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「エルディア様。施錠魔法の解除記録について、詳しい照合が終わりました」
翌朝、真っ先に部屋を訪れたリゼットの声には、これまでにない緊張が滲んでいた。エルディアは読みかけの資料を置き、身を起こした。
「教えてちょうだい」
「はい。まず、セドリック様が以前おっしゃっていた『解除記録に合わない部分がある』という件ですが……確認したところ、それ自体は、事実でした。ただし」
「ただし?」
「その“合わない部分”というのは、三年前まで書庫の管理を任されていた、退任済みの使用人の権限が、正式に抹消されないまま記録に残っていた、という単純な記載ミスでした。事件当夜とは、時期も内容も、直接の関係はありません」
エルディアは眉をひそめた。
「つまり――セドリックが指摘したその不自然さは、事件とは無関係だった、ということね」
「はい。少なくとも、それ単体では」
その言葉に、部屋にいたノアが静かに口を開いた。
「一つ、気になる言い方をするな。“それ単体では”ということは、他に何か見つかったのか」
「はい」
リゼットは資料をめくり、一枚の記録を机に広げた。
「今回、退任済みの使用人の記録とは別に、事件当夜――正確には、悲鳴が上がるおよそ一刻前の時間帯に、正規の権限による解除記録が、もう一件ありました」
「もう一件……誰の権限?」
「セドリック様です」
その一言に、部屋の空気が張り詰めた。
エルディアは、すぐには言葉を発せなかった。
「……でも、それだけでは」
「ええ。セドリック様は家令として、書庫を開ける正当な理由をいくらでも持っています。監査資料の確認のためだった、と言われれば、それだけでは不自然ではありません」
「なら、なぜ、あなたはそれを“気になる”と?」
「その時間について、私たちはすでに、セドリック様ご自身から証言を得ています」
リゼットは、静かにその答えを口にした。
「セドリック様は、事件当夜のその時間帯について、こうおっしゃっていました。『書斎で、翌日の来客対応の準備をしておりました』と」
「……書庫ではなく、書斎」
「はい。ご自身の証言と、正規の解除記録が、食い違っています」
エルディアの心臓が、大きく音を立てた。単なる状況証拠の積み重ねではない。証言と記録という、二つの異なる情報が、はっきりと矛盾している。
「エルディア様」
そこへ、ヴィクトルが割って入った。彼もまた、その場に呼ばれていたらしい。
「もう一つ、繋がる話がある。カイから聞いた、ラングフォード家の資産の話だが……こちらで帳簿の使途不明金の発生時期と、正確に突き合わせてみた」
「時期は?」
「ほぼ一致している。使途のはっきりしない支出が発生した時期と、ラングフォード家で目立った出費があった時期。もちろん、これだけで断定はできない。だが、偶然と片付けるには、あまりにも符合しすぎている」
その言葉に、エルディアはゆっくりと目を閉じた。
帳簿の破棄されたページ。使途不明の支出。頻繁な鍵の持ち出し。実家の羽振りの良さ。そして今、証言と解除記録の食い違い。
一つ一つは、まだ「疑わしい」程度のものでしかない。だが、それらが同じ一人の人物――セドリック・ラングフォードという一点に、次々と収束していく。
「……でも」
エルディアは、震えを抑えるように、両手を強く握りしめた。
「まだ、分からないことがあるわ。もしセドリックが犯人なら――なぜ、私に罪を着せる必要があったの? 彼が本当に着服の発覚を恐れて、ヴォルク様の口を封じたのだとしても、その罪を、わざわざ私に向ける理由が見えない」
その問いに、しばらく誰も答えなかった。だが、やがてノアが、慎重に口を開いた。
「――向けた、のではなく。逸れていっただけ、なのかもしれない」
「逸れた?」
「セドリックが、意図的に君を陥れる計画を立てていたとは限らない。むしろ、彼にとって必要だったのは、ただ一つ――自分に疑いが向かないことだけだ」
「……つまり」
「君が昼間、あの書庫で感知魔法を使っていたこと。それは、セドリックが仕組んだことじゃない、ただの偶然だ。だが、その偶然が、記録画の不鮮明な映像と重なった。そこに、ヨランダの――おそらくは、モロー侯爵側の思惑による偽証が、たまたま同じ方向に重なった」
ノアは、一つ一つ言葉を選びながら続けた。
「セドリックは、それを見て、あえて否定しなかった。むしろ、君を助けるふりをしながら、証拠のうちの都合の良い部分――事件とは無関係な、退任した使用人の記録の不備――だけを、自分から差し出した。それによって、まるで誠実に協力しているように見せかけながら、本当に危険な部分――自分自身の解除記録――からは、目を逸らさせようとした」
その説明に、エルディアは、ゆっくりと息を吐いた。
「……誰か一人が、全てを企んだわけじゃない。モロー侯爵の思惑と、ヨランダの偽証と、セドリックの保身。それぞれ別の目的を持った人間の思惑が、たまたま同じ場所――“エルディアが疑われる”という一点に、重なっていっただけ」
「そういうことだ」
ノアは頷いた。
「だが、それは同時に、殺人という事件そのものの答えを変えるものじゃない。証言と解除記録の矛盾。使途不明の支出とラングフォード家の資産。この二つを、正式にセドリックへ突きつける必要がある」
「……ええ」
エルディアは、静かに、しかし確かな声で言った。
これまでのように、断片的な違和感を抱えるだけの状態ではない。今、初めて、一本の筋道が見えていた。優しかった家令の顔と、その裏に隠されていたかもしれないもの――その両方を、これから確かめなければならない。
「セドリックに会うわ」
「エルディア嬢」
「怖くないと言えば、嘘になる。でも……これ以上、確かめずに逃げるわけにはいかない」
エルディアは、窓の外に目を向けた。裁判まで、残された時間は少ない。だが、今なら、その時間の中に、真実を届けられるかもしれない。
そう思える程度には、道筋が見え始めていた。
その頃、ヴァレンティア公爵邸の一室で、セドリックは静かに窓の外を眺めていた。
王宮からの使者が、今日、邸を訪れたという報告を受けたばかりだった。何を調べに来たのか、詳細はまだ分からない。だが、長年この家に仕えてきた者としての勘が、静かに警鐘を鳴らしていた。
「……そろそろ、潮時か」
誰にともなく呟いた声は、いつもの穏やかな響きとは、どこか違って聞こえた。




