「つまらない」
新章スタートです!
「つまらない……」
それが神谷隼人の口癖だ。
交友関係なし、趣味なし、やる気なし。三拍子揃って現実に全く生き甲斐を感じないのは、今に始まったことではないが、いささか世の中が退屈過ぎるではないか。
今年で十八歳になる高校生三年生。周囲はいよいよ大学受験を本気で考え始め、意識の高い者ならレベルの高い大学を目指すために去年から予備校に通い始めている。あるクラスメイトは毎日毎日、十時間以上勉強することを目標にしているらしい。夜中に『絶対合格!』のハチマキを身に付けて机にかじりつく姿が目に浮かぶ。またあるクラスメイトは、中学時代の同級生と同じ大学に進学するために、目の下にクマを作って登校してくる。ちなみにその二人は男女である。はたまた別のクラスメイトは、今までお世話になった先生のために、第一志望の大学合格の結果を何としても伝えたくて日々頑張っている。
そいつら全員、馬鹿だと思う。
高校生でいられるのは今年度まで。最後の一年だ。その一年を勉強などに全て費やしてしまうのは勿体ない。最後の時間だからこそ、後悔ないように遊び倒すべきだろう。人生は楽しくなければ意味がない。
「なんか面白いこと起これよ……!」
神谷の悪いところは、自分から行動を起こさないことである。彼が少し本気を出して世の中に目を向けて見れば、彼にとって興味深い事象はいくらでも見つかるはずだ。しかし、やる気がきまぐれにしか発生しない神谷はそれをしない。彼は今日も、筋違いに退屈な世界を恨む。
今日、一学期末の定期テストが返ってきた。全ての教科を約二十分ずつ時間を使って解説をしてくれるが、はっきり言って神谷には興味がない。テストの点数はいつも通りだし、さすがに赤点はない。結果に一喜一憂するクラスメイトを尻目に、神谷は教室を後にした。
このまま帰路についても良かったのだが、別に家にいても面白いことが待っているわけではない。それなら、と神谷はいつも過ごしているあの相談室を目指す。特別校舎の端に位置しているそこには、カウンセラーの結城かなたしかいないのだが、ここで誰かと会話をしておかないと、普段誰とも口を利かない神谷としては社会から切り離される気がするのだ。さすがにそれは怖い。
「俺意外とぼっちなんじゃねえの……?」
自嘲気味になりながら相談室の扉を開けた瞬間、二人の人間が突然に抱き着いてきた。片方は女だがもう片方は男。こっちはとりあえず蹴飛ばしておけばいいだろうか。
一人は森崎楓。今年入ったばかりの一年生のはずだが、顔を合わせることが多くて顔と名前を覚えてしまった。神谷は人の名前を覚えるのが苦手である。
というわけで、残念なことにもう一人の男の名前が全く分からない。一年生で確か篠崎だか篠宮だったような気がするが……と記憶を探っていると、バドミントン部であることを思い出せた。弟の蒼斗が、同じ部活に所属しているのだ。ちなみに神谷隼人は当然のように帰宅部。
二人の一年生は神谷の顔を見上げると、この世の終わりみたいな表情で救いを求めてきた。
「神谷先輩、お願いします勉強教えてください! 倫理とか意味不明ですよ! 満足した豚とか不満足なソクラテスとか快楽計算とかベンサムとか!!」
「神谷先輩はすごく頭が良いって聞きました! 俺からもお願いします、中間に引き続いて今回も赤点とっちゃったんですよ~!!」
ひとつ注釈をしておく。
神谷隼人は藍咲学園を代表する秀才である。ぶっちゃけ大人より頭がはたらく。
そんな彼についたあだ名は『行動しない有能』である。
◆
大樹たち一年生も、今日試験の結果が判明した。今回は一学期の総合評価を伝える通知表が配られる日でもあり、これによって自分がクラスでどれくらいの実力があるのか、また十段階で科目別の成績が下される。
結論を持ってくれば、篠原大樹の成績は壊滅していた。
どの教科もまんべんなく平均以下。中学生まで優等生として過ごしてきた大樹にとっては、非常に受け入れがたい事態だ。真面目さしか取り得がないと思っていたのに……。大樹のアイデンティティはもう少しで失われそうだった。
反省点はもちろんある。七月の始め、大樹が所属しているバドミントン部は最後の大会、インターハイ予選に臨んだ。相馬遥斗を勝たせるため、そして神谷蒼斗の想いのため、大樹は己の全てをバドミントンに捧げた。全国に進むことは出来なかったが、相馬と部長の姫川真琴は笑って部活を去った。後悔など、していない。
