第14話 体育祭開幕、最初の棒引き
いよいよ体育祭当日を迎えた。
天気は快晴。五月末とはいえ、日中はもう十分に暑い。世間的には、文句なしの体育祭日和だろう。
……でも正直、天気が良すぎると少しげんなりする。俺はむしろ、今にも雨が降りそうなくらいの空のほうが、妙に気合が入るタイプだ。
「天気よくて良かったね! 練習の成果、これでバッチリ見せられるよ!」
そう言って背中を軽く叩いてきた三間坂さんは、見るからにご機嫌だった。
うちの体育祭は、練習中こそ長袖長ズボンのジャージだが、本番は競技も応援も半袖短パンの体操服と決まっている。なぜそんなルールにするのか、まったく理解できないが。
そのせいで、三間坂さんの半袖から伸びた腕も、短パンからのぞく脚も、あまりにも見慣れないもので、つい視線を逸らしてしまう。
「ちょっと! 話しかけてるんだから、こっちをちゃんと見てよ!」
不機嫌な声を受け、仕方なく視線を戻す。
…………。
やっぱり無理。
うつむくと、また視線を逸らしたと言われそうなので、空を見上げた。
「……たしかに、いい天気だね」
「でしょ! 楽しみだね!」
三間坂さんが嬉しそうなら、雲一つないこの快晴も、悪くないかもしれない。
だるいだけの開会式が終わり、競技が次々と始まっていった。
手元のプログラムに目を落とす。俺の出番は、まず棒引き。勝ち上がれば、午後には準決勝と決勝がある。二人三脚は午後から。応援が午前の締めで、オリジナルは――全競技の一番最後。……大トリじゃないか。
急に緊張が押し寄せてきた。
喉の奥が、少しだけ渇く。もし一人だけ大きなミスでもしたら――とんでもない数の視線を浴びることになりそうだ。
「高居君、棒引き出場者の呼び出しかかってるよ」
危ない。アナウンスを聞き逃すところだった。三間坂さんの声に背中を押され、七組の応援席から立ち上がる。
……こんな俺でも、たまには格好いいところを見せたい相手がいる。
「高居君、頑張ってね」
そう微笑んでくれたのは一ノ瀬さんだった。オリジナルや二人三脚の練習を繰り返すうちに、俺と一ノ瀬さんの距離は、確実に縮まっている――と思う。
三人で作ったLINEグループでは、体育祭以外の話題も少しずつ増えていた。前より彼女のことを知れたし、俺のことも多少はわかってもらえた……はずだ。
こうして声をかけてくれるのも、その証拠に違いない。
……これって、もしかして。
いや、さすがに考えすぎか。でも、少しくらい期待したっていいだろう。
――棒引き、ますますやる気が湧いてきた。
集合場所に着き、頭の中で棒引きの流れをざっと確認する。
中央に並べられた金属の棒を奪い合い、多く自陣へ引き込んだほうが勝ち。棒は七本。こちらは十五人で、学年ごとに五人ずつ。均等に散るか、狙いを絞るか、遊撃を作るか。考えても正解は見えない。なにしろ、やるのは初めてなんだから。おまけに、俺は一年生。ここで自分から作戦を口にする立場でもない。
結局、頼るべきは三年生の判断だ。
張り詰めた空気の中、俺は先輩のほうへ視線を向けた。
「いいか、みんな。足の速い奴は分かれて、空いてる棒を一気に自陣まで持ってこい。遅れた奴は、競り合っている棒のフォローだ。状況に応じて、臨機応変に動いてくれ!」
……臨機応変、か。
そんなふわっとした作戦で大丈夫か?
だけど、ガチガチに作戦を固めすぎて、想定外のことが起きたら総崩れ――なんて話もよく耳にする。
そう考えると、このくらい大まかな指示のほうが、かえっていいのかもしれない。
俺は頭を切り替えた。
今の指示なら、俺が一番に棒を取ることだってできる。最初の一本さえ奪えれば、そこから一気に流れを引き寄せられるはずだ。
とにかく、空いている棒に向かって走る。
まずは一本――俺が取ってみせるぜ!
七組の十五人が、自陣のラインに並んだ。足を開き、腰をわずかに落とし、一気に駆け出す体勢に入る。
向かいには八組。
短い沈黙のあと、空気がぴんと張りつめる。
絶対に負けない。三間坂さんと一ノ瀬さんに、いいところを見せてやる!
スタートのピストルが鳴った。
中央に間隔を空けて並べられた棒に向かって、全開で走り出す。俺だけじゃない、両チーム合わせて三十人の争奪戦だ。
俺のスタートは悪くない。味方よりも、敵よりも早く、俺は一番端の一本にたどり着いた。
――もらった!
片手で金属の棒の端をつかみ、そのまま一気に反転する。
再び地面を蹴り、全力で自陣へ向かう。
このまま、この一本を持ち帰ってやる!
