「鍵かかってない?」
久々にお気に入り増えたのが嬉しい。更新頑張りたい。
汗だくになりながら学校に着く。蒼斗の点呼確認で人数が全員揃ったことが分かると、部室からネットやノック用のシャトルを運び、部員の荷物と一緒にトランクに乗せた。
バスは一台であり、席も男女で別になっているわけではなかったが、先に上級生たちを座らせてから一年生が乗り込む。これぞ体育会系クオリティ。
「……の、はずなのにどうしてセンパイが隣にいるのでしょう」
「私は好きなところに座っただけ」
「こんな周囲に一男しかいないところに? しかも通路側で? 交換しましょうか」
反対側の席の男子がさっきからチラチラと月夜を盗み見ている。鬱陶しいので月夜を窓側に追いやる。周囲から恨みがましい視線が送られた。さっきより居心地が悪くなってしまったのは、まあ、気にしないようにしたい。
「ありがとう、優しい」
「そうでもないですよ」
バスが走り出すと、車内が騒がしくなった。持ってきたトランプで大富豪をしたり、スマートフォンを回して人狼ゲームをしたり、おもいおもいに過ごしている。これが修学旅行なら多少注意が入るのだろうか、部活の合宿、しかも監督は結城かなただ。案の定、前の方でそわそわしている。
「篠原くんは、何かして遊ばないの?」
「いえ、なんというか、疲れているのでそういう気分にはならないんですよね」
「夜更かしでもした?」
「いえ、妹と母が心配で。五日も家を離れるとなると、自分で言うのも何ですが一大事ですので」
「……? それってそんなに大変なこと?」
月夜の疑問はもっともなので、大樹はその謎を紐解くことにした。父は大阪で働いていること、母はお嬢様気質で家事が出来ないこと、妹は今年受験生であること。月夜は何度も頷いて興味深そうに大樹の話を聞いていた。時折メモを取ろうとしていたので、それは止めさせた。
「そんなに面白いですか? 俺の話」
「とても実のある話だと思う。お義父さんとお義母さんと、それから義妹さんのことだから。色々知っておきたいわ」
「あ、あー、そうですか。……なんか今ニュアンスおかしかったような」
話し終えてから気付いたが、これまで月夜と過ごした中で家族のことを話題にしたことはなかった。すぐに大樹には原因が思い当たった。なんてことはない、月夜に限らずどんな相手にも、自分の家庭環境を知られたくなかったのだ。
正確には、そんなことで悩みを抱えていると思われたくなかった。
自分の家族が、周囲のそれとは違っているのはすぐに気が付いた。小学生くらいまでは、父もよく自宅に出入りしていたし何よりお手伝いさんもいた。だが、大樹が中学生になった頃、状況が少し変わった。父が転勤で東京を離れなければならなくなり、さらには長年篠原の家で働いてきたお手伝いさんも、年齢で仕事をやめてしまった。
こうなると、必然的に家の雑事は全て大樹に降りかかってきた。まだ中学生で遊びや部活に夢中だった大樹にとっては、家のことで時間を奪われるのはストレスになっていた。なんで俺がこんなことをしなければいけないのだ、不満と不平は父親にぶつけて少しでも苛立ちを抑えようとしていたのを覚えている。
しかし、ここで腐らず耐えることが出来たのは、朝日月夜という人間に出会ってしまったからだと思う。
自らを追い込んでまで『努力』する彼女を見ていると、自分がどれだけ小さい人間かと思い知らされる。少なくとも、この人にだけは弱いところを見せたくはなかった。『疲れている』アピールと『寝ていない』アピールは格好悪いとどこかで聞いた。どれだけの苦難でも、大樹は折れなかった。
現在になってやっと折り合いをつけたのだ。昔では考えられなかったなと大樹は顔を綻ばせた。
「でも、篠原くんがここにいるってことは、事情はなんとか改善されたということ?」
「いえいえ、あの二人が何も出来ないのは今でもそうですよ。仕方ないので、楓に全部任せてしまいました」
「え」
月夜が引きつった顔で固まった。ふと眠気が訪れたので大樹はそれに身を預けることにした。隣の月夜が「ねえ篠原くん、その話詳しく」とか「寝たフリよね?」とか言っていた気がするが、きっと夢の中での発言だろう。
◇
車内が騒々しくなったことで大樹は目を覚ました。まだ眠気が完全に拭えていない状態だったが、窓から射す太陽の光の眩しさに目を灼かれて強制的に覚醒した。寝起きの気分は悪かったが、すぐに大樹は目を輝かせた。目の前に海が広がっている。九十九里浜の近くだと聞いていたが、本当にすぐ近くだったのか。
慌ただしく部員たちがバスを降りていく。大樹もそれについていった。それにしても本当に暑い。日本は今がまさに夏真っ盛りなのだ。屋外スポーツでなくてよかったと言いたいところだが、バドミントンにおいてはその恩恵は意味がないかもしれない。
