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「笑わせないでよ」

 頭が重い。気持ち悪さが腹部から襲ってくる。体を動かすのが億劫だ。

 篠原大樹は自分の部屋のベッドに潜り込み、惰眠を貪る。今現在、藍咲バドミントン部は活動休止中だ。部員数が集まらないこともあるが、部長である碧斗の不調が主な原因だった。部活をまとめることが出来ない以上、活動をしても仕方ないという判断が下った。放課後に時間が出来てからというもの、大樹は学校から帰るとすぐに自分の部屋に閉じこもる状態が続いていた。

 こんな生活が続いてどれくらいだろう、と考えて日付を確認する。苦笑が漏れた。十六日の土曜日。まだ一週間も経っていない。いつまでこの苦しみが続くのか。何かをしようという気力が起きない。最近は嫌なことばかりだ。

 朝日月夜が部活を辞め、連鎖する形で部員が消えていったことが始まりだった。

 元部員たちの心ない言葉に部長の碧斗は傷つき、副部長の咲夜も部活から手を引いた。

 ペアを組んでいた大神には、大樹の言葉が届かない。

 頼りたい人もいない。同じクラスなのに、楓とはずっと口をきいていない。最後に話した時、怒らせてしまったからだろうか。

 相談室の人たちのことを思い出す。神谷からは出入り禁止を言い渡され、紅葉と接触することも難しい。新しい顧問を見つけて、結城かなたを自由にするまではあそこには行けない。

 新しい顧問など、見つかる当てがないというのに。


 もう、全部どうでもいい。どうせ、何をしたって上手くいくわけないのだ。


 中学の部活の時もそうだった。必死に部活再建のために奔走し、手を尽くしたのに全て無駄に終わった。徒労に終わると分かっていれば、あそこまでしなかった。

 今回の藍咲バドミントン部の件も、あの時と同じ雰囲気を感じる。このままでは廃部になる。けれど、仕方ない。そうなる運命だったと受け入れて抵抗しない方が傷は浅くて済む。何も、あの部活にこだわらなくても良いではないか。まだ高校生活は始まったばかり。これからいくらでも楽しいことを見つけていけばいい。


 篠原大樹がもう一度夢の世界に落ちかけたその時、薄暗い部屋に眩い光が差し込んだ。目がくらむ。何事かと思って起き上がり、目の前に立っている人物の姿に絶句する。


「お前、なんでこんなところに……」

「紗季ちゃんから連絡もらったんだよ。いやあ、幸せ者だねえ。心配してくれる家族がいて」


 皮肉たっぷりに森崎楓は言う。妹の紗季は楓とは仲が良い、らしい。らしいと言うのは二人が一緒にいる場面を見たことがないからだ。とある事情で楓に篠原家の家事を任せた際に親睦を深めたようだが……。まさか頻繁に連絡を取り合っているのか?

 いまだに状況が呑み込めず茫然としている大樹のもとに、楓は足音を鳴らして進んでくる。被っていた布団を剝がされる。


「ちょ、何すんの!?」

「うるさい。何か、イライラする。とりあえず、しゃきっとしろよ」


 楓の後ろから、おずおずと紗季が顔を見せた。


「あの、ごめんね楓さん。休みの日なのに呼んじゃって……」

「いいんだよー、紗季ちゃん。どうせ家にいたし。紗季ちゃんのお願いなら何でもきいちゃう。いつでも呼んでね」


 え、こいつ誰? と大樹は目の前の楓を訝しむ。

 一オクターブ高い声で紗季に微笑み返す楓を見て、思う。別人みたいだ。明らかに大樹と接しているときと態度が違う。そういえば、クラス内で楓がぞんざいに扱う相手は俺しかいないような……俺、嫌われてんのか?


 メンタルの弱い大樹がさらに落ち込む。が、楓に肩を叩かれるので無理やり顔を上げざるをえない。楓はしかめっ面で鼻をつまんでいる。


「っていうかさ。何、このゴミ屋敷? やばいよ」

「あっ……」


 大樹は青ざめた。そういえば、ここ最近は家事をさぼってしまったような。篠原家では大樹が家族の身の回りの世話をしている。お嬢様気質が抜けない母と、世間知らずの妹には荷が重かったようだ。


「はあ……。ちゃんとするか」


 大樹はベッドから降りてリビングに向かった。



 楓と共に、仕事に取り掛かる。

 改めて見ると、すごい有様だった。キッチンには洗い物がこれでもかと溜まっているし、その近くにはパンパンに張ったゴミ袋が数個。床や部屋のあちこちにホコリが積もっており、トドメとばかりにハエが飛び交っている。不快感が込み上げ、大樹は駆け出す。まずは換気だ。嫌な空気を全て外に出す。

 楓と分担しているとはいえ、この家はかなり広い。気を取られるべきなのはリビングだけではなかった。風呂掃除もしていなかったし、洗濯物もすごい。この具合では紗季や母の部屋もひどいのでは……。思考停止になるのを抑え、ひとつひとつ処理していく。全ての作業が終わったのは、掃除を始めてから二時間が経過していた。ゴミ袋を持って、家を出る。これを捨てたら一段落だ。


 夜と言っても差し支えない時間帯だが、空はまだ暗闇に染まっていない。まだ夏の季節は過ぎ去っていない。ここ最近は色々な出来事が連続していたために、長い時間が経ったような錯覚に陥るが、実際はそうじゃない。まだ、九月なのだ。

