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「あなたのようになりたかった」

 小学生の頃の話である。友達の家で遊ぶ約束をして、その子が帰宅する前にお邪魔してしまうということがあった。我が子が帰ってきたと思ったら、よその子でした――みたいな体験をさせてしまったことは今でも反省している。


 何が言いたいのかというと神谷家にお邪魔するのは、少し時間を置いてからでいいはずだ、ということだ。決して先延ばしにしているわけではない。手土産も買いたいところだったし、丁度よい。

 買い物に出来るだけ時間をかけ、いよいよ言い訳が出来ない状態になったところで神谷家を目指した。あっという間に到着する。ご立派な一軒家だ。マンション暮らしの大樹には妙な憧れがある。さて、心の準備は何もしていない。


「っていうか、ご両親が出たらどうするんだ――」


 よその子訪問パート2は勘弁してほしい。やる方もやられる方もたまったものではないのだ。あ、アポイントとれば良かった……今更だけど。


 なけなしの勇気を総動員してインターホンを押す。


『……はい』


 聞き間違えようはない。碧斗だ。やはり覇気はない。


「あの、突然すみません。篠原大樹です」


 重苦しい沈黙が降り立つ。


『は?』


 ですよね。その反応も納得だ。


『え? え?』


「本当にすみません。お兄さんから住所を教えてもらって、つい来てしまいました。もし良かったらお話をさせてください」


 我ながら不審者過ぎる。怪しさ限界突破。こんな挨拶で家の中へあげてくれるのだろうか。自分だったら絶対しない。しかもアポなしで。


 それから声は返ってこなかった。やらかしたー、と思ったが後の祭りだろう。一体自分は何がしたかったのだろう。途端に恥ずかしくなり踵を返そうとしたところでドアが開かれた。


「え、なんで……」


「わざわざ来た客人を追い返すなんて、俺は教わってないから。しかも後輩を」


 久しぶりに見る碧斗の姿だ。心なしか顔つきが険しいのは気のせいだろうか。

 碧斗に招き入れられて、大樹は神谷家にお邪魔する。ダイニングに通されるまで碧斗は無言だった。その間、沈黙が落ち着かない大樹はキョロキョロと家の中を見渡していた。


「何か飲むか?」


「いえ、お構いなく。あ、これ。つまらないものですが……」


 大樹は恭しく手土産を差し出した。名のある老舗が生み出した饅頭をセットで購入してきた。篠原母のお墨付き、自慢のお茶菓子である。母はお菓子に関してとにかくうるさい。しかし、あの人が認めるということは一流の味ということだ。


「……これ、高いやつじゃないか?」


 包装を見て、碧斗が固い声で言った。


「お気になさらず。急に押しかけて、ご迷惑をおかけします。ご家族で召し上がってくださると幸いでございます」


「さっきからやけに丁寧な話し方だな……。まあ、どうせ兄貴がほとんど食べるだろうけど。両親はほとんど家に帰ってこないからな」


「そうでしたか」


 碧斗の他には誰も家にいないだろうとは思っていた。家はこんなに広いのに、生活感が薄いというか。しかし家の中は綺麗だ。掃除が行き届いている。


「家事は大変ですよね」


「……お前もそうなのか」


「うちは父が単身赴任で大阪に。母は全然家のことが出来ない人なので、昔から自分でやってます」


「そうか。お互い苦労するな」


「心中、お察しします」


 ものぐさそうな神谷隼人が兄では、頼るに頼れまい。というか、意外と会話を転がせていることに、大樹自身驚いた。終始言葉が出てこないお通夜みたいな訪問になると思っていただけに、幸先良い、と捉えていいのだろうか。


 だが、一度会話が途切れたことで空気が変わる。碧斗は、考えている。今日、大樹がわざわざここに来た理由を。

 なかなか本題を口にする勇気は出ないのはお互い様だった。


「兄貴に、住所を教えてもらったそうだな。仲良いのか?」


「いや、どうでしょう。最近まで相談室の出禁をくらってましたから、無条件に好かれていることはないでしょうけど。ようやくわだかまりが解けたというか」


「兄貴は極端に交友関係で狭い。できれば今後も懇意にしてくれ」


「はい」


 なんだ、この会話。あんた親かよ。

 そろそろ切り出すべきだろう。


「今日お邪魔したのは部活の件で」


「そうだよな……」


 碧斗に目をそらされる。


「悪いが、俺にはもうどうすることも出来ない」


「一人で全部こなそうとするから、そう思っちゃうんですよ。ひとつひとつ、なんとか出来そうな部分からどうにかしていきましょう。具体的なことも、俺なりに考えてきているんですけど……」


