18
王宮の一室に、来客を告げる声が響いたのは、正午を少し過ぎた頃だった。
「ヴィクトル・ハイゼン様、お見えです」
扉が開き、いつも通りの、どこか眠たげな足取りで現れたのは、ヴィクトルだった。手には分厚い書類の束と、布に包まれた何かを抱えている。
「やあ、エルディア嬢。……こんな場所で顔を合わせるのは、あまり嬉しい状況とは言えないね」
「本当にそうね」
エルディアは苦笑を返した。普段であれば軽口を叩き合うところだが、今日はそんな余裕もない。ノアもすでに部屋の隅に控えており、リゼットも記録院から取り寄せた過去の資料を手に、机の準備を進めていた。
「早速だけど、あの記録画について聞きたいわ。あれは、本当に犯行時刻の私を映したものなの?」
単刀直入な問いに、ヴィクトルは椅子に座りながら、軽く肩をすくめた。
「結論から言うと――今の段階では、断言できない」
「どういうこと?」
「まず、これを見てほしい」
ヴィクトルは布に包んでいたものを机に置いた。細工の施された腕輪――被害者ヴォルクが所持していた、記録魔法の魔道具だ。
「記録魔法は、王国の魔法体系における第五系統に属する。魔力を通した瞬間の光景を、一定時間だけ像として留める魔法だ。当然、これも他の魔法と同じく、四原則――発動条件、効果、制限、代償――から逃れられない」
「制限と代償……」
エルディアはその言葉を繰り返した。魔法を学ぶ者として、聞き慣れた概念ではある。だが、それが目の前の証拠にどう関わってくるのか、まだ像を結ばない。
「この手の腕輪型の記録魔道具は、常に起動しているわけじゃない。持ち主が意図的に魔力を込めた瞬間から、一定時間だけ記録が始まる仕組みだ。これが発動条件」
ヴィクトルは指を一本立てた。
「効果は単純――視界に映る光景を、像として留める。ここまでは問題ない」
指を二本目に。
「問題は制限だ。この手の魔道具は、短時間のうちに何度も連続して使用されると、記録された像同士が重なり合い、滲んでしまう性質がある。特に、光量の少ない場所――例えば、この件のような夜間の書庫では、輪郭がぼやけやすい」
「重なり合う……」
「そして代償。記録魔法は、記録する時間が長くなるほど、術者――この場合は魔道具そのものだが――の魔力を消耗する。魔道具側の魔力残量が少ないと、像が不完全な形でしか定着しない。今回採取された映像が、あれほど不鮮明だったのには、理由があるということだ」
ノアが口を挟んだ。
「つまり、あの映像は、犯行時刻の一度きりの記録ではなく、複数回の記録が重なった可能性がある、ということか」
「その可能性は否定できない、というのが今の段階での結論だ」
ヴィクトルはリゼットが差し出した資料に目を通しながら続けた。
「記録院の記録では、ヴォルク氏はこの腕輪を、監査業務のためにこの一週間、頻繁に使用していたようだ。帳簿の照合や、部屋の状況確認のために、日に何度も起動していた記録が残っている」
「それなら――」
エルディアの声に、わずかな期待が滲んだ。
「昼間、私が感知魔法の練習をしていた時のことと、何か関係があるのかしら」
「順を追って考えよう」
ヴィクトルは指を折りながら、一つずつ確かめるように言った。
「まず、感知魔法の残留痕跡と、この記録画は、別の魔法の話だ。感知魔法の痕跡は、君が“いつかその場所にいた”ことを示すだけで、記録画そのものには直接関係しない。混同しないでほしい」
「……分かったわ」
「その上で、記録画についてだけ考える。君が昼間、この書庫で感知魔法の練習をしていた時――その光景を、ヴォルク氏の腕輪がたまたま記録していた可能性はある。監査のために、部屋の状況を確認する目的で起動していたのだとすれば、不自然じゃない」
「その後も、ヴォルク様は腕輪を使い続けていた……」
「ああ。そして事件当夜、何らかの理由で再び腕輪が起動した。もしその時、書庫に別の誰かがいたとすれば――昼間の君の像と、夜の別人の像が、同じ腕輪の中で重なり合った可能性がある」
「つまり」
