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朝一番に、セシルから知らせが届いた。
「教会の記録が、見つかりました」
礼拝堂に呼ばれたエルディアの前で、セシルは古びた台帳を静かに開いた。
「三十年ほど前――当時の家扶であった方が代替わりした時期の記録です。フェザーストン家の分家筋にあたる男児が、洗礼を受けています。父の名は、記されておりますが」
セシルの指が、ある一行を指し示す。
「――ギルバート」
その名前を、エルディアは声に出さずにいられなかった。
「国の戸籍には、この記載がありません。分家の記録そのものが、どこかで消えているのです」
エルディアの脳裏に、リゼットの手紙の一節が、鮮やかに蘇った。
(三十年ほど前――家扶が代替わりした時期に該当する記録の一角に、訂正の跡……)
(家系の分岐――分家に関する記載であった可能性……)
偶然ではない。時期が、あまりに一致しすぎている。
その後、リゼットから追加の書簡が届いた。今度は速達だった。
『エルディア様
訂正跡の判読が進みました。塗りつぶされていた箇所には、もともと「分家・第二子」という記載があったと見られます。訂正後の戸籍では、その一行がそっくり削られ、代わりに別の家系図が上書きされていました。
訂正が行われた時期は、フェザーストン家の家扶が代替わりした時期と、ほぼ一致します。
リゼット・アーデル』
書簡を読み終えたエルディアのもとに、クロエが駆け込んできた。
「エルディア、もう一つ分かったことがあるの。フェザーストン家には、代々分家に渡されるはずの信託財産があったそうよ。でも、ここ数十年、その財産がどこに使われているのか、はっきりした記録がないの」
「その財産の管理は、誰が?」
「家の財務全般を任されている人物――つまり」
クロエは、言葉を切った。
「家扶よ。それに、もう一つ。レイクウッド家からの持参金は、かなりの高額だったそうよ。両家の財産を正式に統合するにあたって、フェザーストン家の財務全体を精査する監査が、婚姻の後に予定されていたの。そうなれば、古い信託財産の帳簿まで、遡って調べられることになる」
エルディアは、屋敷の使用人棟へと足を向けた。目当ての人物を、庭に面した小さな作業場で見つける。
「氷室の氷は、いつもあなたが?」
唐突な問いに、その老齢の使用人は驚いた様子で振り返った。
「はい……。ギルバート様が、毎年冬になると、氷室の氷を魔法で仕上げてくださいます。あの方は、そういったことがお得意でいらっしゃいますので」
エルディアは静かに頷き、すぐさまヴィクトルを氷室へと呼んだ。
「ここに残っている魔力の質を、花嫁の間のものと比べてもらえるかしら」
「お安い御用だ」
ヴィクトルは氷室の壁や貯氷の周囲にしばらく手をかざし、やがて表情を引き締めた。
「……近い。かなり近い質だ。第一系統の魔力の癖というのは、術者ごとに指紋のようなものが出る。断定はできないが、花嫁の間に残っていたものと、同一人物の手癖である可能性は高い」
エルディアはその場を離れながら、確信に近いものを胸の内に抱いていた。ただし、それだけでは足りない。もう一つ、確かめておきたいことがあった。
最後に訪ねたのは、ジェマだった。
「もう一度だけ、聞かせてほしいの」
エルディアは、努めて優しい声で切り出した。
「あの夜、あなたが見た人影――手の動きは、覚えている?」
ジェマは俯いたまま、しばらく黙っていた。やがて、絞り出すように口を開く。
「……扉の前で、何か、手をかざしているような仕草をしていました。まるで、儀式のような」
「それは、封印を解く時の所作に、似ていたかしら」
ジェマの肩が、大きく震えた。
「……似て、いました。でも、私は……」
「セオドア様だと、思い込みたかった?」
ジェマは、ついに顔を上げた。目には涙が浮かんでいた。
「怖かったんです。もし違ったら――もし、私が知っている人だったら――どうすればいいのか、分からなくて」
エルディアはジェマの手を、そっと握った。
「よく話してくれたわ。ありがとう」
夕刻、屋敷の応接間に、ノア、セシル、クロエ、レオンが集まった。そして、その中央に、ギルバートが呼び出された。
