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「文化祭実行委員でしょ?」

「これは、どういうつもりなんですか……?」


 新米教師、結城かなたは平静を装って目の前の人物に問いかけた。朝日月夜は椅子に綺麗な姿勢で腰かけながら、かなたの瞳を真っ直ぐ見据えた。


「見ての通り、退部届です。バドミントン部は今日で辞めさせていただきます。短い間でしたが結城先生にはお世話になりました。こんなことを言う資格はありませんが、どうかこれからもバド部のことをよろしくお願いします」


 話は終わったとばかりに、何の躊躇いに席を立つ月夜。かなたは慌てて彼女を呼びとめた。


「待ってください! こんなこと急に言われても納得出来ませんよ!」


 かなたがバド部の顧問になってから、まだ数か月しか経ってない。ようやく部員の顔を覚え始め、バドミントンの面白さがわかってきたところだというのに。

 今日は始業式で久しぶりに生徒に会えるから、朝からご機嫌で学校に着いたのに、それは長く続かなかった。何の前触れもなく職員室にやってきた月夜はかなたを見つけるなり退部届と書かれた封筒を差し出してきた。意味が分からず硬直し、言葉の意味を呑み込んだところで「ええっ!?」と思ったより大きな声が出てしまった。その場は一旦保留とし、放課後に詳しく話を聞くことにした。


 しかし、時間を置いたところで無駄だった。一体何が月夜をそんな決断に至らしめたのか不明だったし、何を言えば退部を思い留まってくれるかも分からない。言いたいことがまとまらないまま放課後を迎え、冒頭へと繋がる。


 朝日月夜は生徒の間だけでなく、教師陣もその多くが名前を把握している。その朝日が急に部活を辞めると言い出したことは、既にこの大人たちの溜まり場にあっという間に広がった。それだけセンセーショナルな話題なのだ。今も、かなたと月夜が話しているのは部屋の隅っこの方だというのに、他の教師たちが興味津々にこちらを見ている。


「勉強との両立が難しくなったんですか?」

「いいえ、成績は落ちていません」

「では、人間関係のトラブルとか」

「そんなことはありません」

「ええっと、ご家族が病気になって!」

「違います」

「……もしかして私に不満があるとか」


 一番考えたくない可能性だったが、一番納得できる理由だった。かなたから見て、朝日月夜は向上心に溢れている生徒だ。バドミントンに関して素人であるかなたをふがいなく感じ、見切りをつけたのだとしたら……。


「確かに実力不足なのは認めますし、至らない点もあるとは思いますが! どうか! どうか結城かなたをお願いします!」

「お前は選挙活動でもしているのか」


 気が付くと学年主任がそこにいた。スキンヘッドが蛍光灯に反射してきらりと輝く。眩しい。かなたと月夜は目を細めた。


「……個人的には就職活動を意識していました」

「余計なセリフが多い。お前は自己評価が低すぎる。……昔からな」


 かなたは学年主任の一言に気を落とす。学年主任は月夜を一瞥だけすると、自分の席に戻ろうとした。


「ええっ!? なんで行っちゃうんですか! ここは先生の熱い一言が朝日さんの心を鷲掴みにしちゃう場面でしょう! もしくは河原で喧嘩とか!」

「とりあえず、朝日の言葉を最後まで聞いたらどうだ」


 呆れた様子でかなたの前から学年主任は去っていく。学年主任が一睨みするだけで、他の教師たちは慌てて自分の持ち場に戻っていった。あの巨体と顔では、そうなるのも仕方のないことではあるが。


 ともあれ、これで落ち着いて話せそうだ。かなたが月夜に向き直る。


「理由を、教えてください」

「……結城さんに不満を感じたことはないです。もちろん部活の人たちにも。私が部活を辞める理由は、単にバドミントンに飽きた……それに尽きます」

「そんな、飽きただなんて。あんなに上手いのに……」


 彼女のプレイを間近で一目見たときに思った。バドミントンのことは良く分からないが、これが『競技』としてのバドミントンなのだと。このレベルに到達するために、どれだけの修練を積んだのかは想像に難くなかった。

