「着せ替え教室?」
あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしく。
十月十日火曜日。
その日、大樹が通学のために駅のホームで電車を待っていると、周りの人々がどよめき出した。何事かと思い振り返ると、改札口の方から一人の女子生徒が姿を現した。
背中まで伸びた長く艶のある黒髪。シミひとつない白い肌。モデルのようにすらりとした体つき。この地元で知る者の方が少ない。朝日月夜だった。
憂いのある表情が儚げな印象を醸し出し、周囲の目を引き付けている。
月夜は大樹を認めると、少しだけ微笑んだ。そのまま歩みを進め、大樹の横で止まる。
「おはよう。篠原くん」
「お、おはようございます」
油断した。顔を合わせる準備が整っていないところへの不意打ちだ。どんな話をしていいのか分からない。
電車が到着し、乗り込むと運よく二人分の席が空いていた。こ、怖い。いつもほぼ満席なのにどうしてこういうときに限って……。
無言で並ぶ。月夜と一緒にいてこんなにも居心地が悪くなるのは、望むところではない。しかし今は冷戦中みたいなものだし、あまり仲良く会話を弾ませるのは難しい。
だが、月夜が沈黙を破る。
「いつ、試合しようか」
核心を突く一言。ずっと放置してしまったこと。本来なら試合を申し出た大樹が日程調整をして連絡しなければならない場面。それを促されては、まるで遠回しに責められたように感じる。もちろん、非は全部大樹にあるのだが。
「えっと、ですね……」
頭が真っ白だ。いつやるかも大事だが、どこでやるかも重要だ。
大樹が頭を抱えると、月夜はそれを見越していたのかもしれない。優しい口調で提案してくる。
「今は文化祭期間中だから、その後? けど、確か部活の方の大会も近かったはず。どうしたら都合いい?」
「えっと……」
気遣われたのか? 大樹は少し冷静さを取り戻す。
「そうですね。文化祭実行委員なので忙しいのもあるんですが、文化祭の二日目には大会があって……もし勝ち進むならどんどん先延ばしになってしまいますし。あ、そういえば……!」
文化祭までのスケジュールを思い出す。確か文化祭の前日は、準備日として一日授業がなくなって、全校生徒で最後の仕上げをすることになっている。
「二十七日の文化祭準備日、その夜はどうですか? クラスの出し物の用意が整えば解散になりますから、その後で合流ということで」
「わかった。二十七日ね」
月夜がスマートフォンにメモをする。
何気ない、普通の会話だ。逆に戸惑いを覚える。昨日、偶然に学校で会ったときは穏やかではない言葉を投げかけられたし……。
「あ、昨日、どうして学校いたんですか? 一般生徒は休みだったはずなんですけど」
「うん。君たちの練習を見ていたの」
大樹は固まる。どういう意味だろう。月夜はもう部活に未練がなかったのではなかったか。
だがその真意をたずねる前に、話題が変わる。
「そういえば、篠原くんは文化祭実行委員って言っていたけど。大変じゃない?」
「え? まあ、それなりに。何故だか統括部の仕事も引き受けることになりました」
「本当に忙しそう。ということは翠と一緒?」
「翠……はい。天野先輩に色々教わりながら」
本当に、取り留めない会話だ。生じてしまった溝など始めからなかったかのような振舞い。まあ、あまり邪険な態度で来られても困り果てるだけなのだが。
無事に学校までたどりついて、それぞれの階で別れる。
後ろ髪を引かれるような気分だった。
自分のクラスに入るのに、少しだけ躊躇いがあった。先日は文化祭についての話し合いで一悶着起こしてしまい、その場を強引に締める形で解散にしてしまった。クラスメイトたちには出し物について考えておくように釘を刺しておいたが、望みは薄い。
大樹の姿を認めたクラスメイトのうち、一部の人たちが露骨に話し声を小さくした。
ああ……。嫌な予感がする。
遅れて、というかほぼチャイムが鳴る寸前に楓が来ると、急に押し黙った生徒が何人か。だから露骨だって。放課後が怖い。
「よ」
「うん」
隣に座った楓に声をかけるが相変わらず朝は素っ気ない。朝だけじゃない気もするけど。
「どうだった?」
「ん? いや、別に」
「お、おう」
「でもやっぱり自分の家は落ち着くかもね」
こちらを見ることなく言う。大樹にはそれが言い訳がましく聞こえた。心配させないように、言葉にさえ感情を込めないようにしているみたいだ。
「それより放課後が怖い。大樹、部活は?」
「ある。けど、ギリギリまでは参加する。俺自身、そうしないと気が済まない」
「なら、安心するよ」
調子が狂う。楓はそういう、嬉しいことは言ってくれない。背筋がかゆくなる。
◇
待ちに待った……わけでもない放課後。
大樹と楓は緊張と共に、皆の前に立つ。総勢四十名。しかも今日の彼らは何を考えているのか分からない。全くの未知数。彼らを御しきれる自信などない。
既にこうして数十秒が経過していて、時計の針の音がやけに大きい。自分を奮い立たせるためにわざとらしい咳払いをして、大樹は挙手を求めた。
「誰か何かやりたいことありますか?」
絶対に手を上げられない文言を用いてしまった。反省する。だが、予想だにしなかった行動を起こす者たちがいた。
何人かの生徒が一斉に立ち上がる。大樹はその顔触れを見て訝しんだ。彼らはどちらかというとクラスで目立たない部類の人たちで、こういう場面で発言するタイプではなかったはず。
彼らの意思を、委員長(本物)が代表して告げる。
「私らで色々考えたんだけどさ、着せ替え教室なんてどう?」
「着せ替え教室?」
オウム返しになってしまった。大樹には具体的なイメージが湧かなかったからだ。お料理教室とかピアノ教室なら、指導者に教えを請うことから連想できる。
――でも着せ替えを教わるってなんだ……? あ、着物とか? 袴とか?