「何か、御用でしょうか」
いつもと変わらない、穏やかな声だった。エルディアは、静かに彼を見据えた。怒りが極まると声を荒らげるどころか、逆に静かになる。それが、エルディアという人間だった。
「……あなたに、聞きたいことがあるの」
「私に、答えられることでしたら」
「フェザーストン家の分家――三十年前に洗礼を受けた男児について、何か知っている?」
ギルバートの表情に、初めて僅かな翳りが差した。
「……存じ上げません」
「教会の記録には、あなたの名前があったわ。父の名も添えられて。国の戸籍からは、綺麗に消えていたけれど」
「何かの、記載間違いではございませんか」
声は穏やかなままだったが、わずかに硬さが混じっていた。
「信託財産の管理も、あなたが担っていた。数十年にわたって、分家に渡されるべき財産が、どこに消えたのか、誰も知らない。フィオナ様の持参金を巡って、財務監査が入る予定だった。古い帳簿まで遡って調べられれば――」
「私は、そのようなことは何も」
「ジェマが、あの夜、見ているの」
エルディアは、そこで言葉を止めた。ジェマが何を見たのか、まだ何も言っていない。
ギルバートの視線が、一瞬だけ揺れた。
「……ジェマは、何も見ていないはずです。暗い廊下で、遠目に人影を見ただけだと」
部屋の空気が、静かに凍りついた。
「あら」
エルディアは、ゆっくりと首を傾けた。
「私はまだ、ジェマが何を見たのかまでは、一言も話していないわ。それに――『遠目に』とも、『廊下で』とも」
ギルバートの顔から、初めて表情が抜け落ちた。
「あなたが今言ったことは、その場にいた人間しか、知り得ないことのはずよ」
「――」
「それに」
エルディアは、静かに続けた。
「ヴィクトルが確かめてくれたわ。氷室に残っていた魔力の質と、花嫁の間に残っていたもの――かなり近い、同一人物の手癖である可能性が高いと」
ギルバートの体から、力が抜けていくのが分かった。
「あなたは、フェザーストン家の血を引いていた。名簿には載っていない、けれど、確かな血族。だから、封印を解くことができた。深夜、花嫁の間に入り、氷の魔法でフィオナ様の体温を奪った。そして、もう一度封印をかけ直し、誰も入れなかった密室を、作り上げた」
長い沈黙の後、ギルバートは、崩れ落ちるように膝を折った。
「……その通りでございます」
絞り出すような声だった。
「三十年前、私の父は、この家の血を引きながら、正式な後継から外されました。分家として渡されるはずだった財産も、いつしか有耶無耶にされ――私が家扶として、この屋敷の財務を任されるようになってから、その財産を、少しずつ、自分のものにしておりました」
「なぜ、そんなことを」
「……惨めだったからです。血を引きながら、いないもののように扱われる。せめて、それくらいの見返りがあってもいいだろうと、自分に言い聞かせておりました」
ギルバートは、両手で顔を覆った。
「フィオナ様との婚姻で、財務監査が入ると聞いた時、頭が真っ白になりました。長年の着服が露見すれば、私はすべてを失う。それだけは、どうしても、避けたかった」
「だから、フィオナ様を」
「……はい。血族としての権限で封印を解き、彼女が眠っている間に。……苦しまないように、と思いながら」
その言葉に、エルディアは静かに、しかし強く言い放った。
「苦しまないように、なんて言葉で、自分を許さないで。あなたが奪ったのは、これから先の人生だったのよ」
ギルバートは、それ以上、何も言わなかった。ただ、深く頭を垂れるだけだった。
ノアがギルバートの身柄を拘束する手続きを進める中、エルディアは応接間の窓辺に立ち、白く染まった庭を見つめていた。
「終わった、のかしら」
呟いた声に、セシルが静かに応じた。
「事件は、終わりました。ですが」
セシルの視線が、窓の外――花嫁の間がある方角へと向けられる。
「百年前の、最初の花嫁のことは、まだ何も分かっていません」
エルディアは、小さく頷いた。
「そうね。……でも、それでいいのかもしれない。分からないことが、全部悪いわけではないもの」
降り積もる雪は、今もなお、白鳥館を静かに包み込んでいた。




