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高校入ったし、とりあえずリア充目指してみる  作者: 雨夜かおる
暇人の退屈しない夏休み編
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「戦争を始めましょう」



 始まりは紗季の悲鳴からだった。

 神谷から勉強を教えてもらった夜を越え、大樹はまだ微睡みの世界で穏やかに過ごしていたがその平穏は騒がしい妹の声によって引き裂かれた。大樹は寝起きにもかかわらず条件反射で跳ね起きると真っ先に紗季の部屋に向かった。ここまでわずか二秒。


「どうした!?」


 部屋に飛び込むと青い顔をした紗季が口をパクパクと動かしていた。あ、うぇ、おにぃ、などと言葉になり損なった音だけが漏れている。


「おい……何があった?」

「ゴキブリ!」


実の妹からいきなり罵倒を受けたものかと大樹は危惧したがそうではなく、単純に今年も奴が現れる季節がやってきたということらしい。


「それくらいで大声出すなよ」

「だ、だって朝起きたら目の前にいたんだよ!? びっくりするでしょ!?」


 確かに。奴と同じ布団で朝を迎えるなど、想像してみると鳥肌が立ち果てしなく気持ち悪い。紗季は何度も自分の腕をさすっている。


「あんな黒く光ってかさかさしててすばしっこくて……ううぅぅうう! マジで気持ち悪い! なんで生きてるの? 世界中から消え去ればいいのに!」


 さすが女子中学生。罵倒のセリフが半端じゃなく恐ろしい。世の中には今のセリフを人間に向けて放つ者もいるからなおのこと恐ろしい。テンションが追いつかない大樹は、一周回った脳みそを回転させて何故奴らが蛇蝎のごとく嫌われているのか真剣に考察しようとして――やっぱりやめた。単純にキモいわ、害虫だし。


「じゃあ、ゴキブリを――」

「その単語を口にしないで!」

「……なら、これより対象をGと称し、現時点をもってターゲットの殲滅作戦を開始する。一般市民はすぐに安全な場所に避難してください」


 妙なテンションを発揮した大樹は、まるで国際指名手配のテロリストの確保を指揮する司令官のような心持ちで紗季に退室を促した。しかし、紗季は部屋を出ようとはせず、ぽかんとした顔で大樹を見上げていた。

 意味が分からず、妹の顔を見返す。早く出て行ってもらわないと処理ができないのだが……。


「なんか今のお兄ちゃんかっこいい……」

「は?」

「私もそれやりたい! ええと……こほん。隊長! 私もぜひその作戦に参加させてください! まずは弾薬を調達して装備を整えましょう。その後、奴らのアジトを占拠、爆撃です!」

「お、おう……?」


 妹が何を言っているのか全く分からなかったが、どうやら自分の一言で紗季に余計なスイッチが入ってしまったようだ。紗季は中学三年生で受験生だ。ついに夏休みとなり、試験まで約半年。現実逃避なのかもしれないと、大樹は妹のノリについていくことを決意した。


「さあ……戦争を始めましょう」



「紗季……最後にターゲットを目撃したのはどこだ?」

「食器棚と冷蔵庫の隙間、約三分前の出来事であります、おに……ミスターD先生」


 作戦を開始するにあたり、大樹はまず隊長という呼び名をやめるように言ったのだが、


「やっぱり無理して難しい呼び方しなくていいよ。ミスターと先生が重なってるから。お前英語の授業でやらかしてないか?」


 紗季は顔を赤くした。実は先日、英語の授業ではないのだが先生のことを『お兄ちゃん』と呼んでしまい大恥をかいてしまった。自宅で兄を使役していた習慣が学校で出てしまったことが原因である。しかしクラスメイトたちはそのことに対して言及してこなかった。きっと気を遣ってくれているに違いない、紗季は良い仲間を持って幸せだと感じた。その日、紗季が存在自体を知らない『篠原紗季を見守る会』というグループのトークが大炎上したのだが、それをわざわざ語る必要はないだろう。


「し、してないよ?」

「………。うん、そう。装備は整えたか? 紗季」

「ここにあります、みす……大樹」

「ミスは女に付けるんだよ、俺は女じゃねえよ」


大樹は紗季から渡された物を見る。


「これ除菌スプレーやん……」


 大樹が愛用しているものだ。『これでどんなよごれも、においも気にならない!』という謳い文句に引きつけられて衝動買いをしてしまってから数年、ずっと使い続けている。時間がないとき、面倒なときなどにとりあえず吹き付けておけば万事を解決してくれるのでこれからも重宝するつもりだが、今はこいつの出番ではない。


「くらえ、隊長!」

「ちょっ、馬鹿、紗季! 連射すんな、無駄に部屋中いい匂いになっちまうだろうが!」


 除菌効果と微かなオレンジの香りを施された大樹は、紗季からスプレーを取り上げて所定の位置に戻した。次にちゃんとした武器……もとい殺虫スプレーを探したのだが、見つけることは出来なかった。


「だろうな、買った覚えがないもん」


 お菓子ならともかく、大樹の知らないうちに生活用品が補充されていた事実など、これまで一度も確認されていない。そういう仕事は大樹の役目だ。まるで一人暮らしのような心細さがあるが、実態は母親と妹の面倒まで見ているのだから一人暮らしよりもつらいものがある。気楽さがない。


