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「やり直し♪」

 男子の試合会場は世田谷区の総合体育館であり、電車と徒歩で現地に向かった。途中でラケットバッグを背負った高校生たちが大樹と同じ方向へ進んでいくのを見ていると、今日この人たちと戦うのだと意識させられ全員が強く見えた。藍咲メンバーとは現地で落ち合うことになっているが、そろそろこのあたりで知り合いに会ったりしないだろうか……。


「あ、篠原くん!」


 そう考えた矢先に名前を呼ばれ、辺りを見回す。女性の声だったから多分……。

 案の定、かなたの姿を捉えることが出来た。結局、姫川によってこっちに派遣されたのか。それはそうと……。


「なにその服装?」


 かなたの洋装は黒を基調としたスーツだった。就職活動で面接に行くというなら頷ける格好だが、これから行くのはバドミントンの試合会場だ。おそろしいほどに場の雰囲気に似合わない。


「はい! 私は先生という立場で来ていますからね。ビシッ、と勝負服です」

「いや、あの……勝負所が違います。めっちゃ変です」

「え!?」


 

 驚愕を露わにするかなたを素通りし大樹が改札を抜ける。後に続く形でかなたがカードをかざして慌てて追う。

 直後、鳴り響くブザー。閉ざされる行く手。


「あれ!?」


 どうやらお金が足りないようで、赤いランプが点滅している。高校生たちも迷惑なようで、顔をしかめて隣の列を通っていく。すみません、と頭を下げながら駅員の方へ駆け寄るかなた。


「えっと……お財布は……。ちょっと篠原くん!? 何故先に行こうとしているのですか一緒に行きましゅよ! ……あ」


 思いっきり噛んだ。行きましゅって……しかも大きな声で……。

 最早、知り合いと思われるのが嫌なレベルに達したので、無視。スルー。


「ああぁぁああ!! 置いていかないでぇ!!」





 結局二人で行くことになったが、その途中でかなたは大樹にぶつぶつと不満をぶつけてきた。大樹はそれを全く相手にしていないとばかりに曖昧な返事で受け流す。いつもと違う大樹の様子にかなたは眉を寄せた。


「どうしたんですか? ちょっと機嫌が悪いですね?」

「試合前で落ち着かないだけです……」


 いまいち納得していない表情のかなた。

 真っ赤な嘘ということはない。これまでに何度も試合経験はあるが、いつでも緊張は感じている。今回は久しぶりの大会なのでなおさらかもしれない。

 だが、大樹の気が立っているのはそれだけが原因ではないのは確かだった。昨日の姫川とのやり取りで彼女に対する不満が募ったのだ。かなたに指摘されるほど態度に出ていたということも、本来なら気にしているところだか今はどうでもよかった。

 ただ、心配そうに見つめるかなたの眼差しはやけに気になった。


 会場にたどり着く。まだ開いてはいないようで、入り口付近に高校生たちがたむろしている。中にはその場でステップ運動をして体をあたためている選手もいた。


「おーい! 篠原くん、結城先生!」


 大樹たちを呼ぶ声は相馬のものだった。後ろではかなたが「先生……先生……うへへ」と若干不気味な呟きを漏らしながら頬を緩めていた。

 相馬は汗を拭きながら言う。


「君もそこらへんを走ってきなよ。芝崎が行ってるから」

「他の人たちはまだですか?」

「うん。神谷と大神くんが来ていない。でも、もう少し時間に余裕はあるよ」


 荷物はその場に置き、見張っておくようにかなたに頼んでから相馬が指差した方へ駆け出す。人混みを抜けた先にあったのは緑で彩られたジョギングコース。木々の中からこぼれ落ちる光がアスファルトを照らしている。少し走って進んでいくだけでも多くの観葉植物が目についた。大樹はランニング自体が得意ではないが、もしここが部活動で利用出来るなら走るのも悪くないと思う。こんなにも良い場所なのに人はあまりいない。

 ふと、前方に見慣れた後ろ姿が見えてきた。最近では髪の毛がツンツンに立っていることも珍しくなってしまったが。


「どうもです」


 そう軽く挨拶をしてから芝崎を追い抜く。が、しばらくしても足音が遠くならない。むしろ近づいてきている。振り向こうとしたとき、芝崎が大樹の隣に並んだ。汗が大量に噴き出してして、見るからにつらそうだ。


