「いつでもどこでもあなたは美しい」
大樹たちの所属する一年A組のホームルームにて、担任教師が連絡事項を伝えていた。
「文化祭まであと一か月というところだが、二週間後には中間テストが迫っている。皆、それぞれで忙しい時期であるとは思うが、勉学を疎かにしないように注意すること」
またテストか……大樹は辟易した。この学校に入学して以来、定期テストに良い思い出はない。今は部活のことで頭がいっぱいになっているのだ。世の中で文武両道を体現している人はどういう体の構造をしているのだろう。
「まーた、楓は一位になっちゃうかもな」
隣人に声をかける。しかし当の本人は素っ気ない態度だった。
「さあね。前回のは偶然だろうから」
「――うん? そうか」
どうにも最近会話のリズムが悪い。思い当たる節はありすぎて困るくらいだ。
「なあ、最近文化祭実行委員のほうはどう? 大変になってない?」
平身低頭になって楓にお伺いをたてる。本来であれば文化祭実行委員の仕事は大樹と楓の役目。しかし大樹は部活を理由にして楓に全てを押し付けていた。そろそろ疲労が溜まっているのではないか。
ということを大樹が労うと、
「いやー……。それとは全く関係ないことだし、別に」
どこか上の空で返事をする楓。日常生活においても、最近はおとなしいことが多い。先週はお互いに激しい言い合いになっていたのに。それに夏休みまでの関係性なら楓が大樹をからかうこともよくある光景だった。
思えば、楓と気安い会話を楽しんでいたのはいつ以来だろうか。
「それと、もう一つ連絡事項だ」
担任が告げる。
「夏休み明けより日程の調整をし、ようやく三者面談のスケジュールが整った。これからプリントを配る。日時を確認して必ず親御さんに伝えるように。面談では普段の生活態度、学習状況、進路についてなど話し合う予定だ。まあ、君たちは一年生だから、まだ具体的な希望は決まっていないかもしれないが……」
三者面談、か。大樹は複雑な気持ちだった。今のところ、学校生活において誇れることがあまりない。赤点ばっかりだし、クラスで浮いているし、部活はようやくまともになってきたけど顧問いないし……。
それに何より、当たり前だが親を連れてこないといけない。父は都合がつかないだろうから母を呼ぶことになる。
あの、お嬢様を。
「いやあ、気が滅入るな。楓もそう思わない?」
この苦労を分かってくれるのは、母と面識のある楓だけだ。あの人は自分で出歩くことすら出来ないというのに、興味がある方向へフラフラといってしまう。まるで幼い子供だ。
「………」
楓は大樹にまったく反応せず俯いていた。心なしか先程よりも具合が悪そうに見える。再び声をかけるが、やはりうわごとのような返事だけ。大樹はなぜだか無性に寂しさを感じていた。
◇
「よし、母さん。いくよ」
「はい。今日はエスコートお願いしますね」
着物姿の母の手を引いて、家を後にする。今日は土曜日で、大樹の三者面談の日だ。当然のごとく午前中に授業を受けてきたのだが、母が自力で高校まで来れないので、一度帰宅する羽目になった。
――面談が終わったら、一緒に帰らないといけないのか……部活あるのに。
部長の碧斗に、部活に遅刻する旨を伝えたとき、合わせて理由も説明させてもらったのだが、碧斗は首を傾げるばかりだった。
「なんでだ? 大人だろ?」
「ですよね。俺もそう思いたいんですけど」
みたいな間の抜けた会話をすることになった。
そんな大樹の気苦労を知る由もない母は、久しぶりの外出にはしゃいでいるように見えた。特段用事もなければ家にいてばかりの母である。
「大ちゃんの学校に行くのも入学式以来ですね。楽しみです」
「今更見るようなところもないでしょ。それと、いい加減一人でも出掛けられるようになってほしいんだけど」
大樹の愚痴を華麗に聞き流して、母は素知らぬ振りを決め込んだ。
特に会話もないまま駅にゆっくりと向かう。別段、親子同士で会話のあるなしが気になるようなこともない。途中、信号に捕まって二人は足を止めた。
なんとなく、隣の母を見やる。やはり着物は目立つ。母は外出するときは大抵着物を選ぶが、その言い分が「楽ですから」というものである。だが驚くべきことに(本当に驚くべきことに)母は着付けを自分でこなす。おそらく昔から着る習慣があったから、覚えてしまったのだと推理する。
