「合宿って辛いんですか?」
姫川や相馬が引退し、新しい体制がようやく整った七月末のことである。藍咲学園バドミントン部の面々は会議室に集結していた。徐々に本格的な暑さの夏を迎えようとしている中、この人数で一つの部屋に閉じ込められるというのは結構耐え難い苦痛である。
黒板前で音頭を取るのは新部長の神谷蒼斗だ。夏の大会で足を怪我し、部活をしばらく休んでいたため、その姿を見たのは久しぶりだ。兄の隼人と違い、不真面目なところはあまり見せずに淡々と連絡を済ませていく。
「配ったプリントの通りだ。日程は八月の一日から五日まで。場所は千葉にある聖天光というホテル。九十九里浜の目の前だな。宿泊はここで、活動はホテルが管理している体育館を使うことになる。持ち物は多いので省略。費用は今日、結城先生に渡すこと。以上」
解散を告げた途端、部員たちは一斉にかなたへ押し寄せる。封筒を開け、中の諭吉を数え、部員の名前をメモしていく。四十人近い人数にもみくちゃにされるかなたを助けようと大樹が手伝っていた。
「あ、お金は触っちゃ駄目ですよ!」
「別に取りませんってば……。じゃあ名前チェックしていくんで、お札数えてください」
「はい!」
後輩に仕事を押し付けてはいけないだろう。月夜もさりげなく助けになろうとした。だが月夜が部員たちを誘導しようとすると、それまで騒然としていた男子たちが綺麗な列を作り静かに自分の順番を待つ。後の作業はスムーズに運んでいったが、全然さりげなくはなかった。かなたと大樹が目を丸くしている。
全員の合宿費の徴収を終えると、残っていたのは蒼斗、大樹、月夜、咲夜、かなたの五名のみだった。
「手伝ってくれてありがとう、二人とも。それじゃあ部長と副部長さんはお話がありますので相談室まで行きましょうか」
「はい」
「相談室とか行ったことねえな……」
三人が部屋を後にしていく。大樹は去っていった彼らの姿をじっと見つめていた。何を考えているのだろうと月夜は疑問だった。ここ数日、部活に参加している大樹は普段らしくなかった。バドミントンのこと以外に他のことを気にかけているように見える。彼が自分を捉えるその瞳は不安げで、向けられる笑みがどこかぎこちない。この間、相談室メンバーで遊びにいったときはそんなことはなかったのに……。
大樹は月夜へ向き直った。
「助かりました、センパイ」
「これくらい、なんでもないから」
「せっかくなので一緒に帰りましょうよ」
「……うん」
部活終わりに一緒に帰るのは久しぶりで、胸が高鳴った。先ほどの疑問など、どこかに飛んでいってしまった。
通常より一か月ほど遅れてバドミントン部に入った大樹だったが、今では他の部員たちと仲良くしている姿が見られる。部活に馴染んだのならそれは月夜にとって好ましいことだが、同性は同性同士で行動するのが、世の中のデフォルトだ。そのため大樹と過ごす時間は少なくなってしまうのが、残念で仕方ない。
ラケットバッグを背負って駅へ向かい、電車に乗る。運よく空席があったので、二人でそこに腰かけることが出来た。
「合宿ってどれくらい辛いんですか?」
若干顔を引きつらせながら、大樹がたずねてきた。そんな姿に月夜は苦笑した。
「やっぱり普段の練習よりは大変。メニューが濃密で休む暇がないと思う。立てなくなるまでフットワークもするし、蒸し風呂みたいな体育館に一日中いる破目になる」
「マジですか……。ゲーム機持っていこうとしている人たちがいるみたいなんですけど」
「バドミントンのことしか考えられないわ」
「でもちょっと楽しみでもあるんですよね。合宿とか。修学旅行とかとはやっぱり違う感じでしょうし」
「そうね」
「それに、相馬さんと姫川さんも来ますよね」
「……ええ」
夏合宿には藍咲のOB、OGがやってくるのがこの行事の恒例だった。今年も卒業生たちが何人か来る予定だし、引退した姫川たちも参加する。一年生の指導が行き届いていない現状、きっと実のある練習が出来るはずだ。
「頑張りましょうね?」
月夜の顔をのぞきこむようにして大樹が言った。急に距離が縮まったことで、一瞬動揺しかけた。だが、大樹の寂しそうな表情で冷静さを取り戻す。合宿の過酷さを気にかけているわけではないだろう。
「……うん」
だが、踏み込んで問いかけるのを躊躇ってしまい、そんなことしか言えなかった。
私は一体、何をしているのだろう。
◇
「それでは合宿に行ってきます」
「嫌です」
「母さんのことを任せたぞ」
「無理です」
「それじゃあ、いってきます」
「いってらっしゃいなんて言えないよぉぉおおおおお!!」
篠原家の玄関で、大樹の妹である紗季は、兄の外出をなんとか阻止しようとしていた。大樹が部活の合宿で家を空けるのを聞いたのはわずかに二日前。紗季にとっては青天の霹靂であり、心の準備が全く出来ていなかった。
