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馬蹄の音は、思っていたよりも早く邸の前庭に到達した。
玄関ホールに降りたエルディアが見たのは、王家の紋章を纏った近衛の一団と、その先頭に立つ見知った顔――レオン・ハルトマンだった。
「レオン? どうしてあなたが」
「事件の一報が王宮に入った。それで、俺も一緒に来た」
レオンの声は普段と変わらないはずなのに、どこか硬い。エルディアは、その硬さの理由をすぐに理解した。彼の後ろに続いて入ってきたのは、儀礼服に身を包んだ王宮の使者だった。
「ヴァレンティア公爵令嬢エルディア様」
使者は淡々と、しかし逃げ道のない声で告げた。
「王国大記録院所属の魔法鑑定官殺害事件について、貴殿は重要参考人として王国捜査局の管理下に置かれることとなりました。つきましては、正式な裁定が下るまでの間、王宮内の一室にてお過ごしいただきます」
「――王宮預かり、ということね」
「左様でございます」
表向きは「軟禁」ではなく「保護」という言葉が使われる。だが、その意味するところに大差はない。エルディアは静かに頷いた。
「分かったわ。荷物をまとめる時間をちょうだい」
「もちろんでございます」
私室へ戻る途中、階段の踊り場でエルディアは父アルフォンスと行き合った。夜半の呼び出しにもかかわらず、父はすでに正装に近い姿で、書斎から降りてきたところだった。
「父上」
「……聞いた」
短い返事だった。アルフォンスは娘の顔を見つめ、それから視線を落とした。
「私が王宮に掛け合う。お前が無実であることは、私が誰よりも知っている」
「ありがとう。でも」
エルディアは一度言葉を切り、それから、はっきりと続けた。
「父上が動いてくださるのは嬉しいけれど、私を助けるのは、父上の言葉だけでは足りないと思うわ。私は――事実で、無実を証明したい」
アルフォンスは驚いたように娘を見た。それから、深く息を吐いた。
「……お前は、本当に変わらないな」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
そう言い返しながらも、エルディアの声はいつもより硬かった。父にはそれを気付かれたくなかった。
王宮の一室に案内されたのは、それから二刻ほど後のことだった。豪奢だが窓に格子の入った部屋。扉の外には常に近衛が立つ。表向きは客人としての扱いだが、実質的には囚人と変わらない。
ミアだけが、身の回りの世話係として同行を許された。
「お嬢様……」
ミアが震える声で紅茶を淹れながら、何か言おうとして、結局言葉を飲み込む。エルディアはその様子に、小さく笑ってみせた。
「そんな顔をしないで。まだ何も決まっていないわ」
「でも……」
「大丈夫よ」
それは半分、自分自身に向けた言葉でもあった。
翌朝、事態はさらに大きく動いた。
王宮の広間で開かれた緊急の会議――エルディア自身は出席を許されなかったが、レオンが後にその内容を伝えてくれた。会議の場で、最も強硬な声を上げたのはグスタフ・モロー侯爵だったという。
「ヴァレンティア公爵家の令嬢が、あの“悪役令嬢”の血を引く者であることは、王国史が示す通りです」
モロー侯爵はそう切り出したという。
「歴代の悪役令嬢は、必ず一人だけ現れ、必ず重大な事件の中心に立ち、そして最後には処刑されている。これは単なる偏見ではなく、七百年にわたる王国の歴史そのものだ。今回の事件も、その歴史の延長線上にあると考えるべきではないか」
レオンはその言葉を伝えながら、拳を握りしめていた。
「あの男、証拠もろくに揃っていないうちから、お前を裁判にかけろの一点張りだ。あろうことか、迅速な処罰こそが王国の秩序を守ると、正論めかして言いやがった」
「……そう」
エルディアは静かにその話を聞いていた。表情を動かさないよう、意識して努めていた。
「エルディア」
「なに?」
「怖くないのか」
その問いに、エルディアは一瞬、答えに詰まった。
怖くない、と即座に言い切れるほど、自分は強くない。歴代の悪役令嬢が辿った末路を、エルディアは幼い頃から繰り返し聞かされて育ってきた。反逆、殺人、禁忌魔法、陰謀――罪状はどれも異なっていても、行き着く先はいつも同じだった。処刑台。
自分が、まさにその歴史の中に組み込まれようとしている。
「……怖いわ」
エルディアは小さく、けれどはっきりと認めた。
「怖くないと言えば、嘘になる」
レオンが息を呑む気配がした。エルディアがこの手の弱音を口にすることが、どれほど珍しいことか、彼はよく知っている。
「だから、余計に確かめないといけないの」
エルディアは膝の上で握っていた両手を、ゆっくりと開いた。指先が、わずかに震えていた。それを見られたくなくて、すぐに袖の中に隠す。
「私が本当に何もしていないなら、必ずその証拠があるはずよ。ヴォルク様を殺した本当の犯人が、どこかに必ずいる。……怖いからこそ、それを見つけ出さなければ」
「エルディア」
「レオン。私を憐れむより、手伝ってちょうだい」
わずかに口の端を上げて、エルディアはそう言った。無理をしているのは明らかだった。それでも、その強がりを、レオンは今は否定しないことにしたようだった。
「……分かった。何をすればいい」
「まず、王国捜査局の動きを知りたいわ。ノアは、証拠をどこまで精査しているの?」
「明日には、記録院からヴィクトル・ハイゼンが呼ばれると聞いた。あの記録画の魔道具を専門的に鑑定するらしい」
その名前に、エルディアはわずかに眉を上げた。
「ヴィクトルが……」
話が長い、結論を急かさなければならない、あの魔法研究者。だが、魔法に関する知識だけは誰よりも確かだと、エルディア自身が認めている人物でもある。
「あの記録画が、本当に犯行時刻の私を映したものなのか。それとも――」
エルディアは言葉を切り、窓の外に視線を向けた。格子の隙間から見える夜空には、雲が厚く垂れ込めていた。
「それとも、何か別のものなのか。ヴィクトルなら、きっとそれを見極められるはずよ」
その声には、恐怖と同時に、微かな覚悟が滲んでいた。
一方その頃、ヴァレンティア公爵邸では、家令セドリック・ラングフォードが、静まり返った書斎で一人、燭台の炎を見つめていた。
テーブルの上には、開かれたままの帳簿。そのページの端を、彼の指先が、無意識のうちに強く押さえつけていた。
廊下から、女中の一人が声をかける。
「セドリックさん、お嬢様のことで、旦那様がお呼びです」
「……ああ、すぐに参ります」
セドリックは静かに帳簿を閉じ、いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべて立ち上がった。
その顔に、疚しさなど微塵も浮かんではいなかった。