 ほんの一月前までは、こんな気分で過ごしているなんて想像もしなかった。思考がネガティブになり始めているのを感じ、大樹は走った。ゴミ袋を置いて、青いネットをかけておく。


 家に戻ると良い匂いがただよってきた。すぐに思い当たる。ビーフシチューだ。リビングに入ると案の定、鍋に向き合う楓の姿がある。


「おかえり。野菜室の食材は生き残っていたし、消費期限ギリの肉もあったから作ってみたわ」

「マジで料理できんの?」


 半信半疑で鍋の中を覗き込む。ぐつぐつと音を立て、食材が揺れている。特に異常はなさそうだ。


「できないと不便だと思ったんだよ。紗季ちゃんに恰好つけられないじゃん」

「なんか、仲良いよね、ほんと。っていうか、ビーフシチューくらいで得意顔すんな。俺の方が色々できるし」

「お前は絶対に食うなよ」

「なにそれひどい」


 会話の内容とは裏腹に、思わず笑いが漏れた。気分が上向きになっているのを自覚する。後でお礼を言っておこうと思った。

 その日の夕食は、篠原家プラス楓の四人で卓を囲むことになった。一番騒がしかったのは紗季で、ことあるごとに楓に話しかけている。楓も緩んだ顔でそれに返して、たまに冗談を言って紗季を笑わせていた。篠原母もにこにこしている。久しぶりのまともな食事で興が乗ったのか、紅茶を飲むペースが速い。おかわりを所望する母の対応は大樹の役目だ。

 食器を片付けたところで、もう十時近いことに気付いた。楓が帰宅の動きを見せた。泊まっていくように駄々をこねる紗季をなだめる。


「絶対また遊びに来てくださいね!」

「もちろん。そうさせてもらうよ」

「大ちゃん。もう遅いから楓さんを送ってあげて。お皿は洗っておきますから」

「絶対やめてね、母さん。二度手間だから。……いい?」


 楓に同伴のことを聞いたつもりだったが、返事はない。ただ断られているとも思わなかったので、二人は家を出る。

 エレベーターに乗り込んだところで、大樹は今日の礼を言っておくことにした。


「ありがとう、楓。おかげで助かったよ。多分まだ、立ち直れなかっただろうから」

「………」


 楓からは何の反応もない。この距離で聞こえていないはずはない。


「楓、聞いてる?」

「うん」

「どうしたの?」

「………」


 再びの無視。意識的にされているのが伝わる。エレベーターから出てすたすた歩く楓の後ろ姿に呼びかける。


「もしかして俺、家に戻った方がいい?」


 夜に大樹と一緒でいるところを見られたくない可能性に思い当たるが、楓は首を振って手招きをする。ついてこい、ということらしいが機嫌がよろしくないのは明らかだ。何を怒っているのか、わからない。さっきまであんなに楽しそうにしていただけに、その落差に戸惑う。女の人は本当に怖い。内心が全然読めない。


 マンションを出てからもしばらく歩かされる。その間、大樹は居心地の悪さを感じながら、早く解放されることを願った。やがて二人がたどり着いたのは、とある中学校だった。それも、ひどく身に覚えがある。あまり良くはない思い出が。


「俺らの母校じゃん……ここに来たかったの?」

「この近くに公園があるから、そこ」


 少し離れた位置にあるその公園にも覚えがある。母校の卒業式が済むと、みんながこぞって集まって写真を撮っていた。中には教師たちもいたはずだ。大樹は、誰にも混ざることなく帰宅した。


 楓がベンチに腰を下ろした。大樹も隣に座るべきか悩むが、なんとなくそれは許されない気がした。


「ねえ、大樹。今アンタは何をするべきだと思う?」


 開口一番何を言い出すのだろう。大樹は嘆息した。


「飲み物を買ってくる、とか?」

「この後、自分の家に帰って寝て、明日は日曜日。いつもならバドミントン部の活動をしているけど、今は休止状態。月曜日以降もその感じ。またいじけて部屋に閉じこもる可能性大。さあ、どうする? ちなみに文化祭の出し物も決まっていない」


 大樹の冗談に付き合わず、矢継ぎ早に言葉を繰り出していく。大樹は素直に謝った。


「ごめん、やっぱり急に呼んだの迷惑だった? 紗季にも言っておくよ。これから気を付ける。文化祭のことも、ちゃんと話し合おう」

「そういうことじゃない。本当に大事なのはそんなことじゃなくて、大樹自身にある」


 いまいち抽象的で、理解が及ばない。大樹は楓の次の言葉を待った。


「そのまま家で引きこもることが、正しいこと? それが楽しいこと?」

「楓が何を言いたいのか分からないけど、正しくも楽しくもないのは見て分かるでしょ」

「じゃあ、せめてマシになれるように頑張ったら?」

「俺は頑張ってんじゃん。必死に。でも、無理なんだよ。楓は部外者だから、そんな好き勝手言えるけど、これ以上俺に出来ることなんてないよ」


 抱える問題が複雑に絡まり過ぎて、どこから手をつけて良いかがわからない。それに、改善策のようなものがあるとも思えなかった。

 しかし、大樹は楓がこんな話を始めた意味を考え、結論を出していた。自分ひとりではどうしようもないことでも、誰かの力を借りたら、可能かもしれない。そういうことを言いたいのではないか。最近の大樹を見かねて、楓は声をかけたのだ。

 だから、ここで言うべきことは決まっている。


「楓、助けてよ。俺はどうしたら良いと思う?」


 そんな大樹の期待を、


「冗談じゃない。笑わせないでよ」


 楓はあっさりと裏切った。


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