第15話 二人の二人三脚
俺が応援席に戻ると、一ノ瀬さんがこちらに気づいた。励ませばいいのか、悔しがればいいのか迷っているような、曖昧な表情だ。
「高居君、惜しかったね」
「うん。頑張ったんだけどね」
俺は、素直にそう応えられた。
たぶん、あのまま戻ってきて今の言葉をかけられていたら、俺は何も返せず、勝手に惨めな気持ちになっていたと思う。ちゃんと前を向けたのは、三間坂さんのおかげだ。
だから今度は、俺が彼女を応援したかった。
声は届かないかもしれない。
それでも、何もせずにはいられなかった。
俺はグラウンドへと視線を向け、籠の周囲に集まってしゃがんでいる七組女子の中から三間坂さんを探した。
距離があったって、あのサイドテールを俺が見逃すはずがない。なのに――
……いない。
あのトレードマークのような髪が見つからない。全校生徒が並んでいても見つける自信があったのに。
そこで、はたと思い出す。お邪魔玉入れには、玉を投げる側のほかに、もう一つ役がある。敵の籠のそばに立ち、先端に手のひら型パネルを付けた棒――通称「お邪魔棒」で、飛んでくる玉を叩き落とす役だ。
もしかして――
敵チームの籠へと目を向けた。
――やっぱり。
籠の前、金棒を持った鬼みたいに、お邪魔棒を握った三間坂さんが堂々と立っていた。
まさか、全学年合同のこの競技で、一年生の三間坂さんがこの役を任されるとは思わなかった。背だって特に高いわけでもないのに。
……もしかして、押し付けられたのか?
気分が少しだけ重くなる。なにしろ、相手チームからは嫌われる役目だ。誰もやりたがらなくても不思議じゃない。
三間坂さんの顔を見た瞬間、その考えは消えた。
この距離でもわかる。あれは押し付けられた顔でも、嫌々やっている顔でもない。どう見ても、「自分からやりたいって言い出した」顔だ。
やってやるぞ、という気迫が、そのまま表情に出ている。
……だよな。
三間坂さんなら、絶対そうだ。
見てるだけなのに、楽しくなってきた。
笛が鳴り、女子お邪魔玉入れが始まった。
「三間坂さん、頑張れっ!」
周りにクラスメートがいて少し恥ずかしかったけど、俺は思い切り声を出した。
この距離じゃ、聞こえたとは思えない。
それでも――三間坂さんは、俺の声に応えるみたいに、お邪魔棒を高く掲げてくれた。……ような気がした。
…………。
…………。
…………。
……いや、ちょっと待て。
三間坂さん、強すぎないか?
強いというか、もうエグい。
三間坂さんのパネルは、飛んでくる玉を次々と叩き落としていく。隙があるように見せて投げさせ、集まったところをまとめて弾く。
しかも、ときどきおちょくるような動きまで混ぜてくる。棒を振るたび、少し遅れて跳ねるサイドテールが、まるで一緒になって煽り立てているみたいだ。
あれでは、相手チームは冷静ではいられないだろう。
いつの間にか、七組の女子が玉を放るところなんて目も向けず、敵陣で一人暴れ回る三間坂さんだけを見ていた。
棒を突き上げた腕が、半袖から伸びてぴんと張る。踏み込んだ脚に、ぐっと力がこもる。
さっきまで、人生で初めてというくらい必死に声を出していたのに、それも忘れて。
「三間坂さん……すごいね。大活躍してるね」
「そうだね……」
一ノ瀬さんに声をかけられたのに、そっちを見もしなかった。
三間坂さんを見つめたまま、うなずく。
終了の笛が鳴ったときには、玉の数を数えるまでもなかった。籠を見比べただけで、勝負はついていた。倍近い差だ。
……格好よかったな、三間坂さん。
もう少し手加減してあげてもよかったんじゃないか、なんて思うくらいだ。
視線の先で、三間坂さんが握りこぶしを突き上げていた。
俺に向けたみたいに。
……そんなわけない。七組全員に向けたものだ。わかりきっている。
それでも――
俺は誰にも見られないように、まだ力の入らない指で拳を握って、そっとそれに応えた。
二回戦も、三間坂さんが暴れ回って七組の勝ち。これで午後の準決勝に進める。
しばらくして、競技を終えた三間坂さんが、意気揚々と応援席に戻ってくる。俺はねぎらいの言葉をかけようと立ち上がりかけたが、その前に、興奮冷めやらぬクラスの女子たちが、あっという間に三間坂さんを取り囲んだ。
……まあ、そうだよな。
なんだかんだ言って、三間坂さんはクラスでも人気者だ。冷静に考えれば、俺とはスクールカーストが違う。
そのうち声をかける機会もあるだろう。
けど、それはきっと――今じゃない。そう思って前を向き、視線を競技のほうへ戻した、そのとき。
ぽむっ。
右腕に、軽いのに妙にはっきりした衝撃が伝わる。
驚いて横を見ると、さっきまで女子たちに囲まれていたはずの三間坂さんが、俺の肘をつついていた。
肩が、まだ小さく上下していた。首筋を伝う汗が、日差しを弾いて光る。
暴れ回っていた熱が、すぐそこにある。
……わざわざ、こっちに来たのか?
