「諦めてんじゃねえか」
担任に告げられた事実を、しかし大樹と楓は受け入れることが出来なかった。文化祭の実行委員になど、立候補をした覚えはない。当然の疑問を口にしてみると、返ってきた答えは「四月に係や委員会を決めたでしょ」だった。いつの話をしてんだ。覚えていない。
「それなら改めて一言、何か言っておくべきでしょう」
「それも言ったねー。実行委員は今日の会議に出席するようにって。残念ながら聞いていなかったみたいだけど?」
「何してんだよ楓」
「同じセリフを大樹に返す」
軽口を吐いてみせる。楓のこういうミスは楓らしいと言える。大樹は常なら人の話をちゃんと聞く方だが今回上手く出来なかったのは月夜のことばかり考えてせいなのだろう。今日の授業も、全く頭に入ってこなかった。
「これ、今日配られたプリントだから目を通して。これからは二人を中心にして動いていくんだから、ちゃんと話し合って連携をとっていくんだよ」
まったく余計な仕事を増やしてくれちゃって、という小言をスルーして大樹と楓は職員室を辞した。
「はあ……」
大樹は今しがたもらったプリントを無造作にポケットに突っ込んだ。こんなときに面倒な仕事を押し付けないでほしい。責任が自分にあるのは理解しているが、文化祭のことなど今は考えられない。楓だってきっと、似た気持ちだろう。
「俺は部活に戻るから。楓はもう帰るだろ?」
「いや、お前と話がしたいから待たせてもらうよ」
体育館に向かおうとした爪先は、自然と方向転換をした。
「は? どういうこと? 文化祭のことで、ってこと?」
「それもあるけど……。いや、とにかく、また後で」
楓はそれだけ言って会話を終わらせてしまう。迷いない足取りで去っていった。
楓の話というのは気になったが、すぐに部活のことで頭の中に渦巻いた。まだあの二人が揉めていなければいいと願いながら大樹は今度こそ、部活動に戻っていった。
◇
「え、何してんの……」
それが、体育館に入ったときの大樹の感想だった。練習はとっくに始まっている時間のはずだ。しかし、大樹が目にしているのは部長の蒼斗と月夜の試合だった。そういえば、この二人のシングル対決は見たことがない。月夜は実力がずば抜けているとはいえ、流石に蒼斗の方が上――
「……いや」
二人のプレーを観察して、考え違いをしていることに大樹は気付いた。二人の凄まじいフットワークとショットで、シャトルの動きに目が追いついていかない。ラリーが尋常なく長く打球音がパンパン響き渡る。こんなレベルの高い光景を目の当たりにしていると、つい気付くのが遅れてしまう。
全てのシャトルが、蒼斗側のコートに落ちていることに。
二人の動きに差はほとんどない。そこに違和感がある。
「なんだセンパイのあの動き……」
フットワークが男子並みに速いのは分かっていたが、今の月夜の足の動かし方は普段の月夜らしくない。以前は綺麗なお手本のように下がる、構える、打つという動作がはっきりしていた。だが今は飛んできたシャトルに喰らいつくように、ステップやフォームを無視して捻じ込んでくる。それは決して悪いことではない。むしろ蒼斗を翻弄する結果となり、蒼斗は不規則な動きとショットを繰り出す月夜に反応が遅れているようだった。
「くっ……」
意表を突かれたクロスヘアピンを蒼斗はストレートにドライブした。待ち構えていた月夜が再びクロスにスマッシュ。真逆に突き刺さるシャトルのスピードは、明らかに大樹に追えるものではなかった。
体勢を崩しながらも、蒼斗が飛びついて返球する。
すごいセンスと気迫だ。大樹は魅入ってしまう。
シャトルは月夜のバック側に抜ける。あの位置からなら強打は出来ないはず――そう思ったとき大樹は見た。
月夜がラケットを左手に持っているのを。
「っ!?」
跳躍し、月夜のラケットがシャトルに触れた。返球のタイミングが早すぎる。ドロップのように緩やかに地面に落ちる羽を、蒼斗はただ唖然と見ていた。
「……うん。こんなところ、かな」
顎を引いて月夜は呟いた。その瞳には失望が浮かんでいる。
「神谷くん、もういい? 飽きてきた」
「ふざけるな。まだ二十一点もとられてない!」
険しい表情で激昂する蒼斗など、初めて見た。そういえば、何故試合をするに至ったかの経緯が不明だ。制服姿だったはずの月夜は、部活を辞めた身にも関わらず練習着だ。ラケットもシューズも彼女自身のもの。まさか、最初から蒼斗と戦うつもりがあったのか?
