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「余所見してるんじゃない?」


「じゃあ、いってきます」


 大樹はラケットバッグを背負った。今日は月曜日だが、十月の第二月曜日は体育の日で国民の休日だ。当然、藍咲学園も休校である。

 しかし、バド部の活動はある。


「はい。いってらっしゃい」


 母に見送られる。出来れば楓とも顔を合わせておきたかったが、名残惜しい気持ちを抑えてその場をあとにする。


 昨日の夜の一件で、楓の機嫌を損ねたらしい。またしても大樹の寝床を不当占拠され、結局ソファで寝ることになった。慣れると案外寝心地は良いもので、もう一生このままソファと一緒でいいとさえ思った。


 楓は部屋から出てくれなかった。今日が休日で本当に良かった。もしかしたら分かっていてやっているのかもしれないが。だがどうあっても、今夜には楓は家に帰るはずだ。そう思うと少し寂しい。


「何考えてんだか」


 あほらしい。この三日間が特殊過ぎただけだ。こんな近い距離感で楓と一緒にいられるはずはなかった。楓はあそこにいるべきじゃない。


 それよりも、今は部活に、練習に集中すべきだ。こんな風に心あらずでは、また大神に怒られてしまう。



 えぐい。やばい。死にそう。


 今日の練習は一段と異常だった。体育館に入った瞬間に元部長の真琴がいるのが分かって、そこで気付かないといけなかったのだと思う。


 今日の練習メニューを考えたのは真琴だという。彼女と同じ部員として活動していた日数は短かったが、彼女は『良い練習』を考えるのが得意だった。短時間で体力を奪って、続いてのノック練習でフラフラになりながらラケットを振る。意図のないショットを打てば叱責が飛んできて、泣きそうになるのだ。


 今日のメニューはそれの強化版と思っていただきたい。


 じっくりと、なぶるように、たっぷりと時間をかけて。


 午前の練習が終わった段階で、既に限界を迎えていた。


「気持ち悪い……」


 嘔吐はしなかったが、一瞬危なくなってトイレに駆け込んだ。もう少しで落ち着きそうだったところで、真琴がやってきて(男子トイレなのに)大樹は練習に戻った。


「なんか元部長、俺にだけ厳しくないですか」


 咲夜が倒れそうになったときには、すぐにコートから出してスポーツドリンクを渡していた。その他の部員に対してもそうだ。なのに、大樹のことは男子トイレまで追ってくるなどして逃がしてくれない。


「元部長って言うな」


「じゃあ真琴先輩」


「真琴って呼ぶな」


「ええ……?」


「愛のムチ。君には期待しているんだから、これくらいこなしてみなさい」


 そう言われると、まあ頑張ってみるかという気になる。


 それに同年代たちの手前、情けない姿を見せたくないのだ。特に大神には。

 しかし、人一倍練習に熱心な大神でさえ今日は堪えるらしい。苦しそうに壁に手をついていたところを真琴に気遣われて「余裕だ」と青白い顔で答えたときは、どんだけ見栄張るんだと思った。


