第11話 三間坂さんのダンス
体育祭までの期間、午後の授業は練習に充てられ、ここからは制服から長袖長ズボンのジャージへコスチュームチェンジ。
勉強しなくてよくて気が楽だなんて言う奴もいるが、午後からずっと動きっぱなしは、俺にとっては勉強よりきつい。
しかも、今日からは、パフォーマンス種目の練習が始まる。「オリジナル」を選んだ俺や三間坂さんや一ノ瀬さんらは、ここ一年七組。「応援」のメンバーは二年七組にそれぞれ集まっている。
午後からの練習は、三年生が中心となって進める、ほぼ生徒主体の時間だ。幸い、我らが七組の先輩は気のいい人たちばかりだが、それでも何かと気を遣うのは間違いない。
「みんな、一度、私たちが踊ってみせるから、座って見てて」
ショートカットの似合うボーイッシュな三年の先輩に言われ、俺たち一、二年生は教室の後ろへと下がった。三年の先輩たちは、間隔を適度に空けて男女交互に前に並ぶ。
「オリジナル」は、ダンスパフォーマンスだと聞いている。きっとアイドルが歌うような曲に合わせて、その振り付けを全員でするんだろうと思っていた。
だが、スピーカーから流れてきたのは、軽快なポップスではなかった。
ティンパニの響く音から始まり、すぐに木琴の激しく鮮烈な音の連打が燃え上がる。あわせて弦楽器の音が重なって厚みを増し、心の奥の闘争心を刺激してくる。
俺の好きな曲だった。ハチャトゥリアン作曲の『剣の舞』だ。
前に並んだ先輩たちは、曲の開始と同時に動き出していた。その場で足を動かしながら、激しく腕を振るう。
――見える。何も持っていないはずの手の中に、一振りの剣が。日本刀のような剣ではなく、サーベルのような剣。相手の剣を振り払うような動きのあと、突きの動作が曲の盛り上がりどころで的確に決まっている。
しかも、並んだ先輩たちの動きに乱れはない。男子と女子で振り付けが違うところがあるが、全員がちゃんと揃い、息を合わせている。
なんだ、これは……。
曲がやんだ。
女子は高く剣を掲げ、男子は膝を折り、下を向いている。
激しい戦いの終結。それが言葉よりもはっきり伝わってきた。
「……すごいね」
隣に座って見ていた三間坂さんが、声を漏らした。お世辞じゃないのは声でわかった。俺も、言葉が出なかった。
「今のが、今年の七組の『オリジナル』です。テーマは『フランス革命』。女子が市民側、男子が貴族側をイメージしています。今回の体育祭では私たちのこのパフォーマンスで革命を起こしたいと思い、この曲を選び、振り付けも考えました」
な、なんだと……。たしかに、見たことのない振り付けだったけど、自分たちで考え、しかも、三年生はすでにそれをマスターしているというのか……。
『剣の舞』自体はフランス革命とはなんの関係もない曲だが、先ほどのパフォーマンスをフランス革命だと言われても、まったく違和感はない。実際、俺には剣が見えていたし、勝者の希望と、敗者の絶望も感じられた。
ここに来ていない三年生は、三年の教室で当日着る衣装作りもしているというから、先輩たちにはただ頭が下がる。自分が三年になったときに、同じことができるとはとても思えない。
「本当は隊列を変える動きも加わるんだけど、教室練習ではそこまでできないから、そっちは体育館やグラウンド練習のときにやります。教室練習では、とにかく振り付けを覚えてもらうので、よろしくね」
どうやら今見たのがすべてではないらしい。感心と同時に不安が押し寄せてくるんだが……。
「六十人であれをやるんだよ! 絶対、格好いいね!」
さっきはただ声を漏らすだけだった三間坂さんが、目を輝かせている。
今の話を聞いて、その感想なのか。余裕がありそうで、うらやましい。
「……僕は、ちゃんと覚えられるか心配だよ」
「大丈夫、大丈夫。あまりにもあんまりだったら、練習付き合ってあげるから」
言ってくれるじゃないか。
三間坂さんにそう言われると、不思議と負けていられない気持ちが湧いてきた。
どうせなら、俺のほうが先に覚えて、三間坂さんに教えるくらいになりたいものだ。
こうして、オリジナルの練習の日々が始まった。
始まった、のだが――同じように教えられても、習熟度には当然個人差がある。
「高居君、また遅れてるよ!」
指導役の三年生の声が飛んできた。
何日も練習を重ね、一通り振り付けは覚えたつもりだった。今日は机も椅子もない空き教室を使える日で、いつもより広く動けるはずなのに、どうにもうまくいかない。
一、二年生の中でも、俺はかなりの劣等生だった。注意される顔ぶれはいつもだいたい同じで、そこに毎回きっちり俺が入っている。
「すみません……」
反射的に謝る。
だが、わざと遅れているわけじゃない。
どうやら俺は、根本的に人よりリズム感が弱いらしい。音楽に合わせて体を動かしているつもりでも、どうしてもタイミングがずれてしまう。
「今日はここまでにするわ。みんな、また明日よろしくね」
三年生の先輩女子の声で、今日の練習は終了となった。
みんな、ほっとした顔で自分たちの教室へ戻っていく。
