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「プライドとかないわけ?」

 後ろ暗い気持ちを抱えたまま、会議室に向かう。月夜との交渉には失敗し、やる気もないくせに文実に参加する。本当に憂鬱だ。一刻も早く部活に行きたいのに。


 会議室は通常の教室二つ分くらいの広さがあった。時間ギリギリにやってきたため、既にほとんどの人が集まっている。大多数の視線が大樹を捉える。大樹は楓の姿を探して視線をさまよわせたが、先に別の知人を見つけてしまった。


「天野先輩?」

「んっ? おおっ!? 篠原くん!」


 天野翠は月夜のクラスメイトだ。紅葉ほどではないが、彼女も年上とは思えないくらいに小柄である。何度も顔を合わせているためか、お互いに覚えていたようだ。


「なんで篠原くんがここに!?」

「文化祭実行委員なので……」

「マジで!? なんか意外! 一年A組の文実って篠原くんだったんだ。もう一人は?」

「楓です」

「げっ」

「げ?」


 翠の反応に大樹は首を傾げた。慌てて翠が首を振る。


「あっ、うん……なんでもないの! そういえば一年A組は出し物申請してなかったね。ちゃんと決めてきた?」

「いえ、それがまだ……」

「あ、そうなの? うーん、でも今日からクラス出し物を確定させちゃうよ? 被った出し物が多い場合は抽選だし、遅れるとそれだけ選択肢なくなっちゃうから急いでね」


 テキパキと大樹にアドバイスを与える翠はそつが無い。淀みなく言葉を紡ぐその姿勢から、説明慣れしていることが窺える。一年分早く入学したからといって、ここまで出来るだろうか。


「あの、天野先輩はもしかして統括側の人なんじゃ……」


 実行委員会よりさらに上の立場にいるのが統括部という集団だ。実行委員が組織されるより前に活動を始めており、実行委員会を束ねる生徒たちだ。彼らは基本的に優秀な人材しかいない。


「惜しい。確かに実行員じゃないけどね。……これなーんだ?」


 そう言って、翠は左腕を見せ付けてきた。正確には、腕に巻きつけてある腕章を。


「生徒会!? しかも副会長!? そっちの方が意外過ぎる!」

「おーいコラ。私だって特進クラスの一人なんだぞ~? 月夜と同じクラスだってこと忘れてない?」


 腰に両手を当てて、薄い胸を張る。その仕草を微笑ましく感じると共に大樹に暗い翳が差した。月夜の名前を耳にしてしまったせいだ。大樹の表情が曇ったことに翠は気付いた。精一杯の背伸びをして、大樹に耳打ちする。


「ねえ、篠原くん。月夜のこと何か知らない?」

「えっ」

「夏休みが終わってから様子がおかしいの。ほらバドミントン部だって辞めちゃったみたいだし……。あの日の夏祭りが原因なのかな? あの時のことは謝ったけど……何かずれている気がして。篠原くんならもしかして……って」


 そこにいるのは月夜の身を本気で案じる一人の少女だった。心配そうな顔で大樹を見上げている。さっきまでと打って変わって、翠が小さい存在のように思えてきた。

 咄嗟に、気休めを言いそうになった。しかし、上手く口が動かない。嘘でも安心させるのがベストだが、思ってもないことを口にするのは苦手だ。


「何もありませんよ。俺とセンパイの間には。……何もなかったんです」


 投げやりな気分で呟いた声音に温度はなかった。翠は目を丸くした。


「なんか篠原くん……疲れてる?」

「いえ、そんなことは」


 ただ、何に対してもやる気が起きないだけだ。日ごとに力が抜けていくのを感じる。最近、上手くいかないことが多い。月夜のこと、部活のこと、顧問のこと、そしてこの文化祭のこと。考えるべきことが多過ぎて浮ついた気持ちになれるはずもない。


 そろそろ会議の時間だ。翠に一言残し、大樹は楓を見つけて隣に腰かけた。楓に何か言おうと思ったが、彼女は全くこちらの存在を意に介してようだったので大樹はおとなしく号令がかかるのを待った。