「そうか。ならお前に全て任せる」


 大樹は言葉を失う。この展開は予想外だ。


「何故、そんな結論になるのでしょう」


「この数か月、色々なことがあった。俺は自分の力量のなさを思い知らされてばかりだ。今の俺に何かが出来るとは思えない。そしてなにより、俺自身、バドミントン部がどうなってしまってもいいと思っている」


「………」


「だが、篠原……お前が諦めていないのなら、部活動の運営に関して引き継いでおきたいことがある。それが終わったら、後は好きにしていい」


 碧斗はそう締めくくった。話の切り上げ方が、兄の隼人に似ている――なんて益体もないことを考えてしまう。

 碧斗の眼は本気だ。ここで大樹が不用意に頷こうものなら、すんなりと引き継ぎ作業に移るだろう。そして部活から姿を消す。そんな未来の光景がありありと浮かぶ。


 どうすればいい? 何を言えばいい? 碧斗に戻ってきてもらうために、必要なことはなんだ。後輩の立場を利用した泣き落としか。部長職を放棄しようとする無責任さへの詰問か。もしくは――


「碧斗」


 その声に、大樹と碧斗は顔を上げた。大樹にとっても懐かしい声音。夏に部活を引退した相馬遥斗の姿がそこにあった。後ろから真琴も顔をのぞかせている。そういえば、後から来るという話だった。正直場の空気に呑まれていたのですっかり忘れていた。


 だが、停滞した空気に良い風が入ってくれた。碧斗は相馬を尊敬している節があった。大樹ではどうにも出来なかったことを相馬ならなんとかしてくれるかもしれない期待があった。


「どうしてここに……」


「不用心にも扉が開きっ放しだったから、そのまま入ってしまったよ」


「いや、そういうことではなく――」


 と、そこで碧斗がはっとした顔になる。大樹に鋭い視線を向ける。


「まさかお前が話したのか。この状況を?」


「正確には元部長にだけ話したつもりだったんですけど……」


「何を勝手なことを――いや、当然のことか」


 自嘲的な笑みを浮かべて、碧斗は自己完結した。大樹は嫌な予感を覚えた。何だか、取り返しのつかない手段をとってしまったような……。

 相馬が、碧斗に歩み寄った。肩に手をかけ、優しげな声で語りかける。


「話はだいたい聞いているよ。大丈夫だよ、碧斗。必ずどうにか出来る。一緒にどうしたらいいのか考えよう」


 ダメだ。


 大樹の直感がそう囁く。お前は失敗したのだと、もう一人の大樹が責めてくる。

 では、何を失敗したというのか。


「相馬さん、俺……」


「うん」


「俺は……あなたのようになりたかった」


「え?」


 碧斗は顔を俯かせた。相馬が、真琴が、各々の言葉を碧斗に投げかける。しかし、二人の言葉に反応を示すことはなく無為に時間が過ぎていく。


 ずっと、わからないでいた。碧斗の根幹はどこにあったのか。何のために部活に打ち込んでいたのか。何を守ろうとしていたのか。


 碧斗は、誰にも部活のことを相談している様子はなかった。同期や後輩たちにも声をかけていないだろう。自分ひとりの力でどうにかしようとしていた。では、そのモチベーションはどこからきていたのか。一人でやる意義とは何だ。


 当初は、責任感の強さがそうさせているのだと思っていた。神谷隼人も、家族としての立場から『理想像がある』と評していた。他人の力を借りず、そつなくこなすことが部長としての務めだと考えているからこそ、不器用な方法を取らざるを得なかったのだと。


 でも、本当はそれ以上に守りたいプライドがあったのだとしたら――?