「見てた? 私の活躍」
俺の戸惑いをよそに、大きな猫みたいな目をまっすぐ向けてくる。
「うん。正直、ちょっと引くくらいすごかった」
「それって、褒めてる?」
三間坂さんの目が、わずかに吊り上がる。
「い、いや、ちゃんと褒めてる! ただ……三間坂さんと比べると、僕って全然ダメだったなって思っちゃって……」
「午後から二人三脚があるでしょ?」
三間坂さんは、ぱっと明るい声を出した。
「二人で一位になるところ、みんなに見せちゃおうよ! 私たちなら、絶対できるって!」
三間坂さんにそう言われると、本当にできる気がしてくる。余計なことばかり考える俺と違って、彼女の声には迷いがまるでない。
「うん。勝とう。二人で!」
俺の返事に、三間坂さんはにかっと笑って、右手の拳を差し出してくる。
一瞬きょとんとしたけれど、すぐに意味を理解して、俺も拳を合わせた。
今度こそ――
今度こそ、俺も格好いいところを見せてやる。
午後最初の競技は、二人三脚だ。
昼休憩が終わると、俺と三間坂さんは、一ノ瀬さんと仙石君と並んで出番を待った。
選手も観客も、まだ少し休憩の余韻を引きずっている。
昼食は、腹八分目にも届かない七分目で止めた。腹が重くなる心配も、途中で腹を痛める心配もない。腕の感覚も、昼を挟んでどうにか戻っていた。
誰にも気づかれないだろうが、俺の中ではもう勝負は始まっていた。
この二人三脚だけは負けられない。
棒引きの悔しさもあるが、なにより、お邪魔玉入れであれだけ活躍した三間坂さんを負けさせるわけにはいかない。
「高居君、なんか、すごくやる気あるって感じだね!」
うっ。
表に出さないつもりだったのに、三間坂さんはあっさり見抜いてくる。
「ほんとだね。やる気が伝わってくるよ。私たちも負けてられないね」
「おう、高居には負けてられないな。練習じゃ勝てなかったけど、本番は別だからな」
一ノ瀬さんと仙石君にまで、そんなふうに言われた。
……もしかして俺、思ってる以上に顔に出るタイプなんだろうか? 単純な奴みたいで、ちょっと複雑な気持ちになる。
そんな俺の内心などお構いなしに、午後の競技が始まった。
第一レースは、一ノ瀬さんと仙石君ペアの出番だ。
「二人とも、頑張れ!」
次は自分たちの番だというのに、三間坂さんは全力で仲間を応援する。
……こういうところ、見習わないとな。
「仙石君! 一ノ瀬さん! 頑張れ!」
三間坂さんに負けない声で、俺も二人を応援した。スタート位置についた二人の背中が、わずかに揺れた。
そして、スタートのピストルが鳴った。
二人のスピードは、そこまで速くない。
だが、もたつくことなく、転ぶこともなく、着実に前へ進んでいく。
「その調子っ!」
ほかのペアが足並みを乱す中、二人はじりじりと順位を上げ、三番手まで来た。応援している俺の手にも、汗が滲む。
先頭のペアが、タイミングを崩して一瞬止まった。
その隙に、二番手、そして三番手の一ノ瀬さんたちが一気に距離を詰める。
いける……!
もう少しだ! 二番手が崩れれば――!
……だが、追い上げはそこまでだった。
結局、六組がそのまま逃げ切った。一ノ瀬さんたちは、あと一歩届かなかった。
とはいえ、二位。十分な結果だ。
「二人とも、すごく頑張ってたね」
「うん、いい走りだった」
「じゃあ、次は私たちが一位、狙おっか」
三間坂さんが、当然のように言う。
「……うん。僕も、そのつもりだよ」
俺ははっきりとうなずいた。
――絶対に、勝つ。
俺たちの番がきた。スタートラインにつく。
足に結んだ紐がほどけていないかを、もう一度しっかり確認する。
俺の右手は三間坂さんの右肩に、三間坂さんの左手は俺の左肩に――
最初の練習のときとは違い、緊張はしない。これは、勝つための動作だ。
俺は三間坂さんの肩をつかむ指に、意識的に力を込めた。
――スタートの号砲。
『いち、に。いち、に』
練習通り、完璧な出だしだった。走り出してすぐ、ほかのペアより体一つ分前に出る。
いける。理想的すぎるスタートだ。
『いち、に。いち、に』
足が、驚くほど軽かった。右脚は三間坂さんの左脚と結ばれているはずなのに、まるで一人で走っているみたいだ。
こんな感覚は、練習でもなかった。
視界の左右には、他の選手の影もない。完全なトップ。
――勝てる。
まだ中盤なのに、そう確信してしまうほどだ。負ける気がまったくしない。
その瞬間だった。
脚に、今まで感じたことのない負荷がかかった。結ばれた脚が、強く引っ張られる。
バランスが、崩れた。
視界の端で、三間坂さんの体勢が大きく傾いていく。
――なんで!?