「具体的にはどういうことをするの?」
あらぬ方向への想像を働かせる大樹を放置して楓が話を進める。
「やってきたお客さんに、こっちで用意した衣装を着せる。それを写真で撮って手渡し。よく遊園地とか観光地でやっているでしょ。そういうサービス」
「ああ、やたらと高い値段で売りつけてくるアレか」
「いやそういう言い方はどうかと思うけど!?」
喚く委員長(本物)。
楓は渋い表情を崩せなかった。企画コンセプトがいまいち理解できない。なにより、それが実行委員会で認可されるのだろうかという不安がある。
何も根拠のない懸念というわけではない。楓は過去に問題を起こして停止処分を受けた事例をいくつか知っているのだ。
数年前、ファッションショーを企画したクラスがあったという。書類上では、様々な伝統民族衣装を身に着け、教養を深めるとなっていた。もちろん、建前上の文言であることは分かり切っていたが、文実はこれを認可した。
だが蓋を開けてみれば、おおよそ学生としてふさわしくない服装、露出度の高いドレスを身に着けた者が多数見られ、一発で謹慎処分。その判断を下したのが、今の学年主任だ。
以降、慎重になっているのか。学年主任は文化祭の企画についてうるさくなった、らしい。またあの男に却下されるのは御免だ。
しかし、そういう反論は想定していたのかもしれない。今度は委員長(あだ名)が前に出てくる。
「確かに、派手なのを着せたら良い顔はされないと思います。けど、もしかしたら上手くいくかもしれません。今回のテーマは、ハロウィンですから」
「……ハロウィンね」
「ハロウィンだから、着せ替えっていうよりも仮装を名目にすればいいんだよ。ハロウィンは、れっきとした文化で、日本に入ってきて久しい。突拍子もないことを言っているつもりはないけど?」
テーマ性としては悪くない。というか、やりようによっては十分通る企画だ。しかし……。
「貸し出す衣装はどうやって用意するの? あとカメラとか? 言っておくけど、金銭的な補助は一切出ないよ」
そもそも実現可能なのか、という現実的な話になってくる。
「そこで、皆の出番というわけです」
二人の委員長と共に立ち上がっていた彼らを指差す。
「ごめん、どういうことか分からないけど」
「鈍い、森崎。この人たちは家庭部、手芸部、演劇部、さらに工作部、写真部のメンバーなんだよ」
「ああ、なるほど」
楓はようやく得心いった。
「演劇部では、当たり前だけど色んな劇やるから、衣装もそれなりに豊富で。使えそうなのがあれば借りることが出来ると思う」
「ただそれだけじゃ絶対に足りないから、家庭部と手芸部で足りない衣装を作ろうと思う。ハロウィンがコンセプトなら、そんなに手間のかかったものにはならないから何着か用意するよ」
「あと僕たち工作部は、何かそれっぽいものを作ろうかなって。かぼちゃの顔とか。ガイコツとか。い、いらないなら、別にいいんだけど……」
「で、俺の写真部は言わずもがな。何を協力するか察しつくよな?」
スマホのカメラをこちらに向けてくる輩がいたので、腕で払う。
しかしなるほど。それで彼らは名乗り出てくれたのか。
「どうしたの? 森崎? まだなんか文句ある?」
楓が難しい顔をしているのを見て、委員長(本物)は不満げだ。気付いた楓は「いやいや」と手を振って否定する。
「逆かな」
「逆?」
「こんなに色々考えてくれるなんて思ってなかった」
また停滞した会議を繰り広げることになるものだとばかり思っていただけに、とんとん拍子に話が進む。上手くいきすぎて怖いくらいだ。何か裏があるのかと疑いたくなる。
「いえ、森崎さんに負担をかけ過ぎて申し訳ないと、今更ながらにそう感じたんですよ」
委員長(あだ名)がそんなことを言ってくれる。楓は先日、彼らに八つ当たりしたことが急に恥ずかしくなってきた。
「わるいね」
「いいえ。お礼なら委員長さんに。私は、どのクラスとも被らない企画を片っ端から挙げただけに過ぎません。一番頑張ってくれたのは委員長さんなんですよ。色んな部活の方々に声をかけてくれたおかげで、まともな案にまで昇華しました」
「ちょっ、それを言わないでよ! 恥ずかしいじゃん!」
「ありがとう。委員長(本物)」
「なんか含みない!?」
納得いかない様子で楓を睨む委員長(本物)。なるほど、こうして見ると、毎度毎度良いリアクションをしてくれて面白い。楓は新しいオモチャを見つけたときのような、意地の悪い笑みを浮かべた。
「よし、じゃあ早速提出用の企画書まとめちゃおうよ! 森崎がいないと書き方分からないんだよ」
「ああ、うん」
楓が委員長(本物)に手を引かれる。大樹と目が合った。楓は何故かウィンクしてきた。
「はいはい。退散しまーす」
……今、この場に大樹は不要だろう。
大樹はそそくさと準備を整え、教室を後にする。最後にちらりと中を確認すると、楓たちの実に和気あいあいとした光景を見ることが出来た。