背筋を伸ばし、凛として物静かに佇む母の姿を見ていると、身内ながらも綺麗に思う。本当に育ちの良いお嬢様のようだ。
大樹の視線に気づいた母が、微笑み返してくる。だが、どこか儚げだ。
「ど、どうしたの?」
「なんだか、大ちゃんと歩いていると、直樹さんのことを思い出します。昔は、どこへ行くにも二人で一緒でしたから」
「そりゃ、母さんを一人にしたら大惨事になりかねないからだよ……」
父が仕事を理由にして大阪に飛んで以降、二人が共に過ごす時間が格段に減った。母はついていく気満々だったが、流石に幼い大樹たちを残すわけにいかず泣く泣く断念することになった。少しだけ申し訳なく感じたのを覚えている。
最後に、二人が顔を合わせたのはいつだったか。今年は夏に会えていないはずだが、母は寂しく思っていないのか。電話でも何でもすればいいのに、二人が連絡を取り合っている様子は見ない。その分、再会したときの母は凄まじいが……。
「昔、よく父さんが話していたんだけど」
「直樹さんが!?」
先ほどまでの物憂げな雰囲気はどこへ吹っ飛んでいったのだろう。母は、早く早くと先の言葉を促す。
「母さんのことをいつもこう言っていた。『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花とは、彼女のためにある言葉だ』ってね」
「しゃ、しゃく……。ぼた?」
嘘だろう、と大樹は嘆いた。大人なら意味くらいなんとなく知っていてほしい。しかもどうやって解説したらいいんだ、気恥ずかしい。
「ま、まあ、ようするに。いつでもどこでもあなたは美しいです、って意味だね」
「―――」
厳密に合っているかどうかは知らんがニュアンスは伝わっているだろう、うん。
「……ふ」
「ふ?」
「ふへへへ」
だらしなく頬が緩め、頬を上気させる母。あ、やばい、と思う。こうなると面倒くさくなるのを失念していた。
案の定、学校に行くまで延々と惚気話を聞かされた。どれもこれも、以前に何回も聞いたことのある話だった。
◇
面談の内容について、特に明記すべき点はない。当たり障りない話題で時間を過ごし、少しだけ成績のことを注意された。
「ご家族からも協力して頂けると幸いなのですが」
「大ちゃんはやればできる子ですから、大ちゃんに任せます」
「は、はあ……」
母とまともに言葉を交わすのが初めてだった担任教師は、困惑を覚えただろう。母と話していると、いまいち噛み合ってないような、すれ違っているような感覚に襲われるのだ。大樹は少しだけ同情したくなった。
面談を終えたところで、さっさと母と帰宅しようとしていたのだが、
「大ちゃんの部活見ていきたいですね」
「いやいや、そういうのいいから」
部活をしているところなんて見られたくない。恥ずかしいじゃないか。多分大半の高校生が同じ感覚を持つと思う。が、意固地になった母は押しが強すぎる。結局押し切られる形になって、母を体育館へと連れていく。
当然、碧斗から声がかかる。
「戻ったか、篠原。……こちらの方は?」
「自分の母親です。あの、ちょっとだけ見学させてもいいですか。どうしても聞かなくって。――本当は早く帰らせたいんですけど」
最後に大樹が付け加えた一言に、碧斗は苦笑した。審判用に使っているパイプ椅子を持ってきてくれた。理解のある部長で本当に助かる。
みんな、突然やってきた着物姿の婦人が気になっている様子だったが、すぐに練習に意識を戻す。無関心が有難いとはこのことである。
それなりに練習したところで、母が飽きている素振りが見受けられた。自分が見たいって我儘言ったくせに、すぐに態度に出すのはよくないと思う。……と文句を言ったところで聞く耳を持たないだろうな。
碧斗に断りを入れて、母を連れ出す。また制服に着替えてから家まで送り届けないといけないと考えると、面倒で仕方ない。とりあえず昇降口まで連れてきたところで、一旦更衣室に戻ろうとすると、母がぱたぱたと足音を立てて駆け出した。
なんなんだ、もう。いい加減にしてほしい。大樹が怒鳴りかけたとき、母は誰かに手を振っていた。
「楓ちゃーん!」
母が抱き着いたのは、楓だった。楓は、わけがわからず混乱している。目を白黒させていたので、慌てて大樹も駆け寄る。