「家政婦さんがものすごく恋しい」

「ちょっとお兄ちゃん、雰囲気壊すこと言わないでよ。お兄ちゃんがあのメイドさんのことが好きなのは分かったからさ」


 誤解しないでほしいのだが、この場合メイドと言っても安易に想像してしまう若々しい女性のことではない。漫画的に例えるなら、メイド長のような厳格なご老体。大樹の母や紗季が彼女の指導を真面目に受けなかったために、矛先は全て大樹に向けられ家事のノウハウはそこで叩きこまれた。あのお婆さんに湧き上がる感情はまず感謝、そしてそれ以上の恐怖だった。


「殺虫スプレーがない。新聞紙で叩くか」

「えー!? 嫌だよ気持ち悪いじゃん」

「じゃあお前が買ってこい」

「えー!? こんなに暑いのに?」

「じゃあ俺が買ってくる」

「えー!? こんな家で一人にしないでよ」

「さっきから文句ばっかうるさい!」


 先ほどの一瞬の会話に紛れ込んでいたが、大樹たちの母は昨日からこの家を留守にしている。大樹にはよく分からないが、偉い人たちへの挨拶や顔合わせがあるらしい。こういうところはお嬢様らしいな、と思う。


「どうしてお母さんいないの? いたらお母さんに行かせるのに」

「いや、いなくてよかっただろ」


 母さんにG討伐が出来るはずないし。きっと紗季以上に慌てふためいて収拾がつかなくなる。むしろ足手まといになるので、この幸運に感謝したい。

 大樹と紗季が不毛な言い争いを十分ほど続け、そもそもこの時間じゃどの店も開いてないし結局ダメじゃん、という結論に至ったとき奴は現れた。


 Gは冷蔵庫と食器棚の隙間から這ってくると、大樹たちの姿を確認して進路を風呂場の方へ切った。足をせわしなく動かすその姿はおぞましく、鳥肌が立った。足は瞬間冷却されたかのように動かない。Gの姿が見えなくなると兄妹の硬直はようやく解けた。


「今は悠長なことを言っている暇はなさそうだな……」

「そう、ですね。隊長。とりあえず新聞紙を」


 二人は得物を手にして慎重な足取りで脱衣所に侵入した。目標の姿はない。すぐそこに置かれた昨日の洗濯物を見て、まだ洗濯機回してなかったんだった……、と大樹は一気に憂鬱な気分になった。そんな大樹の様子に気付くことなく紗季は一人この状況を楽しんでいた。


「風呂場前に到着しました。いつでも行けます。隊長、出動許可を!」

「は? 勝手に行けよ」

「もうっ、お兄ちゃん!」

「……突入せよ!」

「はっ!!」


 合図を受けた紗季が風呂場に飛び込んだ。Gの姿を求め、紗季の双眸が見開かれる。しかしターゲットを捕捉することは叶わなかった。後から突入した大樹が浴槽を覗き込むがそこは昨日の残り湯があるだけだ。

 どういうことだ……? 奴は確実にこのエリアに侵入したはず……脱衣所に隠れているのだろうか、大樹が意識を後ろに割いた瞬間、紗季の言葉が轟いた。


「上!」


 そこにはGがいた。なるほど、前後左右、下にもいなければ選択肢はそこしかなかった。篠原家の風呂場の天井の高さは、大樹がジャンプしても届かない。人間には到達できない領域から大樹たちを見下ろすGは、勝ち誇っているかのように触手を揺らした。大樹がどうするか迷っていると、紗季がシャワーヘッドを手にした。噴出口は天井へと向けている。


「おい、まさか」

「喰らえ!」


 ノズルを回し、40度のお湯が勢いよく吹き出した。シャワーの水圧をまともに受ければ、小さな体のGにとってはひとたまりもない。紗季が勝利を確信したその時、


 Gの背中に二枚の羽が生えた。


 お湯がGにヒットする直前、小さな羽を小刻みに動かして奴は飛行を開始した。必殺のシャワーを悠々と回避し続け、やがてGは紗季に向かって突進する。弱者として今まで人間に虐げられてきたGの復讐心が垣間見えた気がした。こういう存在をルサンチマンって言うんだっけ、と大樹は昨日の楓との哲学談を思い出していた。


「ぎゃあああ!?」


 女子らしからぬ悲鳴を上げ、紗季は咄嗟にシャワーヘッドを投げつけた。だが狙いはちっとも定まらず、何故だか分からないが大樹の顔面に命中した。


「痛っ!!」


 足を滑らせた大樹は紗季を巻き込んで倒れ込む。その際、足がどこかにぶつかった。認識出来たのはカチッという、何かを捻ったかのような音だけ。その答えはシャワーが教えてくれた。降り注ぐシャワーは徐々に温度を下げ、大樹と紗季から熱を奪っていった。


『寒い寒い寒い寒い寒い』


 目が見えない状態で何とか水を止めるが視界が回復したときには既にGの姿はなく、残されたのはずぶ濡れになったドジな兄妹のみ。


「とりあえず着替える?」

「……うん」


 紗季は半ベソをかいていた。


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