「亜樹って呼んで?」
「すまなかった。長いこと部活が機能できなくなってしまった責任は俺にある。何を言われても弁明するつもりはない」
そう言って、碧斗は深々と頭を下げた。場所は藍咲バドミントン部の部室。今、ここには大樹の他に、芝崎、真琴、相馬が集まっていた。
昨日の今日で、完全復帰を遂げた碧斗は、まずは誠意を見せたいと言ってこの会を設けた。こういう律儀なところは本当に彼らしいと思う。
「碧斗……お前、もう本当に大丈夫なのか?」
「ああ。芝崎にも迷惑をかけた。謝らせてくれ」
「いいけどよ……。でも、どうして戻ってくる気になったんだよ? いや、別に責めているとかじゃなくて、純粋な疑問な。もう完全に見限ったもんだと思っていたが」
「それは――後輩のおかげだろうな」
一瞬だけ、視線が大樹に向いた。大樹は素知らぬ振りをしていた。なんだか照れ臭かったのである。昨日、解散した後に碧斗から直接連絡をもらい、礼を言われた。先輩に感謝されるなど、どう対応していいかわからず戸惑ってしまった。
余談だが、神谷隼人からも連絡がきていた。
『この饅頭うめえ! どこで買った? もっとウチに遊びにきていいぞ!』
こっちはこっちでどう対応していいか悩まされた。なんと調子の良い人なのだろう。機嫌が良いのなら何よりではあるが。
「なんだよ、まったく。俺もバド部の一員なのによ。俺の知らないところで色々やりやがって」
芝崎からしてみれば、いきなり呼び出しを受けて謝罪を受けた形になる。大樹が真琴とたちと連携を取り合って碧斗を呼び戻したことは今回集まったときに初めて伝えた。当然、気分としては複雑だろう。
「でも、ま。良かったわ」
「ああ、ありがとう」
「良かった、なんて言っているけど、本当に良いの? 現状、現役メンバーは篠原くん、碧斗くん、芝崎くんの三人しかいないのよ? これでどうやって部活動をやっていくつもり?」
水を差してくる真琴を、相馬が苦笑しながら制する。しかし、彼女の言うことは正鵠を射ている。うんざりするような気分になってしまうのは否定しないが。
「次は……咲夜だな。それに大神も」
「あの二人を同じ場所に連れ戻すのは感心しねーな。かなり溝が深いんじゃねえの?」
芝崎が言っているのは、咲夜が部活を辞めると言ったあの日のこと。心が弱くなっていた咲夜に、トドメの一撃を与えたのが大神だった。あれは、思わず大樹が冷静さを失って殴りかかってしまうくらいの事態だった。
「それに、もう一回来てもらうにしても簡単なことじゃねえだろ。また、篠原がやったみたいに時間をかけて説得するのか?」
そうする他ないと言いたいところだが、碧斗にしたことを咲夜にもやれ、などと言われたら気が滅入るのが本音だ。そもそも、今回が順調過ぎただけであって、大樹の言葉が誰かの心を変えるなんて不可能だ。そんなことが出来たら神か、催眠術師のどちらかだ。
それに、別の要因からも、時間をかけるのは避けたい。それは――
「もうすぐ、新人大会だね」
相馬の言葉に一同で頷く。再び、試合の季節が巡ってきたのだ。今回出場するのは、個人の部と団体の部の両方。日程としては、先に団体戦を消化し、それから各高校の代表が個人戦に出ることになっている。
「個人の部は碧斗が出るのが理想だね。現在の藍咲のエースだし。問題になってくるのは団体戦かな。……残念なことに男子も女子も人数が足りていない」
「ちなみに団体戦っていつですか」
「十月二十九日だよ」
「……ん? あれ、その日って」
「我が藍咲学園、文化祭の二日目にあたるね」
一瞬、文化祭実行委員としての立場が思い出される。しかし――
「まあ、欠場ですね。仮に大神がいたとしても四人ですから」