一般家庭なら、一人の高校生が数日家にいないくらい何の問題もないだろう。だが篠原家ではその限りではない。五日間、紗季は受験生という立場でありながら母親の面倒も見なければならないのだ。荷が重い。
「お兄ちゃん知ってるでしょ!? あたしもお母さんも、生活能力ゼロだよ!? 合宿から帰ってきたら覚悟しておいて、ゴミ屋敷になってるから! 最悪二人とも死んでいるかもね!」
ヤケクソ気味に紗季が叫ぶ。実際、そんな可能性の未来があり得てしまうのが怖い。
困ったときは父親が頼りになるところだが、今回は本当に忙しいらしい。以前は大事な会議をサボらせてしまったから、あまり強くは言えない。父には仕事を頑張ってもらわねば。
「まあ、安心しろよ。手は打ってある」
「手を打つの? こう?」
紗季は両手を二回叩いて頭を少し下げた。
いや、別に神社に神頼みとか行った覚えはないのだが……。いくら慈悲深い神といえども、あの母親と紗季の二人を助けられないと思う。俺の家族半端ねえ(動揺)。
そうなるとこれから来るあいつは神に勝る存在になってしまう。俺のクラスメイト半端ねえ(戦慄)。
バカなことを考えていると、インターホンが鳴る。モニターの向こうの人物が軽く手を挙げてウィンクしてきた。眩しい。なんでそんな楽しそうなんだ。
少し時間を置いてから再びインターホンが鳴る。今度はドア前のものだ。
「森崎楓、参上! 今日から私が死ぬその時まで、お世話になりまーす」
「ん、五日間だけな。どうか俺の家族をよろしく頼む」
父親への救助依頼を断られ、焦った大樹は最終的に楓に泣きついた。こういうことを頼めるほど親しく、また家に招いても抵抗のない女子となると、楓くらいしか思いつかなかった。正直、了承されないと思っていたのだが意外なことに二つ返事で受け入れてくれた。
「大樹の家って金持ちだったんだね。親は何やってんの?」
「んー、父親は大阪で銀行に勤めているけど、本当に金持ちなのは母親の実家の方。正直広すぎて手に余る」
「贅沢な悩みだな」
楓との会話に花を咲かせていると、腕をぐいぐいと引かれる。紗季が渋い顔で見上げてくる。
「ねえ、この人誰?」
「俺のクラスメイトだよ。変なところもあるけど、まあ安心していいよ。俺がいない間は代わりにこいつがいてくれるから」
「聞こえてんだよ、誰が変だって? こっちは徹夜のゲーム明けで超眠いのに朝早くから来てやってんだ。わかったら、ふかふかのソファで寝せてくれ」
「ゲーム云々は関係ねえだろ……」
夜型人間だとは予想していたが、問題なく朝にやってきてくれたことは素直に感心する。
「……って紗季、どうした」
ふと横を見ると、紗季が不満そうに頬を膨らませた。
「なんか仲良さそう」
「まあ、それなりには」
「月夜さんに言いつけてやるから」
「ちょ、待って、何言ってんの? 今センパイ関係ないでしょ」
なんでいきなりそんな話になるのだろう。バカ妹の思考回路は複雑怪奇だとは思っていたが、今回ばかりは本当に意味が分からない。
「な? 楓?」
「んー、大樹、いっぺん死んできたら?」
「なぜ!?」
楓が上がり込むと、紗季はびくりと体を震わせて大樹の後ろに隠れた。大樹ほどではないが、紗季もどちらかと言えば学校では内向的だとよく聞く。その分、一度心を開くとべったりと相手に甘えてしまう性格だ。果たして楓との相性はいいのだろうか。気まずい五日間にしてほしくはないが……。
「紗季ちゃん、はじめまして。森崎楓です」
「あ、えっと……篠原紗季です。十四歳です」
消え入りそうな声で話す紗季を見て、楓は微笑した。
「何この子すごく可愛い……大樹に似ないで顔もきれいだし」
「それな。一瞬カチンときたけど、まあ妹への褒め言葉は素直に嬉しい」
紗季は顔を真っ赤にして部屋に戻ってしまった。逃げたとしても、どうせしばらく顔を合わせ続けなければいけないというのに……。
「まあ、なんだ。色々大変だと思うが、どうか頼む」
「こんな良いところに泊まれてむしろラッキーだよ。着替えとかも持ってきたし」
ずっと気になっていたのだが、楓は大きなリュックを背負っていた。
「お前、まさか五日間ずっとここに泊まる気なのか」
「なあに? 嫌なの? そっちが頼んだくせに」
「そうだけど……。いや、ほら、親とか心配しないの」
「大丈夫、大丈夫。友達の家に遊びに行くって言ったし」
「ふうん」
「それより時間平気?」
時計を見ると、もう集合時間が迫っていた。そろそろ出なければ。
「家にあるものは好きに使っていいから! ゲームとか映画とか!」
「ほほう。それは楽しみ。……あ、男子の家にやってきたイベント処理でベッドの下とか確認した方がいい?」
「や、やめろよそんなとこ見るの! べ、べべ、別にそんなところに何もないけどね!? でも勝手に部屋に入るなよ!? いやマジでお願い」
「必死過ぎだろ……何もしないよ。じゃあ、いってらっしゃい」
「おう! いってきます!」
家を出て、走りながらふと思う。なんだ今のやり取り。本当の家族みたいだ。