 予想通り、大樹たちは会議後に統括部からお叱りを受けることになった。


「君たちさあ、自分たちが実行委員だっていう自覚あるの?」


 目の前にはメガネをかけた小柄な男子生徒が腰かけていた。名前は山口という。時折、中指でメガネをくいっと上げるその仕草はここで話を始めてから五回くらいは見た。

 彼は統括部の人間らしく、担当は一年の出し物全てらしい。ちなみに、出し物申請を提出していないクラスは大樹たちA組だけだった。


「僕らは生徒の代表として表舞台に、時には裏でみんなを導かなくちゃいけないんだよ。文化祭を盛り上げようって言う意識を持って、最善を尽くしていくべきなんだ。それなのに君たちは何なの? 出し物の話し合いすらまともに出来ないなんて意識低いんじゃない?」


 またメガネを持ち上げた。そんなことを呆けた表情で考えていた大樹は睨まれてしまう。


「すみません。みんなが意見を言ってくれなくて……」

「そこでやる気にさせるのが君たちの仕事でしょ。確かに、文化祭の準備というのは大変かもしれない。けど、こちらから熱意を見せれば仲間たちはきっと応えてくれる。ここで得られる経験値、絆は何物にも代えがたい。将来、必ずプラスになる財産だ。そのへんの意識ある?」

「は、はあ……」


 なんだこの人は。典型的な意識高い系なのだろうか。話がふわふわしていて要領を得ない。今度は意識って単語を使った回数を数えていこうか。


「優秀な人ならこれくらい出来るはずなんだけどな~。君、この間の試験、クラス順位はどうだった?」

「え? なんでそんなこと聞くんですか。関係ないでしょ」

「あちゃ~、答えられない? 答えられないのかー、そっかー。君、あれか。特進クラスとか興味ないです、みたいな感じの人かー。そういう人はここにはいらないかな。やっぱりこういう場で動ける人は頭が良くないとさ。帰ってもいいよ?」


 おどけた顔を作って、山口は扉を指差す。大樹は戸惑った。正直このまま帰りたい気分だったが、ここで本当に帰ってしまうと次回から自分の席はないような気がする。しかし、だからと言って反抗する気力もない。相手の好きなように喋らせて相手の気が済んだら帰ろう。そう考えた。


「うっせーわ、陰キャラ」


 世界が停止したかと思った。大樹は冷や汗を掻きながら視線を横にずらした。たった今暴言を吐いた張本人は、黒い笑顔で額に青筋を浮かべている。

 楓は一歩前に出て、机を手で叩く。


「さっきから偉そうじゃん。統括だかなんだか知らないけどタメにそこまで言われる筋合いないわ」

「え、この人一年生なの!?」

「気付けよお前……」


 大樹は可哀そうなものを見る目で見られた。楓が嘆息すると山口は鼻を鳴らした。


「学年なんて関係ない。僕は選ばれたんだ。先生方から直々にね。優秀な人間が周囲を導くのは自然なこと」

「お前が優秀だって? だらだらと意識高い自慢なんかされても迷惑なんだよ。私らは一年生の出し物を全部見せろっつったの」


 同じ学年で、被った出し物をするには制限がある。申請に遅れたA組は、他のクラスと似通らない企画を考えなければならないのだ。それで山口に話を持ちかけたのだが、ずっと意識云々の話を聞かされ続けた。


「これだから余裕のない人間は困る。同じ学年と言えど、立場は僕が上。口の利き方はちゃんとした方が良い」

「マジで癇に障るなお前。ぜってえ友達いないだろ。優秀な人間って言うけど、それならもっとテキパキ話を進めなよ。成績だけが良い無能なんて幾らでもいるよ」

「友達は関係ないだろ。ふん、そういう言い方をする奴に限ってテストの点数が取れない人間だったりするんだよ。そっちこそ無能なんじゃない? 悔しかったら名前とクラス順位言ってみなよ」

「森崎楓。クラス順位は一位」


 山口の顔が驚愕に歪んだ。それも仕方ないだろう。こんなおっかない女子が、頭良いだなんて判断できるはずもない。


「森崎って確か……」

「ああ、名前くらいは知ってんのね。成績トップ10は名前が張り出されてるし、悪目立ちしてるもんね私。で、山口くんは何位なの? 張り紙に名前なかった気がするけど。よく覚えてないな。フルネームで教えてくれる?」

