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「事実を積み上げましょう」
エルディアはそう言って、応接間のテーブルに広げられた資料に目を落とした。ノアが持参した園遊会の招待客名簿と、王宮側の進行記録。そこに、リゼット・アーデルが持ち込んだ大記録院側の資料が加わり、テーブルの上はすっかり紙の山になっていた。
「……招待客名簿と、庭園の見回り記録を、照合しました」
リゼットは小さな声で言いながら、指先で紙面をなぞった。
「事件が起きたのは、夕刻の鐘が鳴ってから、次の見回りまでの間……およそ、二十分ほどです」
「思ったより短いのね」
「はい。この間に、噴水付近にいた人物は……限られます」
リゼットは緊張した面持ちで言葉を継いだ。人前で話すのは苦手なはずなのに、記録の話になると、その声は普段よりわずかにしっかりしていた。エルディアはそれを黙って見守った。急かさず、遮らず。リゼットが自分の言葉で話し終えるのを待つ。それが、この記録官の少女と自分の間にできた、ささやかな約束のようなものだった。
「はい、こちら。今日集めてきた噂話ですわ」
扇子を優雅に振りながら現れたのは、クロエ・フォン・ローゼンだった。ソファに腰掛けるなり、扇子の陰から声を潜める。
「ダグラス子爵家、噂以上に苦しいみたいですわね。事業の一つが、ここ最近立て続けに傾いているとか」
「それで、バークレー男爵家との商談を進めていた、というわけね」
「ええ。新興のバークレー家は商才があるらしいですし、ダグラス家としては、なりふり構っていられない状況みたいですわ」
「その情報、どこから?」
「侍女仲間のネットワークですわよ。侮れませんの、これが」
クロエは得意げに笑った。エルディアはその情報を頭の中に留めながらも、まだそれ以上の意味づけはしなかった。
「噂は噂よ。事実かどうかは、また別の話」
「分かっておりますわ。でも、覚えておいて損はないでしょう?」
以前と同じやり取りだった。だが今回ばかりは、その情報が後々どう繋がるのか、エルディアにはまだ見当がつかなかった。
「お嬢様、当日のお召し物の件、確認済みです」
ミアが淡々と報告した。
「園遊会当日、お嬢様が履かれていた靴、それにドレスの裾。どちらにも、泥など一切ついていませんでした。洗濯係にも念のため確認しましたが、同じ答えです」
「当然でしょう。私は噴水になんて近づいていないもの」
「ええ。でも、こうして『ついていない』と証明できる方が、心強いです」
ミアの言葉に、エルディアは小さく頷いた。証拠は、何もないところからは生まれない。誰かがきちんと確認し、記録に残して、初めて意味を持つ。
そこへ、ノアが一枚の写真を取り出した。
「庭師のグレタから、これを預かりました」
ノアが差し出したのは、記録魔法によって写し取られた記録画だった。噴水近くの湿った地面に残された、複数の足跡が細部まで正確に写し取られている。
「事件直後、彼女が気付いて、足跡が消える前に記録院の簡易記録術式で写し取ってくれていました。おかげで保存できています」
「素晴らしい機転ね」
「ええ。ただの庭師の観察眼とは思えません」
ノアは珍しく、感心したような口調でそう言った。
「この足跡の意匠を、エルディア様の靴と比較しました」
「結果は?」
「一致しません」
その一言に、エルディアは小さく息をついた。安堵よりも先に、事実を一つ確定できたという手応えがあった。
「では、これは誰の足跡?」
「まだ、特定できていません。ですが、サイズと歩幅から見て、成人男性のものではないでしょう。おそらく、若い女性のものです。それに――靴底の意匠が、少し特徴的です」
ノアは記録画の一部を指し示した。
「踵の少し前、中央のあたりに、細い菱形の溝が三本、並んで刻まれています。既製品の靴では、あまり見かけない形です」
「それなら、いずれ持ち主に辿り着けるかもしれないわね」
「はい。もし該当する靴が見つかれば、この意匠と照合できます」
「もう一つ、これも現場付近で見つかりました」
リゼットが、小さな布に包まれたものをそっとテーブルに置いた。開くと、繊細な細工の施されたヘアピンが現れた。
「噴水のそばの植え込みの陰に、落ちていました」
「誰のものか、まだ分からないのね」
「はい……紋章のようなものが彫られていますが、この場では、まだ判別が……」
リゼットは少し悔しそうに眉を寄せた。
「大記録院に戻れば、紋章の資料と照合できます。少し、お時間をいただけますか」
「もちろんよ。焦って間違えるより、確実に調べてちょうだい」
エルディアはヘアピンを一瞥した。この時点では、それが誰のものなのか、想像すらつかなかった。ただ、小さな違和感だけが、記憶のどこかに引っかかった。
「整理しましょう」
エルディアはテーブルの資料を見渡しながら言った。
「事件があったのは、およそ二十分の間。現場には、若い女性らしい足跡が残されていた。それは私のものではない。そして、持ち主不明のヘアピンが一つ」
「ダグラス家の経営難と、バークレー家との商談の噂もありますね」
クロエが付け加えると、ノアがすぐに釘を刺した。
「それは、まだ事件と結びつく証拠がありません。関連付けるのは早計です」
「分かっているわ。でも、頭の片隅には置いておく」
エルディアは静かにそう言った。恐怖ではなく、怒りと使命感が今の彼女を動かしていた。噂によって一人の令嬢が糾弾され、もう一人の令嬢が濡れ衣を着せられている。この状況そのものが、エルディアには許しがたかった。
「エルディア様」
しばらく資料を見つめていたノアが、顔を上げた。
「オフィーリア嬢本人に、もう一度話を聞く必要があります。彼女が、あの日、本当に何を見たのか」
「そうね。あの子自身の言葉を、もう一度きちんと聞くべきだわ」
エルディアは頷いた。あの日、震えながら自分の名を口にした少女。その言葉の裏に何があったのか。まだ、誰も本当のところを知らない。
「私も同席するわ」
「ご本人が怯えるかもしれません」
「だからこそ、私が行くべきでしょう」
エルディアはきっぱりと言い切った。逃げるつもりも、任せきりにするつもりもない。自分の名を口にした少女と、自分自身の言葉で向き合う。それが、悪役令嬢と呼ばれる自分にできる、唯一のやり方だった。