「もういやあああああ。死ぬうううううう」


 怒涛の勢いで弱音を吐いて、一番騒がしかったのは亜樹だ。

 女子だから仕方ない――と思いそうになって、男だったのを思い出す。危ない。本当に油断していると女子としての認識を覆せなくなる。


 だが、新入部員とはいえ一度もコートから出なかったのは、素直に驚いた。なかなかに根性がある。伸びしろもある。すぐに化けるだろう。


「お疲れ様です。碧斗先輩」


「うーす、篠原」


 と、碧斗は笑顔で応じてくる。なんで午前練習のあとでこんな顔が出来るのかちっとも分からない。


「碧斗先輩……なんか余裕そうっすね」


「いや、全然だよ。相変わらずあの人の練習はえげつないな。去年の経験がなかったら俺もやばかったかもしれない」


 そうか。真琴とは一年長く共にいたのだから、若干の耐性があっても当然か。


 ……来年にこの練習量を平気な顔してこなす自信は大樹にはないが。


 碧斗はコンビニ袋からサンドイッチを取り出す。


「食欲あるんすか」


「まあ、な。きつかったら無理しなくていいが、何かしら軽いものを腹にいれておけ。……食う?」


 そう言って、自分のサンドイッチを差し出してくる。


 ここ最近大樹に対する態度がかなり柔らかい。たまに雑談することも増えた。友好的に思われているのは気のせいとかではないだろう。

 その厚意に甘えて、今日は踏み込んだ質問をしてみたかった。


「突然なんですけど、碧斗先輩ってお兄さんのことどう思ってます?」


「本当に突然だな。兄貴に何か言われた?」


 どうやら妙な勘違いをさせたらしい。大樹を心配してくれている。


「あ、全然。そういうのじゃなくて。シンプルな疑問なんで、サクッとシンプルに答えてくれるとありがたいです」


「シンプルか~? ちょっと真面目に考えないと答えられないぞ」


「じゃあ真面目に考えてみてください」


「なんだそれ」


 と、ぼやきながらも、碧斗は熟考する。本当に真剣に考えてくれているらしい。

 やだ、この人良い人過ぎません?


「よくわかんねー人だな、って思う」


「ほう?」


 続きを促す。


「お前も多少付き合いがあるみたいだから、知っていると思うけど。兄貴は変わってるだろう? とっつきづらくて、自分のやりたいことだけのために生きてる。だからたまに振り回されて、それが面倒」


「確かに、そうですね」


 ものすごく同意する。


「けど、昔はそういうタイプでもなかったんだよ」


「優しかったとか?」


「違う。生きているのか死んでいるのか分からないっていうか、本当に同じ人間なのか? って本気で疑ったことがあるくらいだった。全然笑わないし、怒らないし、泣かないし……。だから子供の頃は、ロボットだと思ってた」


「へ、へえ……」


 全然想像もつかない。大樹の知る神谷はそんなにおとなしい人物ではない。


「多分、兄貴には自分の世界があったんだと思う」


「自分の世界?」


「価値観とかそういうことだよ。誰も、兄貴のそういう部分を理解できなかった。俺も、両親も。だから、言葉は悪いけど、兄貴のことは『いない人』として扱ってきた時期もある。それで、誰も困らなかったから」


 大樹はどう返答してよいものか悩んだ。自分が振った話題とはいえ、これは結構繊細な部類の話題だ。軽はずみなことは言えない。しかし、蒼斗は大樹の返事を待っているわけではなかった。


 息をそっと吐いて胸を撫で下ろし――そうすることで初めて自分の気持ちを自覚したみたいだった。心臓の位置に手を当てる。


「それが、兄貴が高校に入ってしばらくして、急激な変化があった。明らかに口数が増えて、たまに外で誰かと会うようになった。だからって俺たち家族となごやかな会話が出来るようになったわけじゃなかったけど――俺にはそれがなんでだか嬉しかったんだ」