「……どれくらい走ってます?」

「十周だ」


 準備運動にしてはもう充分な距離だろう。これ以上は逆効果だ。試合のときに疲れてしまう。


「そろそろ切り上げた方がいいですよ」

「お前、何周走る」

「ん?」

「何周走る、つもりかって、聞いてる!」


 なんでそんなことを聞くのだろう。


「じゃあ……俺も十周で」

「なら俺はあと二周走る」

「無理しない方がいいですよ。芝崎先輩にはシングルスで頑張ってもらわないと」


 芝崎は走るペースを保ったまま、横目で大樹を見た。再び前に視線を戻した芝崎はぶっきらぼうに言い放った。


「もう、お前に負けるつもりなんてねえんだよ……!」


 そこで芝崎は大きく足を踏み出した。ふらふらと前方を走るその姿をしばし止まって茫然と見つめてしまう。あのとき、スポーツセンターの方に見えた横顔の人物の正体が今になってはっきりした。大樹と大神が練習していたように、休みの日でもずっと走り込んでいたのだろう。初めて出会った日の、慢心した彼はもういない。


 大樹は再び駆け出した――




 後からやってきた蒼斗と大神も合流し、藍咲メンバーが全員揃った。会場も開き、選手たちが中へ吸い込まれていく。すぐにコートが人で埋め尽くされ、それぞれが練習を始める。運営がタイマーを持ち込み、大樹たちは数分刻みに交代して練習した。やがて、運営によって開会が宣言され各コートで試合が始まる。

 藍咲学園の試合は二巡目でやってきた。相手は遠山高校。運営からのコールを受け、コートに整列する。目の前の選手たちは全員、いかにも運動部らしい顔つきをしておりこれは厳しい戦いになるかも……と予想した。

 オーダーは以下の通り。


 第一ダブルス、相馬・神谷

 第二ダブルス、篠原・大神

 第一シングル、芝崎

 第二シングル、神谷

 第三シングル、相馬


「よし、じゃあとりあえず円陣を組もうか」


 これから第一ダブルスの試合を始めよう、というときになって相馬が言い出した。


「は? マジで?」


 大神はもうベンチの席に腰を下ろしてしまっており、その口ぶりは言外に面倒だと語っていた。


「そ。気合いが入るからね。どこだろうといつだろうと、相手が誰であってもやるよ。というわけで集合!」


 その掛け声に全員が渋々という感じで集まる。蒼斗や芝崎が無抵抗なのは既に経験があるかもしれない。芝崎もうんざりと立ち上がって円の一部へ。


「さ、篠原くんも」

「は、はい!」


 相馬はひとりひとりの顔をしっかり見た。


「あ、掛け声はどうしようか。『絶対全国』にしておく? それとも『藍咲ファイト』かな?」


『「藍咲ファイト」で』


 満場一致で決定。思わず相馬から苦笑がこぼれた。


「それじゃあ、いくよ? 声が小さかったらやり直し。二度やると締まらないから恥ずかしがらずにやっちゃうよ!」


 一気に息を吸い込む。次の相馬の声は、普段のそれからは考えられない、怒号と表現するべきものだった。


「藍咲!! ファイ!!」

『……おおぉぉおおおお!!!』


 負けじと声を張るが、タイミングがずれてしまったことが不服なのか、相馬から一言。


「はい、やり直し♪」


 結局二回目が強行された。ものすごく格好悪かった。



 時間を巻き戻し、場所は藍咲学園近くのスポーツセンターに移す。

 女子の大会はここで行われる。姫川がかなたを男子たちの方へ派遣したのは、こっちの方が学校から近いからだ。決して大樹の要望を叶えようとしたわけではない。


「………」


 姫川はじっと入場口を見つめる。とっくに会場の時間は過ぎており、彼女自身アップまで済ませている。彼女は誰かを待つかのように身じろぎひとつせず、視線をはずさない。

 そこで後ろから肩を叩かれる。


「月夜……」

「体が冷えます。戻ってください」


 試合開始の時間は迫っている。それでも姫川はまだ未練があるようで、なかなか動こうとしない。月夜が彼女の手を引く。


「もう時間切れです。誰も来ません」

「……そうだね」


 こういう結果は容易に予想できたはずなのに、何を期待しているというのだろう。

 いつもそうだ。自分の行動に自信が持てず、悪い方向に転べばすぐに後悔。部長として、部員を支え導くのが役目であるにも関わらず何もできない。一体どうすればいいのか全然わからない。場合によっては今日引退することだってあり得るのに……。