「賭けは私の勝ち。心置きなく、辞めさせてもらう」
「だから、終わってない……!」
「――私、あなたを潰したいわけじゃないから」
縋りつこうとする蒼斗を、月夜は明確に拒絶した。月夜は荷物をまとめると、こちらに向かってきた。退室するつもりなのだろう。大樹は口の中が渇いていくのを感じながら、おそるおそるに声をかけた。
「センパイ……」
「部活、頑張って」
こちらを見ずに告げた月夜は去っていった。扉が音を立てて閉じられる。大樹にはそれが、月夜との決定的な隔絶に感じられた。扉は、重く固い。大樹はただその場に立ち尽くしていた。
その日、藍咲バドミントン部は朝日月夜を失った。
◇
最終下校時刻には、まだ早い時間帯。
大樹は楓と帰りを共にしていた。電車には、人がまばらにしか乗っていない。こんな時間に電車を利用することがなかったから知らなかった。
「なんか早くね?」
「今日は休みってことになったから」
本来なら、普段通りに部活は行われるはずだったのだ。しかし、指示を出す蒼斗の乱調を原因に部活動は機能しなかった。開始前に、副部長と月夜が衝突し、その後部長と試合になるという展開のせいで、部員たちは集中を乱し、注意しなければ私語が飛び交う有様だった。このままではまともな練習にならないと、咲夜は今日の部活を中止にしてしまった。大半の部員は喜んでいたが、唯一大神だけが怒りを露わにしていたのが印象的だった。
大樹としては、練習がなくなって不満を感じつつも、今日はきっと身が入らないだろうと思っていた。今は、もっと別のことを考えていたかった。
「で、文化祭どうする?」
「ああ、そうだな」
それは決して文化祭のこと、というわけでもないのだが。
「これからほぼ毎週で会議があるらしい。文化祭の名前とかスローガン決めて役割分担して……みたいな。肝心の文化祭まで二ヶ月もあんのに、何を急いでんだか」
「そうか」
「クラスの出し物も実行委員の方でまとめて書類手続きすんだって。私クラスの前で話進めるとか絶対嫌だわ。大樹やってよ。あ、でもコミュ障の大樹くんには難しいかなー?」
「うん、かも」
「ていうか、そもそも実行委員とかになったのが間違いだわ。自分の意見も適当にやり過ごしてると、後々痛い目見るのかもな。球技大会のときみたいに」
「気を付けたいね」
楓の言葉にただ相槌を打つ。頭なんてこれっぽっちも動いていない。瞳はスクロールしていく景色を捉えているだけで、隣に座っている楓のことも気を抜くと忘れそうになる。
「おい」
「いだっ!?」
急に脇腹を思いきり抓られて、大樹は意識を強制的に覚醒させた。犯人は一人しかいない。鋭い視線を隣に向ける。
「なにすんだよ」
「人の話聞いてなくね?」
「……わるい。今はそんなことどうでも良いというか」
「だよな。見てて明らかだし」
つまらなそうに溜息を吐いた楓は核心を突いてくる。
「朝日先輩のことだよね?」
「まあ……うん」
「じゃあ部活辞めるってのはマジなんだ。でも、なんで急に?」
「俺が聞きたいよ……」
大樹は髪の毛をくしゃくしゃに掴んで眉間に皺を寄せた。月夜は何を考え、部を去っていったのだろう。本当にバドミントンへの関心が薄れてしまったのか。
――バドミントンが楽しいと思ったことは、ただの一度もなかったよ
あの冷たい言葉が耳から離れない。夢に出てくることもしばしばだ。思い出す度に、大樹は心臓を締め付けられるような痛みを感じる。朝日月夜は、バドミントンに関するこれまでの経験を否定した。そのことが大樹にはたまらなく悔しかった。あんなことを言われてしまっては、踏み込むに踏み込めない。
大樹の苦悩を察しているのかいないのか、楓は急に底抜けに明るく別の話題を振ってきた。その彼女の表情には、ときたま見せる悪戯心が浮かんでいた。
「……あのさ、夏休みが明けてからずっと聞きたかったんだけど、いい?」
「うん?」
「花火大会の日、朝日先輩に告られなかった?」
「はあっ!?」
素っ頓狂な声を上げて慌てふためく大樹に、楓は満足げに頬を緩める。とても楽しそうだ。いつもなら憎たらしいと思うはずが、今はそれどころではなかった。かなり聞き捨てならないことを言われた気がする。