 蒼斗は目を細めて、少しだけ照れくさそうに笑った。


「俺はもしかしたら、兄貴が変わった理由が知りたくて藍咲に来たのかもしれない」


「―――」


 大樹は一瞬、言葉を失った。神谷兄弟は仲が悪いものだと勝手に決め付けていたから、蒼斗の言葉が上手く受け止めきれなかった。

 けれど蒼斗の顔を見ていると、さっきの言葉に嘘偽りなどはなく、家族としての純粋な愛情を感じられる。いや、愛情なんて表現は、いささか気恥ずかしいか。


「悪い。思いつくままに喋っちまった。もともと何の話だっけか」


「いえ。思いがけず、良い話を聞けましたよ。ほっこりするというか」


 しみじみと大樹は呟いた。


「確かに求めていた話とは違いましたけど」


「何が聞きたかった?」


「お兄さんって、かなり優秀じゃないですか。信じられないことに。そのことについて、蒼斗先輩は思うところがないのかな、とか」


「?」


「比べられて嫌だな、とか」


「ああ、そういうことか。別に。俺に出来なくて、兄貴に出来ることはある。けど、兄貴に出来ないことが、俺には出来る。だから別に何も感じない」


 他人(ヒト)他人(ヒト)。自分は自分――ということか。


 人はそうやって、自分の中に抱えるどうしようもない問題に折り合いをつける。別に間違っていないし、なんなら処世術として満点だ。


 けど、そうやって割り切れない場合は、どうしたらいいのだろう。


 察しの良い蒼斗は大樹の意図を見破る。


「お前、兄弟いるのか」


「妹がいますけど……。そういうので今ナイーブになってるのは俺のクラスメイトですよ」


 ふふ、と蒼斗は控えめに笑った。


「お前は最近、誰かのためばっかりで動いてるな」


「え、あ、そうですかね?」


「まあ、なんかあったら言ってくれ。相談くらいは乗る」


 蒼斗が胸を軽く叩く。大樹は笑った。

 良い土産話が出来たと思う。帰ったら、楓に教えてあげたい。


「とりあえず午後の練習も頑張ろうぜ」


 ……ほんと、早く帰りたい。



 午後の魔の時間を終えた。生きた心地を噛み締めながら帰宅しようと思った大樹が昇降口に向かうと、奇妙な光景が目に飛び込んできた。


 女子生徒二人が、正門を覗き込むようにして体を隠している。一人は、元部長の姫川真琴、もう一人は現副部長の村上咲夜。練習が終わって、彼女らはいち早く帰宅したはずだったのに……。微動だにしないその姿からは、なにやらただならぬ気配を感じ取ることが出来た。


「そんなとこで何してるんですか」


「わっ」

「きゃあ!?」


 声をかけると二人を驚かせてしまった。ちなみに悲鳴じみた声を上げた方が真琴である。意外と可愛い反応だった。


「いきなり話しかけないで」


 真琴が睨んでくる。今度は怖い。内心ビビりながら、咲夜に視線を送って助けを求める。


「外、見てみ」


 咲夜に言われ、訳が分からないまま大樹は言う通りにした。

 正門前に、目立つ人物を見つけた。藍咲学園の生徒ではない、明らかに別の学校の制服を着た女子が仁王立ちしている。校舎を睨みつけるようにして。だが、こちらに入ってくる様子はない。誰かを待ち伏せしているのだろうか。例えば前に付き合っていた彼氏とか。


「え、あれ、高宮凛じゃないですか?」


 大樹と同じ世代で、知らない者はいない。去年の中学女子バドミントン全国大会で優勝した実績を持つ選手だ。しかも、彼女がバドミントンを始めたのは中学二年生のとき。それで翌年に全国制覇をしているのだから、並大抵の実力ではないのが分かるだろう。


 そんな彼女が、何故こんなところに来ているのか、なんて疑問には思わなかった。

 夏に女子の大会で、藍咲学園は高宮擁する三澤野高校と対峙した。結果は藍咲の勝利。その勝利に多大な貢献をしたのが月夜だった。そんな因縁があることを、ここにいる三人は当然理解しているので、


「カチコミ?」


「せめてリベンジって言いません?」


 物騒な単語を使う咲夜に、大樹は苦笑した。でも、考えていることは一緒だった。高宮は明らかにラケットバッグを背負っている。バドミントンの道具が一式詰め込まれているはずだ。戦う気まんまんでここを訪れている。