 もったいない、と思う。


「飽きっぽいのは性分なので。……失礼します」


 再び踵を返す月夜に咄嗟に声をかけた。


「それで辞める決断をするのは、早計だと思います。この届けは保留にして預かっておきますから、部員の皆さんとよく話し合ってみてください!」

「……わかりました」


 今度こそ月夜は退室していった。それを見届けたかなたは勢いよく椅子に座り込んだ。肺に溜まっていた空気を吐き出す。かなり神経を張り巡らせていたようだ。


 机に置かれた退部届に目を向ける。気分が重い。こういうとき、どうやって生徒に接するのが正解なのだろう。かなたはもう一度嘆息した。



「――というわけなんですよぉ」


 ところは変わって相談室。月夜の退部騒動から一日が経過していた。朝日月夜に関する話題を生徒たちが無視できるはずもなく、朝から放課後まで学校中がその話で持ちきりになっていた。


 かなたの愚痴を聞いているのは藍咲学園三年生の神谷隼人と桜庭紅葉だった。入学した頃から、この部屋は彼らの溜まり場になっていた。春になって新入生の楓が加わり、夏休み前には大樹や月夜も顔を出していたせいか、今はこの部屋がとても広く感じられた。


「もう、ほんと大変で。色んな先生から朝日さんを説得するように脅され……ではなく頼まれてしまって」

「今、脅されてって言いかけなかった?」

「どうしてかなたんは脅されてるの? 顧問だから?」


 二人はチョコスティックを咥えながらソファでくつろいでいる。


「それもあると思いますけど、でも多分――」

「部活を途中で抜けるって印象はなんとなく悪い。藍咲始まって以来の天才の経歴には傷一つだってつけたくない……こんなところか」

「大袈裟だとは思いますけどね」


 神谷の言ったことが的を射ていて、かなたは苦笑した。それだけ月夜が高く評価されているのだとしたら、喜ばしいことなのだが。


「あっ、そういえば二年の教室を通ったとき、色んな部活の人たちが朝日さんのところに来てたような……。あれって勧誘だったのかな」

「節操ないな、どこも。気持ちは分からなくねえけど。でもそれなら転部って方法もアリなんじゃねえの? 朝日はバドミントンに飽きたんだろ。結城さんもその方向で説得してみたら?」

「あー、うん。でも……それはいけないような気がして」


 歯切れ悪く俯くかなたを見て、神谷は眉をひそめた。紅葉も首を傾げている。


「それは、なんか駄目な気がするの。朝日さんが帰ってくるべき場所はバドミントン部だと思っているから」


 月夜が何を考えているのか、かなたには想像もつかない。けれど確信はある。月夜がバドミントンから離れることは決してプラスにはならない。彼女にとっても、彼女の周りの人にとっても。

 自分に出来ることは、あまりないだろう。精々、月夜が戻ってきたときに笑顔で迎えてあげるくらいしかない。


「まあ、結城さんのしたいようにすればいいよ」

「うん! かなたんが虐められて職員室にいられなくなっても、私達はいつでもここで待っているからね!」

「神谷くん……。紅葉さんはちょっとおかしいです」


 全くあり得ない未来というわけでもないから、余計に怖い。


「たかが部活辞めるくらいでこんだけ話が大きくなるとか、マジかよ。『朝日、部活やめるってよ』ってタイトルで本出せば売れんじゃね?」

「それどこかで聞いたかも……」


 珍しい神谷のジョークに気持ちが軽くなるのを感じた。明らかに気を遣ってもらった。年下の学生にフォローされるとか、少し情けない。


「にしても、森崎のやつ遅いな。もう来てもいい時間なのによ」

「……そうですね」


 もう一人の常連、楓の姿は夏休みが明けてからまだ見ていない。いつもなら最終下校時間までここに居座っているのに……。


「なにか、あったんでしょうか?」



 二学期が始まってから初のバドミントン部の活動。大樹は憂鬱とした気分で着替えを終え、体育館に向かった。だがそこで彼は足を止めた。


 薄く開いた扉から誰かの怒声が聞こえる。大樹は床を蹴って体育館へ飛び込んだ。


 声を荒げているのは咲夜だった。彼女に相対しているのは、なんと月夜だった。どうして月夜がここにいるのだろう。しかも制服姿で。もしかして部活に戻ってきてくれるのか――そんな甘い考えを大樹は切り捨てた。もしそうならこんな事態になってないはずだ。


