「自由になる」
いきなり妙なお願いをする大樹を前にして、真琴は戸惑いを見せていた。当然の反応なので、大樹は今日に至るまでの経緯を説明した。その間は、真琴は一言も言葉を挟まず神妙な顔で耳を傾けていた。
「そっか。そんなことになってんだね」
真琴は眉を寄せて言う。大樹は、彼女が引退した時のことを思い出していた。真琴は、月夜のことを気にかけている節があった。きっと月夜の危うさを肌で感じていたのだと思う。だからこそ、今回は力になってくれる気がする。
「悪いけど、私にはどうすることも出来ない」
「おいっ」
年上で先輩なのを忘れてツッコミ。
「だってそうでしょ? 部員が急激にいなくなったのは、月夜の退部が原因なんだから、何とかしたいなら、月夜を連れ戻すしかないじゃない。それに私の言うことを月夜が聞くとは思えないし。だいたい、自分たちのことは自分たちでやるべき」
「うわ、この人めんどくせえ」
聞かれないように小声で呟く。
だったら、なんで悲しそうな顔をしているんだ。言葉と表情がミスマッチだ。短い付き合いだが、真琴には天邪鬼なところがあることを大樹は察していた。部員のことを邪魔だと言いながら練習スペースを分けてくれるし、合宿でも指導係として尽力していた。もっと素直になってくれたら、色々な人に誤解されずに済むというのに。
とはいえ、もう一押しして協力してくれる確証を持てない。変に対応を間違えると本当に断られるかもしれない。それでは困るのだ。大樹はあるべき姿で部活が再興することを望む。そのために手段を選ぶつもりはなかった。
「部長……実は俺、知っているんですよ」
「元部長だって言ってるでしょ。で? 何を?」
「合宿の日の夜、元部長が相馬先輩と一緒の部屋で――」
「………え」
「いいえ、やっぱり何でもないです。俺はこれで」
くるりと踵を返した大樹の腕を、真琴が力強く掴む。痛い。
「私と相馬くんが一緒の部屋で……何」
真琴の目つきが怖い。怖すぎる。大樹は無理やり鉄面皮を作る。
「いえ、自分の口からはとても言えないです。ただ、部活の合宿であんなことをしていただなんて……。あ、職員室に行ってこようかな」
「待って、お願い。待って。相馬くんに聞いたの? ねえ、何で無視するの? 違うの! 本当に!」
振り返ると、これ以上ないくらい顔を真っ赤にした真琴がいる。言い訳を待っていると、真琴がしどろもどろになりながら必死に言葉を探す。
「いや本当に違うから! 部屋が足りなくなったから、一緒に寝ただけで! 私の名誉にかけて、いやらしいことは一切してないから!」
「あ、はい……。なんかすいません」
少しからかうつもりが、ちょっとやり過ぎてしまったかもしれない。正直そこまで問題視しているわけでもないのだから、これ以上は性格が悪い。
「うぅ、相馬殺す……」
「いや、相馬先輩何も言ってないんで。カマかけてまんまとハマったのは元部長なんですけど」
余計な一言で真琴をさらに怒らせたせいで、彼女は親の仇でも見るような目で大樹を睨んでくる。
「篠原くん、変わった。前は可愛げあったのに」
「他の人にも言われたっす。けど、変わらないとダメだって身に染みて思い知らされたので。俺はこの部活を守りたいですから」
「……で、私にどうしてほしいの」
妙な沈黙を挟んで、真琴は尋ねる。
「そうですね。とりあえず、碧斗先輩のフォローをしないといけないと思います。それに付き合ってほしいんですよね」
「今日行く?」
「いえ、俺がこのあと別件があって。明日にでも連絡します」
「わかった」
真琴を残し、大樹は二年生の教室に向かう。今度は月夜に会うためだ。思いの外真琴との話に時間がかかってしまったことを反省しつつ教室についたとき、そこに月夜の姿はなかった。
「……なんでいない?」
メッセージを飛ばす。すると一瞬で既読されて返信があった。
――どこにいるか当ててみて
「なんだ、こりゃ?」
月夜らしからぬ反応に、動揺を隠せない。自分から呼び出しておいてなんだが、話をしてくれる気はあるのか。覚悟を決めてこの場にやってきたのに、調子が狂ってしまう。
ペースは乱されたが、気を取り直して月夜の捜索を開始する。バッグは置いてあるのだから、校内にいるのは確実。さっき大樹は体育館付近にいたが、月夜の気配はなかったので除外。どこかの教室も考えづらい。他クラスのテリトリーを侵害するのは気疲れする。しらみつぶしに、図書館や視聴覚室、中庭を探すが、見つからない。屋上も立ち入り禁止。やばい。詰んだ。