「月夜に会いにきたのかしら。誰か何か知ってる?」


「いえ。でもアポなしで来るのが悪いんですから、今日のところはお引き取り願いましょう。……あの、咲夜先輩、さっきから難しい顔してどうしたんですか」


 何故か唸っていた咲夜は、大樹から指摘を受けて口を開く。


「あの、姫川先輩。高宮の制服……おかしくないですか。三澤野高校のものじゃないような気がして」


「え? ……そういえば、そうね」


 真琴が同意する。大樹には分かりようもない。


「とりあえず、ここにいてもしょうがないんで、声かけにいきませんか。もし本当にセンパイ目当てに来てるなら、待ちぼうけにさせるのも可哀そうなんで」


「そうだね」


 三人は高宮に接近していく。高宮は大樹たちを視界に収めたはずだが、視線を向けてこない。自分に関係ないと思っているらしい。


 高宮の目の前で立ち止まったところで、ようやく高宮は首を傾げてこちらを見やる。


「久しぶりね」


 真琴が声をかけた。しかしそれに対する返答は、


「誰?」


 と素っ気ないものだった。真琴の額に青筋が生まれた。


「な、夏の大会で顔を合わせたでしょう……? 藍咲バド部の元部長、姫川真琴です」


「すいません。弱い人は覚えられないんで」


「……ああ、ダメよ、真琴、落ち着きなさい。夏もこの子はこんな感じだったでしょう。お願いだから止まって私の右手……!」


「全然堪えてなくないですか!? さ、咲夜先輩お願いします!」


「わ、わかった」


 あまりにぞんざいな扱いを受けた真琴が手を上げそうになったので咲夜に羽交い絞めにしてもらう。こんなところで暴力沙汰を起こすわけにはいかない。


「でも、バド部の人たちなんですよね。だったら――」


「残念だけど、朝日月夜はいないよ。センパイはもうバド部の人間じゃないから」


「は?」


 高宮は、意味が分からないという顔になった。じろりと大樹を睨んでくる。


「夏休みが終わってすぐ、退部届を出したんだよ。それに伴って部員激減。ちょっと前までちゃんとした活動が出来ないほどだったよ」


「後半はどうでもいいけど……。え、本当に?」


「本人が言うには、飽きたんだってさ。バドミントンに」


「……そう」


 天を仰いだ高宮は、落胆を露わにして呟く。その姿勢のまましばし固まっていたが、やがてこんな言葉を口にした。



「見限られたのは、バドミントンじゃないけどね」



「……え」


 聞こえたセリフが信じられなくて、大樹は硬直した。


「待ってくれ。さっきの、どうして」


「は?」


「見限られたのは……って、やつ」


「だって、あの人、バドミントンには全く興味ないじゃない。興味あるのは自分より強い人たちの存在だけ。私と同じだね」


 何を当たり前のことを、という顔を向けてくる。

 分かる人には分かるということなのだろうか。いよいよ月夜の言葉に信憑性が出てくる。彼女は本当に、物事それ自体に関心を持たないのだ。


 ――『誰と』してきたかが大事だった。


 月夜は大樹にそう告げていた。その誰かには自分の存在も含まれていたのは明らかで、大樹は光栄に思うべきか残念に思うべきか分からない。


「なんで、俺だったんだろう」


「何が? ……って、なんだ。いるじゃん」


「え」


 高宮は、大樹の後ろの方を見据えている。大樹は遅れて振り返った。


 果たして、そこには朝日月夜の姿があった。何故、彼女がここにいるのだ。今日は休校なのだから一般生徒は来ていないはずなのに。


 月夜も、大樹たちを訝しんでいるようだった。藍咲バドミントン部の面々に、異質な存在が混じっているから。どういう組み合わせなのか、月夜には察しがつかないはずだ。


 高宮がすたすたと、月夜に歩み寄っていく。


「お久しぶりです。朝日月夜さん。早速なんですけど、リベンジさせてくれません?」


 高宮が敬語で申し出る。彼女の基準では、月夜は強者ということだろう。声に若干の緊張を感じ取ることが出来る。


「あなたは私に勝てない。それはこの間、証明したでしょう」


「確かに、手も足も出ませんでしたね。けど、それは以前の話でしょ。今は分からない。あんまり六花を舐めないでくださいよ。全国経験者でもないくせに」


 ここで話が見えなくなってきたのは、大樹たちだった。今の彼女たちの会話は、夏前の大会のことを言っているわけではないような気がする。もっと最近の出来事。しかも、どうして高宮の口から六花の名前が出てくるのだろう。