 神谷碧斗が、弱さを見せたくなかった相手は――


 思考が加速して結論を導いた瞬間、大樹は青褪めた。失敗した。ここに、相馬遥斗だけは連れてきてはいけなかった。誰より見栄を張りたい人を、ここに呼んではいけなかったのだ。

 相馬が言葉を紡ぐたび、碧斗から表情が消える。碧斗が、相馬にそこまで心酔している理由は分からない。過去に何があったかを知らない。だが今は問題にすべきではない。今は一刻も早く、碧斗の意識を他のことに逸らさなくては。


 相馬を追い返す? ダメだ。不自然過ぎるし、碧斗なら大樹の意図に気付いてしまいかねない。後輩に気遣われたとなれば、碧斗はさらに自分の存在意義を失うだろう。そうなったらもう二度と、碧斗は部活に戻ってきてくれない。


 ――何を迷っている。篠原大樹。


 お前は碧斗の話を聞きながら、常に共感していたはずだ。碧斗が抱える悩みは、既に体験しているじゃないか。なら、それを話してやればいい。お前自身、そうしたいと望んでいるのだから。


「俺、中学時代にバドミントン部の部長だった経験があるんですけど」


 突然の大樹の告白に、三人は顔を見合わせた。頭に疑問符が浮かんでいる。


「色々あって廃部になりました」


 続く大樹の言葉に、三者はそれぞれの反応を見せた。相馬は大樹を慮るように眉を下げて、真琴はやはり何故今そんな話をするのかが分かっていないようで、碧斗は――怒っていた。


 自分の体験談を持ち出して、そのまま現状に当てはめて、碧斗を糾弾しているように感じたのかもしれない。反抗心が芽生えるのは当たり前だと思う。


 でも、狙いはそうじゃないのだと分かってほしい。


「俺は、朝日月夜さんと同じ中学の出身です。同じバド部の所属でずっと一緒に過ごしていました。初めて出会ったあの時から、俺にとってあの人はすごい人でした」


 話しながら、大樹は懐かしい気持ちを思い出していた。そして、変わり果てた現在の月夜のことも。これは彼女を取り戻すための戦いでもあるのだ。


「センパイがいた世代は過去最高に強い世代だったと思います。初めて教えてくれる人があの人で良かった。綺麗なプレイをする人でしたから。俺はずっとセンパイに憧れて――あの人みたいになりたいと思っていました」


 碧斗の表情が変わった。大きく見開いた目が大樹を見つめている。大樹には、話の続きを促されているように見えた。


「センパイの世代が引退するとき、部長に就任したのが俺でした。あの人のようなチームを、いやそれ以上のチームを作ってやるという気持ちだったのを覚えています」


「………」


「結果はさっきも言った通りです。うまく部員をまとめられず、どんどん人が減っていって、必死過ぎだって笑われるし、顧問には怒られるし――ああ、今思い出してもむかつく。けど、今でも何をすれば正解だったのかは分からないんです。俺はセンパイを頼るべきだったのかもしれない。よく世間では言いますよね、人を頼るのも大切だとか、仲間の大切さとか――けど、尊敬している人に格好つけたいっていう意地を分かってほしいですよね」


 碧斗と視線が交錯する。言いたいことは伝わっただろうか。


 ――俺は、仲間の重要性とか、助け合いの素晴らしさとか、そんなありふれたものを説くつもりは毛頭ないんですよ。今、あなたに伝えたいのは、俺とあなたは似ているということだけだから。


「それで、碧斗先輩」


 大樹は言葉に力を込める。


「話がだいぶ長くなっちゃいましたけど、俺、正直なところ小難しいことは考えてないんです。部活を指揮していくのに、何が必要とか足りてないとか――そんなんじゃなくて、今はただ、純粋に多くの人とバドミントンがしたい。それしか考えてないです。俺は碧斗先輩とまたバドミントンしたい。碧斗先輩はどうですか?」


 碧斗はしばらく押し黙っていた。やがて、何かを吹っ切るように息を吐く。


「さっきまで、誰の言葉も受け入れられなかったが……今のお前の言葉は重く響く」


「えっと……、つまり?」


「そういうことなら、俺も賛成だ。まだ、遊び足りないからな」


 そう言って笑う顔は、隼人によく似ていた。


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