あり得ないと思いつつ、相談室に向かう。月夜の姿はなかったが、かなたと神谷に会うことができた。
「もう来たのか。そんなにここに思い入れあるのかよ、お前。ちょっと嬉しいぜ」
「出入り禁止にすること自体がおかしいんだよ? 神谷くん」
気安く話してもらえて嬉しく思うが、すぐにその場を後にした。
このゲーム(?)を始めてから既に数十分が経過している。一ヶ所に留まっていない可能性すら検討しなければならないとしたら、本当にもうお手上げだ。
諦観を抱え、一度自分の教室に戻る。人の気配がない。どうやら楓たちは文化祭の話し合いを無事に終えたようだ。しかし、教室に足を踏み入れた瞬間、大樹は身を固くした。月夜がいる。
月夜は、大樹の机に上半身を預けている。なんで俺の椅子に座ってんだ。
足音を聞き取ったのか、月夜が体を起こす。
「遅かったね」
「いつから、そこに……」
「放課後すぐに、この教室を訪れたの。文化祭の話し合いをしていたみたいだけど、すぐに終わったから。森崎さんが文実なのは意外だった」
「実は俺も同じ文実なんですよ」
月夜が目を見開く。そして溜息をつく。大樹がサボったことを叱るのかと身構えるが、予想の斜め上を行くことを言われた。
「相変わらず森崎さんと仲が良いみたい」
「え? いや、文実は気付かない間に決まっていて、それで……」
「ふ~ん……」
なんだろう、この空気。
いけない、いい加減話を前に進めなくては。大樹の隣の席――楓の席を借りて、月夜と向かい合う。
月夜は足を組んだ状態でこちらを見据える。途轍もないプレッシャーを放っている。
口の中が乾いてきた。息苦しさを覚える。この人が面接官だったら受験生みんな泣くんじゃないだろうか。
大樹は雑念を全て追い出し、ただ一言を月夜に伝える。
「センパイ、俺ともう一度バドミントンしませんか」
月夜が眉をひそめた。大樹の意図を推し量ることが出来ていない様子だ。大樹は言葉を続ける。
「部活動に復帰してくれという意味じゃないです。無理やりバドミントンを続けさせたい、なんて気持ちを押し付けるようなこともしたくありませんし。ただ……もし後輩の我儘を聞いてくれるなら、最後に、あなたともう一度コートで向き合ってみたい」
月夜に教わったところから、大樹のバドミントンは始まったのだ。
運動センスが壊滅的だった大樹にとって、スポーツの楽しさを初めて理解させてくれた唯一の競技。そしてそこには月夜の大きな尽力があった。この人のおかげで、勝つことの喜びを知ることが出来た。言葉で表せないくらいに感謝している。
ちゃんと、恩義を伝えておかないといけない。それが礼儀だ。
◇
ここ数か月で、嫌というほど考えさせられてしまった。自分にとって大事なものはあるか。譲れないもの、かけがえないもの、生きがいになるもの。
意識的にそんなことを把握しようとしたことなどなかった。だが、そう長い時間がかからず、シンプルな回答が頭に浮かんだ。あまりにもシンプル過ぎて、危ういものが。
「少し、私の話をさせてもらう」
大樹の反応を待たずして、月夜は回想する。蘇ってくるのは無味乾燥な日々の記憶だ。
「私は幼少期、色々な習い事をしていたわ。どれも要領よくこなすことが出来たと思う。けれど、楽しいと思ったものは一つもなかった。暇つぶしに続けて、飽きたらまた新しいことを見つける。それを繰り返した。あの頃の私は毎日がつまらなかった」
当時から、月夜のストイックさは健在だった。月夜は、楽しさを見出すために全ての時間と労力を懸けていただけに過ぎない。しかし、周囲の反応は奇異なものを見るようだった。何故、単なるレッスンに、そこまで鬼気迫って臨めるのかが理解不能だったからだ。
「中学生になって、部活動を決める段階になったとき、まだやったことがなかったバドミントンを選んだ。一年が経つ頃には部内に相手になる人はいなくなって、周囲からの風当たりも強くなってきた。そろそろやめようかという時に転機があった」
月夜と大樹の視線が交錯した。月夜は意識的に微笑みを浮かべた。
「篠原大樹くん――あなたに出会ったことよ」
齢十三にしてようやく、月夜は『誰かと共に過ごす』ことを知る。
