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「フレデリカ様は、候補としての地位を確実にするために、フローレンス様を排除しようとしたのではないかしら」
王宮の一室、捜査資料が広げられた机を挟んで、エルディアはそう切り出した。ノアは腕を組み、しばらく黙って資料に目を落としていたが、やがて小さく首を振った。
「その線は薄いと思います」
「どうして?」
「控室への出入り記録を確認しました。フレデリカ嬢が控室に入った時間帯、フローレンス嬢の杯はすでに配膳台へ運ばれた後です。杯へ直接触れる機会自体が、彼女にはなかった」
ノアは資料の中から一枚を取り出し、時刻の列をエルディアの前に示した。
「もちろん、共犯者を使えば話は別ですが……フレデリカ嬢に、給仕を買収するほどの資金があったとは考えにくい。オルコット子爵家は、決して裕福ではありませんから」
「……それは、確かに」
資金という現実的な壁を前に、エルディアの立てた仮説は、静かに揺らぎ始めていた。
それでも、フレデリカが何かを隠していることは間違いない。エルディアはもう一度、オルコット子爵邸を訪ねることにした。
応接間に通されると、フレデリカは前回よりもさらに顔色を悪くしていた。目の下には、隈のようなものすら見える。
「フレデリカ様。単刀直入に伺います。あなたが事件の直前、フローレンス様と何を話していたのか――教えていただけませんか」
フレデリカは、しばらくの間、俯いたまま何も答えなかった。やがて、その肩が小さく震え始める。
「……私が、あの日、フローレンス様と話したことを黙っていたのは」
声が、涙で滲んでいた。
「殺人に関わっているからでは、決してありません。ただ……フローレンス様との約束を、破りたくなかったんです」
「約束?」
フレデリカは、ハンカチを目元に押し当てながら、途切れ途切れに語り始めた。
「フローレンス様は……本当は、候補を辞退するつもりだったんです」
その一言に、エルディアは思わず息を止めた。
「辞退……?」
「ええ。あの日、二人きりになった時、フローレンス様は仰いました。『私は、この国に嫁ぐことを、心から望んでいるわけではない。近いうちに、正式に辞退を申し出るつもりだ』と」
フレデリカは涙をこぼしながら、続けた。
「理由までは、詳しくは伺えませんでした。ただ、ずっと迷っていらして……ようやく決心がついた、と仰っていました。『誰にも言わないで。まだ、きちんとした形で伝えたいから』と、私に頼まれて」
「それで、あなたは黙っていた……」
「はい。彼女が亡くなった後も、それを口にすれば、まるで自分が疑われずに済むための言い訳のように聞こえるのではないかと、怖くて。……でも、もう」
フレデリカは深く俯き、両手で顔を覆った。
「もう、隠しても仕方ありません。フローレンス様は、争うつもりなど、最初からなかったんです」
オルコット子爵邸を辞したあと、エルディアは馬車の中で、フレデリカの言葉を何度も反芻していた。
(フローレンス様は、辞退するつもりだった……)
それが事実なら、フレデリカの動機は完全に消える。候補者としての地位を守るために誰かを排除する必要など、もとより存在しなかったのだから。
だが、それと同時に、エルディアの中には、うまく言葉にできない小さな違和感が生まれていた。
(フローレンス様は、そもそも誰かと「争う」つもりなど、なかった。だとしたら――)
もし本当に彼女が競争そのものから降りようとしていたのなら、その死は一体、何のためだったのだろう。誰かがフローレンスを「排除」したのだとして、その相手は、最初から戦う必要のなかった相手を、わざわざ手にかけたことになる。
その考えは、まだ形を持たない霧のようなものだった。だが確かに、エルディアの胸の奥に、小さな棘となって残り続けていた。
邸に戻ると、レオンが出迎えた。
「顔色が優れないようですが」
「……少し、考えごとをしていただけよ」
「フレデリカ様のことですか」
「彼女は、無実よ。おそらく」
エルディアは窓の外へ視線をやりながら、静かに続けた。
「これで、疑わしい人物が一人、消えたわ。……でも、それで謎が減ったとは、とても思えない」
「と言いますと」
「フローレンス様は、誰とも争うつもりがなかった。なのに、殺された。……もし犯人が、彼女を『ライバル』だと思って命を狙ったのだとしたら」
エルディアは、そこで一度言葉を切った。
「その人は――最初から、いもしない敵と戦っていたことになるわ」
レオンは、その言葉の意味を測りかねるように、しばらく黙っていた。
夜の帳が、静かに邸を包み始めている。フレデリカの涙、フローレンスの最後の言葉、そして誰のものとも知れない、見えない悪意。
まだ、答えには程遠かった。だが、事件は確かに、少しずつその輪郭を変え始めていた。




