「アレックス・パーカーだよ」
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暦は五月に入り照りつける日差しは次第に強まっていた。
大樹を含め、全校生徒が実行委員会から今日の注意事項などの連絡を聞いていた。だが本当に耳を傾けているのは一部の人間だけで、大多数の生徒は背中に滲んでくる汗の不快感に耐えつつ早く話が終わるのを待っていた。ちなみに大樹は後者だ。
ようやく蒸し暑さから解放された生徒たちは冷水器、もしくは自分の水筒のもとへと向かっていく。……まだ何の競技も行われていないというのに。
大樹は自分の競技のタイムテーブルを確認した。
早々に出番があるらしい。自分のクラスが第二試合のところに書かれていた。
時間が刻一刻と近づいていくほどに、微かに高揚感と緊張感が大樹の胸の中で渦巻いた。この感覚はバドミントンをやっていたころ以来だ。試合の直前になると練習の成果が出せるかどうか不安になったものである。
(……いいや、大丈夫だ)
前回とは技術が違う。それだけは確信できるほどに上達した自信がある。
そんな感じで大樹が物思いに耽っている間に既に試合の時間はもうすぐそこまで迫っていた。大樹はグラウンドへと向かっていった。
月夜は第一体育館で試合の準備をしていた。
ほぼ全種目に出場する彼女の初陣はバスケだった。大樹と練習した競技の成果が真っ先に試されるというのは、少しばかし運命を感じるのだが……絶対口には出さない。似合わないとか言われそうだから。
「朝日さん、朝日さん!!」
ドタドタと足音を立てて、月夜に駆け寄ってきたのは翠だった。彼女も月夜と同じくバスケに出ることを決めていた。
「どうしたの」
「見てよ、これ!!」
月夜の眼前に突き付けられたのは一枚の紙だった。……近すぎてよく見えない。月夜は後ろに数歩下がりその用紙を見つめた。
「これ……オーダーね」
トーナメント方式でバスケの試合は行われる。全部で32チームあるため、5回勝てば優勝だ。
「何かおかしい?」
「ここ、ここ!!」
翠が人差し指で一回目の対戦相手のクラスを示した。
「これが?」
「ここのクラス、確かアメリカからの留学生がいるクラス!! しかもめっちゃ背高いの!! いきなりやばいところと当たっちゃったよ~」
へなへなと凭れ掛かろうとした翠を躱し、相手チームに目をやる。どうやら肝心の留学生はまだ来ていないようだった。
「そういえば、天野さん。身長低いの、悩んでなかった?」
「今それ言わないでよ~。いや、ミニバスやってから、できるかなって。あ、それと朝日さんと一緒の競技に出たくってさ~」
翠の無邪気な笑顔に、同性なのに一瞬どきりとした。
こういうフランクな態度だからクラスでの人望が厚くなるのだろうか。羨ましい……自分には難しいことだ。
そのとき例の留学生だと思われる生徒が体育館に現れた。
明るいブロンドに適度に焼けた健康的な肌、身長は……聞いていた通り確かに高そうだ。そして何より人目を惹くのは――
「お、大きい……」
隣の翠から感嘆の声が漏れる。
……断っておくが、身長のことではない。女性らしさの象徴である……胸の膨らみだ。彼女のそれを見て――自分のそれを見て――月夜は肩を落として珍しく感情を露わにした。
ポン、と翠に背中を叩かれる。
「気にしちゃダメだよ」
いえ、別に気にしているわけでは――そう言おうとしたができなかった。やっぱり意識してしまうからだ。
全員が揃ったことにより集合がかかる。こうして整列してみるとやっぱり彼女は高い。おそらく180はある。月夜も女子の中では高い方だが彼女とは随分と体格差がある。
キャプテン同士ということで彼女と握手をしてから試合となる。
「アレックス・パーカーだよ。よろしく」
とても流暢な日本語だった。留学生ということは当然のことながら英語をマスターしているはずだから二か国語を操れるのか。
「朝日月夜です」
ただ一言、名前だけ名乗ってそれで終わりにするはずだった。
「? 朝日……月……夜……」
ふっ、とアレックスは鼻で笑った。
「おもしろい名前だね」
その言葉を放った瞬間、アレックスの顔が苦悶に歪んだ。月夜がアレックスの手を握り潰さんばかりに力を加えていたからだ。
月夜の表情は、また珍しいことに笑顔だった。ただしその笑顔からは人を安心させたり親近感を与えたりものではなかった。
端的に表すと『黒い』。
「じゃあ」
月夜が手を放し、アレックスはやっと苦痛から解放されて安堵した。アレックスは手をさすりながら相手チームに戻っていった。
「朝日さん、笑ってたね。何話してたの?」
翠が少し驚いたようにそう聞いてきたが、いつものように月夜は淡々とした態度をとる。
「別に」
「…………うん?」
翠が首を傾げる。月夜がこういう返事をすることには慣れていたのだが、今の言葉にはいつもと違うニュアンスが含まれていたような……ちょっと怖い。
ジャンプボールが始まる。月夜のチームでは月夜が一番高いため彼女が選出されたが、相手はもちろんアレックスだった。このボールは必ずとられる。
「あー、もしかしてあたし、変なこと言っちゃったかな?」
目の前のアレックスが申し訳なさそうに、頬を掻いた。そのしおらしい仕草に月夜もさっきのことは失礼だったと諭された。
「気にしないで」
「いや、でも……」
「私、自分の名前が好きじゃないの」
月夜が自分の名前が漢字でどう書かれるかを知ったのは小学生のときだった。
朝日に月夜……見事に対極だった。この名前のせいで新しく担任になる学校の先生やクラスメイトからは、さっきのアレックスのように『おもしろい』と笑われる。
両親も両親だ。何故朝日という苗字なのに月夜という名前をつけたのか。一言文句を言ってやりたいものだが、そんな親不孝まがいなことは今更する気になれない。
(そういえば……)
大樹はそんなこと言わなかった。初めて出会ったときの自己紹介で名乗ったときのことである。
「篠原大樹です!! バドミントンは未経験ですが、精一杯頑張りますのでよろしくお願いします!!」
「私は……あ、あさひ……つくよ、です……」
「はい?」
「……、朝日月夜です!!」
「朝日…月夜……、さん」
大樹は口の中で数回、今しがた聞いた名前を反芻させて……そして微笑を浮かべた。
「綺麗ですね」
「えっ?」
「朝の太陽と夜の月……どちらも綺麗じゃないですか」
………なんだか顔が熱くなりそうだ。やめよう。彼のことを考えるのは。
「そ、そうなんだ。よかった、あたしが何か怒らせるようなことを言ったんじゃないかと思って」
ほら、まだ日本語に慣れてなくて、とアレックスは苦笑してみせた。
審判がバスケットボールを高く放り投げた。二人は跳躍し、ボールに手を伸ばす。
「訂正するわ」
「うん?」
「私……自分の名前が好きよ」