エルディアは、ようやくその論理の筋道を掴んだ。
「あの記録画に映っていたのは、犯行時刻の私ではなく、昼間の私の姿と、夜に書庫にいた別の誰かの姿が、混ざり合ったものかもしれない、ということね」
「可能性としては、ある。ただし」
ヴィクトルは、あえて釘を刺すように言葉を継いだ。
「可能性がある、というだけで、確定はしていない。像が重なるのは、あくまで“同じ場所で短時間に複数回記録された場合”だ。仮にあの映像が昼の光景と重なったものだとしても、それが偶然なのか、それとも――誰かが意図的に、そうなるよう仕向けたのかは、まだ分からない」
「意図的に……?」
「例えば、犯人が事件後、故意にこの魔道具を何度か使って、映像を重ねさせた場合。あるいは、犯行そのものを、意図的に君の残留魔力が濃い時間帯に合わせて実行した場合。どちらの可能性も、今の段階では排除できない」
部屋に、重い沈黙が下りた。
単に「証拠が曖昧である」というだけでは、無実の証明にはならない。むしろ、それは「意図的な偽装」という、より恐ろしい可能性を示唆してもいた。
「……ノア」
エルディアは、静かにノアに向き直った。
「私、正直に言うわ。昨夜のことを、細かく思い出そうとしているのだけれど……一つだけ、はっきりしない時間があるの」
ノアの目が鋭くなる。
「はっきりしない、とは」
「夕食の後、自室で本を読んでいたのだけれど……途中で、少しうとうとしていた時間があったと思う。どのくらいの間だったのか、正確には分からない。悲鳴を聞いた時には、もう起きていたのだけれど……」
エルディアは、自分の言葉の重さを自覚しながら続けた。
「もし、その時間に誰かが私の部屋の近くを通っていたとしても、私には分からない。……つまり、私自身にも、完全なアリバイはないということよ」
正直に告げるその姿に、リゼットが小さく息を吸った。
「エルディア様、それは……」
「隠しても仕方がないもの。嘘をついて、後で矛盾が出る方が困るわ」
エルディアはきっぱりと言い切った。だが、その言葉とは裏腹に、内心では小さな不安が渦を巻いていた。証拠は曖昧。だが、自分にも完璧な無実の証明はない。この状況は、想像していたよりもずっと危うい場所に立っている。
ヴィクトルが、その様子をじっと見つめてから、静かに口を開いた。
「エルディア嬢。一つ、はっきりさせておきたいことがある」
「なに?」
「君は、自分に不利になる可能性のある情報を、今、自分から話した」
「……当然でしょう」
「いや。当然じゃない人間の方が多い」
ヴィクトルは珍しく、真面目な顔でそう言った。
「俺は魔法のことしか、あまり得意じゃない。だが、これだけは分かる。本当にやましいことがある人間は、自分から不利な情報を差し出したりはしない」
その言葉に、エルディアは少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
「……ありがとう、ヴィクトル」
「礼はいい。俺はまだ、何も証明していない。ただの印象だ」
そう言いながらも、ヴィクトルは腕輪を丁寧に布に包み直し、立ち上がった。
「この魔道具については、もう少し詳しく調べてみる。使用履歴の全てを洗い出せば、少なくとも“何度使われたか”は特定できるはずだ」
「お願いするわ」
「ああ。それと――もう一つ、気になっていることがある」
ヴィクトルは扉に向かいかけた足を止め、振り返った。
「被害者の帳簿だ。監査中の帳簿にしては、妙にページの一部が欠けている。破棄されたのか、失くされたのか……その理由が分かれば、事件そのものの見方が変わるかもしれない」
その言葉に、エルディアとノアは、揃って顔を見合わせた。
「帳簿……」
まだ、その意味するところは分からない。だが、確かに一つの糸口が、そこに見え始めていた。
窓の外では、灰色の雲が相変わらず低く垂れ込めていた。裁判の日程は、まだ正式には決まっていない。だが、それが遠い話ではないことを、エルディアはこの部屋の格子窓を見るたびに、嫌でも思い知らされていた。




