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王宮へ続く並木道は、いつにも増して馬車の列で混み合っていた。窓の外を流れていく篝火の明かりを眺めながら、エルディアは小さく息を吐いた。
「これほどの数の招待とは、珍しいですね」
向かいに座るレオンが、窓の外へ視線をやりながら呟く。
「隣国の使節が来ているそうよ。リンドグレーン公国の」
「ああ、なるほど。だから警備も物々しいわけですか」
「王太子妃候補選定も兼ねているそうだから、なおさらでしょうね」
エルディアは扇子の先で軽く頬杖をつき、窓の外を眺め続けた。今宵の夜会は「星影の夜会」と呼ばれている。表向きは社交の場だが、その実、次代の王太子妃を占う場でもあると、社交界ではもっぱらの噂だった。
大広間に足を踏み入れた瞬間、エルディアはまず、天井から下がる無数の光魔石の輝きに目を細めた。天井には星をかたどった光魔石が幾重にも吊るされ、床には磨き上げられた大理石が、その光を映して淡く輝いている。
壁際には、見慣れない意匠の礼装をまとった一団があった。リンドグレーン公国からの使節だろう。その中央に立つ壮年の男が、時折こちらへ探るような視線を寄越すのが分かる。
「緊張していらっしゃいますか、お嬢様」
隣に控えるレオンが、いつもの調子でそっと囁く。エルディアは扇子を軽く開き、口元を隠した。
「まさか。ただ、こういう場は好きではないと言っているだけよ」
「それを緊張していると言うのでは」
「……減らず口ね」
軽く睨んでみせても、レオンは涼しい顔を崩さない。その様子に、エルディアは少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
開宴の前、控えの間で衣装の最終確認をしていたとき、思いがけない人物が顔を出した。
「エルディア」
声をかけてきたのは、正装に身を包んだアルベルトだった。普段よりも幾分か硬い表情をしている。
「殿下。このような場所まで、何かご用でしょうか」
エルディアが姿勢を正すと、アルベルトは軽く手を上げてそれを制した。
「かしこまらなくていい。今日は……その、少し伝えておきたいことがあってな」
「伝えたいこと?」
「今夜は、ただの客として楽しんでくれ」
その言葉に、エルディアはわずかに眉をひそめた。アルベルトの口調には、普段の彼女に見せる気安さとは違う、どこか硬いものが混じっていた。
「……あなた、それ、本気で言っているの?」
「本気だ」
「王太子だからって、何でも隠していいわけではないでしょう」
率直な物言いに、アルベルトは一瞬だけ苦笑を浮かべた。だが、それ以上は何も言わず、軽く頭を下げてから踵を返してしまう。
その後ろ姿を見送りながら、エルディアは何とはなしに大広間へと戻った。ちょうどそこで、アルベルトがリンドグレーン公国の使節団の前に進み出るのが見えた。
「よくぞおいで下さいました。両国の縁が、今宵ますます深まることを願っております」
先ほどまでの硬さは、どこにもなかった。柔らかく整った微笑み、淀みのない挨拶。まるで別人のような佇まいで、アルベルトは使節団の男と握手を交わしている。
(……見事なものね)
エルディアは扇子の陰で、そっと目を細めた。あの言葉の裏に何があったのかは分からない。だが、少なくとも今この場で、アルベルトが「王太子」の顔しか見せるつもりがないことだけは、はっきりと伝わってきた。
やがて、王太子妃候補たちの紹介が始まった。
最初に名を呼ばれたのは、隣国リンドグレーン公国から嫁ぐ候補、フローレンス・アルダーグレン伯爵令嬢だった。淡い水色のドレスに身を包んだ彼女は、物静かな佇まいで一礼する。その所作の一つひとつに、他国の宮廷で育った者特有の、隙のない優雅さがあった。
「候補の中でも、一番の本命だそうですよ」
近くで囁く声が聞こえる。周囲の招待客たちが、フローレンスの一挙一動に注目しているのが分かった。
続いて紹介されたのは、ケインズワース侯爵家のヴィオレッタ。明るい笑みを絶やさず、招待客たちに如才なく挨拶を重ねていく姿は、いかにも社交に長けた令嬢という印象だった。紹介が終わった直後、彼女はまっすぐエルディアのもとへ歩み寄ってきた。
「ヴァレンティア公爵令嬢。お噂はかねがね」
