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「まず、確かめたいことがあるの」
エルディアは、ヴァレンティア公爵邸の応接間に集まった面々を見渡した。ノア、リゼット、レオン、そしてミア。誰の表情にも、緊張が浮かんでいた。
「あの日、悲鳴が上がってから、セレナが駆けつけるまでの時間よ」
「調べています」
リゼットが、手元の記録を確認しながら答えた。
「オフィーリア様が水に落ちた直後……周囲の令嬢の証言では、悲鳴からごくわずかの間に、セレナ様が現場に到着していたようです」
「わずか、というのは?」
「数十秒……もっと短いかもしれません」
その答えに、エルディアは静かに頷いた。
「東屋からでは、間に合わない距離よ。噴水の近くに、それだけ早く駆けつけられる場所にいた人物は、限られる」
「エルディア様や殿下たちと同じく、遠くの東屋にいた者には不可能な速さです」
ノアが淡々と補足した。
「それなら、まず本人に聞くべきだわ」
エルディアはそう言うと、後日、セレナを再び屋敷に招いた。応接間に現れたセレナは、いつもと変わらぬ穏やかな微笑みを浮かべていた。
「エルディア様、お呼びと伺いましたわ」
「一つ、確認させて。あの日、あなたはどうして、噴水のあんなに近くにいたの?」
エルディアの問いに、セレナの微笑みが、ほんのわずかに強張った。
「……たまたま、通りかかっただけですわ。庭園を散策していましたの」
「そう。……でも、記録によれば、あなたはあの日、供の者を先に帰して、一人で庭園の奥へ向かっていたそうね」
リゼットが差し出した記録を、エルディアはテーブルに置いた。招待客の動線を、園遊会の警備記録から丹念に照合した結果だった。
「一人で、庭園の奥へ。それも、噴水のある区画へ、まっすぐに」
「……偶然ですわ」
「偶然にしては、都合が良すぎるとは思わない?」
セレナの表情から、少しずつ余裕が消えていった。
「もう一つ、確かめたいことがあるわ」
エルディアは続けた。
「衛士のヨハンが、あの日、青いドレスの後ろ姿を見たと証言している。でも、あの日、青系統のドレスを着ていた令嬢は、私も含めて何人もいた。あなたも、その一人よ」
「それだけでは、私を疑う根拠にはなりませんわ」
「ええ、それだけでは足りない。だから、他の証拠と合わせて考える必要があるの」
ノアが一枚の記録画をテーブルに広げた。噴水近くの地面に残された足跡――踵の少し前に、細い菱形の溝が三本並んだ、特徴的な意匠。
「これは、事件現場に残されていた足跡です。エルディア様のものとは一致しませんでした」
ノアは、もう一枚、別の記録画を並べた。
「先日、王宮の靴職人に協力を仰ぎ、あなたが日頃仕立てている靴の意匠を確認させていただきました。……同じ溝の意匠が、三本」
セレナの顔から、完全に血の気が引いた。
「これも、あなたのものかしら」
リゼットが、小さな布に包まれたヘアピンをそっと差し出した。
「植え込みの陰から見つかりました。紋章を確認したところ……ダグラス家のものです」
「……それは……」
セレナは、一瞬言葉に詰まったが、すぐに気を取り直したように答えた。
「そのヘアピンは、その日の朝から失くしていたものですわ。誰かが拾って、たまたまあそこに落としたのかもしれません」
「本当に?」
その時、静かにミアが一歩前に出た。
「セレナ様。失礼を承知で申し上げます」
「……何かしら」
「園遊会が始まった時、私はお嬢様の身支度の最中に、セレナ様とすれ違いました。その時、確かに――このヘアピンを、髪に着けていらっしゃいました」
ミアは、はっきりとした声で言い切った。
「そして、オフィーリア様が告発された後、廊下でお会いした時には……もう、ついていませんでした」
セレナは何も言わなかった。ただ、握りしめた手が、小さく震えていた。
「セレナ」
エルディアは、静かに、しかし逃げ場を与えない声で言った。
「あなたは、朝から失くしていたと言った。でも、ミアは、園遊会が始まってからも、あなたがそれを着けていたのを見ている。……どちらかが、嘘をついているわ」
沈黙が落ちた。長い、重い沈黙だった。
「……オフィーリア様を、お呼びしてもよろしいですか」
ノアが静かに言った。エルディアは頷いた。
しばらくして、案内されてきたオフィーリアは、部屋の空気を感じ取ったのか、不安そうに視線を彷徨わせた。
「オフィーリア嬢」
ノアが、努めて優しい声で尋ねた。
「あの日、突き落とされた瞬間、あなたは本当に、犯人の顔をはっきりと見ましたか」
オフィーリアは、震えながら俯いた。しばらくして、ようやく声を絞り出す。
「……本当は……はっきり、見ていません」
その一言に、部屋の空気が変わった。
「気付いたら、水の中に落ちていて……混乱していて……。そこに、セレナ様が真っ先に駆けつけてくださって……『……ヴァレンティア様、でしたよね?』って、聞かれて……」
オフィーリアの声が、涙で震え始めた。
「私、てっきり、セレナ様が見ていたんだと思って……。だから、そう思い込んでしまったんです……」
「……そう、いうことね」
エルディアは、静かにセレナを見据えた。
「あなたが、あの子に、私の名を刷り込んだ。誘導したのよ」
セレナは、もう何も否定しなかった。震える手で顔を覆い、しばらくして、絞り出すように言葉をこぼした。
「……ダグラス家は、もう限界なんです」
その声には、いつもの優雅さは欠片も残っていなかった。
「事業は傾く一方で……バークレー家との商談が成立しなければ、領地さえ手放すことになる。父からは、私が後見人のような立場になれば、商談も縁談もまとめられると……何度も言われて……」
「だから、オフィーリアを利用しようとしたの? 突き落として、助けたふりをして」
「……はい。オフィーリア様に恩を売って、後見人のような立場になれば……父も、商談を進めやすくなると……」
「でも、それだけなら、私に罪を着せる必要はなかったはずよ」
エルディアの問いに、セレナは一瞬、顔を歪めた。
「……あなたになら、誰もが疑いを持つと思ったんです」
「……どういう意味?」
「悪役令嬢。……その評判が、もうずっと、あなたにはついて回っているでしょう。だから、あなたの名前を出せば、誰も疑わない。周りが勝手に、あなたを犯人だと決めつけてくれる。……そう、思ってしまったんです」
その言葉に、エルディアは息を呑んだ。怒りとも、諦めとも違う、何か冷たいものが胸の奥を突いた。
自分が悪役令嬢だから、疑われたのではない。
「悪役令嬢」という評判そのものが、都合よく利用されただけだった。
「……違います、死なせるつもりなんてなかったんです。少し濡れて、騒ぎになる程度だと……そう思っていました……」
セレナの言葉が、途切れ途切れにこぼれ落ちる。エルディアは、それを静かに、しかし冷ややかに見つめた。
「傷つけるつもりがなかったから、罪が消えるとでも思って?」
その一言に、セレナは何も言い返せなかった。ただ、崩れるように、その場に膝をついた。
「……オフィーリア様を、傷つけるつもりはなかったのです。ただ……家を守りたかっただけなのです……」
嗚咽混じりの声が、静かな部屋に響いていた。




