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翌日、王国大記録院には重い空気が漂っていた。
殺人事件の一報は既に院内全体に広まっており、誰もが声を潜めて言葉を交わしている。エルディアはノアと共に、関係者への聞き込みのため、応接室の一つに腰を下ろしていた。
「最初に、マルグレットの直属の上司から話を伺いましょう」
ノアがそう言った直後、扉が静かに開いた。
「お呼びと伺いました」
物腰の柔らかい、几帳面な印象の男が一礼した。
「ダリウス・ベインです。上級記録官として、マルグレットの指導を担当しておりました」
「座ってちょうだい」
エルディアが促すと、ダリウスは丁寧な所作で椅子に腰掛けた。
「大変な事件で……。マルグレットは、本当に真面目な部下でした。信じられません」
「彼女について、何か気になったことは?」
ノアの問いに、ダリウスは少し考えるように視線を落とした。
「特には……ただ、ここ最近は、何かに没頭している様子ではありました。仕事熱心なのはいつものことですが」
「何に、没頭していたか分かる?」
「そこまでは。彼女なりに調べ物をしていたようですが、詳しくは聞いておりません」
淀みのない答え方だった。エルディアはそれを、特に不自然だとは感じなかった。
「それにしても」
ダリウスは、ふと表情を和らげて話を続けた。
「昨夜は零時の鐘が鳴ってすぐでしたか。……この時期は、王都行きの最終列車がちょうど零時十五分発でしてね。鐘の音を聞くと、いつも間に合うかどうか、こう、時計を確認する癖がついていて」
「詳しいのね、鉄道に」
「ああ、いえ、通勤で使うものですから、自然と」
ダリウスは軽く笑って、それ以上その話を広げなかった。エルディアも、その時はただの世間話として聞き流した。
次に呼ばれたのは、記録院長のオズワルド・レインだった。
「院長として、これほどの不祥事は前代未聞です。……できるだけ、内々に収めていただきたいのですが」
開口一番、そう切り出したオズワルドに、エルディアは眉をひそめた。
「殺人事件を、内々に収めろと?」
「そういう意味ではなく……ただ、記録院の信用に関わることですから」
視線が落ち着かない。額には、うっすらと汗が浮いていた。
「何か、隠していることでも?」
「い、いいえ。まさか」
あからさまな動揺だった。ノアが横で、何かを書き留めている。
「殺人事件とは関係のないことでも、気になることがあれば、正直に仰った方がよろしいかと」
ノアが淡々と言うと、オズワルドは一瞬だけ口を開きかけたが、結局「特にありません」と繰り返すだけだった。
(何かある。でも、それが今回の事件と関係あるとは限らない)
エルディアは、そう自分に言い聞かせた。
聞き込みの合間、リゼットが小さな声で申し出た。
「あの……エルディア様。少し、お伝えしたいことが」
「なにかしら」
「マルグレットさんが、亡くなる少し前に……古い系譜記録の閲覧申請をしていたんです。それも、何度か」
「系譜記録?」
「王国の貴族の家系を記した、古い記録です。……普段、若手の記録官が個人的に閲覧するようなものではありません」
エルディアは、その情報を頭の中に留めた。
「その申請は、誰が許可したの」
「閲覧自体は、記録官なら申請できます。ただ、対象の記録が古いものだったので……許可の判は、ダリウス様が」
昼過ぎ、応接室に華やかな声が響いた。
「エルディア、大変だったわね!」
扇子を優雅に揺らしながら現れたのは、クロエ・フォン・ローゼンだった。
「あなた、こんな時までよく来られるわね」
「こんな時だからこそ、でしょう? 社交界では、もう大騒ぎよ」
クロエは扇子で口元を隠しながら、声を潜めた。
「実は、マルグレットさんについて、面白い噂を聞いたの。彼女、密かに縁談があったらしいわ。相手は、ある伯爵家の三男坊とか」
「それは事実?」
「噂よ」
クロエは肩をすくめた。
「でも、噂は噂よ。真実とは限らないわ」
「分かっているわ」
エルディアはその情報を、事実の欄ではなく、噂の欄に分類した。今のところ、事件と直接結びつく確証はない。だが、頭の隅には留めておく。
夕刻、記録院を出たところで、聞き覚えのある声がした。
「随分と、熱心に調べているようだね」
物陰から現れたのは、カイ・レヴァントだった。
「あなたね」
「情報を売るのが商売でね。今回は、興味本位で顔を出しただけだ」
「何が言いたいの」
「一つ、気になることがある」
カイは壁にもたれ、軽い口調のまま言葉を続けた。
「あの予見記録――本来は禁書扱いのはずだ。院の外に情報が漏れるはずのないものが、なぜ、王宮の使者経由であんなに早く公になった?」
「……それは」
エルディアは、言葉に詰まった。確かに、その疑問はもっともだった。
「信じるかどうかは君次第だ。ただ、情報の出所には、それなりの理由がある。俺が知っているのは、それだけだ」
言い残して、カイは去っていった。エルディアはその後ろ姿を、警戒したまま見送った。
(あなたを信用するかどうかと、その情報が正しいかどうかは、別問題でしょうけれど)
それでも、無視することはできない疑問だった。
その夜、王宮からの使いが、再びヴァレンティア公爵邸を訪れた。
「エルディア様。……申し上げにくいのですが」
「はっきり言いなさい」
「王宮内で、公爵令嬢への疑いの声が、無視できない規模になっております」
「理由は?」
「その……皆様、記録院の関係者や捜査局の方々は、職務としてあの場に居合わせたに過ぎません。ですが、エルディア様のお名前だけは……事件が起こる前から、予見記録に名指しで記されておりました。それが、どうしても説明のつかない点として、問題視されております」
エルディアは、静かに目を閉じた。
レオンもリゼットもヴィクトルもノアも、あの場にいた理由ははっきりしている。護衛として。案内として。専門家として。捜査官として。
だが、自分だけは違う。まだ何も起きていない時点で、自分の名前だけが、その記録に刻まれていた。それが、他の誰にも説明できない事実として、疑惑の核を成している。
「……上等だわ」
声には出さず、エルディアはそう呟いた。
疑われるのなら、晴らせばいい。それだけのことだ。