篠原大樹という後輩は、時折練習に悲鳴を上げつつも、必ず月夜についてきてくれた。気が付けばいつも一緒にいるのが当たり前になっていた。
「やめようと思ったバドミントンを続ける理由を君に見出した」
厳密には中学最後の大会で、高宮凛に負けたこともそうだった。いつか彼女に雪辱を果たすと誓った。それは既に果たしてしまったが。
月夜の話に、大樹は落ち着きを取り戻せない。言っていることと、やっていることに矛盾を感じているからだ。
「センパイ、それならバドを続けてくれたって――――いや」
大樹は言葉を飲み込んだ。月夜の意図を察してしまったのだ。
「私にとって、『何を』してきたかなんて、どうでもいい。本当にどうでもいい。『誰と』してきたかが大事だった。けど――私は君への興味を失いかけている」
篠原大樹を想う気持ちは、自分の中で永遠不変だと信じて疑っていなかった。この人が欠けてはいけないはずだと、そう思って生きてきた。
けれど、変わらないものなんてない。高宮凛が期待外れに成り下がったり、大事な人の存在が揺らいだりして、気持ちは移り変わりゆく。
「君の希望、了承しました。最後に、あなたとバドをしてみましょう。終わりを感じた時、私は自分の正直な気持ちに気付くと思うから。あなたと繋がる意味に決着をつける。そうしたら――私は自由になる」
◇
見知らぬ世界に飛び込むとき、誰かと一緒であることは心強いことだと思う。
友達がいたから、勇気を出して一歩を踏み出すことも出来るだろう。
月夜は言った。『何を』してきたかではなく、『誰と』してきたが大事だと。
月夜の告白を受けて、大樹の存在が彼女の中で大きかったことを自覚して嬉しく思う反面――大好きなバドミントンを否定されたことに反感を覚えた。
月夜は大樹の椅子から立ち上がり、既に教室をあとにしようとしている。
大樹は立ち上がり決死の覚悟を持って呼び止めた。
「やっぱ、納得できないです」
月夜が振り返った。その瞳は全てを諦めたかのように死んでいるが―――わずかな希望を大樹の中に見つけ出そうと縋る色も残っていた。
なら、大樹は諦めるべきではない。
「最後にセンパイとバドが出来たら満足かなー、と思っていたんですけど。気が変わりました。ここはひとつ、ゲームをしてみませんか」
「……試合って意味?」
有無を言わせぬ迫力が月夜に宿る。荒ぶる激情を必死に抑え込むように。
「ガチ対決といきませんか。思い返してみれば、あなたとマジで戦ったことはなかったはずですし。いつもノック練習やフットワーク練習ばかりで」
「――何かを賭けて、勝敗を決めるってこと?」
大樹は首を振った。そんなことに意味はない。仮に月夜を負かし、大樹が部活に残ってくれと命じたところで、本心から納得する形にはならない。全くもって、意味がない。
「いいえ。ただ俺なりに反論があって――『何を』してきたも重要だと主張したいんです」
「それが、ゲームとどう関係するの」
「簡単なことですよ。バドミントンがどれだけ楽しいかを思い出してもらうんです」
大きく見栄を張った発言を受けて、月夜は目を丸くした。
試合を通して楽しさを伝える――それが如何に困難であるかを理解しているからこその反応だ。ただ勝つのではなく、ただ負けるわけでもなく。接待のようなプレイを意識するのでもない。相手の心を揺さぶるようなプレイが求められることになる。
「少なからず驚いた。君は、そういう大言壮語はしないはずなのに」
「こんな悲しい話を聞かされて、じゃあ仕方ないですねー、なんて思えるわけないでしょう。借り物の勇気を振り絞った感はありますけど」
「それでも――うん。なんだか変わった。君らしくないというか」
「俺だって、カッコつけたい時があるんです」
全く、少しテンションが上がり過ぎではないだろうか。
「でもね、センパイ。あなたがこれまでしてきたことが、どうでもいいはずないんですよ。あなたがバドミントンにために尽くした研鑽の時間には価値があります。あなたが俺に与えた興奮や喜びのおかげで、俺はバドミントンに夢中です。今度は俺があなたにそれを返してみせますよ」
「――そう。わかった」
月夜の背中が見えなくなるのを見届ける。もう後には引けない。今更ながらに疲れがどっと出て、大樹はその場に腰を下ろした。