「じゃあ赤点が三つある篠原は、まず何から俺に教えてほしい?」
「……数学でお願いします」
前言撤回。やっぱり少しくらい勉強しておくべきだった。
藍咲の再試は三日後。夏休みが補習で潰れてしまうかそれを回避するかは、その日のテストの内容次第だ。ちなみに夏休みを補習地獄にするつもりは大樹に毛頭ない。この休みにだって部活動はある。あれだけバドミントンに情熱を注ぎ、先輩たちのために頑張ると誓ったのに頭悪いから練習に参加出来ませんなど、あまりにも情けない。
本当はこの三日間だって部活に行きたい。だが、三日で三教科の勉強はかなりシビアな条件だ。とても平静に部活には参加出来ないし、そもそもこの期間は成績のよろしくない者にそんな権利は与えられていない。
つまり、今大樹に出来るのはおとなしく再試を合格するだけの勉強をすることだ。
「ぷぷっ! 大樹さん、三つも赤なんですか~?」
離れた席から大樹を指差して楓が腹を抱えている。調子に乗っている友人に、大樹は即座に言い返した。
「うるさい! そっちはテスト舐めきって受けておいて撃沈したくせに!」
「撃沈なんてしてない。赤以外は楽勝だったし。大樹、そんな見た目で勉強も出来ないとか、一体何が取り得なの? 笑い過ぎて腹筋が崩壊しそうww」
「『ww』って何!? 今どうやって発音したの!?」
というか、今の発言は結構心を抉られたのだが……。
「か、楓だって赤二つあるだろ!」
「私は本気を出してないだけよ!」
「その言い分クソ過ぎるって自覚ある!?」
「おーい、俺もう帰っていいのー?」
鞄を持ち上げた神谷に、大樹と楓は慌てて静止の声をかける。頼みの綱はもうこの人しかいないのだ。夏休みを謳歌できるかは神谷にかかっている。
「なんだか楽しそうですね……」
「あ。結城さんいたの? いつから?」
「最初からいました! 誰よりも! 一番に!」
相談室の管理人、結城かなたは部屋の端っこに収まっていた。生徒たちの勉強には手を出さず、あたたかく見守っていたつもりなのだろうが、影が薄いことは否めない。
「そんなだから学校から相手にされないんだよ……」
「えっ!? 神谷くん今ぼそっとすごいこと言いませんでした!? 結構グサグサと胸にくるものがあります!!」
「そんなだから男から相手にされないんだよ……」
「余計なお世話過ぎます!」
「暇なら部屋の掃除でもしてくれる?」
「年下に顎で使われてます……」
相変わらず押しに弱く、従順なかなた。この人、上下関係の激しいコミュニティの中じゃ絶対生きていけないだろうな……結城かなたに幸あれ。
と、大樹は考えていたが、神谷の一言で一気に現実に引き戻される。
「まずいのは篠原の方だよな……」
「はっ? あ、俺ですか!?」
「森崎は要領良いし、俺が一回真面目に聞かせれば覚えるだろ。お前はやること多過ぎ。三日で三教科とかどんなハードスケジュールだよ」
答案を苦々しく見つめる神谷を見ていると、大樹は途端に申し訳ない気持ちに駆られた。その場のノリで勉強を教えてもらうことになったが本来何の接点もない先輩を巻き込んでいる。弟の蒼斗に似ているけれど、彼は今まで親しくしていた先輩とは別人なのである。
「なんか……すいません。ご迷惑ならすぐに出ていくので――」
「固い」
「はい?」
「態度固すぎ。面倒なら最初から断ってるし気にすんな。あと別に敬語とかいらないわ」
「は、はあ……」
どうやら、そこまで迷惑に思っているわけではないようなので、大樹は素直に教えを請うことにした。まずは数学から。
試験勉強を始めてすぐに気付く。この人、本当に教え方が上手い。大樹が解答に詰まるとすぐに、大樹が疑問を言葉にする前に指摘してくる。まるで大樹の考え方がわかっているみたいだ。
「神谷先輩って本当に頭いいですね……」
「お前みたいなタイプの思考回路くらいすぐわかる」
なにそれ怖い。その後も先に考えを見透かされ、今までにないほどに勉強が捗った。
「なんか超楽しいです! これから神谷先輩に勉強教えてもらおうかな~」
「それは面倒だから遠慮するわ」
数学が一段落つくと、同じタイミングで楓の溜息が聞こえてきた。倫理と政治経済の教科書にマーカーを引く作業に疲れたようだ。
