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「子供の成長は意外と早いものですよ」


 魂が抜け落ちたみたいな奏をソファに座らせる。

 マンション内には、住人が自由に使ってよい部屋が点在している。広さは学校の教室程度。自販機もあるので、ここでくつろく人もたまに見かける。もっとも、こんな夜中では大樹たちの他に利用者はいないが。


 紙コップにコーヒーを注いで、テーブルに置く。奏は二口ほど飲んだところで、ようやく話せる程度に回復してくれた。


「いきなり部屋に押しかけてご迷惑をおかけしました。妹さん……紗季ちゃんのことも」


「そんなに大したことないみたいなので、お気になさらず」


 奏が再び、口を閉ざした。大樹は単純な疑問を問いかけた。


「あの、どうやってマンションの中に入ったんですか? あと部屋番号も……」


 奏は大樹を一瞥した。再びコーヒーに口をつけ、申し訳なさそうに「そんなに難しいことじゃない」と話し出した。


「要冷蔵の宅配業者を偽ったから」


「要冷蔵……。え、偽る?」


「友人に、こういうマンションに住んでいる人がいるの。セキュリティに気を遣っていて、警備員はエントランスが見えるように立っている。ここも例外じゃなかったから住人と入れ違いに入れば、呼び止められることは分かっていた」


 饒舌に語る奏に、大樹は言葉を失った。それに気づかず「それから」と奏は続ける。


「住人以外でマンション内に入れるとしたら宅配業者が一番に思いついたけど、最近では郵便受けに入らない大きさのものは、直接部屋に運ばせずに一階にある受付に預けさせる人が増えているはず。……そうよね?」


「は、はい。あ、だから要冷蔵を?」


「そう。適当な番号を押して、反応があった人にさっきの事情を説明して、開けてもらう。カメラに顔を近づけてしまえば、業者の服装じゃないことは隠せるし」


 大樹は流れる汗を拭った。涼しい季節になってきたし、空調もきいているはずなのに、冷や汗が止まらない。


「で、部屋番号は郵便受けで名前を見ながら確認したと?」


 大樹の住むマンションは相当数の住人がいるが、地道に探せば篠原家のポストを探し当てることはできるはずだ。この人ならそれくらいやりかねない。


「そんな時間のかかりそうなことはしなかった」


「え!?」


 驚愕する大樹をよそに、奏はスマートフォンを操作して画面をこちらに見せてきた。


「これは楓のSNSのアカウント。注目すべきは八月の投稿。『高級マンションなう~♪』……これは楓があなたの家にお邪魔したときに撮られた写真よね?」


 見覚えのある場所の写真。どうやらそれは、大樹の家のベランダから撮った街並みのようだ。楓のやつ、いつの間にこんな投稿を。


「窓から見える景色とその高さから、おおよその部屋向きと階層は想定できた。それだけよ」


「………」


 淡々と奏は自分のロジックを述べて、それで説明した気になったようだ。これくらい大したことはないとでも言いたげに。




 楓の姉さん怖っ!




 本当に何なのだ、この人。普通そこまで頭を回せないし、考えが及んだとしても建物に侵入までしてくるその実行力、豪胆さには言葉を失ってしまう。


 だが、その勢いも楓によってかなり削がれてしまったようだ。


「すみません。クラスメイトとはいえ、妹さんを勝手に家に上げてしまって」


「……いえ。元はと言えば、両親が悪いの。楓を追い込んで、家出をされてもロクに心配すらしない。それどころか私にそれを隠そうとしている。あんなの親じゃない」


 そういう奏の言葉に嘘はなかった。本気で、実の両親を軽蔑している。

 大樹には、その気持ちが分からなかった。大樹にとって、家族は大切だ。たまに父親相手に八つ当たりをしてしまうが、それも本気で嫌っているつもりはない。


 奏が、こんなにも激情をのぞかせる理由。きっとそれは――


「妹のことが……楓のことが本当に大切なんですね」


「そんなの当たり前じゃない。たった一人の、私の可愛い妹なんだから」


 目を細め、愛おしそうに奏は胸に手を当てた。楓との思い出に浸っているのかもしれない。

 だがすぐに表情を歪める。自嘲気味に奏は笑った。


「けど、私自身も、あの子から姉として認められてないんだから、人のこと言えないね」


「あの……失礼ですけど、どうして家を出たんですか?」


 大学進学を機に京都での一人暮らしを始めたということだったが、楓によれば京都には縁もゆかりもないらしい。都内の大学にも合格したのに、あえてそっちを選んだのには何か理由があったはずだ。


