「遊ぼうぜってさ」
夏休みに入ってから三日がたった日のことである。
その日、藍咲学園では期末テストの再試が行われていた。朝から虚ろな目をした生徒たちが気だるげに登校し、教室で待っている間は一心不乱に教科書を黙読していた。ここで再び基準を満たしていない点数しか獲得しなかった者は、めでたく夏休みが免除され補習の日々が待っている。
そうなってたまるか、と篠原大樹は因数分解と平家物語と重力加速度がそれぞれ頭の中で駆け巡っている状態でなんとか再試験を乗り越え、いざ下校しようとしたときその人物は現れた。
「明日ヒマ?」
森崎楓は額に汗をにじませながら言った。この時期になるといよいよ夏本番といった感じである。登下校のたびにシャワーが恋しくなる。同じクラスの楓も赤点を二つ抱え、試験を受けてきたところである。
「なんで?」
「どうせヒマでしょ。明日出掛けよう」
思わず眉が寄ってしまう。楓は大樹にとって唯一の友人という立場ではあるが、二人きりでどこかに行くような関係ではない。長時間一緒にいるとなると、果たして会話が保つのかどうか、大樹はそこが心配で仕方なかった。
「妄想力たくましいところ申し訳ないけど、二人じゃないよ。神谷先輩や桜庭先輩も一緒。私たちの追試も終わったことだし遊ぼうぜってさ」
「……それ、神谷先輩が声かけたよね」
「そうだよ」
神谷隼人とだって、特別仲良くしていたつもりはない。弟の蒼斗とは部活で先輩後輩の関係で世話になっているが……。あまり乗り気にはなれない。
「んだよー、いまいち反応悪いじゃん」
「うーん」
「不安なら誰か他にも呼んでいいしさ。大好きな朝日先輩とか」
「ちょ、待て。みんな勘違いし過ぎだろ。別に朝日先輩とは何もないし!」
「いや傍から見たら完全に付き合っているように……いやもういいわその話は。ごちそうさま。行けるかどうかだけ後で連絡ちょうだいよ」
静止を呼びかけたが楓はそれを無視して帰ってしまった。話はまだ終わっていないどころか、勝手な解釈をされたままでは黙っていられない。その旨も不満として後で伝えるとして、結局明日は行くべきなのだろうか。確かに明日はちょうど部活もない。家事以外でやらなければいけないこともない。あまり気心が知れてない人たちとの外出は胃に穴が開きそうなくらい不安だが、これも新たな経験として蓄えておこう。
ちなみにその夜に月夜に電話をかけてみると、「行くッ!」と強く言われた。
池袋には滅多に行くことはないが、新宿からさほど遠くはないので到着までの道のりは楽だった。楽ではあったのだが、それは駅に着くまでの話であり、構内は世間が休日であることも相まって身動きがとれないほどの混み具合だった。ただでさえ待ち合わせ場所がいまいち分からないというのに、これでは約束の時間に間に合わない。楓に遅れることをメッセージで伝えると『先に行っている』と返信がきた。
今日、最初に向かう場所はボーリング場である。そこから適当にブラブラするぞー、みたいなことを言われたのだがハードルが高く感じる。東京都在住の分際で、都会に弱いのが篠原大樹という男である。地図アプリを駆使し、「ウルトラレーン」にたどりつくとそこには楓たちがいたのだが、その中に全く予想もしなかった人物までいた。
「なんで結城さんまでいるんだ……?」
大樹の声に、結城かなたは気まずそうに会釈をしてきた。こちらも返す。教職の立場に就いているかなたが、生徒たちと街に遊びに来ているというのはいささか問題がありそうな気がするのだが。
「なぜか私の連絡先が神谷くんに漏れてまして。『暇なら来いよー、暇人来いやー』としつこいので参上しました」
疲れたような、憂鬱な表情で溜息をつくかなた。
「どうせ夏休みで結城さんも予定なかったでしょー。雑務なんかしてないで若いんだから人生を謳歌しようぜ!」
「なんで神谷くんにそんなこと言われなきゃ……」
「細かいことはどうでもいいじゃん、かなたさん! 終わった! 私のテストは終わったんだ! これから一か月は遊べるぜー!」
楓の異常なテンションの高さに驚かされる。昨日とのギャップが激しいからかもしれない。どれだけテスト嫌だったのだろう。
「楓ちゃん。もちろん遊ぶのも良いけれど、ちゃんと勉強するのも――」
「ほら、かなたん! そんな疲れたみたいな顔してないでさ、お菓子食べよ! 今日はね、暑い夏の日だからね、シュワシュワなサイダー飴持ってきてみました! この中の一つは悶絶するほどシュワシュワが強いけど、どうぞ!」
「紅葉ちゃん変なもの渡すのやめてくれる!? 絶対いやだよ!」
「えー。三分の一だよー? 当たらない確率の方が高いよー。いつからかなたんはそんなビビリになっちゃったのー?」
「なにおう!? さっきから黙っていれば君たちは年上に対する敬意がなさ過ぎですッ! とりあえずその飴貸しなさい、これ食べた後でお説教しますから!」
おそらくそのセリフがフラグになったのだろう。サイダー飴を口に放り込んだかなたは、次の瞬間には顔を真っ青にし、唇を突き出して暴れだした。神谷、楓、紅葉がそれを見てゲラゲラと腹を抱えて転がった。