「お前は五教科以外だといまいちだな」
「言わないでくださいよ……。いいじゃないですか、どうせ大学受験じゃこんな科目出てこないんから。ほんと勉強嫌い」
「日本人の勉強嫌いはすごいよな、ほんと」
そういえば、世界の国々の勉強への意識を調査してみると日本は最低クラスになったという話をテレビで見たことがある。ゆとり教育の反動だろうか。受験期の詰め込み教育は確かにつらかった。大樹も高校受験で苦しめられた。社会に出てからもブラック企業や残業があるかと思うとげんなりする。
「なんかすごく勉強したくなくなりました……」
「だ、ダメだよ篠原くん! 勉強してね! 未来の日本のために!」
かなたがちりとりと箒を握りしめながら力説してくる。本当に真面目に掃除していたのか……というかまだいたのか。
「違うだろ、結城さん。子供にとって『勉強しろ』は禁句だ。逆にやる気なくす」
「あ~!! それ超わかります神谷さん!」
死にかけだった楓が息を吹き返し、手をぶんぶんと振って同意してきた。
「どうして大人って子供のそういう気持ち分からないんでしょうね!?」
ソファにふんぞり返る楓は勢い余って教科書を閉じてしまった。普段ローテンションの楓がここまでハイになるのがなんだか珍しい。楓はそんなに勉強が嫌いだっただろうか。日常態度を見ていれば決して真面目な性格だとは言えないけれど、それでも中間でトップの成績を出したのは事実だ。楓なら、ちゃんと頑張ればすぐに結果が追いついてくるのに……。
「じゃあそれは、実は東大出身の結城さんに答えてもらおうか」
『ええぇ!?』
大樹、楓、かなたの声が重なった。
「結城さんそんな頭よかったの!?」
「かなたさん、嘘でしょ!? 嘘だと言ってよ! かなたさんみたいな人が東大生とかもはやギャグやネタの領域だよ! 東大はそこまで堕ちてない!」
「急にそんな難しいこと言われても――楓ちゃん。後で二人でお話しましょう?」
とりあえず楓の死亡フラグが立ったところで、かなたは真剣に考え始めた。その横顔が普段のかなたとはかけ離れていて、東大を出ているのもあながち冗談ではないのかもしれないと大樹は思った。
「先進国としてのプライド、でしょうか。日本はかなり豊かな国で、経済の影響力も強いです。島国ではあっても、大国という表現をしても変じゃないです。その地位をキープすることに躍起になっている、みたいな……」
自信がなくなってきたのか最後の方は言葉が小さく、こちらの反応を窺うかのように上目遣いをしてくる。
「……だ、そうだが、森崎は納得したか?」
「う~ん……そんな日本の都合に私を巻き込むなって感じ?」
「愛国心の欠片もありませんね……」
しゅん、と項垂れるかなた。
「じゃあ親愛なる日本のために、この身を捧げるぞー。欲しがりません、勝つまでは」
「ギブミー、チョコレート!」
「呼んだかな楓ちゃん!」
突然扉が勢いよく開き、ドン、という音が高く響いた。
中学生くらいしかない身長と愛くるしい童顔で、一部からはマスコット扱いをされている桜庭紅葉は机に広げられた教科書に目を落とす。
「あれ!? どうしてみんな勉強してるの? テストはもう終わったんだよ! 明後日から夏休みだよ!」
「一年コンビは赤点あるから再試対策だ」
「すいません、神谷さん。大樹とコンビ扱いされるのはちょっと……」
「なんで!? なんで楓はそんなに俺が嫌いなの!?」
「え、普通だよ。普通。普通の顔見知り」
「友達ですらねえ!」
「仲良いねー、二人とも」
紅葉はニコニコと笑顔を浮かべながら、一口サイズのチョコを楓に手渡した。
「篠原くんも食べる? 甘いもので気分転換」
「いただきます」
すぐには食べず、ポケットにチョコをしまう。
「紅葉さん、ギブミー成績」
「ごめんねー。成績はあげられないや。お菓子ならいっぱいあげるから」
抱き着いてくる楓を、紅葉は受け止める。紅葉が来たことでさっきよりもみんな口数が増えた。とても勉強どころではない。
だが、この人たちはすごく居心地がいいなー、とぼんやり考えて。
大樹は紅葉からもらったチョコを口にした。甘くとろけて、最後にほんの少しだけ苦味が残った。
もし感想など聞かせてくれますと、やる気がアップしたりします。