けれど――俺の気持ちは、まったく晴れなかった。自分が足を引っ張っている。それがはっきりとわかっているだけに。
……少し、自主練でもしようかな。
このまま帰ってしまったら、明日もまた同じところで遅れる気がした。それに、隣であれだけ綺麗に動いている三間坂さんの横で、いつまでも自分だけ置いていかれるのは、さすがに格好悪すぎる。
この空き教室なら、しばらく残っていても問題はない。俺は教室の端に移動し、自分なりに振り付けを思い出しながら、ゆっくり体を動かし始めた。
音楽は流していない。だからリズムに合わせることはできないけれど、せめて振り付けだけでも迷わず動けるようになりたい。動きに余裕が出れば、音楽を聞く余裕も生まれるはずだ。
「高居君、自主練?」
背後から声をかけられ、振り向く。
三間坂さんだった。
てっきり、教室に帰ったものだと思っていた。
男女で決めポーズこそ違うものの、基本の振りは同じ。そして、何の巡り合わせか、隊列では彼女が俺のすぐ隣だった。
素人目にもわかるほど、三間坂さんの動きはキレがある。そのぶん、隣で動く俺の拙さが余計に目立つ気がして、いたたまれない。
「まあ……みんなに迷惑かけたくないからさ」
「じゃあ、私も付き合うよ。ちょっと納得いってないところあるし」
……ちょっと待ってくれ。
三間坂さんのあの完成度で「納得いってない」なら、俺はどうなるんだ。
「いや、僕と三間坂さんじゃ、レベルが違いすぎるし……」
「でも隣同士でしょ? 私たちの動きが合ってないと、全体で見たときに綺麗に見えないと思うんだよね。ペアみたいなものだし」
言われてみれば、その通りだ。隣同士の男女は、必然的にセットで見られることになる。自分だけうまくいけばいい、という話じゃないのかもしれない。
「……じゃあ、よろしくお願いします」
三間坂さんの動きは、すでに三年生と比べても見劣りしない。お手本としては申し分ない。
今の俺に、遠慮している余裕なんてなかった。
「オッケー!」
三間坂さんはそう言うと、まだ空き教室の中に残っていた一ノ瀬さんを見つけて声をかける。
「一ノ瀬さん。悪いんだけど、ちょっと動画撮ってもらってもいい?」
「はぁ!?」
声を上げたのは俺だった。
いやいやいや。
もう放課後だし、一ノ瀬さんにそんなこと頼むのはさすがに――
「うん、いいよ」
俺の心配をよそに、一ノ瀬さんはあっさり了承していた。
放課後に急に頼まれたのに、嫌な顔一つしない。
……天使か。
「じゃあ、音楽流すね」
三間坂さんはスマホを操作し、『剣の舞』を再生した。どうやら事前にダウンロードしていたらしい。無音で練習していた俺とは準備の段階から違う。
一ノ瀬さんのスマホのレンズを向けられた状態で、俺たちは動き出した。
……めちゃくちゃ恥ずかしい。
撮られていると思うだけで体が硬くなる。ただでさえ下手なのに、緊張のせいで、さらに動きがぎこちなくなっている気がした。
やがて曲が終わり、パフォーマンスも終了する。
踊り終えた俺は、自分の不甲斐なさに、少しだけ落ち込んでいた。恥ずかしかったうえに、思った以上にうまくできていなかった。
「はい、LINEグループ作ったよ。二人とも入って」
そんな空気をまるで気にする様子もなく、三間坂さんがいつも通りの調子で言った。
届いた招待は「七組オリジナル」という名前のグループ。言われるがままに俺が参加すると、少し遅れて一ノ瀬さんも入ってきた。
……これって、俺と三間坂さんと一ノ瀬さん、三人だけのLINEグループ、ってことだよな。
そう意識した瞬間、胸の奥がざわっと揺れた。理由はうまく説明できないけど、なんだか落ち着かない。
「一ノ瀬さん、今の動画、ここに送ってもらえる?」
「うん」
こうして、このグループの最初の投稿は、挨拶でも雑談でもなく、一ノ瀬さんから送られてきた、俺と三間坂さんのパフォーマンス動画になった。
……まあ、これはこれでいいのかもしれない。
俺は、少しだけ覚悟を決めて、その動画を再生した。
正直、あまり見たくない。でも、見ないままうまくなれるほど、俺は器用じゃない。
…………
…………
…………
……この動画、なんとかしてこの世から抹消できないだろうか。
三間坂さんの動きは、静と動の切り替えがはっきりしていて、指先や足先まできちんと意識が行き届いている。決めポーズで体が止まるたび、結んだサイドテールが、ぴんっと跳ねて空を切った。
……と、見とれている場合じゃない。それに比べて、俺の動きはどうだ。やる気があるのかどうかすら疑いたくなるレベルじゃないか。三間坂さんと並ぶことで、そのひどさが余計に際立っている。リズム感以前に、動きそのものの質が違いすぎる。
……ダンスって、こんなにも誤魔化しがきかないものだったのか。
「そうだねぇ、高居君は――」
動画を再生しながら、三間坂さんは一つ一つ丁寧に指摘してくれた。俺がすでに気づいていた点はもちろん、そもそも気にすらしていなかった部分まで、的確に。
なんなんだ、この人は。指導役の先輩より、よっぽど教えるのが上手いんじゃないか?
