「私は現在進行形でリア充」
ちゃんと睡眠をとることは出来なかった。短く眠ってはすぐに起きてしまうのを何回か繰り返しているうちに、窓から朝日が差し込んできた。おそらく五時くらいだと思う。そろそろ誰かが起き出してもおかしくない。大樹をこの部屋から避難させなければ。
「篠原くん、起きて」
「ん……」
頬をつつく。柔らかくて触り心地が良いが、起きてはくれない。今度は逆に引っ張ってみる。大樹は眉間に皺を寄せて顔を歪めると寝返りを打ってしまう。
「あ……」
やっと体の自由がきくようになったが、ちょっと名残惜しい。寝顔をのぞきこむと、大樹は気持ちよさそうな顔をしていた。彼はまだ夢の世界にいるようだ。
これはもう、眠り姫ならぬ眠り王子をキスで目覚めさせるしかないのではないか。だってこれだけ頑張っても起きてくれないのだから。ここは白雪姫にあやかるとしよう。つまり合法、合法。
瞳を閉じ、唇を突き出してみる。
「センパイ、おはようございます。あの、何をしているんですか?」
「……なんでもないわ。ちっ」
「今、舌打ちしませんでした?」
「まったく」
こんな展開あるか。行為が終わるまで、じっとしていてほしかった。
釈然としない想いのまま、大樹と共に部屋を出る。二人の他に、起きている者はいなかった。抜き足差し足で下の階にやってきた。
「どう?」
「まだ、鍵がかかったままです……」
落胆よりも焦りのニュアンスの方が強く感じられた。六時半からは部活動が開始される。畑を眺めながら、民家があるポイントまでランニングするのだ。合宿の恒例トレーニングだ。
「多分、開始時間までにはみんな起きると思う。だから大丈夫」
「そうですよね」
ほっとした大樹がはにかむ。しかしそれまでどうしたらいいのだろう。月夜だけなら部屋に戻れるが、大樹を一人にしておくつもりなど毛頭ない。この時間ならロビーでくつろげることに思い当たり、月夜たちは一階に移動した。
「え?」
大樹と月夜は立ち止まった。玄関から外に出ようとしている人影を見たからだ。
「結城さん、何してるんですか?」
「きゃあっ!?」
よほど驚いたのか、かなたは足をもつれさせて尻餅をつく。恥ずかしそうに服についたよごれを払い、不貞腐れた口調で呟く。
「篠原くんと朝日さんでしたか……。びっくりしました。まだ活動の時間じゃないですよね? 二人とも早起き。もうみんなも起きてるんですか?」
「いえ、まだ誰も起きていないと思いますよ。先生こそ早いですね」
「ちょっとお散歩でも、と思いまして」
なるほど、そういうことか。月夜が腑に落ちていると、かなたは月夜と大樹を交互に見比べていた。そして満足そうに微笑み浮かべて頷く。
「二人は仲が良いね」
ちょっと焦る。そういえば、かなたも含めあの相談室にいたメンバーには月夜が大樹に好意を持っていることを知られていたのだ。あの時の自分は本当に迂闊だった。もう少し考えてから発言すれば、こんな風にからかわれることもないのに……と、そこで認識を改める。大樹と噂になるのは大歓迎だ。
「せっかくなので、一緒に行きませんか?」
かなたの申し出を受けて、月夜は顎に手を当てた。正直なところ、どっちでもいい。朝の散歩は字面だけ見れば気持ちよさそうだが、夏では今の時間帯でも既に日差しの勢いが強いはずだ。それに、このあたりに特別見るべきものもなく、海くらいしかない。
判断を大樹に任せるために彼の方に視線を向けると、意外なことに目を輝かせていた。
「是非。センパイは?」
「……行く」
断るわけがない。
◇
まだ低い位置にある太陽の光に目を細めながら、浜の方へと向かう。若干暑い上に海からの風が容赦なく三人を襲う。始めは先頭を歩いていたはずのかなたは、今では一番後ろで向かい風に踏ん張りながら一歩ずつ進行する。その内置いていってしまいそうだ。
「なんだかんだで、海を生で見るの初めてかもしれません」
「そうなの?」
月夜は頭を押さえながら長い黒髪をなびかせていた。砂浜に出ると、靴の中に少しずつ砂が入ってきて足が重くなってくる。
「小学生のときの臨海学校には、丁度おたふく風邪にかかったせいで行けなかったんですよね。まあそれも妹のせいですけど」
「たしか、紗季さん?」
大樹が頷く。ゆっくりとしたスキップで自分の足跡を残していく。振り返った大樹はそれらを見て満足そうに笑った。月夜はその軌跡を壊さないように注意しながら大樹の背中を追う。
「センパイはよく来ます?」