「や、山口太郎……。順位は、二十位で……」

「へー。まあ、悪くないけど、威張れるほどでもないね」


 楓の辛辣な言葉が山口くんの胸に刺さる。


「っていうか山口太郎って言うの? 何その書類作成の例に使われそうな名前。個性皆無。そこまで優秀な成績でもないし、話し方下手だし、見た目の描写ないし、お前なんかこの話一回きりにしか出ないモブじゃん。山口くんこそ帰れば?」

「そこまで言わなくたっていいだろぉぉおおおおおお!!」


 山口は泣き出した。なんとなく後ろめたい気持ちに駆られた大樹は山口をなだめ、励ましてみる。「次もきっと出番あるって!」と言ってあげるとさらに大きな声で泣き出した。収拾がつかないので一年の申請リストを写真にとって、大樹と楓は会議室を後にした。


「お前あれはやり過ぎだろ……」


 大樹はそう注意した。以前にもこんなことがあった。加藤に暴言を吐かれ、激昂した楓が怪我人である加藤をいたぶったのだ。そこまで深刻な問題にはならなかったが、サッカー部の数名は楓のことを悪魔と呼んでいる。今回の件でさらに楓の名誉は傷つけられた。


「大樹さ、なんであそこまで言われて黙ってんの? 悔しくないの?」


 楓の口調は大樹を責めているようだった。


「いや、別に気にしてないし……」

「聞いてるこっちがイラつく。加藤の時もそうだったけど! プライドとかないわけ?」

「プライドとか気にしてる方がダサい。いいじゃん、誰が困るわけでもなし」


 大樹の言葉に楓が大きく嘆息した。その溜息に諦観のようなニュアンスを感じ取った大樹は、眉間に皺を寄せた。


「なんだよ。何か言いたげじゃん」

「いや別に。大樹がそれで良いなら良いんじゃない? そんな自分の尊厳すら守れない奴が部活をどうにかしたり出来ないと思うけど」


 急に部活のことを持ちだされて、大樹の心がささくれた。図らず、刺々しい口調になってしまう。


「関係ないだろ。ほっとけよ」

「……良いよな、お前。自分で自分のことを守らなくてもいいんだからさ。羨ましいわ」


 楓がすたすたと教室の方へ向かう。大樹の荷物は既に体育館に置いてある。楓にこれ以上ついていく必要はない。大樹は踵を返して楓とは反対方向へ。色々言い合う仲の二人だったが、亀裂を生じさせたまま別れるのは今日が初めてだった。



「すみません。遅くなりました」


 部活に遅れてやってきた大樹は蒼斗にそう報告した。あらかじめ、文化祭委員会のことは伝えていたので、ペナルティは特になしだ。


「……アップして、誰かと基礎打ちしておけ。今日は試合練もある」


 それだけ言って大樹に目を合わせることなく足早に蒼斗が去っていく。昼の出来事の整理がまだついてないのだと思う。殴られた左頬はガーゼに覆われていた。

 基礎打ちの相手を探すため、あたりを見渡した。しばし大樹は思わず硬直してしまった。人数は合計して九人。そのうち女子が三人。いつも大人数で活動していたせいで、体育館がかなり広く感じられる。


 痛切に、大樹は事の深刻さを理解した。こんな状態の部活が正常であるはずがない。一刻も早く、何とかしなければ。


 月夜の顔が頭に浮かんだ。あの冷たい瞳を思い出し、大樹は体を震わせた。月夜が戻ってきてくれたら、部活は元通りになるだろう。多少の軋轢はあるかもしれないが、もし彼女の復帰が達成されたらまた部としての基盤を整えることも可能になる。逆にこれ以上時間が過ぎていけば未来はない。それだけは避けたい。


 しかし、大樹は自分の中に迷いがあることに気付いていた。朝日月夜が部活に戻ってくることは正しいことなのか? 本当に部活は再建するのか? そもそも、大樹はそれを望んでいるのか。月夜の顔を思い出す度、思考が堂々巡りになる。自分が何をしたいのか、それすらもわからない。


