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「明日からの私に乞うご期待」


 いつもより長い時間をかけて、地元に戻ってきた。

 ここから少し歩けば、自宅のマンションにたどりつく。だが、まだ帰りたくなかった。


 楓に、会いたくなかった。


 どうせ学校で毎日顏を合わせてしまうのだから、今だけ逃げたって仕方がない。そんなこと理屈で考えれば分かることだ。

 だがその場しのぎであっても、それに縋りたかった。今楓に会えば、せっかく搔き集めた勇気も覚悟も霧散する。――俺は口だけの人間ではありたくない。


 余所見するな。迷うな。振り向くな。


 やらなければならないことは徹底的に。


 俺も、そういう風に生きたい。


 だけど、どうしても怖い。大樹は遠回りを繰り返し、そうしているうちに日はとっくに暮れた。携帯には、紗季からの着信が入っていた。今日は塾じゃなかったか。無駄に心配させるわけにもいかない。いい加減、帰らなければ。


 重い足取りで、大樹は進む。ラケットバッグが肩に食い込むのを感じながら、何も考えないように努めようとして、結局ぐちゃぐちゃの思考の渦に呑まれる。益体もない、無駄な時間だ。


「あ……」


 駅に再び戻ってきたところで、大樹は足を止めた。


 慌ただしく動き回っている人影に、目が留める。


 月明りがその姿を照らした。


「……楓」


 楓は大樹と目が合うと、目尻を下げて頬を緩めた。まるで迷子になった自分の子供を見つけたみたいに。けど、大樹のもとへやってくるときには怒った顔だった。


「何やってたんだよ。紗季ちゃんとお母さんが心配してるよ。いつもより帰りが遅いって。何かあったんじゃないかって、警察に連絡しそうだった」


「それはまずいな」


「必死に止めたっつーの」


 手の平をうちわ代わりにして、楓が顔を煽ぐ。見慣れた制服姿に、手提げの鞄を持っている。多分、紗季のだ。ワイシャツは汗で肌に張り付いていて、大樹は意識的にそこから視線を外した。

 今日は涼しいのに、こんなになるまで走り回っていたのだろうか。


「とりあえず、連絡しなよ」


 楓に言われるがまま、紗季に電話した。もう少しで帰ることを告げると、ほっとした様子だった。


「あっつい。何か買ってきて」


 下っ端をこき使うような口調だったが、別段腹を立てることもなく、むしろ進んで従った。冷たい飲み物を買って楓に手渡す。よほど喉が渇いていたのか、楓は一気に半分ほど飲み干した。近くのベンチに腰を下ろして、そして、そのままくつろぎ始める。


「あー。か、帰るんだよね」


 大樹は隣に腰かけて、おそるおそる訊ねた。


「そうだね、そのつもり。紗季ちゃんたちには、ちゃんとしたお別れとかお礼とか言いそびれたから、大樹からよろしく伝えて」


 楓の態度はあっさりとしている。大樹の方を見向きもしない。

 こうなるのが正しいし、そう願っていたはずだけど、いざそんな風に言われてしまうと落ち着かない。はっきり言って寂しい。楓もなんだかんだで、駄々をこねると思っていたから。