「あ、その制服! 三澤野じゃなくて六花のやつじゃん!」


 咲夜が得心いった様子で指摘した。真琴がさらに混乱した。頭を抑える。


「え、どういうこと? なんで高宮凛がその制服を着て――」


「彼女は六花総合に転校したんですよ。スカウトをされて」


 真琴の言葉を遮って、月夜は言う。大樹たちは衝撃を受けた。けれど、同時に納得もする。全国優勝の経験がある高宮が普通の高校にいる方がおかしい。


「あの、それでもイマイチ話についていけてないんですけど……」


 大樹がおずおずと言うと、月夜はそれも拾ってくれた。


「夏休みが終わる少し前、六花の人たちと練習試合をしたの。それで――」


「それで、ウチはボコボコのフルボッコ。一人を相手に。マジで漫画の世界の住人みたいでしたね。だから雪辱をきっちり晴らしたいのに……それなのに辞めたなんてあんまりですよ」


 月夜の言葉を、高宮が受け継ぐ。高宮はその時のことを思い出しているのか、引きつった顔で肩をすくめた。

 大樹は開いた口が塞がらないでいた。超強豪高校である六花総合の選手たちを、ワンサイドゲームで終わらせてきたのか。月夜の強さは全国クラスの域にまで急成長したことになる。


 こ、こんな人に、どんな勝負を仕掛ければいいんだ……?


「文句があるなら強くなってから言いに来て。気が向いたら相手をしてあげる」


 話はそれで終わりとばかりに月夜は高宮の横を通り過ぎていく。そして、大樹とすれ違う際に、


「君も、覚悟しておいて」


 不敵な笑みを向けられ、しかし大樹は何も言い返せなかった。

 時間がずっと止まっているような感覚に襲われる。大樹は微動だにしない。


「どういうこと」


 高宮が問う。誰に向けられたものなのか、分からなかった。だが、高宮が大樹の肩を揺さぶったことで、自分に言われていたことに気付く。


「あの人と、あなたはどういう関係なの」


「それは……」


 大樹はゆっくりと、語り出した。自分と月夜の関係性。今日までどんな付き合いがあって、そして月夜との賭けのこと。

 高宮は神妙に頷く。


「つまり、朝日月夜の選手生命は、君にかかっているってこと?」


「そうだね、一応。だから、君の言葉を借りるなら……俺が見限られたときが最後だね」


「………」


 高宮の視線が、大樹の頭から足の先を往復する。まるで値踏みするようで――いや、実際にそうなのだと思う。彼女は大げさに溜息をついてみせた。


「ダメだね。全然強さを感じない。君が挑んだら瞬殺されるよ。まだ私の方が勝負になる」


「な、何を根拠に――」


「バドミントンには無駄な筋肉がいらないっていうのが、持論ではあるけど、最低限基礎は必要だよ。その腕と足じゃ、全国クラスを相手にするのに物足りない。なにより――」


 鋭く、指を突き付けられる。


「戦う覚悟、勝つって執念が感じられない。君、何か余所見してるんじゃない?」


「―――」


 胸に圧迫感を覚える。息を吸い込もうとして、失敗したからだ。

 高宮の言うことが、違和感なく染み込んでいく。あまりにも図星過ぎて抵抗感がまるでない。


 朝日月夜と戦う、その覚悟が定まらない。


 どうしてそうなってしまうのかは、明確に分かっている。


 分かってはいるが……。


「どうしても欲しいものがあったら、それ以外の全部殴り捨てるくらいの覚悟を見せてよ。少なくとも、今の私はそうやってバドミントンに向き合っている。それとも、君は片手間で何でもかんでも出来ちゃう人なの?」


「俺、は……」


「あなたたちじゃ頼りないから、私も手伝う」


 大樹は固まった。真琴と咲夜はお互いに顔を見合わせた。


「私の学校に招待してあげる。全国の空気を味わってもらう」


 いきなりの申し出に、理解が追い付かない。

 どうして、そんな話になる?