「おい、篠原。打たなくていいのか?」


 振り返ると、芝崎がそこにいた。二年の男子も、蒼斗を除けば彼だけになってしまった。


「お願いしてもいいですか。ドライブからで」

「おーう」


 練習用のシャトルを用意し、芝崎が打ちやすいように緩くサーブした。芝崎がラケットを振るう。シャトルが真っ直ぐ大樹に向かっていった。同じように大樹も返球しラリーが数回続いたところで大樹はあることに気付いた。


「なんか上手くなってます?」

「ったりめーだ。いつまでも同じわけないだろ」


 羽が小気味の良い音を響かせ、白帯のわずかに上を通過していく。綺麗なドライブだ。速さもそこそこ。それよりなにより、芝崎に感じた大きな変化はシャトルの捌き方だ。ほとんど体を動かすことなく、肘より先の腕の振りで羽を捉えている。以前はバックハンドのショットがおぼつかなかったが、洗練された良い動きをしている。


「あの」

「ん」

「なんで芝崎さんは辞めないんですか?」

「はあ? なんだよ。俺なんか消えてほしいってか」

「いえ……だって芝崎さん、朝日センパイのこと好きなのに」

「おい!?」


 芝崎の狼狽えっぷりは実に面白かった。見事にシャトルを空振りし、手汗で滑ったのかラケットを落とした。予想以上に大きな音が響いてしまい、部員たちがこちらを見た。芝崎は下手くそな笑顔を作って誤魔化した。


「何言ってんだ! こんなとこで……」

「誰も聞いてないですって。……実際、どうしてなんですか」


 朝日月夜を賭けて(?)芝崎とはバドミントンで対決したことがあった。芝崎も、月夜に想いを寄せる大勢のうちの一人だ。月夜のいない今、彼がこの部活に留まる理由はないはずだ。もちろん、大樹としては当然残ってほしいとは思っているが。


「……次はヘアピンな」

「はい」


 お互いにネット近くまで寄って、シャトルを交換し合う。これなら練習しながら小声で会話することが可能だ。


「確かに、俺がこの部活に入ったのは朝日に少しでも近付きたかったからだ。それは別に否定しねえ。バドミントン自体には全く興味なかった。二年になってからも、そんな感じだった」


 いつもより真剣に話す芝崎の言葉を、大樹は黙って聞いていた。


「でも今年になって一軍に入って、他校のやつと公式戦をしたくらいからだったか? 多分その頃から考え方が変わってたんだ。お前や大神が入ったのもきっかけになった。もっと強くなりたいって、そう思えた。去年は姫川のせいで打たせてもらえなくて、よくサボってたのによ」


 姫川というのは、前のバドミントン部部長だった女子生徒だ。彼女には彼女なりの思惑があって、現二年生たちにシャトルを触らせなかったのだが……それを理解する者は少ない。


「トーナメントを勝ち進んでいく『藍咲』の文字……見てて気分良かったわ。俺がほとんど役に立ってないのは分かっていたけどさ、それでも嬉しかった」


 もちろん、大樹も嬉しかった。中学では、残念ながら団体戦は出来なかったから。

 学校として勝ち上がっていくあの高揚感は、今でも色褪せることなくこの胸に刻まれていて何物にも代えがたい。


「もし俺の力で、この文字をもっと先に進められたら――そんな想像したら毎回部活に出ちまうんだ。バドミントンとか、わけわかんねえから相馬先輩に色々聞いて教えてもらって。シングル練習めっちゃやって、休日でも走って……辞めるとか今更ねえわ」


 知っている。大樹は芝崎の努力を見ていた。

 芝崎が前に踏み込む。大樹が返したシャトルに飛びついてきた。慌ててレシーブの体勢に入る。


「俺、今、バドミントンが楽しいんだよ。だから辞めない」


 芝崎はラケットを優しく当ててクロスヘアピンを放った。完全に虚を突かれ、シャトル反対方向へ。大樹は落ちていくシャトルをそのまま眺めているしかなかった。


「なんで追わないんだよ」

「今のは間に合いませんよ。ナイスショットです」

「マジ? よし!」


 芝崎がガッツポーズをとるのを見て、大樹は頬が緩んだ。芝崎がそんな風に考えていることを知れて、気分が少し晴れたみたいだ。この部活はまだ終わってない。きっとみんな同じ気持ちだ。バドミントン部の結束は強い。


















 ――そう、思っていた。


全国の山口さん、太郎さん、すみません……。

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