残念だが、今回は見送るしかないだろう。当日は、楓に迷惑をかけた分を取り戻すつもりで頑張るしかない。と、そこで重大なことを思い出す。
「そういえば、顧問の問題が何も解決してないんでした……」
「結城先生はどうだった?」
「本人はすごいやる気みたいなんですけど……ぶっちゃけ相談室の管理と両立するのは厳しいかなって俺も思います」
ああ、なんだか本当にテンション下がる。碧斗が戻ったことで良い気になっていたのかしれない。やはりバド部再興は険しい道のりだ。顧問の問題など、もはや生徒の力量でどうにかなる領分だとも思えない。
「ま、どうしようもなくなったら、普通に練習だけしていればいいさ。そうだろう、篠原?」
「え、あ、はい! そうですね」
碧斗からの振りに反射的に答える。以前の碧斗ならそんな楽観的な発言はしなかっただろうに、すごい変化だ。ここは先輩の言葉通り、少しリラックスした方が良いかもしれない。覚悟を決めているとはいえ、四六時中気を張っていては限界が来てしまう。
大神と咲夜のことは……一旦後回しにするほかない。一同でその結論に至った。
「よし、それじゃ」
相馬が手拍子で注目を集めた。
「せっかく人数増えてきたことだし、久しぶりに部活をやろう。実は僕も真琴もラケットを持ってきていてね。最近体がなまっていたことだし、気分転換に――」
相馬の声が遮られた。部室の扉が勢いよく開け放たれたからだ。
何事かと視線が吸い寄せられる。そこにいた人物に、大樹は驚嘆の声をあげた。
「大神!?」
件の人物の突然の来訪、そしてさらに信じがたい光景が目の前にある。
大神の手に掴まれ、半ば強引に部室に放り込まれたもう一人の来訪者――村上咲夜がそこにいたのである。
なぜ、この二人が一緒になって――かなり大きなトラブルを抱えていたはずだが。
大樹の疑問をよそに、大神は芝崎に鋭い眼光を向ける。
「副部長を連れてきたぜ。これで文句はねえだろ」
「……えっと?」
芝崎が、というよりその場にいた誰もが咲夜に説明を求める。咲夜は気まずそうに口をもごもごとさせていたが、やがて、
「泣いて、飛び出しちゃって、すいませんでした! でも、もうあたしは大丈夫なので。副部長として、バド部に出来ること全部やらせてもらいます。よろしくお願いします!」
咲夜が頭を下げる。先ほどの碧斗とそっくりだ。
「いや、どういうことなんだ……」
ふいに、大神が咲夜の手を取った。瞬間的に咲夜の頬は真っ赤に染まる。
「この人は、今の藍咲に必要な人だから、連れてきた。以上だ」
「やっぱりよく分からないんだけど!?」
理解に苦しむ大樹を見かねたのか、真琴が引き継いでくれる。
「つまり、大神くんと咲夜との間のわだかまりは完全になくなったと。そういうこと?」
「ああ」
大神は力強く頷いた。それを受けて、真琴が珍しく口元を緩める。
「良かったじゃない、篠原くん。これで月夜を除けば――藍咲学園主要メンバー勢ぞろいよ」
大樹は周囲を見渡した。ひとりひとり、全員の表情が真剣そのもの。当初、絶望的だと諦めてさえいたのに――またこうして、志を共にする仲間として同じ場所にいる。
これを喜ばずにいられようか。
「ええ、本当に。良かった……」
「俺からもう一つだけいいか」
大神が挙手する。殊勝な態度を嬉しく思い、大樹は了承の意を返した。
「実は入部希望者を外に待たせている。同じクラスの奴だ」
『は!?』
ほぼ全員の声が重なる。いや、何を言い出すんだ、大神は。
最初に異を唱えたのは真琴だった。固い表情で腕を組む。
「この状態で、新しく誰かを招き入れるなんて論外よ。しっかりと指導出来るかどうかも怪しいし、それにその人はこの部活のことをちゃんと見ているの? まともな感性を持っているなら今の時期に入部を希望してくるなんて絶対おかしい。ふざけている暇はないの」