「芝崎さん、これは……」


 大樹はすぐ傍にいた芝崎和也に尋ねた。芝崎は二年生で大樹の先輩だ。バドミントンの経験は浅いながらも、そのポテンシャルを活かし一軍レギュラーに選ばれている。芝崎はうんざりした様子で答えてくれた。


「別に。朝日が急にやってきて咲夜に部活辞めるっつったら、ああなったんだよ」

「なんで止めないんですか」

「そのへんはもうやったよ。けど咲夜が喚き散らして俺らの言うことなんか聞きやしねえ。飽きるまでやらせればいいだろあんなの。女同士の喧嘩なんて放置しておくのが一番だし」


 完璧に傍観のスタンスを固めつつある。大樹は周囲を見渡した。ギャラリーの反応は二種類に分けられる。一方は咲夜に怯えながら不安そうに成り行きを見守り、もう一方は面白がって動画や写真を撮っていた。そっちの連中には苛立ちしか覚えなかった。

 蒼斗はどうやらまだ来ていないようだ。彼が来てくれたならこの状況も収拾がつくはずなのに……。


 そのとき、誰かがやってきたのが視界の端に見えた。一瞬、蒼斗が来たのだと安堵しかけたが、すぐに笑みが引っ込んだ。入ってきたのは大樹と同じ一年生の大神だった。彼は月夜と咲夜の方を一瞥したが、すぐに興味を失ったように荷物を置くと準備運動を始めた。


「いやいやいや」


 大樹は大神のもとへ駆け寄った。


「何してんだよ、止めるの手伝ってくれよ」

「……は? 何を」

「二人の喧嘩をだよ。やばそうじゃん」

「くだらねえ。関係ねえだろ」


 大神も、彼女らへの対応は芝崎と似たようなものか。大樹は溜息を吐いて渦中の二人に視線を向けた。


「なんでそれで部活辞めるって話になんだよ!」

「もう部活に拘る必要もない。得るものがないから」

「調子乗んなよ朝日! 最近のお前は自分勝手過ぎるんだよ!」


 周りの視線など気にせずに咲夜は大声を張り上げる。月夜は聞くに堪えないとばかりに目を逸らす。そんな態度が咲夜の怒りに油を注いでいた。今にも飛び掛かりそうな雰囲気だ。そんな愚は犯さないとは思うが、大事に至る前に止めるべきだろう。


「先輩たち、ちょっと落ち着いて――」


 その大樹の声は校内放送のアナウンスが掻き消す。


 ――篠原大樹。一年A組の篠原大樹。今すぐ職員室に来なさい


 突然自分の名前を読み上げられたことに大樹は驚愕を隠せなかった。しかも放送した人物の声音に若干の怒りが含まれていたような気がする。何か問題になるような行動をしただろうか。夏休みの宿題は間違いなく全てやり遂げて(答え見て)提出したはずだ。


 刹那、月夜と目が合った。心配げにこちらを見ている。


 今、職員室になんか行ってる場合じゃない……しかし幸か不幸か、今の放送のおかげで二人の興味が大樹に向いた。険悪なことに変わりないがそれでもさっきよりはマシだ。大樹はおそるおそる、咲夜に言った。


「なんか呼ばれてるみたいなんで、ちょっと行ってきます」

「ああ、わかった」


 体育館を出て、階段を駆け上がる。走ってきたから職員室まで時間はかからなかった。中に入ると大樹の担任が手招きをしていた。担任の席までやってくると意外な人物がそこにいた。


「楓? 何でいるの? 何やらかしたの?」

「毎回私がやらかすと思うな。それと大樹も一緒だからな?」

「どういうことだよ?」

「君たち二人とも自覚なかったのー?」


 担任が額に青筋を立てているのを確認し、大樹と楓は口を噤む。ガチで怒っている大人の反応だった。けれど心当たりがまるでない。不安が胸の中で膨らんでいく。大樹たちは担任の言葉を待った。


「君たち文化祭実行委員でしょ? なんで来ないのさ、委員会は今日からなのに」


 楓と二人で顔を見合わせた。言われてもなお、二人に自覚などなかった。


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