「やらなければならないことは徹底的に」
しばし、大樹は何を言われたのか意味がわからず、沈黙した。
固まった大樹を見据え、楓は今しがたの発言を繰り返す。
「笑わせないでって、そう言ったのが聞こえなかった? どうして私が大樹を助けなきゃいけないなんて話になるの?」
人を小馬鹿にしたような口調に、余裕のない大樹はいよいよ激昂した。
「ふざけんなよ! じゃあ何で今こんな話したんだよ!? いつもの感じで、からかってるつもりか!? だとしたら性格悪いんだよ!」
真夜中の住宅街、相手にしているのは女の子であることも意に介さず、大樹は叫ぶ。
楓はまったく臆することなく、背もたれに体重を預けている。そんな他人事のような態度に、大神の姿が重なる。怒りの感情が、再び爆発しそうになる。
「何、自分には関係ないって顔してんだよ……」
「実際、関係ないでしょ。さっき自分で言ってたじゃん。私は部外者なんでしょ?」
「揚げ足取るな! 普通、友達が困ってるなって思ったら、助けるのが当たり前だろ。今、熱くなって感情的になってるのを自覚してるよ。けど、なんでそんな相手を前にして、椅子にふんぞり返ることが出来るんだよ。お前、おかしいぞ」
楓はしかし、感情的にはならない。普段の性格を考えれば、喧嘩っ早い彼女は絶対に言い返すはずだ。大樹はここにきて初めて楓の恐ろしさに触れた気がした。どれだけ言葉を尽くしても、むしろそうする毎に楓の心は見えなくなってくる。
だが、ここで楓がようやくアクションを見せる。顎に手を当て、頷いてみせる少ない動作だったが、何か、言葉を探しているようだった。
「うん、確かに私は大樹のことを友達だと思っているよ」
「だったら……」
大樹が言葉を続けようとするのを、楓は遮る。
「それが情けないんだよ」
「あ?」
「困った人を助けるのは当然のこと。それをしない奴は悪い。挫けそうになったときは、手を差し伸べてもらうことが当たり前――そんな風に考えて縋る人のことを、私は情けないと思う。弱いことを良しとする人間は、嫌いだね」
淡々とそんなことを言ってのける。俺が弱い? 縋っている?
大樹は楓のことが分からなくなっていた。楓は、こんなことを考えている人だったか? 人をからかい、勤勉さもなく、遅刻を繰り返し、外を出歩いて遊んでばかりいる。大樹の方が真面目に努力しているはずなのだ。
ああ、そうか。
楓は調子に乗っているんだ。弱っている人間を前にしてそれっぽい言葉を口にし、束の間の優越感に浸っている。真意を見抜ければ、簡単だ。大樹は楓に嫌悪を抱いた。こんな人を友人などと思っていたのがひどく馬鹿らしい。
「……じゃあ、何か? お前は今まで誰の助けも借りずに生きてきたとでも言いたいのかよ。遅刻するわ、仮病使うわ、俺に偉そうなことが言える立場かよ。テストで赤点とって神谷先輩に泣きついてたくせに」
「話がすり替わっているよ。自分が一番頑張っている、なんて見当違いなことを考えているから、そんなことしか言えないんだろうね。努力している自分がたまらなく大好き。典型的な真面目くん。それに、見当違いだよ。神谷さんは、厚意やお情けで助けてくれるほど甘くない」
「どういうことだよ」
「神谷さんに初めて会ったとき、面白い人だと思うと同時に『使える』人間だとも思った。私が野望を達成するために、たまらなく必要だってね。だからこそ、頻繁にあの相談室に通って交友関係を作った。テストで困ったとき、助けてくれるように」
大樹はひどく冷めた気分だった。楓にはとっては人との交流など、結局打算的なものでしかないのだ。楓との今までの思い出が色褪せてくる。あの笑顔も全て嘘っぱちだ。
だが、それよりも気になる単語がある。
「や、野望?」
「私にはね、絶対に成し遂げたいと思える野望がある」
「なんだよ、それ」
「教えてもいいけど、こういうのは口にした途端、陳腐なものになるから、言わないでおくよ。――誰にも笑わせてたまるか」
鋭い眼光が大樹を射抜く。険しい顔つきで宣言する楓には強い信念を感じた。
「それで、話が少し逸れたけど。大樹にしていることって、思い描く結果に直結してないじゃん。遅刻やサボりがないことはご立派なことだけど、それで赤点が回避できるわけじゃないし。それで頑張ってるなんて言われても。結果にコミットしていこうよ?」
「俺は今、テストの点で困っているわけじゃない……」
「だろうね。今悩んでるのは部活のことでしょ。けど、それにしたって同じことが言える」
「どこがだよ。部活は他人の問題が絡んでくるんだよ。勉強は一人でやるものだけど、部活はそうじゃない。どうしようもないだろ」
「だから人を『使え』よ」
聞き分けのない子供を諭すような口調に、大樹はむっとした。
「だから楓に頼ってんじゃん。それを拒絶して、縋ってるとか……さっきから言っていることが滅茶苦茶じゃねえか」
「相手に一方的に要求を押し付けることを、『縋る』と言わず何と言うの? 人に縋ることと、人を使うことは違う。それにこの世に全くどうしようもないことなんて何ひとつない」