「わるい、楓。今日、三者面談だったから。……楓は?」
「私も、今日が面談だったから。もう済ませたところだけど」
「あれ? そうだったか?」
よくよく思い返してみれば、森崎の名前もあったかもしれない。自分のところしか見ていなかったから、ちゃんと覚えていない。
「楓ちゃん。お久しぶりです。お元気でしたか?」
「えと、まあ、それなりに」
歯切れ悪く言葉を濁す楓に、母は目ざとくも異変を感じたようだ。
「どうしたんですか? お腹痛い?」
「いや、そういうわけじゃないんですけど」
楓が少しだけ笑った。子供扱いされたみたいで、可笑しかったのかもしれない。久しぶりに見る笑顔に、大樹は安心した。
「お母さまか、お父さまはどちらに? 出来れば挨拶したいです」
キョロキョロとあたりを見回す仕草が妙にコミカルで、今度は大樹と楓の二人で笑う。この人、絶対わざとやっている。
「ごめんなさい、大樹のお母さん。今日はどっちも来ていないですよ」
「ん? どういうことだ?」
保護者同伴である三者面談に、どうして両親とも不在なのだろう。
「ああ、うん……」
楓が言い淀む。ただならぬ雰囲気に、鳥肌が立った。まさかとは思うが、知らないうちに地雷を踏んでしまったのではないだろうか。空気読めない発言だったか。
楓の表情にまた翳りが差したとき、母が楓の頬を掴んだ。
「楓ちゃん、ほっぺ柔らかいですね~」
「ちょ、ちょっと――むぐ」
抵抗する意思を見せていた楓だったが、しばらく母に好き勝手されているとやがて観念したように体から力を抜く。
母は、何を思ったのだろう。やがて楓を抱き寄せるとその頭を撫で始めた。
「大丈夫ですよ。楓ちゃん。何も怖くありません」
「………」
「いつでも遊びにきてください。待っていますから」
「……はい」
楓の体重が前にかかって、大樹の母とより密着するような恰好になる。楓がどんな顔をしているのかは、大樹からは全く見えなかった。
その時だった。
「楓? 何をしているの?」
意識を無理やりに引っ張られるような感覚だった。自然に、体ごと声の主を向いてしまう。母も、手を止めてその相手を見つめた。
少し大人びた高校生――いや、私服だから大学生か。大樹はその女性から目が離せなかった。見目麗しい姿であることはもちろんのこと、放たれるオーラが彼女を無視することを許さない。特別何かをしているわけではなく、そこにいるだけだというのに。
だが、大樹は既に経験済みだ。一体どれだけ朝日月夜と共にいたと思っているのか。
少しだけ余裕があったから、その人物の顔を良く見ることが出来た。そして気付く。楓とそっくりな面影が多々見られることに。
「こんにちは。すみませんね。妹さんの肩を借りてしまって」
母がそう言ったところで、大樹は確信を得る。やはり、この人は……。
「いえ。――楓、お友達と、そのお母さんなの?」
「うん。そうだよ」
楓は振り返らずに答えた。ここは、自己紹介の流れだろうな。
「森崎楓さんのクラスメイトの、篠原大樹といいます。こちらは母です。楓さんには、いつもお世話になってます」
母と一緒にお辞儀をする。
「ご丁寧にありがとうございます。若くて綺麗なお母さま……。あ、ごめんなさい」
口元に手を当てて誤魔化す仕草がお茶目だ。そして彼女も頭を下げた。
「申し遅れました。楓の姉、森崎奏です。こちらこそ、妹がお世話になっているみたいで。今後とも仲良くしてください」
と、そこまで流暢に話したところで、早口で慌てたように付け足す。
「あ、あの、今日は妹の三者面談で。両親が来られないということで代わりに」
「あら、そうなんですね」
母は何の疑問を持たず受け入れる。大樹はこの状況を訝しんでいた。三者面談の日程スケジュールはかなり余裕を持って組み込まれる。それなのに、父母どちらも都合がつかないなんてあり得るのか? ましてや、姉が代理でやってくるなど……。
「それでは、私たちはこれで。失礼します」
奏が楓の手を引く。楓は何も言わない。楓はそれっきり振り返ることはなく、大樹たちは二人の姿を見送った。
「……大ちゃん」
「なに、母さん」
母の呼びかけに答えると、母はとても悲しそうな顔をしていた。多分、自分自身もそんな風だと思う。
「少し、息苦しかったですね」
「――ああ。そうだね」
同意せざるを得なかった。