「何も知らない君に、そんなことを話す必要はないよ」


「いえ、昨日楓が話してくれました。昔のこととか、今のこととか。楓がそういう自分自身の話をしてくれたのは初めてでしたけど」


 奏が目を見開いて、大樹を凝視する。信じられないものでも見ているかのような顔だ。口が少しだけ半開きになっている。


「嘘。あの子がそんなことするわけない」


「本当です。まるで親代わりだなと思いましたよ。楓の中学の入学式に参加した話とかは特に。この間の三者面談の時も来てましたもんね。楓としては複雑な気分だったみたいですけど」


 真顔で見つめられる。だが、実際に聞かされなければ分かるはずもない話を持ち出されたことで、信じるしかないと判断したのだろう。


「……そうか。そう、なんだ」


 ようやく言葉を吐き出して、一人で何かを納得する奏。


「楓に、そういう人がいるとは思わなかった」


 それは、独り言のようだった。大樹のことを意識の端に置いた言葉。だから、大樹も下手に反応はしなかった。


「物心ついたときから楓のことを見ていた。私との違いに苦しむ楓を見ているのは私もすごくつらかった。私のことだけを見て、狭い世界に閉じこもっているのが可哀そうで仕方なかった」


「………」


「近くにいるからこそ、私たちの関係は上手くいかない。だから……距離をとることにした」


 そういう意図だったのか。

 楓の主観では、奏の思惑は分かるはずはない。楓は自分との関係に嫌気がさして家を出たのだと考えていたが、大樹は真逆ではないかと予想していた。そして、こうして奏と言葉を交わしたことで確信を得た。


「でも、これで本当に正しかったかどうかは分からない。両親が楓をちゃんと見ることはなかった。私たちは……姉妹として生まれてくるべきじゃなかったのかも」


 かけるべき言葉が見つからない。


「私は、楓に憎まれているだろうから」


 歪な家族関係。修正できない姉妹仲。全然、相手の立場を想像することが出来ない。今言葉を投げかけても、それは上っ面で薄いものになりかねない。大樹は閉口し、項垂れた。




「そんな悲しいことを言わないでください」




 突然の来訪者に、奏は驚いた様子だった。

 大樹も驚いていた。何故、母はこんなところに来ている?


「母さん……どうして?」


「尋常ではない様子で楓ちゃんのお姉さんが出ていくのが見えましたので、追いかけなければと思い、急いで駆け付けました」


 その割には時間がかかり過ぎだが……。しかし母にしては頑張った方だろう。そしてまたゆっくり、のろのろとした足取りで大樹たちのもとまでたどり着く。


「確かお名前は、奏ちゃんでしたか」


「……はい。篠原さんのお母さんですね」


 固い声で奏が応じる。母が一度大きく頷いてみせる。


「楓ちゃんは、奏ちゃんのことを嫌ってなどいませんよ」


「――どうしてそんなことが言えるんですか。確かに昔は本物の笑顔を見せてくれました。でもいつからか、無理をした作り笑いばかりで……。そういう顔をさせていたのは、私と、あの家庭なんですよ。あの子から嫌われるのは当然のことです」


「確かに、残念ながら、ご両親との溝は深いようですね。でも、お姉さんに対してはその限りではないかもしれません」


「だから、その根拠は何なんですか!」


 苛立ちを隠し切れなくなったのか、奏が声を張る。ビビる大樹。母を止めたいところだが、不用意に動いて奏の逆鱗に触れたくない。


「私は、楓ちゃんから全部聞いているんです。これまでのことを」


「え!? なんで!?」


 大樹は本気で驚愕した。昨日の会話は、大樹と楓の二人だけの秘密のはずだ。あの後で楓が母に話した様子はないし、当然大樹も勝手に母に告げ口などしていない。


「大ちゃんが合宿でいなくなっていた夏休み、楓ちゃんから教えてもらいました」


 え、ええ……。


 途中からそうなんじゃないかと予想していたが、本当にその通りだった。

 思い返せば、母と楓の距離感は妙に近すぎたような気がする。楓の方はともかくとして、母が見知らぬ他人に心を開くことは滅多にない。ましてや、相手を気遣うはずなどないのだ。たとえ、それが息子のクラスメイトであっても。