「なんだこの状況……」
と、それまで一言も喋っていない朝日月夜に目がいく。彼女は何を考えているのか読み取らせない表情で神谷たちを離れたところから見ている。
「こんにちは、先輩」
「こんにちは、篠原くん」
定型文みたいな挨拶しか出来ない自分が恨めしいと思う。それにしても、この場に朝日月夜が来てくれるとは思っていなかった。神谷たちとしばしば交流があった大樹でさえ返事を渋ったというのに……いつの間にみんなと仲良くなったのだろう。
「心配したわ、篠原くん。追試は平気そう?」
部活を休むことは事前に伝えてあったのだが、理由は正直に言ってしまっていた。その際に月夜には「くれぐれも、くれぐれもみんなには内緒にしてくださいね……!」と釘を刺していたのだが、その口止めも虚しく、大樹が追試を受けたであろうことは部内に知れ渡っていた。追試期間に姿を見せない人間=赤点の等式が成り立つことは過去の先輩たちによって証明済みである。
「さ、さあ。頑張ったつもりではいますが」
「次からは気をつけて。中学の時は成績良かったのに」
「塾に通ってましたから」
「塾? そう。私は通ったことがないからよく分からないけど……」
それで藍咲に入れるのかー、すごいなー。
若干空気の読めない発言を繰り出した月夜に面食らっていると、彼女は急にもじもじとして何か言いたそうにしていた。頬まで赤く染めていて、こういう月夜を見ることは珍しいことである。
「どうかしました?」
「いえ、あの……もしかしたら、なんだけど」
すごく歯切れが悪い。本当にどうしたのだろう。
「神谷先輩から何か聞いてない?」
「神谷先輩?」
神谷の方を向いて、しばし考え込んでみるが殊更月夜に報告するようなことは聞いていないはずだ。
月夜の方へ向き直り、困惑したような顔を見せてみる。
「それなら、いいんだけど」
「オラそこっ! イチャイチャしてねえでさっさと投げるぞ! ボールとってこいや」
大樹と月夜の二人が揃って顔を赤くして(お互いに相手が赤くなったことに気付いていない)慌ててシューズとボールを選びに行く。適当なポンドのボールを持っていこうとして、その重さに驚愕して別のものに代えた。9ポンドと10ポンドの二つを持って自分たちのレーンに戻る。
「え、お前それ何」
楓がやたらと装飾のあるグローブを右手にはめていた。デザインといい色合いといい、大樹の心はすっかり引きつけられていた。
「遊びに手間暇を惜しまない主義なんだ。かっこいいだろう?」
自慢気に大樹の前で握り拳を作ってみる。大樹は小さな子供のように何度も首を縦に振っていた。
三時間投げ放題で申し込んでいるので、なにはともあれゲームしてみよう。そんな流れになり各々勝手に投げ始める。大樹の記憶している限り、ボーリングをやったのは小学生以来だったような気がする。スコアに期待せずに投げてみると、予想通りというかお約束というか、散々な結果に終わった。大樹の得点に最も近かったのはかなたで、彼女はフォームは綺麗なのだがボールが中央のピンだけしか倒さずいまいちスコアが伸びなかったようだ。次に良いのは紅葉でそこから大きな差をつけて神谷、月夜、楓が突き抜けていた。
特に驚かされたのは月夜で、1、2フレームは大して大樹と変わらない数しか倒せていなかったのに、投げる度にコツを掴んできたみたいでストライクが連続していった。
はて、朝日月夜とはこういう天才型の人間だっただろうか。
大樹はその光景に、驚嘆よりも戸惑いを強く感じた。確かに月夜は色々なスポーツを人並み以上にこなすが、それは恐ろしいくらいの反復練習を経て得た実力だったはずだ。それとも、副次的にボーリング技術を高めてしまっていったのだろうか。
「くっそー、また神谷さんに勝てなかった」
「甘いわ、一年。そんな道具を身に付けたところで俺との差は埋まらん!」
神谷のスコアは286だった。もう少しでパーフェクトゲームだった。
「ただ投げてもつまらねえな。ここは一つ、賭けでもしようじゃないか。一番得点が高いやつがビリのやつになんでも言うことを聞いてもらう! どうだ」
冗談じゃない、と大樹は思った。どう考えても自分がビリになってしまう予感がある。
「やりまーす」
「おっけー!」
まずいまずい、まずい! 既に賛同する流れが出来つつある。しかし、まだ大樹には希望がある。月夜なら、大樹の望まない展開には助けてくれるはず――!
「あれ?」
月夜に助けを求めようとしたとき、なぜか神谷が月夜の肩を組んでいた。何をしているのかは分からないが、神谷が何事か吹き込んでいるようである。月夜は体をぴくりと震わせると次の瞬間には真顔でこちらに向き直り、
「やりましょう」
「ええっ!?」
懐柔されてる!? あの朝日先輩が!? 神谷先輩は何をしたんだ!?
「仕方ない、やるしかないのか……」
「し、篠原くん! どうして私のことは無視したんですか!? どうして私には助けてほしいと言ってくれないんですか! え、あの、聞いてます!?」
かなたが叫ぶ中、舞台は第二ゲームへ!




