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「もう一度、確認させてくれ」
ノア・グレイは、花嫁の間の扉の前に立ち、その表面を注意深く指先でなぞっていた。木枠にも、蝶番にも、外から力を加えられた形跡は見当たらない。彼は懐から取り出した手帳に、簡潔な字で何かを書き留めている。
「ギルバート殿。この封印について、もう一度詳しく聞かせてもらえるか」
「はい」
呼ばれたギルバートが、恭しく進み出た。
「フェザーストン家の血を引く者のうち、定められた血族に限り、解除の権限をお持ちです」
「夫人は?」
エルディアが問うと、ギルバートは静かに首を振った。
「奥方様は、フェザーストン家に嫁いでこられた方でございますので、血族には含まれません」
その説明に、傍らでアガサ夫人が唇を引き結ぶのが見えた。誇り高い夫人にとって、それは決して心地よい事実ではないのだろう。
「では、名簿の上で解除できるのは、現当主様とセオドア様のお二人ということか」
ノアが確認する。ギルバートは頷いた。
「その通りでございます。……少なくとも、私が管理している限りでは」
現当主レジナルド・フェザーストン伯爵への聴取は、すぐに行われた。恰幅のいい、けれど今はやつれきった様子の伯爵は、深夜まで滞在客の何人かと酒を酌み交わしていたと証言した。数名の招待客がそれを裏付けたため、伯爵のアリバイは比較的固いものとなった。
問題は、セオドアだった。
「私は……自室に戻って、一人で休んでいました」
セオドアの声は弱々しく、視線は落ち着きなく揺れていた。
「誰か、それを証明できる者は?」
「……いません。侍女に下がるよう伝えましたから」
ノアは表情を変えないまま、手帳に何かを書き加えた。エルディアはその横顔を、じっと観察していた。
(婚約者の死を悲しんでいるはずなのに、どこか怯えているように見える)
昨日、部屋で見た戸惑いの表情が、再び頭をよぎる。
「セオドア様は、フィオナ様との結婚に、乗り気ではいらっしゃらなかったと伺いましたが」
クロエが、扇の陰から静かに切り込んだ。集めてきた噂話を、こういう場で使うことに躊躇いがないのが彼女らしい。
セオドアの顔が、目に見えて強張った。
「……それは」
「答えなくても結構ですわ。ただ、事実かどうかだけ、教えていただければ」
沈黙が、答えの代わりになった。
聴取が一段落した頃、エルディアはセシルを捜して屋敷の礼拝堂へと足を運んだ。冷えた石造りの小さな部屋で、セシルは蝋燭の炎を見つめながら、静かに祈りの言葉を唱えていた。
「……お話があるの」
「ええ、分かっています」
振り返ったセシルの表情に、いつもの飄々とした笑みはなかった。
「百年前のことですね」
エルディアが頷くと、セシルは蝋燭の炎から視線を外さないまま、語り始めた。
「当時のフェザーストン家に、アイリスという名の令嬢がおりました。婚約者は、彼女の意志とは関係なく決められた縁談だったと、教会の古い記録に残っています」
「今回と、同じ」
「ええ。彼女もまた、婚礼の前夜に花嫁の間で夜を過ごし――翌朝、同じように、凍りついた姿で見つかりました」
室内の空気が、一段と冷たくなった気がした。
「教会の記録では、死因は『不明』とされています。ただ、当時の当主が事件性を疑っていたという走り書きが、記録の余白に残されているのです。……もっとも、それ以上のことは、どこにも書かれていません」
「揉み消された、ということ?」
「その可能性は否定できません。ただ、断定もできません」
セシルは、ようやくエルディアの方に視線を向けた。
「ヴァレンティア様。あなたは、これが百年前と同じ怪異だと思いますか」
問われて、エルディアは即答できなかった。
密室。同じ死に方。同じ部屋。愛のない結婚。
偶然と呼ぶには、あまりに条件が揃いすぎている。
「……分からないわ」
正直にそう答えると、セシルはわずかに目を細めた。
「その答え方は、嫌いではありません。分からないものを、分かった顔で語る人間より、よほど誠実だ」
「褒めているの?貶しているの?」
「褒めています」
セシルはそう言って、また蝋燭の炎に視線を戻した。
「私は、怪異を語ることを生業にしています。ですが、怪異を語ることと、何もかもを怪異のせいにすることは、別の話です。今回の事件が本物の呪いなのか、それとも呪いを装った何かなのか――それを見極めるのも、私の役目だと思っています」
礼拝堂を出たエルディアは、廊下の窓から白く染まった庭を見下ろした。降り積もる雪は、音もなく世界を塗り替えていく。
背筋に、冷たいものが這い上がってくる感覚があった。
(もし、本当に――)
もし、理屈の通じない何かが、この屋敷には巣食っているのだとしたら。フィオナの死に、犯人などいないのだとしたら。
その考えに行き着いた瞬間、エルディアは強く首を振った。
(駄目。それは、一番楽な逃げ道よ)
幽霊のせいにすれば、誰も裁かれない。誰も追及されない。それは、恐怖に負けて思考を止めることと同じだ。
「大丈夫か?」
いつの間にか隣に立っていたレオンが、顔を覗き込んでくる。
「顔、真っ青だぞ」
「……別に、平気よ」
強がる声が、自分でも情けないほど小さくなった。レオンは何も言わずに、ただエルディアの隣に立ち続けてくれた。それだけで、少しだけ息がしやすくなる。
夕刻、屋敷の一室に集まったノアとエルディアは、この日分かったことを整理していた。
「名簿上、解除できるのは当主とセオドア殿の二人だけ。当主にはアリバイがある。セオドア殿にはない――が、決定打もない」
ノアが淡々と述べる。
「本人が犯人だと決めつけるには、材料が薄すぎる。動機らしきものはあるが、それだけだ」
「密室そのものは?」
「今のところ、こじ開けられた形跡はどこにもない。窓も、扉も」
エルディアは、封印の紋様が浮かんでいた扉を思い出していた。
「本当に……名簿に載っている二人しか、あそこには入れないの?」
ノアは、すぐには答えなかった。
「それを、これから確かめる」
その言葉は、静かだったけれど、確信を持って響いた。
窓の外では、雪がまだ、音もなく降り続いていた。




