13
「……もしかしたら」
エルディアは、応接間の窓辺に立ったまま、ぽつりと呟いた。
「オフィーリアは、誰かを陥れようとしたわけじゃない。ただ、混乱の中で勘違いしただけなのかもしれないわ」
振り返ると、テーブルにはノアが腰掛け、報告書に目を通していた。
「勘違い、ですか」
「ええ。あの日、青いドレスの令嬢は何人もいた。後ろ姿だけを見て、動揺していた彼女が、私の顔を思い浮かべてしまった……悪意のない誤認、ということもあり得るでしょう」
自分でも、その仮説がどこか都合よく響いていることは分かっていた。それでも、事実の断片を並べる限り、成立しないわけではないように思えた。
「一つ、確認させてください」
ノアが手袋を整えながら、静かに言った。
「その仮説だと、なぜ彼女は最初に、他の誰でもなく『ヴァレンティア様』という名前を口にしたのでしょうか」
「それは……」
「後ろ姿の似た令嬢は、他にもいたはずです。それなのに、彼女の口から最初に出たのは、あなたの名でした。単なる誤認だけでは、その部分の説明になりません」
エルディアは、言葉に詰まった。的確な指摘だった。悔しいが、ノアの言う通りだ。
「……まだ、何かあるはずよ」
小さく、そう呟いた。認めたくない、という気持ちが先に立っていた。だが同時に、ノアの指摘から目を逸らすつもりもなかった。
「……失礼します。ヘアピンの紋章、まだ、照合が終わっていません」
リゼットが、記録院から持ち帰った資料を抱えて入ってきた。
「大記録院の紋章帳には、似た意匠がいくつかあって……。ただ、まだ、これという確証には至らなくて」
「焦らなくていいわ。確実な方を優先してちょうだい」
「はい……もう少し、お時間をください」
リゼットは申し訳なさそうに眉を寄せながらも、根気強く資料をめくり続けていた。
「エルディア様、こちらもどうぞ」
クロエが優雅にソファへ腰掛けながら、扇子の陰から声を潜めた。
「例の商談の件、もう少し詳しく分かりましたわ。あの商談、実はダグラス子爵ご本人よりも、セレナ様の方が熱心に進めていらっしゃるようですの」
「セレナが?」
「ええ。バークレー男爵家との顔つなぎも、社交の場を設けるのも、ほとんどセレナ様が主導していたとか。……普通、こういう縁談絡みの話は、当主同士が動くものですけれど」
エルディアは、その情報を頭の中で反芻した。ダグラス家の窮状。セレナの熱心さ。そして、オフィーリアを庇うような態度。断片は、少しずつ形を持ち始めていた。だが、それらを繋ぐための、決定的な一本の線がまだ見えない。
「そういえば……」
紅茶を運んできたミアが、ふと思い出したように口を開いた。
「園遊会の始まる前、セレナ様にお会いした時のことなんですけど」
「何かあったの?」
「特別なことじゃないんですけど……あの日、セレナ様、髪に小さなヘアピンをつけていらしたんです。細かい細工の入った、綺麗なものでした」
その一言に、エルディアの意識が鋭く反応した。
「それ、詳しく覚えている?」
「はい。私、髪飾りとか、そういうの見るのが好きなので……あ、でも、それがどうかしましたか?」
「……いいえ。ありがとう、大事な話だわ」
エルディアは、リゼットが今調べているヘアピンのことを、まだミアには話していなかった。だが、頭の中で、二つの点が近づき始めているのを感じた。
「……まだ、何かあるはずよ」
エルディアは、一人になった部屋で、再びそう呟いた。ダグラス家の困窮、セレナの熱心さ、そしてヘアピン。これらが偶然重なっているだけなのか、それとも、何か一つの線で繋がっているのか。
まだ、分からない。
分かっているのは、セレナが何かを知っている、あるいは何かを隠している、という感触だけだった。犯人だと断定するには、あまりにも材料が足りない。それに――もしセレナが本当に何かを企んでいたのだとしても、それがなぜ、あの危険を冒してまで実行されなければならなかったのか。動機と行動の重みが、まだ釣り合っていないように思えた。
推理は、ここで一度、行き詰まっていた。
「――エルディア様!」
扉が勢いよく開いた。リゼットが、頬を紅潮させて駆け込んでくる。
「ヘアピンの紋章、判明しました……! ダグラス家の紋章です!」
その一言で、部屋の空気が変わった。
エルディアは、ゆっくりと立ち上がった。頭の中で、散らばっていた断片が、一つの輪郭を結び始めている。しかし、まだ足りない。ヘアピンが落ちていたというだけでは、証拠として弱すぎる。
「……確認しなければならないことが、まだあるわ」
静かに、しかし確かな声で、エルディアはそう言った。