ホテルから迎えに来てくれた方たちを前に、部員たちが綺麗な列を作る。蒼斗と咲夜が代表して挨拶の号令をかけた。いよいよ合宿が始まる。今更ながら緊張してくる。
「篠原くん……後で話をしましょう」
「え? ああ、はい」
一旦自分たちの部屋に荷物を置こうと部員が移動を始めたとき、月夜がぼそりとそう言った。彼女はすたすたとホテルに姿を消してしまう。
そんなに家族の話を聞きたいのだろうか。
替えの練習着とラケット、水筒を持ち体育館へ向かう。鍵をかなたから預かっており、先に準備してほしいとのことだった。
「うっわ」
足を踏み入れた瞬間襲いかかってくる熱気。窓を全て閉めていたために、体育館の内部がサウナみたいな状態になっている。とりあえず換気をしておくが、すぐに再び閉めなければならなくなるのは目に見えていた。
「おー、すごい暑いね」
声に振り返ると、見知った二人が立っていた。もう来ていたとは。大樹は自然と表情を和らげた。
「なんだかお久しぶりですね。相馬さん。それに部長も」
「部長って呼ばないで。姫川さんと言いなさい」
相馬遥斗と姫川真琴もこの合宿に参加することになっていた。というか、この二人がメインで指導する。さらに上の代の先輩たちは大学生であり、到着は二日目以降がほとんどだ。練習メンバーの顔ぶれだけは引退前と同じ光景になりそうだ。
ほどなくして部員の全員が集まる。悪魔でさえも泣き叫ぶような練習が始まった。
◇
死ぬ。死んでしまう。というか死にたい。
今までの練習は一体何だったのだろう。
まずフットワークの量からして段違いだ。普段は多くの部員に対し三つのコートしかないから練習量が少なくなってしまうが、今回の体育館は八つもあるから全員が充分にフットワークを行える。それを考慮しても長い。コートの端にシャトルを置き、再び拾って元の位置に戻す作業が終わらない。一年生の中には既に脱落者が出ており、かなたが介抱に追われていた。
次に待っていたのはノックだ。ようやくラケットを持てたが、それはさらなる地獄の始まりに過ぎなかった。姫川や相馬、現役からは月夜と蒼斗がノッカーとしてシャトルを打ち上げる。初心者や高校始めの二年生はただ向こうのコートに返すだけでいいのだが、大樹のような経験者はその限りではない。指示された場所に的確に狙って落とさなければならない。疲れてくるとハイクリアを打つだけでもしんどい。一度、上を見上げたときにシャトルが三つ浮いていたのは見間違いかと疑ったが、ちゃんと全て落ちてきた。
今度は外に連れていかれ、畑のすぐ近くを連続ダッシュ。中での練習に比べて楽に感じたのはきっと暑さが和らいだおかげだろう。バドミントンは屋内スポーツだが、風でシャトルの軌道がずれてしまうのを避けるために練習中は全ての窓を閉めている。外は直射日光があるとはいえ、走っていれば風を感じるので涼しくて気持ちがいい。
バドミントンの練習をつらいと感じたことがないとは言わないが、本当の意味で過酷さを知った気がする。高校生の練習はやはり違う。今日は午後の練習だけで良かった。明日からは午前も午後もバドミントン漬けの一日になる。
夕食を済ませてロビーの傍を通り過ぎるとき、ソファに腰かけている姫川と相馬を見つけた。相変わらず仲が良いなと微笑ましく思っていると、何やら二人は深刻そうな顔をしていた。どうしたのだろう。
「はい、はい……。分かりました。それでは、こちらでなんとかしてみます」
姫川が電話を切ったタイミングで、大樹が言葉をかける。
「何かあったんですか?」
「あ、篠原くん、やっほー」
一瞬前の暗い表情から一転、相馬が軽い調子で答える。この変わり身の早さはすごいと思う。
「いやあ、困ったよ。明日来る予定だった先輩たちが来れなくなっちゃってさ。明日のメニューどうしようかなって思って」
「ああ……なるほど。でも、相馬さんと姫川さんがいるなら大丈夫なんじゃ?」
「ところがどっこい、真琴、明日で帰らなくちゃいけないんだって」
「え」
そんな話は全く聞いていない。姫川に目で問いかけてみると、バツが悪そうに顔を背けながら小さい声で言う。
「真琴って呼ぶな……」
溜息をついて、姫川がこちらに視線を送る。
「もともと、明日の朝早くに出て帰省する予定だったの。まさかこんなことになるとは思ってなくて……」
「となると、実質僕が面倒を見ることになるけど、どうしようかなー。今日はみんな倒れちゃったし、少し軽めにして――」
「それは駄目」
相馬の提案を即座に跳ねかえす姫川。ああ、今日のメニュー考えたのもきっとこの人だろうな。えげつなさが半端なくて、それでいて実にためになる練習が多かった。
「ま、まあそれはともかく、やっぱり指導者の数が少ないのがいけないよね。僕一人だと見られないし。現役から何人か引っ張ってこようかな。……お、朝日さーん!」
