第13話 息の合う二人三脚
正直、それは頭になかった。
一ノ瀬さんと二人三脚――それは、俺が密かに期待して、そして叶わなかった共同作業だ。
本番でペアになれないのは仕方ない。でも、練習だけでも一緒にできるなら、それだけで十分すぎるほどのご褒美だ。
一ノ瀬さんのペアの仙石君は、パフォーマンスが「応援」で、今も向こうの練習に出ている。オリジナルはもう終わったのに、応援はまだ続いているらしい。
二人三脚の練習時間を考えれば、早く合流してくれと思うべきなんだろう。でも、今回ばかりは、少しでも遅れてくれと願ってしまう。
そんな俺の肘をつっつくと、三間坂さんはグラウンドの端のほうを指差した。
「邪魔にならないように、あっちのほうで練習しよっか」
「じゃあ、僕が足にくくる紐、借りてくるよ」
「ありがと。私は一ノ瀬さんに声をかけておくね」
俺は体育用具室へ向かった。気づけば、足取りが少し弾んでいた。
紐を借りに行くだけなのに、やけに心臓がうるさい。
我ながら、単純すぎるな、俺。
紐を二本借りて戻ると、三間坂さんと一ノ瀬さんはすでにグラウンドの端で待っていてくれた。
内トラックはリレーの練習で埋まっている。二人三脚みたいな「脇役競技」は、空いてるスペースを見つけてやるしかない。
幸か不幸か、肝心の仙石君はまだ来ていない。
「三人しかいないし、まず一ノ瀬さんと高居君で練習してみたら?」
「――――!」
三間坂さん、なんて完璧なアシストをしてくれるんだ。
仙石君がいつ来るかわからない。もし俺と三間坂さんで先に始めたら、そのあいだに彼が来てしまうかもしれない。それを避けるには、最初から俺と一ノ瀬さんで組んでしまうのが最善手。
でも俺から「一ノ瀬さん、先にやろう」なんて言ったら、下心が透けて見えかねない。三間坂さんが言い出してくれるなら、話は別だ。
俺は期待を隠しきれないまま、一ノ瀬さんを見た。彼女は一瞬だけ三間坂さんのほうに目を向ける。
「私は後でいいよ。高居君のペアは三間坂さんなんだから、二人が先に練習して。もし仙石君が来られないようなら、そのときは高居君、お願いね」
軽く両手を合わせて「お願いね」って……可愛すぎるだろ!
動画に撮れなかったのが、本気で悔しい。
ただ――俺の願いは、あっさりと散った。
気遣いのできる一ノ瀬さんが、三間坂さんを差し置いて先にやるなんて、よく考えたらありえないことだった。
そんなことは俺が一番わかっていたはずなのに。
さっきまで張っていた肩が、びっくりするくらい落ちている。
「じゃあ高居君、先に私とやる?」
三間坂さんが、俺の様子をおもしろがるみたいに顔を覗き込んできた。
ここで「やっぱり一ノ瀬さんと練習したい」なんて言えば、三間坂さんが何か機転を利かせてくれるかもしれない。
でも、そんなこと言えるわけがない。
それに、三間坂さんと組むのが嫌なわけでもない。
「うん。三間坂さん、よろしく」
俺は隣に立ち、三間坂さんの左足と俺の右足を紐で結んだ。
「掛け声どうする? 『いち、に』? それとも『中、外』?」
「言いやすいから『いち、に』がいい。いちで内側、にで外側」
「了解」
三間坂さんが、左腕を俺の肩に回してくる。
――近い。
背中と肩に伝わる温度に、体が一瞬で硬くなる。
心臓が、痛いくらいに大きく鳴った。
女子の腕が、身体が、こんなふうに密着するなんて――初めてじゃないだろうか。
「高居君も、早く」
早く? 何を――。
数秒遅れて、俺は理解した。
そうだ。俺も腕を回して固定しないと、二人三脚にならない。
女子の背中に腕を回す。肩をつかむ。そんなことをしていいのか、と一瞬思う。
だけど、やらないと走れない。
……これはスポーツ。必要な動作。必要な接触。変な意味じゃない。
自分に言い聞かせながら、俺は震えそうな右手をどうにか動かし、三間坂さんの右肩へそっと添えた。
……細い。
オリジナルではあんなにキレのある動きをしていたのに、今触れている彼女の肩は驚くほど華奢だった。
落ち着け俺。今はそんなことを考えている場合じゃない。二人三脚とはいえ、転び方次第では怪我をする。集中だ、集中。
「――それじゃあ、いくよ」
「うん」
『いち、に。いち、に――』
掛け声を揃えて、俺たちは走り出した。
二人の相性がいいのか、それとも三間坂さんが合わせるのが上手いのか。足が引っかかることもなく、思っていた以上にスムーズに進んでいく。
「二人とも、息ぴったり!」
スタート地点のほうで、一ノ瀬さんが拍手を送ってくれていた。
……正直、俺自身も「これ、結構いけてるんじゃないか」と思えてきた。
勢いのままゴールし、足を止める。
「なんか、いい感じだったよな。三間坂さん、問題なかった?」
「うん、大丈夫。……でもね、もう少しだけ、歩幅を小さくしてもらえると嬉しいかも」
あ……。
俺は自分のペースばかり意識していて、三間坂さんとの歩幅の差を考えていなかった。
俺より歩幅の短い彼女が合わせるのは、楽じゃなかったはずだ。それでも普通に走れていたのは、三間坂さんが無理をしてくれていたからだろう。
「ごめん。三間坂さんの歩幅のこと、ちゃんと考えてなくて……」
「大丈夫だよ。ちょっとだけのことだから」
そう言って笑ってくれるのが、余計に申し訳ない。
「次は気をつけるから、もう一回、一ノ瀬さんのところまで走ってみよう」
「うん」
「それじゃ、いくよ」
『いち、に。いち、に……』
今度も、途中で止まることなく走り切れた。
歩幅を意識すると、足に伝わる引っ張られる感覚がぐっと小さくなる。三間坂さんの動きも、さっきより明らかに楽そうだった。
……これ、本番でもいけるんじゃないか?
「三間坂さん、今のどうだった?」
「すごく走りやすかったよ! もしかして、一位狙えちゃうんじゃない?」
「だよな! 僕もそう思った!」
一緒に走って、同じものを感じていた気がする。二人三脚の楽しさって、こういうことなんだろうか。
「じゃあ、次は一ノ瀬さんとも練習してみる?」
「……え?」
三間坂さんの提案を聞いた瞬間、俺の中に浮かんだのは、一ノ瀬さんと走れる嬉しさ――ではなかった。
俺たちを結ぶ紐を解いて、別の相手と結び直す。それが、なぜか惜しかった。
俺はすぐに答えられず、黙り込んだ。
「俺も練習に混ぜてくれよー」
不意に聞こえた声に、はっと顔を上げる。
応援の練習が終わったのか、仙石君がこちらに向かって走ってきていた。
「仙石君が来てくれたから、私のことは心配しなくていいよ」
一ノ瀬さんは、自分にペアがいないことで気を遣われていたと思ったのか、どこか晴れやかな表情を向けてくる。
「せっかくのチャンスだったのに、残念だったね」
三間坂さんが、俺にだけ聞こえるような声で囁いた。
けれど不思議なことに、「残念だ」という感情は浮かんでこなかった。
そのあと、俺たち四人で二人三脚の練習を繰り返した。
何度か競争もしてみたけれど、結果はほとんど――俺と三間坂さんのペアの勝ち。
……もしかして、俺と三間坂さんの二人三脚、普通に最強なんじゃないか?