「じゃあ教えてくれよ! お前が俺の立場ならどうする!?」
答えに窮することを期待して言ったセリフだったが、楓は全く動揺する素振りを見せず、人差し指を立てた。
「第一に。現部長のケアをしたか? 活動そのものが機能しない原因は統率する人間の不在にある。お前は部長に声をかけたか?」
「え、えっと。でも、そんなことしても……」
「もし、それが現実的なことじゃないと思うなら、何より統率者を用意することが先決だと考えなかったか。たとえば――引退した先輩を頼るとか」
大樹は、はっとした。その可能性には全く思い当たっていなかった。姫川や相馬は既に過去の人として扱っていた。
楓はさらに指を立てる。
「第二に、この状況は朝日月夜が間接的に関わっているが、どうして朝日先輩を連れ戻さない。一番確実な手段はそこだろ」
「それはやったよ。でもどんなに言っても、センパイは聞く耳を持たなかった」
「どうせ、一方的に『部活に戻ってくれ』としか言えなかったんでしょ。朝日先輩が何を考えているのか、求めていること何か。それがお前には分かるはずだ。もし答えに辿り着けないとしたら、それは見落としているとしか思えない」
「そんなこと――」
「第三に」
また指を立てる。
「そもそも、こんな風になることをお前は予想できたんじゃないのか。バドミントン部が爆弾を抱えてることは、一瞬で気付いたはずだ。明らかに人数調整が必要でしょ。部員数とコートの数が合わないんだから。見るからに不必要だと思う人間は早めに切り捨てるべきだった」
「そんなこと、一年生の俺にはどうしようも……」
「ルールを設けるべきだったな。遅刻や欠席が続く部員を退部させるとか。比較的マシな人種が多くなれば、集団の雰囲気は変わっていたかもしれない。『バドミントン部はガチだ』ってことが伝われば、合わない奴は離れていく」
「そんな、人を切り捨てるとか、退部だとか、ちょっと冷たいんじゃ……」
「お前のその日和見主義のせいで、こうなってるんだろ。お前は部活を運営させることと、朝日先輩が辞めた途端離れていった元部員、どっちを大事にしたいんだよ」
頭がパンクしそうだ。急に色々なことを言われても、ちっとも理解できない。それに、どれもこれも、効果的なやり方とは言えない。思いつくことをひたすら言ってのけているだけだ。
「それを全部やってたって、回避出来なかったかもしれないだろ……」
「もちろん。これは私がお前だったら、そうしていたかもという仮定に過ぎないから。でも大事なのは、お前に必死さがなかったことだ。部外者の私ですらこれだけ気が付くんだから、当事者の大樹にはもっと多くのことが見えているはずだよ」
ようやく楓の言わんとすることが見えてきた。どうしようもないように見えても、必死に探せば突破口はあって、なりふり構わなければそこをこじ開けることも出来た。だが、それをやってのける人間は、普通実在しない。
「俺が……悪いのかよ」
「部活が何より大事だと思うなら、ね」
「今言ったことをやる人間は、普通じゃないよ。俺はそんな凄い人間じゃない」
「だったら変わってみせろよ」
いつの間にか、楓は立ち上がり、大樹の胸に拳を当てていた。
「自惚れるなよ。現状を嘆いたり、後悔するのは、そこに尽力していた奴だけがしていいことなんだ。何もしてないお前が不満を漏らすのは間違いだ。だけどいつまでも過去を見ていても仕方がない。中学時代、部活で失敗した? それがどうした。次は上手くいくって信じろ。誰だって覚悟さえあれば変われる」
覚悟……今の俺にそれがあるだろうか。大樹は自問自答する。残念ながら今この場で気持ちを固められるほど、自分は強くない。
顔色が優れない大樹を見て、楓が不敵な笑みを浮かべた。一瞬、寒気がした。楓らしい表情のはずだが、今は裏があるようにしか見えない。
「良いことを教えてあげるよ。私の人生のモットーだ」
楓が両腕を広げる。まるで演説者が自慢げに言葉を紡ぐように。
「やらなくていいことはやらない。やらなければならないことは徹底的に。人間、やる必要のないことは、とことん手を抜くし、それで良い。逆にやんなきゃいけないことは、極めるつもりで尽くすべきなんだ。そうじゃなきゃ、自分の大事なものを守れない」
「徹底的に、か」
思わず笑いが漏れる。あの楓からこんな言葉が飛び出すとは。
「かっこいい言葉だ。名言だね」
「だろう? 大樹も何かモットーを作ってみれば? 座右の銘でもいいけど」
「そのうちね。考えておくよ」
楓が、話は終わったと言いたげに背を向けた。そして別れの言葉を口にすることもなく、その後ろ姿が遠ざかっていく。
大樹は考え、声をかけた。
「楓!」
「なに」
面倒そうにこちらを振り返る。
「どうして俺に、色々話してくれたんだ?」
「ははっ、決まってんじゃん」
楓が親指を立てる。完全に、冗談を言う前触れだ。
「紗季ちゃんのためだっつーの!」