「今日何してた?」


 少しでも引き止めておきたくて、そんなことを聞く。


「テストの直し。明日提出だから。悪いけどルーズリーフと問題借りたよ」


「それはいいけど、自分の解答用紙持ってなかったでしょ?」


「間違えた箇所は覚えていたから問題ない」


「すごいな、それ」


「落ち着いて考えたら、解ける問題ばっかりだった」


 淡々としたやり取りが、弾むはずもない。楓はドリンクを飲み干すと立ち上がった。


「制服、ありがとう。クリーニングまでしてくれて」


「いいよ」


「……んじゃ。明日」


 後腐れなく、すたすたと歩いて楓は去っていく。後ろ姿はどんどん小さくなる。曲がり角に消えていったところまで見届ける。


 息を吐き、うんと伸びをした。ラケットバッグの中から、わずかに中身が残っていた水筒を取り出して飲み干して、大樹は膝の上で肘をついた。


「もう少し……」


 一緒にいてほしかった。言えるはずもなかったが。さっきまでは会いたくなかったはずなのに、一度顔を合わせてしまえば真逆のことを考えてしまうのだから、おかしな話だ。


 足先に視線を落とす。この運動用の靴は、ずっと使っているから消耗しつつある。汚れも、くたびれた感じも目立つ。


 突如、その爪先に影が落ちる。誰か、人の影だ。その位置からちっとも動こうとしない。

 大樹は顔を上げ、ぎょっとした。


「なんで……」


 楓は物調面でこちらを見ている。


「え、何。どうしたの」


「すごい顔してる」


「楓が?」


「大樹がだよ」


 言われて、大樹は自分の頬を触って、引っ張ってみた。が、うまくいかない。


「すごい情けなくて……今にも泣きそうな顔」


「………」


「そういうのは見ていたくない」


 楓の手が伸びてくる。大樹の手を握ると無理やりに立たせようとしてきた。勢い余って、楓はたたらを踏む。



 大樹と楓の二人が、付かず離れずの距離を保って街を歩く。なんとなく、そんな流れになった。どちらかが何かを言うこともなく。


 帰らなくていいのだろうか。


「いいの?」


 と大樹が聞くと、


「まだあの人たちに会いたくないから」


 と楓が答える。約二日ぶりの実家と家族に、どういう気持ちを持てばいいのかが分かってないのかもしれない。


「家、どのへんなの?」


「あっちの方」


「……逆じゃん」


 楓が指をさした方向とは逆に、二人は進んでいる。


「だから嫌なんだってば。遠回りしよう。うんと時間をかけて」


「はいはい」


 ことあるごとに、楓は寄り道をした。特段面白いものではないだろうに、本当に時間をかけるつもりだ。だが、案外悪くはなかった。地元とはいえ、あんまりじっくりと歩き回るものではない。楓についていくまま知らない道を歩いて、見覚えのある場所に出ると小さな発見をした気分になる。


「この先に行くと、学校あるね」


「……そうだね」


 楓にとってあまり面白い思い出がないのは、知っている。でもわざわざ避けたりせずに、グラウンド側の道に出る。少し遠いが、ここからは校舎全体が見える。


「なんか、一年も経ってないと全然感傷的な気分にならない。大樹は?」


「俺は、色々思い出すことあるよ」


 体育館を見ながら、大樹は呟いた。あそこでよく部活をしていた。大樹にとって青春の場所。何故か明かりがついている。生徒たちはもう帰ったはずの時間なのに。


「あ、そう」


「……今のどう答えるのが正解なの?」


 そんな恨みがましい視線をぶつけられても困る。


「帰ったら、アルバムの楓を見てみようかな。どういう風に映っているのか気になる」


「ばっ……本気でやめてよ!?」


 ものすごく必死な顔で詰め寄ってくる。そこまで過剰な反応をされると逆に気になってしまう。


「な、なんか、なんかこう……! あ、彼女の話とか! 意外なことに中学で彼女いたんでしょ!? その人の話をしようよ! 私の知っている人かな!?」


「何その雑な話の変え方……。多分、知っていると思うけど」


 大樹は、以前付き合っていた同級生の名前を口にした。


「ちょっと待って。それ学年で一番可愛いって言われてた人でしょ!? え、朝日先輩のことといい、大樹って面食いなの……?」


「いや、違う、とは思うんだけど……」


「はあ、やだやだ」


 先を歩いていってしまう。大樹が慌てて後を追うと全力で逃げていく。そういえば、随分前にもこんな風に、意味もなく走ったことがあった。

 近くの公園にたどりついた。たまに、母校の中学生が溜まり場にしている公園だ。当然、今の時間は誰もいない。


 水を飲んで、疲れを癒す。


「俺さ」


「うん」


「センパイと戦うのが怖くなった」


 体を動かして興奮状態になったせいか、口が軽くなった。言うまいとしていたのに、気が付いたら言葉にしてしまっていて、一度口にしたらもう止まらない。


「バドミントンの、すごく上手い人に、覚悟はあるのかって、聞かれて。俺はなんて答えていいのか分からなかった。今もどうしていいか分からない」


「………」


「おかしいね。どんなに強い人が相手でも、バドミントンは楽しいしそれを伝えるためにセンパイと試合するって決めたのに。今の俺じゃ何もできる気がしない」


 恥も外聞も見栄もなく、自虐的な想いを吐露する。勝手な独白だが心が少し楽になったのを感じる。楓が黙って耳を傾けてくれているのも有難い。


「言ってたね。朝日先輩を連れ戻すために、バドミントンの楽しさを教えるって」


「うん」


「文字にすると、なんか恥ずかしいね、これ……。そもそもさ、試合をして相手の気持ちが分かるってホント? 漫画じゃないんだから、分かるわけなくない?」


「――分かるよ」


 確信を持って、大樹は答えた。


「シャトルは力を伝えた方向へ真っ直ぐに飛ぶ。バドミントンは素直なスポーツだから。……センパイがそう言ってた」


 そう話した月夜のことを、大樹は今でも忘れない。彼女は技術的なことを教えようとしていたのかもしれないが、大樹はそれを別の意味で捉えていた。


 羽から気持ちが伝わる。


 そう理解してから、呑み込みが早くなった気がする。相手がどんな気持ちでそのショットを打ったのかを考える。試合に勝つつもりでそういう力を身に着けたわけではなかったが、結果は大樹についてきた。