 そうせざるを得ない、またはそうしたくなる理由がない限りは。


「……なんなんですか、あなたたちは」


 どういうわけか、奏は動揺していた。しきりに視線を泳がせ、体の震えを抑えようとしている姿が必死だった。


「何をすれば、あの子がそこまで心を開くんですか。もしかして、事情を知っている人は他にもいるんですか? 嘘でしょう? 私には、そんなこと全然できないのに……」


 悔しさを滲ませた瞳が、大樹たちを射抜く。

 二人はその迫力に、しかし怯むことはなかった。別の感情を誤魔化すために、必要以上に凄んでみせているのが分かってしまったからだ。


「奏ちゃんのお気持ちは、分かります」


「知ったような口を! 昔の話を聞かされて、それで何もかも全部分かったつもりですか!? 冗談じゃない! 私が楓のことをどれだけ想って、悩んできたと思っているんですか。どうすれば、楓が少しでも幸せを感じることが出来るのか、でもそんな方法なくて、結局私はあの子の前から逃げるしかなかった。それがどれだけ悔しかったと……!」


 激情に任せた独白は続く。


「京都の大学に進んでも、ずっと楓のことが気がかりで仕方なかった。ご飯は食べているのか、ちゃんと眠れているのか、一番不安だったのは学校生活のことで……でも会いにいくわけにもいかなくて。ネットストーカーなんて馬鹿な真似しか出来なかった! 大学の夏休みを理由に実家に帰省するのだってすごい勇気を振り絞ったんですよ。楓に迷惑がられたらと思うと、怖くて……」


 肩で息継ぎをして、喉が枯れていく。


「楓をひとりぼっちにしていることへの罪悪感で潰れそうでした。楓には結局、私しかいないと思っていたから。なのに……」


 奏の瞳が、大樹の姿を捉える。


「私って、こんなに身勝手な性格だったんだ」


「!」


 大樹は、ここにきてようやく奏の気持ちを察した。

 伝えなければ。奏が知らない楓を。しかし焦りからなのか、中々言葉が出てこない。


「楓ちゃんはきっと、変わったんです。奏ちゃんが思っているよりも、ずっと大きく」


 奏が頭を振る。


「こんなに早いものだとは、思っていませんでした」


「子供の成長は意外と早いものですよ」


 大樹は、母から発せられた子供という単語に反応した。


「いつの間にか私の背丈を追い越して、声変わりをして。体のことだけじゃないんです。私がわからないことやできないことをやってくれて、頼りになって。私の代わりに家のことをずっと支えてくれて、守ってくれるようになりました」


 母が優しく微笑んでいる。


「母さん……」


 って、一瞬うるっときたけど、そりゃあ成長するしかないでしょ。だって誰も家のことをやってくれないんだから。そんなことを考えているなら、少しでも手伝ってほしい。


「高校に入学した直後の楓は、多分、お姉さんが知っている通りの楓だったと思います」


 頭が冷静になったことで、大樹は整理をつけながら言葉を紡いだ。奏の意識がこちらに向けられているのを、肌で感じる。噛みそうになるのを必死に気を付けた。


「その時の楓は、俺たちには目もくれず、自分だけの世界に閉じこもっているみたいでした。怖いなって思いました。何を考えているのか、分からなくて」


 隣の席だったから、その横顔を目にすることがしばしばだった。


「でも、それはほんの一週間ほどのことで、それ以降は急にアクティブになりました。唐突な落差に、クラスメイトがびっくりしていたのを今でも覚えています。きっかけは相談室です」


「……学生相談室みたいなところ?」


「そうです。管理人の結城さんを始めとして、神谷先輩や紅葉先輩の存在があって、楓は救われたって、そう話してくれました。俺が楓とちゃんと話をするようになったのも、それからのことでした」


 おかげでクラスでのぼっち回避が出来て、本当に良かったと思っている。


「よく笑って、食べて、はしゃいで、さわいで、どこにでもいる普通の女の子にしか見えないですよ。ちょっとひねくれたところはありますけど、そこは個性的というか魅力的というか……。俺は楓が藍咲に来てくれて本当に嬉しく思ってますし、楓も少なからずそんな気持ちだと思います。母さんの言葉を借りるなら、楓は変わって、強くなったんです」