「……光栄ですわ」
「本命はフローレンス様だと、皆さんおっしゃいますけれど」
ヴィオレッタは軽やかに笑ってみせた。だが、その笑みの奥に、ほんの一瞬だけ、何かが翳ったようにエルディアには見えた。すぐに彼女は一礼し、別の招待客のもとへと去っていく。
(……気のせいかしら)
最後に、オルコット子爵家のフレデリカが紹介される。彼女は紹介の合間にも、フローレンスへちらちらと視線を送っていた。壇上を降りるとすぐに、フレデリカはフローレンスに駆け寄り、何事か小声で耳打ちしている。二人の距離の近さは、単なる候補者同士のそれではないように見えた。
候補者紹介が終わると、招待客たちはそれぞれ思い思いに歓談を始めた。給仕たちが銀盆に杯を載せて、会場をゆっくりと巡っていく。
軽食の並ぶ卓のそばを通りかかったとき、エルディアは若い給仕同士の会話をふと耳にした。
「候補者様方の杯には、家紋が刻んでありますでしょう。取り違えのないように、記録魔法でも管理されているそうですよ」
「へえ、そこまで念入りに」
「何しろ、国を跨いだ縁談の場ですから」
特に気に留めるほどのことでもない。エルディアはそのまま歩みを進めた。
エルディアがフローレンスと言葉を交わす機会を得たのは、夜会が始まってしばらく経った頃だった。バルコニーに近い柱の陰で、フローレンスは一人、夜風に当たっていた。
「お一人ですの?」
声をかけると、フローレンスは驚いた様子もなく、静かにこちらを振り返った。
「ヴァレンティア公爵令嬢。……ええ。少しだけ、人の多い場所から離れたくて」
「お気持ち、分かりますわ。私も、こういう場は得意ではありませんの」
思わず本音がこぼれた。フローレンスはそれに、ほんの少しだけ表情を緩めた。
「意外ですね。あなたのような方でも、そう思われることがあるのですね」
「意外に思われるのは心外だけれど……ええ、あるわ。特に、今夜のような場は」
二人の間に、束の間の静けさが流れた。会場の喧騒が、遠くのざわめきのように聞こえる。
やがて、フローレンスがふと、独り言のように呟いた。
「……もし、私がこの国へ嫁がないと言ったら、どうなるのでしょうね」
エルディアはその言葉に、わずかに目を見開いた。だが、フローレンスの横顔には、それ以上の感情は読み取れない。ただ静かに、夜空を見上げているだけだった。
「それは……縁談が、お気に召さないということ?」
「さあ、どうでしょう。ただ、時々そんなことを考えてしまうだけです」
フローレンスはそう言って、小さく微笑んだ。その笑みがあまりにも自然だったので、エルディアはそれ以上、深く問いただすことができなかった。
(政略結婚が嫌なだけ、ということかしら……)
そう思いながらも、なぜか胸の奥に小さな引っかかりが残る。だが、それをうまく言葉にできないまま、二人は連れ立って会場へと戻った。
夜会は何事もなく進んでいくかに見えた。楽団の奏でる音楽に合わせて、人々が踊り、笑い、杯を傾ける。
エルディアがレオンと共に軽食を取っていたとき、会場の中央付近から、小さなざわめきが起こった。
最初は誰も、それが何を意味するのか分からなかった。
だが、次の瞬間、悲鳴が上がった。
「フローレンス様が……!」
人垣をかき分けて駆け寄ると、フローレンスが床に崩れ落ちていた。顔からは血の気が引き、唇はわずかに紫色を帯びている。手にした杯が、大理石の床に転がり、中身をわずかにこぼしていた。
「誰か、医師を! 早く!」
招待客の一人が叫び、すぐに宮廷医師が駆けつける。人垣の隙間から、エルディアはその様子を見つめていた。医師はフローレンスの手首に触れ、瞼を指で開き、そして――ゆっくりと首を横に振った。
「……遅い」
「何ですって?」
誰かが震える声で問い返す。医師は苦い顔のまま、短く答えた。
「もう、手遅れです」
その一言が、まるで冷水のように会場全体へ広がっていく。楽団の音楽はとうに止まり、シャンデリアの明かりだけが、静まり返った広間を煌々と照らし続けていた。
エルディアは、崩れ落ちたフローレンスの傍らに膝をつき、その手を握った。指先は、すでに驚くほど冷たくなっていた。
「……もし、私がこの国へ嫁がないと言ったら」
先ほどの言葉が、耳の奥で静かに繰り返される。
誰も、その本当の意味には、まだ気づいていなかった。