「え、え、ごめん。何か変な風に聞こえちまった。もう一回言ってくれる? 誰が、誰に、何をしたって?」
「朝日先輩が、お前に、告白をしたんじゃないかと、疑っているんだ!」
「聞き間違えじゃなかった!」
自分の耳がおかしくなったのではないかと考えたが、その可能性は否定された。大樹は愕然としたが、なんとか疑問を口にした。
「いやあり得ないよ! なんでそうなる!?」
「私の推理によると、朝日先輩の様子が変わったのは花火大会以降。夏休み中に遊んだときは何の違和感もなかったからだ。花火大会の日に、朝日先輩と行動を共にしていたお前だ。お前だけだ。さらに事前に知らされたあのメッセージのやり取りを見るに、朝日先輩は明らかにお前に告白しようとしていた!」
「いや、ちょ、おま」
「で、問題の昨日。お前と朝日先輩がぎくしゃくしているのを見て『これは付き合っているとかじゃねえな~』と思いました。どうせ大樹が唐変木か難聴のスキルを発揮したのだと。『え、なんだって?』とか言わなかった?」
「言った覚えがないし、ちょっと待ってほしい」
「どうせまた付かず離れずの恋愛模様が拝めるかと思いきや、突然の退部。さすがにこれはおかしいと思って……。なあ大樹。お前朝日先輩に告白されたとき、変なこと言っちゃってない?」
「告白なんてされてねえってんだよ!」
妙なテンションを発揮した楓が独自の推理を披露してくるが、残念ながら見事に的外れだった。どうやら楓に探偵としての才能はないようだ。反論したいところに、さらに言葉を重ねてくるものだから、たちが悪い。
「まさか、あれか。告白の台詞をそうだとは知らずにスルーしちゃったパターンか。毎日味噌汁を作ってくれとか、一緒の墓に入ろうとか……。ハッ!? まさかあの有名な『月が綺麗ですね』か!? 朝日月夜だけに!」
「そういうのもねえよ! あと最後のやつは本当に告白してんの!?」
大樹は夏目漱石に詳しくなかった。実はこの言い回しは前回の試験範囲だったのだが、大樹はバドミントンに命を懸けたため完全に見落としていた。
「そのうち朝日先輩にでも聞いておきな」
「もう、ふざけんなよ。割と真面目な話をしてんのに。センパイが……その、なに、俺に告白するとか。そんなことあるわけないだろ、別に俺のこと好きでも何でもないのに」
「それは違う」
楓の声に引き寄せられて、大樹は彼女の顔を見やった。冗談を言うような顔つきでないことが分かってしまう。人は大事な話をするとき、表情と声音を普段のものと変えて言葉を紡ぐものだ。楓の場合は、殊更それが露骨だ。
「あの人は間違いなくお前が好きだ。なんとも思ってないことはない。それぐらい、見ていれば分かる。大樹は気付いていないみたいだけど。大樹だって、朝日先輩のこと好きなくせに」
「な、何を急に。また的外れだぞ」
「どの顔して言ってんの?」
顔を赤くした大樹を、楓は白けた気持ちで見ていた。
「だから何も悩む必要ないじゃん。あっさりとした解決方法教えてやるよ。『あなたのことが好きだから、部に戻ってください』ってそう言えばいい。嬉し過ぎて泣いちゃうかもね」
「いやそんな……。それで残ってもらっても動機が不純じゃ――」
「バドミントンのことなんか、大して好きでもないくせに続けてたんだから今更じゃん」
大樹は一瞬、言葉を失った。呆けた大樹に、楓は首を傾げる。
「なあ、今のどういうことだ」
「は?」
「バドミントンのこと、大して好きでもないくせにって……全く同じセリフをセンパイは口にしてたんだ。バドミントンなんか、楽しくないって。それも見ていれば分かることだったのか?」
「それは……朝日先輩が直接言ったの? 誰かから聞いたとかじゃなく?」
「いや、花火大会の日に。センパイが」
「………」
途端に楓は押し黙った。瞳を閉じ、眉間に皺を寄せた彼女はあることを思い出していた。球技大会の日、楓を批判した月夜の言葉を――
「てめえの方こそ、諦めてんじゃねえか」
「え?」
「こっちの話」
それっきり、楓はずっと沈黙を守り続けた。