だが、順調だったのは最初の数歩だけだった。
棒が、急に重くなる。引いているはずなのに、前に進まない。
振り返ると、八組の生徒が一人、反対側をつかんでいた。
一対一。
力勝負だ。
俺は両手で棒を持ち直し、全身の力を注ぎ込む。
相手も同じ考えらしい。互いに綱引きのような体勢で、一本の棒を引き合う。
相手は二年生。
身長は俺より低いが、体重は明らかに上だ。
こういう勝負で重要なのは体重。その点では、俺は不利だ。
でも――姿勢、力のかけ方、タイミング。それ次第で、多少の体重差は埋められる。綱引きで、女子チームが、体重で勝る芸能人チーム相手に勝つのを何度も見てきた。
俺と相手の引き合いは、完全に均衡した。
くっ……!
腕の筋肉が悲鳴を上げている。
ただ休みなく金属の棒を引き続けるしかない。これはきつい。
限界が近いのはわかっていた。
とはいえ、ここで一瞬でも力を緩めたら、一気に持っていかれる。
頼む……誰か来てくれ!
俺が持ちこたえているうちに、フォローを――!
相手の二年生と目が合った。
向こうも必死だ。
相手にとって俺は、一年生のヒョロガリに見えているはずだ。こんな相手に負けるか――そんな意地が、握った棒越しに伝わってくる。
だけど、それは俺だって同じだ。
一ノ瀬さんが応援してくれている。
三間坂さんも、きっと見ている。
ボウリングでは、三間坂さんに格好悪いところを見せてしまった。これで汚名返上になるのかはわからない。
それでも――俺にだってやれるってところを、今度こそ証明してやる。
限界に達した腕に、さらに力を込めた。
しかし――敵の援軍が到着した。
こちらは、相変わらず俺一人。
一対二。
残念ながら勝ち目はない。
だが、簡単には行かせない。味方が来るまで、少しでも粘ってやる。
俺一人で二人を長時間引き付けられるなら――それもまた俺の勝ちだ。
俺の意地、見せてやる!
二人に引きずられながらも、渾身の力で踏ん張る。
持てる力のすべてをここにつぎ込む。
筋肉が悲鳴どころか断末魔の叫びを上げている。
それでも――俺の棒はじわじわと敵陣のラインを越えていく。
視界の端で、味方が二人、こっちへ駆けてくるのが見えた。ほかの棒で決着がついて手が空いたんだろう。
俺がいるのは一番端だ。中央から走ってくるには、少し遠い。
あと少し。あと少しだけ持ちこたえれば――
その「少し」が、足りなかった。
二人の手が棒に届く寸前、俺の一本は敵陣のラインを完全に越えた。
周囲を見れば、すでに三本の棒が敵陣に入っている。これが四本目。勝負は、そこで決まった。
――俺たちは、一回戦で敗退した。
俺は力を使い果たし、腕を上げることすらできないまま、だらりと垂らして応援席へ向かった。鉄球でもくくりつけられたみたいに、足が重い。
周りではまだ歓声や笛の音が飛び交っているのに、それがやけに遠く聞こえた。
それにしても、ここまで腕に力が入らなくなるとは思わなかった。今の俺じゃ、ペン一本まともに持てやしない。
……この状態じゃ、仮に勝ち進んでいても、次の試合はまともに戦えなかっただろうな。
だから一回戦負けでよかった――なんて、そんなふうに思おうとした。
でも。
そんなわけ、あるか。
次から次に悔しさがこみ上げてくる。
このまま応援席に戻る気にはなれず、俺はグラウンドの端にしゃがみ込むように腰を下ろした。
腕だけじゃない。足もかなりきつい。
情けない姿を見られたくなくて、顔を上げる気にもなれない。
ふいに、日差しが遮られた。
顔に影が落ちる。
見上げると、そこには三間坂さんが立っていた。
まっすぐ俺を見下ろしている。
……くそ。
まだ、顔を合わせたくなかった。
俺は反射的に視線を逸らす。慰めの言葉なんて、今は聞きたくない。余計に惨めになるだけだ。
「すっごく勝ちたいって気持ち、ちゃんと伝わってきたよ!」
「……え?」
慰めでも励ましでもない言葉に、思わず顔を上げる。
「ますますやる気出てきた! 私も頑張ってくるから、見てて!」
それだけ言い残して、三間坂さんは駆けていった。
そういえば、さっきお邪魔玉入れの呼び出しアナウンスが流れていた気がする。
……そうか。
なぜ、勝負が終わったのに、頭の中で棒引きの光景がさっきから何度も繰り返されて消えてくれないのか。持ち上げることさえできない腕が、なぜやたらと疼くのか。わかった気がする。
ただ負けたのが悔しいだけじゃない。
さっきの棒引きが――楽しかったんだ。
二年生との一対一に勝ちたい。
チームとして勝負に勝ちたい。
そして、三間坂さんや一ノ瀬さんに、いいところを見せたい。
その全部が混ざり合って、俺は本気になっていた。
だから、もっと戦いたかった。
……来年も、棒引きに出る。
絶対にリベンジしてやる。
まだ終わってもいないのに、次の体育祭のことを考える日が来るなんてな。
……そうだ。三間坂さんを応援しなきゃ。
もし俺の戦いが、少しでも彼女のやる気に繋がったなら、それだけで意味があった。
彼女の雄姿を、ちゃんと見届けないと。
俺はゆっくりと腰を上げ、応援席へ向かって歩き出した。
腕はまだまともに動かない。
それでも、重かった足取りは、さっきよりずっと軽くなっていた。




