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「――こっちだ!」
レオンが真っ先に駆け出した。エルディアもそれに続く。石造りの廊下に足音が反響し、悲鳴の残響を追いかけるように、一行は記録の間の扉を目指した。
扉は、閉まりきっていなかった。本来なら魔力錠によって固く閉ざされているはずのそれが、わずかな隙間を残したまま、灯りを漏らしていた。
その隙間の傍らに、若い女性が座り込んでいるのが見えた。両手で口を覆い、体を震わせている。第一発見者らしい。
「大丈夫?何があったの」
エルディアが声をかけると、彼女は震える指で、部屋の奥を指し示した。
そこに、マルグレット・フォスは倒れていた。
エルディアは一瞬、息を止めた。
目の前に横たわる若い記録官の女性は、もう二度と動かない。青白い顔、投げ出された腕、床に広がった書類の束。数時間前まで、この人物にも当たり前の一日があったはずだった。
喉の奥が、冷たくなる感覚がした。
「……エルディア様?」
リゼットの声が、遠くから聞こえた気がした。エルディアは無言のまま、拳を握りしめる。
――この人にも、人生があった。
その意識だけは、崩さない。
「……誰が、何をしたのか、調べましょう」
絞り出すようにそう言うと、エルディアは震える足を叱咤して、一歩前に出た。
「触れないでください」
鋭い声が響いた。ノア・グレイが、既に現場へ足を踏み入れていた。
「王国捜査局です。現場保存を優先します。皆様は、そちらへお下がりを」
有無を言わせぬ口調に、その場の全員が動きを止めた。ノアは屈み込み、遺体の状態を淡々と確認していく。感情を一切表に出さない、その姿勢が、逆にこの状況の異常さを際立たせていた。
「第一発見者は?」
「彼女です」
リゼットが、まだ座り込んだままの女性を示した。
「イザベラ・クレイン……記録官です。マルグレットの同僚で」
「イザベラさん。何時頃、ここへ?」
ノアの問いに、イザベラは震える声で答えた。
「わ、私は……見回りに来ただけで……時間は、その……よく、覚えていなくて」
「およそで結構です」
「……零時、前後、だったと思います。でも、はっきりとは……」
視線が泳いでいる。エルディアはそれに気づいたが、この状況で問い詰めるべきではないと判断し、口を挟まなかった。
「鍵は、あなたが?」
ノアが淡々と尋ねると、イザベラは首を振った。
「いいえ……私、鍵は持っていません。見回りに来たら、扉が……少しだけ、開いていて。それで、様子がおかしいと思って、覗いたんです」
つまり、彼女は魔力錠を使っていない。ということは、彼女がここへ入ったという記録は、そもそも残りようがない。
(本来なら、固く閉ざされているはずの扉が――なぜ開いていたのかしら)
エルディアは、その違和感を頭の片隅にしまい込んだ。
「扉のログを確認しましょう」
ヴィクトルがそう言って、扉の紋様に手をかざした。淡い光が走り、空中に文字の羅列が浮かび上がる。
「……これは」
ヴィクトルの声が、初めて硬くなった。
「どうしたの」
「今夜の……入室記録に残っているのは、一人だけです」
「一人?」
「マルグレット・フォス。彼女自身が、この扉を魔力錠で開けて入室した記録しかありません」
沈黙が落ちた。
「つまり」
エルディアは、努めて冷静に言葉を継いだ。
「入室記録の上では、彼女以外の誰も、この部屋には入っていない、ということ?」
「入室記録上は、そうなります」
密室。
その言葉が、頭の中で形を成していく。誰も入らなかった部屋で、人が死んでいる。それが自然に起きることなのか、それとも――
「――それは、興味深いですね」
背後から、穏やかな声がした。振り返ると、司祭服を纏った男が、静かな笑みを浮かべて立っていた。
「セシル・クロフォードです。教会より、参りました」
「あなたまで、なぜここに」
「王国大記録院とは、古くから聖典教会も浅からぬ縁がございましてね。……予見どおりに人が死んだ、というわけですか」
セシルは、遺体のほうへ視線を向けた。恐れる素振りは一切ない。それどころか、どこか楽しんでいるようにさえ見える。
「昔から、似たような話はございます。記された未来をなぞるように、現実が動く。……怖いですか?」
その問いに、エルディアは答えなかった。
背筋を、冷たいものが這い上がる。この男の何が不気味なのか、うまく言葉にできない。ただ、死という事実を前にしてなお崩れない微笑みが、エルディアには理解の及ばないものに思えた。
「……くだらないわ」
ようやくそれだけ絞り出したが、声はいつもより硬かった。セシルは、それ以上何も言わず、ただ微笑んでいた。
現場の検分は、深夜まで続いた。
エルディアは、リゼットやノアと共に状況を整理しながらも、頭の片隅では別のことを考えていた。
予見記録には、こう記されていた。
――記録官は、扉の内側で死ぬ。立ち会う者、ヴァレンティア公爵令嬢。
自分は今、まさにその現場に立ち会っている。予見どおりに。
だが、ログが示す限り、部屋に入ったのはマルグレット本人だけだ。誰にも殺されようがない状況で、彼女は死んでいる。
(これが、運命だとでも言うの――)
そんなはずはない。エルディアは、その考えを頭から振り払った。運命であるはずがない。何か理由がある。誰かが、何かをした。そうでなければ、説明がつかない。
王都に夜が明ける頃、王宮の廊下では、既に噂が広がり始めていた。
「聞いた?大記録院で、記録官が一人死んだそうよ」
「ええ。しかも――発見された予見記録に、ヴァレンティア公爵令嬢のお名前があったとか」
「まさか、あの方が……」
声は、そこで途切れる。誰も、最後まで言葉にしなかった。だが、その沈黙こそが、何より雄弁だった。