「何を勝手なことを――」


「黙って」


 真琴が割って入ろうとしたのを、高宮が一蹴する。


「だって、君が負けたら朝日月夜はバドミントンから離れていくんでしょ? それは困るの。せっかく楽しい競争相手が現れてくれたのに、そんなんじゃ、またつまらなくなる」


 でも、と高宮は続ける。


「欲求を解消してくれる人を探しているだけなら――朝日月夜を惹き付けるのは私の役目でもいいと思う」


 オーラを、感じた。

 絶対的な強者だけが醸し出す、周りを怯ませる空気。

 朝日月夜や森崎奏と、同等のそれを大樹は肌で体感した。


「今、この場で言葉にしてみて。私を前にして。朝日月夜を夢中にさせてみせるって。それをやるのは自分なんだって、宣言してみせてよ」


 無理だ。


 口にはしなかったが、頭にその考えが条件反射で浮かぶ。

 目の前にいるのは、全国優勝経験者だ。そんな人物を、まるで赤子の手をひねるかのように相手したのが朝日月夜。月夜を相手にすると、大見得切ってみせたのに、今更に後悔している。


 朝日月夜と向き合うことが、こんなにも重いことだなんて思わなかった。


「俺は――」


 ……。


 ……………………。


 ……………………………………………。





「篠原くん」


 茫然として立ち尽くす大樹に真琴が言葉をかける。そこでようやく大樹は意識を取り戻した。

 どれくらいの時間が経ったのか。夕日を見つめながら大樹は思った。陽の傾きからそんなに時間は経っていないと判断する。


「あれ、高宮と、咲夜先輩は?」


「もう先に帰ったよ。いつまでそうしているか分からなかったから」


「じゃあ真琴先輩も帰れば良かったのに」


「真琴って呼ぶな。……今の君を放っておく気にはなれなかった」


 思わず苦笑してしまう。本当に、この人はつくづく優しい人だ。


「最後のアレ――よくちゃんと答えたね」


 一瞬、何のことだろう? と大樹は首を傾げたが、すぐに思い至る。でも、一体なんて答えたのかは全く覚えていない。

 無意識で、何か言葉みたいなものを紡いだのだろうけど……。


「雰囲気に呑まれて、ただ黙っているだけで終わるかと思ったから」


「あの、俺――」


「次の日曜で、六花との練習試合を組もう。詳しい連絡は後でするから」


 そうか。

 俺は、やると答えたのか。


 急に鳥肌が立った。高宮凛だけではない――全国クラスの選手が六花には揃っている。そんな人たちに近づくことすら怖くてたまらない。


 いや、それよりも。


 その先に待ち構えている人に、合わせる顔がない。


「高宮が言っていたこと――私も同じことを感じていた」


 独り言のように、か細い声だった。なのに、よく響く声だった。


「君は、朝日月夜を取り戻すと公言していたけれど、どこかプレイに集中できていないみたいだった。最初は、何か悩みができたのかと思ったけど――」


 そこで真琴は言葉を止めた。意図的に、間を作ったのかもしれない。


「多分、ネガティブなことじゃないんでしょう? 身内の不幸とか、人間関係のもつれとか、将来の不安とかそういうのじゃなくて――――単に朝日月夜よりも、強い興味関心を抱いてしまうコト・ヒトが出てきたんじゃない?」


 高宮と話していたときも、大樹の頭には『彼女』の姿があった。

 大樹が誰かを心配する気持ちは、これまでにも発揮されていた。碧斗や咲夜のことをなんとかしようと行動を起こした経験がある。


 楓のことも、同じように淡々と接するべきだったのかもしれない。もうかなりの情が移ってしまって、楓のことが頭から離れない。


 ――好きなのだから、仕方ない。


「今日の練習で、君への当たりを強くしたのは、余計なことを忘れてほしかったから」


 言い訳みたいに聞こえる。でも、本当に全て忘れて没頭すべきだった。月夜のことを何よりも優先しているなら。


「でも、それもあまり効果がないみたい。はっきり言うわ。中途半端ならやめて。月夜を連れ戻すのは、私が代わりにやってあげるから」


「いや。真琴先輩はもう引退して――」


「少なくとも、今の君より本気だよ」


「………」


「――言っておくけど。私に勝てないなら、月夜を相手にするのは一生無理だよ」


 真琴の言葉が重くのしかかる。



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