「ねぇ、三間坂さん。私の動きもチェックしてもらえないかな……」
そう切り出したのは、一ノ瀬さんだった。どこか遠慮がちで、少しだけ緊張した様子だ。
練習中の一ノ瀬さんのパフォーマンスを見る限り、彼女は俺と違って下手ではない。それでも、さっきの俺への指摘を聞いて、アドバイスをもらいたくなった気持ちは、痛いほどわかる。
「オッケー。じゃあ、高居君、今度は一ノ瀬さんと踊ってみて」
「え、僕も?」
「二人でやったほうが、動きの合わせ具合がわかるからね。さっき言ったところ、意識してみて」
「……わかった」
一ノ瀬さんと一緒に踊る。そう思っただけで、胸が急に落ち着かなくなる。
本来なら、一ノ瀬さんは二年生の先輩と組むはずだ。その代役だと思えば、浮かれている場合ではなく、ちゃんと務めないといけない。
そう気合を入れたものの――
実際に踊り始めると、隣の一ノ瀬さんを意識しすぎて、振りを間違えたり、動きが遅れたり……。
ああ……。
これは、かなり情けない。
演技を終え、肩を落としていると、三間坂さんが、まっすぐこちらへ近づいてきた。
「高居君、間違えたところもあったけど――」
――やっぱり、来るか。
俺の下手なところを次々と指摘する三間坂さんの姿が頭に浮かんでくる。
「――でも、動き自体はすごく良くなってたと思うよ。指先まで意識してるの、ちゃんと伝わってきたし」
「――――!」
かけられた言葉は、予想したものとまったく違っていた。
失敗したところじゃなくて、頑張ったところをちゃんと見て、評価してくれた。
できていないところじゃなくて、できるようになったところを見てもらえた。
……それが、すごく嬉しかった。
「動画送ったよ。一ノ瀬さんの動きで気になったところ、言うから見てみて」
そこからは、三間坂さんの指導が本格的に始まった。
俺と同じように、一ノ瀬さんも真剣な表情で聞き入っている。
その後も何度か動画を撮り直した。
三間坂さんと一ノ瀬さんは交代しながらだったけど、俺は当然、踊りっぱなしだ。
それでも、疲れはあまり気にならなかった。劇的にうまくなるわけじゃない。けれど、確実に良くなっているのは自分でも実感できて、その手応えが、俺をまた動かした。
動画を撮って、見返して、直して、また踊る。
地味な繰り返しのはずなのに、不思議と時間が過ぎるのが早かった。少しでも良くなったところを三間坂さんが見つけてくれるのが、何より嬉しかった。
その夜。
俺はベッドの上で、改めて練習動画を見返していた。
冷静に考えると、俺のスマホの中には、一ノ瀬さんと三間坂さんの動画がいくつも入っている。
……なんだこの状況。
地味にすごくないか?
ツーショット写真を撮る機会は、この先あるかもしれない。だけど、二人と同じ振り付けで踊る動画なんて、この体育祭が終わったら、きっと二度と撮れない。
妙な感慨を胸に、まずは一ノ瀬さんと一緒に踊った動画を再生する。自然と、彼女の動きに目がいった。
ああ……やっぱり可愛いな。
見ているだけで、なんだか癒される。
……いや、もちろんパフォーマンスとしては、気になるところもある。それでも、隣の俺よりはずっと上手い。
そんなことを思いながら動画を閉じて、次に何気なく三間坂さんとの動画を再生した。
……ああ。
やっぱり、すごく綺麗だ。
いや、誤解しないでほしい。
これは動きが綺麗という意味であって、容姿がどうこうという話では決して――
……いや、無理だ。
見とれてしまう。
本当は一ノ瀬さんの動画を見るつもりでスマホを開いた。
なのに気がつけば、再生しているのは三間坂さんの動画ばかりだった。




