女の子の手って、こんな感じなんだ……。
俺はスペアを取ったことも忘れてその感触に戸惑い、そしてなぜか胸が高鳴っていた。




