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翌朝、ノアはダリウスのアリバイに関する調書を持って、応接室に現れた。
「証言によれば、ダリウス氏は事件当夜、王都郊外にある実家に滞在していたとのことです。母親と、通いの使用人が証言しています」
「郊外というと、どれくらいの距離?」
「馬車で半刻ほど。ただし――」
ノアは手元の資料をめくった。
「最終列車を使えば、記録院からでも十五分ほどで着く距離です。ダリウス氏は、零時十五分発の最終列車に乗り、それで帰宅したと証言しています」
エルディアは、その言葉に引っかかりを覚えた。
「零時十五分発……」
脳裏に、あの日の聞き込みの記憶がよみがえる。
――昨夜は零時の鐘が鳴ってすぐでしたか。……この時期は、王都行きの最終列車がちょうど零時十五分発でしてね。
ダリウス自身が、あの時、そう語っていた。あまりにも自然に、あまりにも詳しく。
「……おかしいわ」
「何がです」
「マルグレットが死んだのは、零時の鐘が鳴った直後よ。悲鳴を聞いたのが、その瞬間だった」
「ええ、その通りです」
「記録院から駅までは、どれくらいかかるの」
ノアは即座に答えた。
「徒歩で、十分弱です」
「零時に事件を起こして、十分で駅に着いて、零時十五分発の列車に乗る。……時間としては、ぎりぎり成立するかもしれない。でも」
エルディアは、資料を指で叩いた。
「それにしては、彼の証言は詳しすぎる。まるで、自分がその時間に間に合うかどうかを、何度も確認していたみたいに」
「アリバイを、事前に計算していた可能性がある、ということですね」
「ええ。本当にただの通勤の癖なら、あんなに具体的な数字は出てこないでしょう」
その足で、一行はもう一度イザベラのもとを訪ねた。
「イザベラさん。……もう一度、聞かせてほしいの」
エルディアは、努めて優しい声を心がけた。
「事件当夜、零時前後。あなたは、誰かを見なかった?」
イザベラの顔から、みるみる血の気が引いていく。両手を握りしめ、視線を彷徨わせる。
「私……」
「無理にとは言わないわ。でも、もし何かを見ていたのなら、それはマルグレットのためになることかもしれない」
その言葉に、イザベラの瞳が揺れた。長い沈黙の後、ようやく彼女は口を開いた。
「……見ました」
「誰を?」
「ダリウス様です。あの夜、記録の間の近くで……見かけました。でも」
イザベラの声が震える。
「上司を疑うなんて、できなくて……それに、見間違いかもしれないと思って……だから、最初の証言では、はっきり言えませんでした」
「時間は、覚えている?」
「零時を、少し過ぎた頃だったと思います。鐘の音の、すぐ後でした」
エルディアとノアは、視線を交わした。
零時の鐘の直後、ダリウスは記録の間の近くにいた。それでいて、零時十五分の列車に乗ったと証言している。
「……矛盾しているわね」
エルディアは静かに呟いた。
「記録院から駅まで十分。零時の鐘の直後に記録の間の近くにいたのなら、犯行後に列車に間に合わせることは、不可能ではない。でも、犯行の時間を作る余裕は、ほとんどないはずよ」
「つまり」
ノアが後を継いだ。
「彼のアリバイは、犯行を隠すためのものではなく――むしろ、犯行があったことを裏付けている、ということになります」
その日の午後、エルディアはノア、リゼット、レオンを伴い、ダリウスのもとへ向かった。
「お呼びと伺いましたが」
ダリウスは、いつもと変わらぬ穏やかな笑みで応対した。だが、エルディアはもう、その笑みに騙されるつもりはなかった。
「単刀直入に聞くわ。事件当夜、あなたは記録の間の近くにいたのではなくて」
「……何を、仰りたいのか」
「入室記録の下から、上書きされる前の痕跡が見つかったの。その魔力の型は、あなたのものと一致した」
ダリウスの表情が、わずかに強張った。
「それに、あなたは零時十五分発の最終列車に乗ったと証言している。でも、零時の鐘の直後、あなたを記録の間の近くで見た人がいるわ」
「……誰が、そんなことを」
「答えなくていいわ。あなた自身が、一番よく分かっているはずだから」
エルディアは、まっすぐにダリウスを見据えた。
「マルグレットは、あなたが管理していた古い系譜記録に、不審な改竄の跡があることに気づいた。だから、閲覧申請を出して、独自に調べていた。あなたはそれに気づいて――口を封じた」
長い沈黙が落ちた。
ダリウスは、椅子に座ったまま、じっと床を見つめていた。やがて、ゆっくりと顔を上げる。その顔から、いつもの穏やかな仮面が、静かに剥がれ落ちていくのが分かった。
「……数年前です」
絞り出すような声だった。
「没落した貴族家の一つから、系譜記録を書き換えてほしいと、依頼がありました。多額の金と引き換えに。……その家の相続争いに関わることでした。私は、断り切れなかった」
「それを、マルグレットに気づかれたのね」
「彼女は、真面目すぎました。古い記録を調べているうちに、不自然な点に気づいたようで……閲覧申請を、私のところに出してきたんです。あの子は、疑問に思ったことを、決して放っておけない性格でしたから」
ダリウスは、目を伏せた。
「発覚すれば、私はすべてを失う。地位も、名誉も、家族も。……そんな時、禁書庫で新しい予見記録が見つかったことを知りました。上級記録官の権限で、内容を確認しました」
「そこに、記録官が死ぬという記述があった」
「ええ。……これを使えば、と思ったんです。予見をなぞるように事を起こせば、誰も人為的な犯行だとは疑わない。運命だと、怪異だと、そう思ってくれるだろうと」
「マルグレットを、深夜の記録の間に呼び出しました。古い記録について、話がある、と。……彼女は、疑いもせずに来てくれました」
ダリウスの声が、初めて震えた。
「私は、自分の入室記録を、上級権限で上書きしました。マルグレット自身が入室したように見せかけて。それで、密室が完成すると思っていました。……記録魔法に、そんな制限があるとは、知らなかった」
「元の記録は、完全には消えない。魔法には、必ず制限があるものよ」
エルディアは、静かにそう告げた。
「それに、あなたは詰めが甘かったわ。列車の時間を、あまりにも具体的に語りすぎた。本当にただの習慣なら、あんな数字は出てこない」
「……あなた、今なんと言ったの?」
エルディアは、静かに、しかし逃さない口調で繰り返した。
「あなたは、自分のアリバイを、事前に計算していた。そうでしょう」
ダリウスは、答えなかった。それが、何よりの答えだった。
院長オズワルドの隠し事もまた、この日、明らかになった。
「殺人とは、無関係です……本当に」
震える声で、オズワルドはようやく白状した。記録院の予算の一部を、私的に流用していたという事実。事件発覚による記録院への注目を恐れ、隠蔽的な態度を取り続けていたに過ぎなかった。
「殺人には関係ないけれど、これはこれで、別の問題ね」
エルディアは、冷ややかにそう言った。オズワルドは、深々と頭を垂れるだけだった。
ダリウスは、王国捜査局の手によって、静かに身柄を確保された。
「……マルグレットに、申し訳ないことをしました」
連行される直前、彼はそう呟いた。その声に、もう穏やかな仮面は残っていなかった。
エルディアは、それを黙って見送った。
密室は、解けた。犯人も、動機も、明らかになった。
だが、胸の内に残る重さは、簡単には消えなかった。
(この人にも、人生があった――マルグレットにも、ダリウスにも)
誰かの人生が壊れることでしか、真実に辿り着けなかった。それが、事件を解決するということの、本当の意味だった。