 顔を上げ、頬を叩く。今は迷ったり悩んだりする時じゃないことを思い出す。次の試合に全力を注ぐべきだと強く意識した。


「ごめん、月夜。すぐに戻ろ……う……?」


 姫川の言葉が段々と尻すぼみになる。冷静沈着と無感動を貫くあの月夜が、瞳をぐらぐらと揺らしひどく取り乱していたからだ。月夜の視線を追い、外に目を向ける。見えた人影が、次第に大きくなっていく。一瞬、自分の高校の生徒かと思ったが、着ているジャージから他校の選手だと分かる。それにしても、今頃やってきてしかも急いでいる様子もないとはどういう了見だろうか。


「あれ……まさか……!?」

「え、月夜! どこ行くの!!」


 外へ飛び出していった月夜に慌てて姫川がついていく。月夜はその選手のもとまで駆け寄るとようやく止まった。彼女は自分に向かって走ってきた月夜と姫川に奇異な視線をよこし、警戒するように後退する。

 月夜がそんな彼女に声をかける。


「あなた……高宮凛?」

「……そうですけど」


 高宮は愛想のない返事をした。


「月夜、この子誰なの? 知り合い?」

「姫川部長は聞いたことがありませんか? 二年前、中学二年生にして全国大会を制した高宮凛という名前を」

「それって……」


 それなら姫川も小耳に挟んだことがあった。確か、二年生でバドミントンを始めてその年の全国大会に出場、そしてあらゆる猛者たちを蹴散らし優勝まで勝ち取った天才と呼ばれた少女、高宮凛。だがそれ以降、公式試合での記録は全く残っていない。一つの伝説を一瞬で創り上げ、彼女は忽然(こつぜん)と姿を消した。


 その天才が目の前のこの人物だというのか……?


 姫川には到底信じられなかった。顔つきは幼く、身長も平均より低い方だ。とてもそんな大物だとは思えない。


「あの、あなたたちは誰なんですか……?」


 高宮が不機嫌な感情をぶつけてきた。いきなり見知らぬ二人組が目の前に現れたかと思いきや勝手に話を進めていくのだから気分も悪くなるだろう。

 姫川が前に進み出る。


「失礼。私は藍咲学園の姫川真琴。こっちは朝日月夜」

「……三澤野高校の、高宮凛です」


 そのとき、姫川と月夜は同時に息を呑んだ。三澤野高校は一回戦目の対戦校だったのだ。

 ただ、腑に落ちないことがある。三澤野はスポーツ推薦やスカウトは一切していない公立学校だ。特徴といえば都心に近いことくらい。中学時代に全国で名を馳せたトッププレイヤーが行くような学校ではない。何故そんなところに在学しているのだろう。


「試合には出るの?」

「出ますけど」

「そっか。それなら次はよろしく。お互い頑張りましょう」


 礼儀正しく言葉を紡ぎながら、姫川が手を差し出す。握手のつもりだった。

 だが高宮はその手に一瞥をくれると冷め切った声音で、


「でも、どうせ私より弱いですよね?」


 と、のたまった。

 姫川は一瞬何を言われたか理解できず固まった。やがて今の言葉を飲みこむと伸ばしていた手をぐっと握りしめて震わせた。琴線に触れたようだ。


「……そうね。二年前、私はあなたに為す術無く敗北した」


 少し俯いた月夜が消え入りそうな声で呟いた。姫川と同様、拳を固くして震わせているがそれは姫川とは違う理由だろう。唇の端を噛みしめながら何かに耐えているその姿を見れば、どういう感情に(さいな)まれているのか想像するまでもなかった。


「でも、もうあの頃の私じゃないから……!」


 顔を上げ決然として言い放つ月夜。もうその瞳に迷いはない。これまでの自分の努力を信じ天才に挑もうとしている後輩が、姫川には眩しく見えた。

 だが、高宮の態度は素っ気ないものだった。


「……対戦したことありましたっけ」

「っ!?」


 月夜は驚愕に目を見開く。


「お、覚えてない……?」

「んー。弱い人は基本的に覚えないっていうか。まあその気もないですけど。私を楽しませてくれる人にしか興味ないんですよね」


 月夜はそこで気付く。以前会ったときの彼女とは、話し方も態度も全く変わってしまっているということに。


「あなた……本当に高宮凛なの……?」

「はい?」

「二年前のあなたは……もっと無邪気で……楽しそうだった」

「……ああ」


 何かを思い出すように高宮が空を見上げた。なまぬるい五月の風が三人を通り抜けていく。高宮の髪を揺らし、彼女は目を瞑る。長い沈黙が訪れたが誰も口を挟むことをしなかった。


「……そうだったかな」


 高宮が二人の間を無言で歩き去る。彼女の横顔が少し寂しげだったのが、月夜には忘れられそうになかった。


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