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ノアの正式な捜査と並行して、エルディアもまた、候補者たちへの聞き込みを始めていた。表向きは「見舞いの挨拶」という体裁を取ってはいるが、その実、狙いは一つしかない。
最初に訪ねたのは、オルコット子爵邸だった。フレデリカは、応接間の椅子に浅く腰掛け、終始うつむき加減のまま、エルディアの問いに答えていた。
「フレデリカ様。事件の直前、フローレンス様と二人きりでお話しされていたと伺いましたが」
その一言に、フレデリカの肩が、はっきりと揺れた。
「……ええ。少し、立ち話をしただけです」
「どのようなお話を?」
「……それは」
フレデリカは口ごもり、膝の上で両手を強く握りしめた。
「言えないことですの?」
「……申し訳ありません。今は、まだ」
それ以上は、どれだけ言葉を重ねても、フレデリカの口が開くことはなかった。ただ、瞳の奥には、隠しごとをしている者特有の、落ち着かない揺らぎがあった。
邸を辞するとき、エルディアの胸の内には、小さな確信めいたものが芽生えていた。
(何かを知っている。それも、フローレンス様に関わる、大事な何かを)
次に訪ねたのは、ケインズワース侯爵邸だった。
ヴィオレッタは、まるで最初から準備していたかのように、完璧な受け答えを見せた。
「フローレンス様が亡くなられたこと、本当に信じられません。あんなにお元気だったのに」
悲しげに目を伏せる仕草も、声の震わせ方も、寸分の隙もない。エルディアがどのような角度から問いを投げても、ヴィオレッタの答えは常に一定の温度を保ち続けた。
「事件の起きる前、フローレンス様と何かお話しになりましたか?」
「ええ、少しだけ。候補者同士、当たり障りのない世間話を」
「どのような?」
「……お天気の話や、故郷の話。取り立てて申し上げるほどのことは」
あまりにも滑らかな答えに、エルディアはかえって奇妙な違和感を覚えた。悲しみも、動揺も、すべてが計算されたかのように整いすぎている。
(この方は、隠すことに慣れているのかしら。それとも――)
その先の言葉は、うまく形にならなかった。
夕刻、ヴァレンティア邸に戻ると、クロエが待っていた。
「エルディア様。社交界で、少し気になる噂を聞いてきましたわ」
「聞かせて」
「ケインズワース侯爵家、ここ数年、財政がかなり厳しいらしいのです。表向きは変わらぬ様子を装っていますけれど、いくつかの取引先への支払いが滞っているとか」
「借金……」
「ええ。しかも、かなりの額だとか。侯爵は、娘であるヴィオレッタ様に、この縁談へ並々ならぬ期待をかけていらっしゃるという話も」
エルディアは思わず、先ほど見たヴィオレッタの、あまりにも整いすぎた表情を思い出した。
(あの完璧さの裏に、何か重いものがあるのかもしれない)
だが、それだけで犯人だと決めつけるには、あまりにも根拠が薄い。エルディアは小さく首を振り、その考えを一度脇に置いた。
その夜、エルディアが庭園を一人歩いていると、暗がりから声がかかった。
「久しぶりだな」
振り返ると、木陰から一人の男が姿を現した。カイだった。
「……あなた、いつからそこに」
「さあな。俺がいつからいたかなんて、大した意味はない」
カイは軽い足取りで近づいてくると、エルディアの数歩手前で立ち止まった。相変わらず、どこの誰とも知れない、掴みどころのない雰囲気を纏っている。
「用があるなら、さっさと言いなさい」
「相変わらず、そっけないな」
カイは肩をすくめ、それから声を低くした。
「一つ、耳寄りな話がある。王宮の給仕の中に、最近やけに羽振りがいい奴がいるらしい」
「……それは、本当なの?」
「俺が知っているのは、それだけだ。信じるかどうかは君次第だ」
エルディアは眉をひそめた。羽振りがいい――つまり、金銭を得たということだろうか。もしそうならば、事件との関わりは無視できない。
「その給仕の名前は?」
「さあな。そこまで教えるつもりはない」
「情報屋のくせに、都合よく出し惜しみするのね」
「情報には値段がある」
カイは、少しだけ口の端を上げた。
「これはただの親切じゃない。今度、俺の頼み事を一つ聞いてもらう。それでいいなら、もう少し詳しい話をしてやってもいい」
「……頼み事って、何?」
「今はまだ言わない。そのうちにな」
カイはそう言うと、それ以上の問答を許さないとばかりに、踵を返して闇の中へ姿を消していった。
残されたエルディアは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
(王宮の給仕。最近、羽振りがいい……)
配膳記録に残された、フローレンスの杯の不自然な足取り。そして、給仕という存在。二つの点が、まだ細い糸ではあったが、エルディアの中で静かに繋がりかけていた。
夜風が、庭園の木々をさわさわと揺らしている。フレデリカの隠しごと。ヴィオレッタの整いすぎた悲しみ。ケインズワース家の借金。そして、羽振りのいい給仕。
まだ、どれが真実に繋がる糸なのか、エルディアには分からなかった。
ただ一つだけ、確かなことがある。
この事件は、政治などという大きな言葉だけでは、決して説明のつかないものだった。