 楓には意味が分からなかったみたいだった。


「どういうことだってばよ」


「いや、えっと……」


 そういう素のリアクションをされると少し恥ずかしい。


「つまりね……」


「私とバドミントンしたら、私の気持ちも分かる?」


「えっ」


「やってみようか」


 満面の笑みでそう言うと、楓はその場で準備運動を始めた。本気なのだろうか。


「ラケットと、羽は?」


「持っている、けど……」


 言われるがまま用意してしまう。楓は「意外と軽いんだね」なんて言いながら、ラケットを手にした。完全にやる気まんまんだ。

 制服姿の楓が対峙する。


「さあ、こい」


「お、おう……」


 妙な展開になってきたな、と思いつつ。仕方なくシャトルを高く打ち上げる。楓の頭上で最高点に達して、そのまま落下していく。


 楓はラケットの面を高く掲げて、足で位置を微調整する。そして大振りでシャトルを捉える。しかし、思ったほど飛ばないのを感じたのだろう。楓は眉をひそめる。


 しばらくそのまま打ち合ったところで、大樹はラリーを止めた。


「どう? 何か伝わった?」


「やっぱ初心者は下手だなって思いました」


「悪かったな」


 犬歯を剥き出しにして威嚇してくる。


「しょうがないから、ちゃんと教えてあげる」


「いや遠慮したいんだけど……」


 大樹は無視して、まずはグリップの持ち方から説明する。楓がフライパンを持つみたいにラケットを握っているのがずっと気になっていた。得意分野のことになるとつい饒舌になってしまうのは避けられなかった。聞かれてもいないバドミントンのうんちくを語って、楓を辟易させたところで、再び打ち合いになる。


「ふっ……よっと!」


 掛け声と共に楓がシャトルを捉えた瞬間、


 パァン!! と。


 気持ちの良い音を立てて、羽が大樹の方へ向かってくる。楓は少しだけ満足そうに笑っていた。


「ナイス!」


 大樹も少しだけ本気を出して、クリアを放つ。楓が慌てて後ろに下がる。高く上げたラケットの面がシャトルに当たる寸前、楓の口元がいやらしく歪んだ。

 シャトルが、かなり手前の方に落ちる。予想通りなので難なく取る。


「つまんない」


「今のは分かりやすいよ」


 羽付きのバドミントンから、試合みたいなラリーが続く。


「あのさー」


「なーにー」


「やっぱり好きなんだけど」


 言った瞬間、やたらとキレのある球がやってきた。顔面めがけて。


「あぶなっ!? っていうか今のどうやって打ったの? 完全にドライブじゃん!」


「ふさわしいお返しだと思っている」


 楓がラケットを突き付けてきた。終わりにしたいのだろう。道具一式をラケットバッグにしまう。汗をかく楓を見て、汗拭きシートを渡すと、彼女は赤い顔をして受け取った。

 一息ついたところで、楓が口を開く。


「嬉しい気持ちが全くないわけじゃないけど。大樹に対してそういう気持ちにはならない」


「うん」


「ごめんね」


 その声音はゾッとするほど優しくて、だけど目の前が一瞬暗闇に包まれたみたいな絶望感があった。


「そっか……」


 情けないことにちょっと泣きそうだ。というか、微妙にこらえきれなかった。好意を拒否されることが、こんなにつらいとは思わなかった。胸が潰れそうになる。汗を拭くフリをして涙を隠す。


「それに、今は明日からのことを考えるべきだよ。お互いにとっては文化祭のこと。個人の問題でいえば、家族のこと。部活のこと。全部大事でしょ。浮かれている場合じゃないよ、大樹」


「ああ」


「有言実行してみせてよ。私は……そういう人がタイプだから」


「わかった」


 もう、未練がましく迷うのはやめにしよう。

 自分が信じたことを、貫いて、生きていくことを選ぶ。


「楓は、大丈夫?」


 不意に問われ、楓が言葉を失う。

 だがすぐに、呆れたように苦笑してみせた。


「説得力ないかもしれないけど、大丈夫だよ」


「本当に?」


「だって今は……色々な人が、みんなが、いてくれるから」


 どこか、誇らしそうに楓は言い切った。

 それを見て大樹は、何も言う必要はないと感じた。


「別に、変な意味じゃないけど……俺のこともちゃんと頼ってくれよ」


「ありがとう。使いつぶすね」


「そこは少し遠慮しろよ」


 思わず笑ってしまう。


「私は、言葉じゃなくて態度で示すからさ。明日からの私に乞うご期待」


「楽しみにしてる」


「――――だからちゃんと見ててね」


 楓の横顔に、しばしの間見惚れてしまっていた。

 大樹は慌てて首肯した。


今年の更新は、今回で以上となります。

次回更新は1月10日くらいになりそうです。それまでは色々先の展開を考えておきます。


読んでくれている皆様に、いつも感謝しています。よいお年を。


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