「……何回か。クラスの人に付き合って行ったことはあるけど、そんなに良いものじゃなかった」
「え、なんでですか」
「やたら男の人に絡まれる」
「ああ……」
神妙に大樹が呟く。どこへ行っても注目されやすい月夜だが、海やプールなどで肌をさらすと周囲の反応はより顕著になるのだ。誘ってくる男は図々しく、友人と行動を共にするのは困難で、運が悪いと友人が友人『だった』人にカテゴライズし直される。よって、月夜に良い思い出はない。
「リア充も大変なんですね……」
月夜は苦笑した。月夜は自分のことをリア充などと言われると反応に困る。そして今の大樹の発言で春の思い出が蘇ってきた。リア充になりたいという目標はどうやら継続中らしい。
「リア充がそんなにいいの?」
あの日と同じ言葉で問いかける。決してそんなことを聞きたかったわけではないが、大樹はまじまじと月夜の顔を見つめ、やがて頬を綻ばせた。
「そりゃそうですよ。……あのときと、比べると少しだけ近づけた気がするんですけど、センパイから見てどう思います?」
自信がないのか、大樹の言葉は尻すぼみになっていた。リア充云々など月夜の興味の範疇にはないが、可愛い後輩のために元気づけてあげることにした。
「自分のリアルが充実しているか、なんて自分にしか分からない。だから、篠原くんがそう思うならそうだよ」
「えー、なんですかそれ……」
「ちなみに私は現在進行形でリア充」
「えぇ!? センパイ彼氏いたんですか!?」
「………」
振り向いた大樹に、月夜が底冷えするような笑みを浮かべる。
「いくら篠原くんでも……いえ、篠原くんだからこそ怒りたいときもある」
「あ、ええと……?」
「そもそも、彼氏や彼女がいる=リア充だなんて図式は安直。付き合っている人がいたとしても、本当の恋愛をしていないなら意味がない」
「な、なるほど……」
大樹が気圧されたように口を噤む。月夜は呆れた気持ちになった。どうにも、大樹は自分に向けられた好意に鈍い。彼に気持ちを届かせるには、もっと直接的な言葉をぶつけるしかない。
ふと、自分のこの感情はいつ大樹に伝えるべきかを思い悩む。いつか、いつかと考えているうちに長い時間が経ってしまっているなんてことはよくある。特に恋愛なんて、いつの間にか想い人に好きな人が出来ていてもおかしくない。中学のときのような失敗はしたくない。
「今度、私と海にでも行ってみる?」
「え、嫌です」
間髪入れない返答に、ちょっとくじけそうだ。
自惚れていたわけではないが、ここまですげなく断られるとは思っていなかった。月夜が深刻そうな表情で黙り込むと、大樹は慌てた様子を見せた。
「あ、ちょっと待って! 今のは言い方が悪かったです。いえセンパイと行くのが嫌とかではなくて……」
「嫌ではなく?」
「いえ、あの……海とか、なんか恥ずかしいじゃないですか」
「……?」
要領を得ず、じっと月夜は大樹を見返す。
「だって海ってビキニの人たちいっぱいいますよね!? 全く知らない人ならどうとも思わないんですけど、センパイのそういう姿はちょっと……」
つっかえつっかえに言葉を探しながら大樹は顔を俯かせた。
……もしかして、彼は世の中の女性がビキニしか着ないと思っているのではないだろうか。露出を抑えるために、キャミソールのような形で下がショートパンツになっているものもあるし、濡れてもよい長袖のパーカーを用意することだってある。しかし、海に行ったことのない男子なら、女子の水着の種類に疎くて当然と言える。
「みんながみんな、大胆な格好をするわけじゃないから安心して。……私もそんな感じ」
「あ、ああ、そうなんですか……。それはそれで残念なような」
あー、もう。
そんな顔をしながらそんなことを言わないでほしい。気分が昂ぶってくる。本当に幸せな心地だ。こういう感情をもたらしてくれるのは大樹以外にいない。もういっそこの場で告白してしまうのもアリだ。
「二人ともー! 写真撮りませんか~!?」
後ろの方から、かなたが声を張り上げてくる。大樹と月夜は歩みを止めた。とてとてと駆け寄ってきたかなたは、スマートフォンを構えて二人を撮影したが彼女が撮る写真はとことんブレていたために何度もやり直す破目になった。その分、ずっと大樹の隣にいられたから、ファインプレーではあるが。
「……後で送ってあげますね?」
こっそりと耳打ちするかなたに、月夜は親指を立てる。その写真はロック画面に設定させてもらおう。
少し先を進む大樹の後ろ姿を見て、月夜は決心する。
この夏、大樹に告白しよう。