 奏がまぶたを閉じ、顔を伏せるのが見えた。大樹は間髪入れずに告げた。


「でも、だからと言って、楓がお姉さんを――奏さんを必要としていないわけじゃありませんよ」


 再び、奏が顔を上げる。


「さっき、お姉さんは、楓と離れて良かったのかなって悩んでましたけど、俺はそれで良かったと思いますよ。お互いに一度離れてみることで、ようやく気持ちの整理がついたんじゃないでしょうか。お姉さんも、楓も。その上で、相手が大切だって気持ちを今も忘れないでいる。この半年は、きっと二人にとって必要な時間だったんですよ」


 奏は、大樹の言葉の全てを鵜呑みにしたわけではないだろう。それでも、ある程度の信頼は得られたと思う。


「もうしばらく、楓のことはあなたたちに任せるわ。どうか、妹を……よろしくお願いします」


 奏は窓から見える夜の街並みに目を向けた。真っ暗闇のその景色には、無数の光が点在している。



「それじゃ、私は先に戻っています。大ちゃん、ちゃんと奏さんを駅まで送るんですよ」


「ああ、わかってるよ」


 とことこと足音を立てて、ゆっくり大樹の母が歩いてゆく。相変わらず動きが遅い。別れを告げてから数十秒経っても、まだ談話室を出ていない。しかも、「そういえば」などと言って足を止めて振り返る。


「今日は大ちゃん、どこで寝るんですか?」


「ん?」


「昨日は楓ちゃんが大ちゃんのベッドを使ってましたから、大ちゃんはソファだったでしょう? 今日はお母さんと寝ますか?」


「高校生にもなって母親と一緒に寝るのはありえないよ。まあ、なんか適当になるでしょ」


「そうですね。では」


 今度こそ、大樹の母は去っていく。

 あとは奏を駅まで送り届けるだけだ。だが、その前に聞いておきたいことがある。


「あの、お姉さん、ちょっと――」


「ねえ、聞きたいことがあるんだけど」


「はい、なんでしょうか」


「あなた……楓を自分のベッドに寝せているの?」


 大樹は一瞬反応が遅れた。冷や汗が噴き出してくる。一気に室温が下がった気がする。


「いや、あの、待ってください。それは、楓が勝手にそこを使ったからで、俺は何も――」


「あくまでも楓の友人として、楓のことをお願いしているだけだから。調子に乗ってそれ以上の関係を迫っているようなら……ぶっ殺すわよ」


「ぶ、ぶっころ……!?」


 大樹はガクガクと震え始めた。

 これは……告白まがいなことを言ったのは隠し通さないとダメだ。何をされるか分からない。


「楓のことが好きなら、ちゃんと順序を守りなさい。じゃないと私は認めない」


 ば、バレてる!?


「それで、君はさっき何を言いかけたの」


「お姉さん、その――」


「その『お姉さん』って呼び方、気に入らないわ。義姉扱いされてるみたい」


「じゃあ、か、奏さん。住所を教えてもらっていいですか」


「………」


 瞳の光彩が失われる。ものすごく軽蔑されている。森崎両親の話をしている時と同じ空気を感じた。


「あ、すいません! すいません! ちょっと言い方を間違えました。郵便で送りたいものが出来てしまって。本当は手渡しで十分な大きさなんですけど、今手元にないので」


「……近くの郵便局宛で送って。後で私が受け取るから。渡したいものって何?」


 大樹がそれを口にすると、奏は言葉を失って固まった。さっきまでの余裕をなくし、取り乱す。


「いや、でも、それって。い、いいのかなぁ」


「楓には内緒にしてくださいね」


 こうして奏と共にマンションの外へ。駅まで送ると大樹は言ったが、それは断られてしまった。幸い、まだ夜は深くないから、大丈夫だろう。

 部屋に戻ると、楓から奏のことをそれとなく聞かれた。適当に誤魔化すと、楓は不満そうだった。でも、それ以上追求することはなかった。興味を持っていると思われたくないのだろう。


 ほんと、早く仲直りしてほしい。


あのー、すみません。皆さんに質問が。

一昨日くらいからアクセスが急に伸びて戸惑っているんですが、何か理由知っている方がいらっしゃいましたら、ご一報くださると恐縮です。


今回、ブックマークをしてくれた方々、本当にありがとうございます。これからも頑張ります!


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