三間坂さんの足が、後ろに取り残されている。
そうか。俺は、調子に乗りすぎていた。
練習通りでよかったのに。足が軽いからって、無意識に歩幅を広げてしまっていた。
『もう少し歩幅を小さくしてもらえると嬉しいかも』
練習中に、遠慮がちにそう言った三間坂さんの声が、いまさら頭をよぎる。
ここまで俺が気持ちよく走れていたのは、三間坂さんが無理をして合わせてくれていたからだ。
男子の俺と、女子の三間坂さんでは違う。
脚の長さも、歩幅も、足の回り方も。
さすがの三間坂さんでも、限界が来ていた。
……俺は、バカだ。
今まで一度もよろけずに済んだのも、全部そうだ。もたつく前に、三間坂さんがいつも先回りしてくれていた。
その彼女が、今、完全にバランスを失っている。
――このままじゃ、怪我をするかも。
勝ち負けなんて、どうでもいい。
せめて、三間坂さんだけは――
俺はとっさに、三間坂さんの身体を抱きとめるように引き寄せた。同時に、自分の体を無理やり地面との間に滑り込ませる。
仰向けに倒れた俺の上に、三間坂さんが覆いかぶさるような形で、二人まとめてすっ転ぶ。
――背中が、爆発した。
「いってぇぇぇ……!」
その衝撃で、左手が何か柔らかいものを強くつかんでしまう。
柔らかいのに、押し返してくる。
指が、ぐっと沈み込む。
……なに、これ!?
――いや、違う。そんなことより。
「三間坂さん、大丈夫!?」
すぐ近くにある彼女の顔に、慌てて声をかけた。
「――――!?」
三間坂さんは無言のまま、ばっと上体を起こす。
いつの間にか、左手の中にあったあの感触は消えていた。
……今は、それどころじゃない。
三間坂さんの顔は、なぜか真っ赤で、ひどく複雑そうだった。
――もしかして、どこか痛めた?
「三間坂さん、怪我してない!?」
「だ、大丈夫!」
……なんだ、この反応。焦っているというか、動揺しているというか。いつもの三間坂さんらしくない。
「本当に!?」
「うん……それは本当」
何か変だが、たしかに怪我をした感じじゃない。だとしたら――まだ勝負は終わっていない。
「まだ走れる?」
「……うん。大丈夫」
そう答える声も、やっぱり少しぎこちない。
今は、信じるしかなかった。
俺は先に立ち上がり、すぐに手を差し出した。
三間坂さんの手は一瞬だけ止まったけど、すぐに俺の手を取る。
「……ありがと」
「ううん。僕のほうこそごめん。調子に乗った。でも――まだ負けてない!」
転倒している間に、順位は大きく落ちていた。
俺は迷わず三間坂さんの右肩をつかんだ。
その瞬間、彼女の肩が、ぴくっと小さく震えた気がした。
少し遅れて、三間坂さんの手も俺の肩に戻ってくる。
「三間坂さん、いくよ!」
『いち、に。いち、に……』
俺たちは、再び走り出した。
今度は――二人で。
もう、一人で走っているつもりにはならない。
右脚に、いや――
全身で三間坂さんの動きを感じながら走る。
足を合わせる。
息を合わせる。
心を合わせる。
中ほどまで落ちていた俺たちは、すぐにスピードに乗った。速さは、やっぱり俺たちが一番だった。
前を走るペアとの距離が、みるみる縮んでいく。
さっきより歩幅も、タイミングも抑えているはずなのに――一人で気持ちよく走っていたときより、確実に速い。
……追いつける。
俺たちなら、絶対に追いつける。
遅いペアを次々と抜き去り、先頭を争う二ペアとの差を、俺たちは詰めていく。
前の背中が、もうはっきり見えていた。
届く。あと少しで――
でも、焦らない。
意識するのは、ただ一つ。
三間坂さんの呼吸。
タイミングは変えない。
今の、この感覚こそが、俺たちの最高速だ。
そして――
俺たち三ペアは、ほぼ同時にゴールテープを切った。