相馬が手を振った先に朝日月夜の姿があった。練習着姿だった。体育館は九時まで開放されているため、夜練も自由参加で可能なのだ。きっと体育館に向かおうとしていたのだろう。
「はい。なんですか」
「明日で真琴が帰るから、朝日さん、指導役に回ってくれないかな。OBの先輩たちが来るまででいいから」
月夜が教えるのだとしたら、今の藍咲バドミントン部にこれ以上の適任はいない。月夜は天才型ではなく、地道な反復練習を経て基礎を身に付けた。基本に忠実である彼女なら、誰かに指南するのは容易だろう。
しかし月夜はそんなことをしないはずだ。そんな暇があるなら自分の力を高めようとする。最大限を尽くし、己を強くすることを考えるのが朝日月夜だ。
そういう幻想を抱いていた。
「私で良ければ、いいですよ」
その一言が、いまいち理解出来なかった。大樹と姫川は絶句しながら月夜を見やる。言い出しっぺの相馬でさえ、この反応は想定外だったはずだ。言葉に詰まりながら、再度尋ねる。
「え? あの、本当にいいの? 今日の僕達みたく、ずっとノックを打ち上げて指示飛ばすから、自分の練習時間とか皆無だよ?」
「誰かに教えるのは、結果的に自分の成長にも繋がると思いますよ。勉強でもそうでしょう?」
「朝日さんが言うと説得力が違うなー」
感心したように相馬が言った。
「駄目よ!」
唐突に姫川が立ち上がった。
「現役にそんなことさせられない。あなたは自分のことに集中するべきでしょ」
「でも真琴、それならどうするの? まさか僕に全部押し付けないよね?」
「そんなことしない。……正午までならここに残れると思う。それから、なんとか先輩たちに明日の午後までに着くように頼むし、あと……」
早口でまくし立てる姫川は必死だった。相馬にはそんな姫川が不思議に見えたのかもしれない。だが、大樹にはなんとなく察しがついていた。大樹も援護に入ろうとしたとき、月夜は全てを断ち切った。
「姫川さん」
優しい声音なのに、彼女には有無を言わせない迫力があった。
「私がそうしたいんです」
それ以上、姫川は何も言わなかった。ただ俯き、唇を噛んでいた。
「そうなると、練習メニューを考えなくてはいけないですね。部屋に戻ります」
月夜がくるりと踵を返す。その足取りに迷いはない。後ろ姿が遠くなっていく。
違う。こんなの、あり得ない。
違和感はずっと、あった。誰よりも早くそれに気付いていた自信があったのに、俺は結局何も出来なかった。姫川からだって注意するように言われていたのに。目を逸らしていたかった。認めたくなかった。その事実を。
朝日月夜はもう、バドミントンに興味をなくしている。
思い出されるのは、中学時代の練習風景だった。もうみんなが帰ってしまった後で、大樹と月夜だけが残っている。中学生の大樹は、体力の限界を迎えても、それでもシャトルに向かっていく。あの頃は、何も考えずに走ることしか能がなかった。
「センパイ!」
月夜が振り返った。どうしたのかと、目で問うてくる。
大樹は無理に作った笑顔を向けた。
「せっかくそんな格好してるんですから、ちょっとだけ打ちませんか。俺、体育館に道具置きっぱなしですし」
それでも、繋ぎ止めていたい。俺はこの人とバドミントンがしたい。
「姫川さんも、明日で帰るなら今夜は付き合ってくださいよ。ほら、置き土産的な?」
姫川はようやく我に返ったのか、相馬の腕を掴む。
「いいアイディアと根性だよ篠原くん。少し待ってなさい。ほら、相馬くんも準備して」
「あ、僕もなんだ……。ま、いいけどね」
月夜は渋るような表情だ。
「でもメニュー……」
「そんなの、後でみんなで考えればいいですよ! ほらセンパイ早く!」
月夜の傍まで駆け寄って、その手を引く。びっくりして怒ったのか、顔を赤くしている。
まだやり直しは効くだろうか。こんな悪あがきで、心を動かせるだろうか。それしか今の大樹に出来ることはない。
それはただの時間稼ぎにしかならないのかもしれないが。
◇
明日の練習メニューが決まる頃には、もう日付が変わろうとしていた。
かなたの部屋を借りて、三年メンバーと大樹と月夜はそれぞれの案を出していった。ようやく、形になったと思う。メニューを考えるのは、こんなに難しいことだったのか。
「さあ、みなさん、明日も早いんですからね? そろそろお部屋に戻ってください」
かなたに半ば追い出される形で四人は廊下に出た。それぞれ自分の部屋に戻っていく。
明日のことも心配だったが、もう少し自分の体を気遣う必要がありそうだ。全く頭が働いていない。今日はすぐ寝れそうだ。
大樹は自分の部屋の前まで戻ってきた。同室になった大神には、事情を話している。「なんでお前がそんなことするんだ?」と疑問に思っていたが。
ドアノブを捻る。そこで大樹は違和感を覚える。ガチャガチャと数回動かしてみるが、やはり回らない。
「これ、鍵かかってない……?」




