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王国大記録院の裏手にある小さな礼拝堂で、マルグレット・フォスの弔いが行われた。
参列者は多くない。家族と、記録院の同僚が数名。それに、エルディアたちだった。
「彼女、本当に真面目な子でした」
リゼットが、花を手向けながら呟いた。
「私より年下なのに……疑問に思ったことを、絶対に放っておけない人でした。……その真面目さのせいで、命を落とすことになるなんて」
「彼女は、間違っていなかったわ」
エルディアは、静かに言った。
「不正に気づいて、それを調べようとした。それは、正しいことよ。ただ、その正しさに気づいた相手が、悪かっただけ」
リゼットは、小さく頷いた。
白い花が一輪、静かに祭壇に置かれる。エルディアはそれを見つめながら、あの夜、初めて対面したマルグレットの遺体を思い出していた。
(この人にも、人生があった。……あなたの正しさは、無駄にはならなかったわ)
声には出さず、そう誓った。
弔いの帰り道、王宮からの使者がヴァレンティア公爵邸を訪れた。今度は、アルベルト本人だった。
「正式に、通達がある」
いつもの穏やかな私的な声ではなく、王太子としての声だった。
「予見記録に関する事件について、真相は完全に解明された。ダリウス・ベインの単独犯行であり、君への疑惑には一切の根拠がなかったことが、王宮として正式に認められる」
「……ようやくね」
エルディアは、小さく息を吐いた。
「随分と、時間がかかったこと」
「悪かったな。だが、疑惑を晴らすには、憶測ではなく事実が必要だった。君自身が、それを一番よく分かっているだろう」
「分かっているわ」
エルディアは、窓の外に視線を移した。
「証拠のない真実は、真実として扱われない。……ノアの言葉よ」
「彼らしい言葉だ」
アルベルトは、わずかに口元を緩めた。公の場ではまず見せない表情だった。
「これで、肩の荷が下りたか」
「さあ、どうかしら」
エルディアは、あえて素っ気なく答えた。だが、その声には確かに、張り詰めていたものが緩む響きがあった。
数日後、大記録院を訪れたエルディアを、リゼットが出迎えた。
「エルディア様。……これを」
差し出されたのは、小さな栞だった。押し花が施されている。
「マルグレットさんが、生前作っていたものです。……記録院の書庫に、いくつか残されていて。形見分けのようなものなんですが、良ければ」
「いいの?」
「はい。……エルディア様には、受け取っていただきたくて」
エルディアは、それを丁寧に受け取った。
「大切にするわ」
「はい」
リゼットは、小さく微笑んだ。以前よりも、ずっと自然な笑みだった。
「……あの、エルディア様」
「なにかしら」
「もし、また何か記録を調べる必要があれば、いつでも仰ってください。私、お役に立てると思います」
「ええ、頼りにしているわ」
エルディアがそう返すと、リゼットは耳まで赤くして俯いた。それを見て、エルディアは珍しく、声を出して小さく笑った。
その夜、ヴァレンティア公爵邸では、レオンが夕食に招かれていた。
「お前、疲れた顔してるな」
「失礼ね。いつも通りよ」
「いつも通りの顔で、その目の下の隈は説明つかないだろ」
図星を突かれ、エルディアは一瞬言葉に詰まった。
「……少し、眠れなかっただけよ」
「だろうな」
レオンは、それ以上追及しなかった。ただ、隣に座って、いつも通りの軽口を叩き続けた。それが、今のエルディアには、何よりありがたかった。
「なあ、エルディア」
「なに」
「お前、あの記録院で、ずっと気を張ってただろ。疑われて、それでも逃げないで」
「当然でしょう。逃げたら、認めたことになるもの」
「だよな。お前らしい」
レオンは、少し笑った。
「でも、たまには弱音吐いてもいいんだぞ。俺には」
「……あなたに?」
「俺には、な」
エルディアは、しばらく黙っていた。それから、ぽつりと言った。
「……少しだけ、怖かったわ。あの時」
「知ってる」
「知っていたなら、聞かないでちょうだい」
「言わせたかったんだよ、お前の口から」
レオンは、それだけ言って、また軽口に戻った。エルディアは、それ以上何も言わず、ただ小さく息を吐いた。素直じゃない自分を、今日ばかりは許してもいい気がした。
ミアが、いつものように紅茶を運んできた。
「お嬢様、お疲れ様でした」
「別に、疲れてなんかいないわ」
「はいはい。……でも、今日は甘いお菓子、多めに出しますね」
「頼んでいないでしょう」
「頼まれなくても、分かります」
ミアは、そう言って穏やかに微笑んだ。エルディアは何も言わず、差し出された焼き菓子に、久しぶりに素直に手を伸ばした。
深夜、エルディアは自室で、王国大記録院から借り受けた予見記録の写しを、もう一度広げていた。
事件に関わる部分は、既にすべて読み解かれている。だが、記録には、まだ意味の分からない一文が、片隅にひっそりと残されていた。
――その先に、まだ何かが続いている。
文字は掠れ、判読できない箇所も多い。今の技術では、これ以上解読することはできないという。
(何が、書かれているのかしら)
エルディアは、その一文をしばらく見つめた後、静かに写しを閉じた。今はまだ、考えても仕方のないことだ。一つの事件は、終わった。それで十分だった。
窓を開けると、夜風が頬を撫でた。空には、星が瞬いている。
悪役令嬢と呼ばれても構わない。疑われても構わない。それでも、自分の目で確かめることをやめるつもりはない。
悪役令嬢と呼ばれても構わない。
疑われても構わない。
それでも、自分の目で確かめることだけは、やめない。
エルディアは、手の中の押し花の栞を見つめた。
マルグレットが残した、小さな記録。
それを、そっと机の上に置く。
そして、夜空を見上げた。
「……次は、何が起きるのかしら」
誰にともなく呟いたその声は、夜風にさらわれて、静かに消えていった。
第一章 完




