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「セオドア様が、犯人ではないかしら」
エルディアがその考えを口にしたのは、朝食もそこそこに、屋敷の一室にノアを呼び出した時だった。ノアは手帳を開いたまま、静かにエルディアの言葉を待っている。
「聞かせてくれ」
「まず、封印を解除できるのは、名簿の上では現当主様とセオドア様の二人だけ。当主様には、深夜まで客人と共にいたという確かなアリバイがある。でも、セオドア様にはない」
エルディアは指を折りながら続けた。
「それに、彼はフィオナとの結婚に乗り気ではなかった。ジェマの証言――『人影を見た。セオドア様だと思った』というのも、無関係とは思えないわ」
「動機は?」
「望まない結婚から逃れるため。あるいは――誰か、他に想う相手がいるのなら、なおさら」
ノアは手帳に何かを書き留めながら、しばらく黙り込んだ。
「筋は通っている」
その言葉に、エルディアは僅かに肩の力を抜いた。だが、ノアはすぐに続けた。
「だが、一つ、大きな穴がある」
「穴?」
「フィオナ嬢を殺害した魔法は、第一系統・物質魔法――氷を用いたものだ。しかも、ヴィクトル殿の見立てでは、かなり集中的に、熟練した形で使われている。セオドア殿に、それだけの物質魔法の心得があるか、確認してみた」
ノアは手帳の別のページを開いた。
「王立学園時代の魔法適性記録によれば、セオドア殿の適性は、主に第三系統・精神魔法に偏っている。物質魔法の成績は、平均を大きく下回っていた」
「……使えない、ということ?」
「使えないとまでは言い切れない。適性が低いというだけで、まったく使えないわけではないからな。ただ、あの規模の――対象の体温を数分にわたって奪い続けるほどの物質魔法を、熟練者のように行使できたとは考えにくい。適性記録と、現場に残った魔力の質が、噛み合わない」
エルディアは唇を噛んだ。
「……確かに、それでは筋が通らないわね」
「もう一つ。フィオナ嬢との結婚に消極的だったことと、殺意を持つことの間には、まだ大きな隔たりがある。動機として弱すぎる」
正論だった。エルディアは深く息を吐き、椅子の背もたれに体を預けた。
「……私の負けね」
悔しさを滲ませながらも、素直にそう認める。間違った推理に固執することは、エルディアの美学に反していた。
行き詰まった思考を整理するため、エルディアは再び礼拝堂へと足を運んだ。セシルは、今日も蝋燭の炎の前に座っていた。
「浮かない顔ですね」
「一つ、仮説が崩れたの」
「セオドア様、ですか」
エルディアが驚いた顔をすると、セシルは薄く笑った。
「屋敷中に、その噂が広がっていましたから。あなたが、彼を疑っているらしいと」
「……もう広まっているの」
「噂とは、そういうものです。特に、この屋敷のような場所では」
エルディアは椅子に腰を下ろし、ため息をついた。
「血族――名簿に載っている人間は、当主様とセオドア様の二人だけ。でも、そのどちらにも、決定的な証拠がない」
「名簿、ですか」
セシルは、その言葉を繰り返した。
「一つ、伺ってもよろしいですか。ヴァレンティア様は、その『血族名簿』というものが、どこで、誰によって管理されているか、ご存知ですか」
「……家扶のギルバートが」
そこまで言って、エルディアは口を噤んだ。
「家扶自身が管理している記録が、家扶自身にとって完全なものである保証は、どこにもない――ということ?」
「そこまでは、私には分かりません。ただ」
セシルは、蝋燭の炎をじっと見つめながら続けた。
「王国の戸籍とは別に、教会には洗礼記録があります。誰が誰の子として洗礼を受けたのか――そこには、国の記録とは異なる情報が残っていることもあります」
エルディアの脳裏に、リゼットからの手紙の一節が蘇った。
(三十年ほど前――家扶が代替わりした時期に該当する記録の一角に、訂正の跡……)
(家系の分岐――分家に関する記載であった可能性……)
二つの情報が、頭の中でゆっくりと重なっていく。
「セシル。フェザーストン家の洗礼記録、教会に残っているかしら」
「調べてみましょう。時間はかかりますが」
礼拝堂を出たエルディアは、廊下でクロエと鉢合わせた。
「浮かない顔ね。セオドア様の件、聞いたわ」
「もう耳が早いのね」
「これが仕事だもの」
クロエは扇を閉じ、真剣な顔になった。
「ねえ、エルディア。血族って、当主様のご家族だけを指すと思う?」
その言葉に、エルディアは目を見開いた。
「――どういう意味?」
「フェザーストン家の財政の話、覚えている? 妙に安定していたでしょう。もし、もっと以前から、誰かがこの家の財産を管理する立場にいたのだとしたら――しかもその人が、名簿には載っていない血縁者だったのだとしたら」
クロエの言葉は、まだ確証のない、ただの想像に過ぎなかった。けれど、エルディアの中で、ばらばらだった情報の欠片が、少しずつ形を持ち始めていた。
戸籍の不自然な訂正。
教会の別の記録。
妙に安定した財政。
そして――家扶にしては、あまりに封印に詳しい男。
「……名簿に載っている人間だけが、血族とは限らない」
エルディアは、窓の外の白い庭を見つめながら、静かにそう呟いた。
「本当の血族が、私たちの目の前に、ずっといたのだとしたら――」
その先の言葉を、エルディアはまだ、口にすることができなかった。ただ、確かめなければならない。その予感だけが、胸の奥で冷たく脈打っていた。
窓の外では、雪が降り止む気配もなく、白鳥館を静かに包み込んでいた。