「俺も、今は反対だ」
碧斗の否定的な意見が続く。実際に口にはしなかったが、大樹も完全に同意だった。話し合うこと自体がバカバカしい。だが……。
「でも、大神くんがわざわざ仲介役になるってことは、それだけすごい人材なのかな」
そう。大樹の知る大神連という男は甘い感情で行動しない。それをするからには、必ず信念が伴っている。大神が連れてくる人間ならば、それは実力者かもしれない。
この藍咲学園に、未だ存在を知られていなかっただけで光る原石が眠っていても何ら不思議はないのだ。
「会うだけなら、タダだし、入ってもらえば?」
芝崎の言葉をきっかけに、大神は外に合図を送った。遅れて、か細い声が届く。
「し、失礼します……」
まず目を奪われたのは、その頭髪だ。毎日の手入れが行き届いているのだろう。枝毛にならず綺麗にまとまった黒髪は、風を受ければ軽く舞うのだろう。一瞬、月夜を思い出してしまった。
ついで、その小顔を見つめてしまう。それぞれのパーツが均整にバランスを保っているが、瞳だけは吸い込まれそうなくらいに大きいのが印象的だ。
体操着姿で、元々の小さい肩幅をさらに縮こませ、所在なさげに視線を泳がせている姿は小動物のようで庇護欲をそそられる。
とても可愛い女子生徒……おおよそ、初対面の誰もが、こういう印象を受けたのではないだろうか。
「ふ、双葉亜樹です! お忙しいところ、お時間をとらせてしまい申し訳ありません! でも自分、皆さんのことたまに見てて、それでバドミントンカッコいいなって。未経験ですけどよろしくお願いします!」
『未経験!?』
大樹たちは頭を抱えた。ただでさえお嬢様然としたこんな子に期待など持てないというのに、未経験と聞かされたら、もうどうしていいかわからない。
真琴など、明らかに苛ついている。
「正気なの? 大神くん」
「ああ。金の卵だ」
この会話の噛み合わなさは一体どうした。大樹は今にも騒動が起きそうな雰囲気を緩和するため動くことにした。丁重にお断りをすべく。
「あの、初めまして、双葉さん。大神と同じクラスだから、一年生同士だよね。俺、篠原大樹っていいます。よろしくね」
「はい! 存じ上げています! 球技大会の日に、決勝戦に出ていた方ですよね? きゃー、もう嬉しい! 篠原さんカッコよくて尊敬しちゃいます(≧∇≦)」
「え、あ、ありがとう……」
そこまでおだてられると、悪い気はしない。というか、すごくいい気分だ。しかもこんな可愛い子まで見ていてくれたなんて。やはりあの日、試合に参加して良かった。大樹は過去の自分に感謝した。
大樹がにやけていると、女性陣、主に真琴からの冷たい視線を感じた。体感温度がぐっと下がった気がする。いけない。ちゃんとしなくては。
「で、あのね。今ちょっと立て込んでいるというか。忙しいというか。あ、双葉さんがダメとかそういう話じゃなくて。双葉さんには申し訳ないんだけど、今回のところは遠慮して――」
大樹がしどろもどろに言い訳をしていると、双葉の人差し指が大樹の唇にあてられた。え、何してんのこの子――双葉は悲しげに眉を下げ、やがて熱っぽく上目遣いをしてくる。
「双葉の苗字で呼ばれることが、あまり好きではなくて――亜樹って呼んで?」
その破壊力に、大樹の精神は崩壊寸前だった。脳を揺らして倒れそうになったとき、理由は分からないが楓の顔が浮かんだ。どうしてなのか、不機嫌そうである。それで大樹は正気を取り戻した。大丈夫だ。同学年の女子を名前呼びするくらい、慣れているじゃないか。平気、余裕。
「亜樹。これで良いか」
「はい、大樹さん♡」
今度こそ篠原大樹はノックダウンした。




