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「邪魔をしないで」

しばらく不定期です……




 その日から、大樹と大神による特訓が始まった。体をなまらせないという名目で始めたが、実際、普通の練習並に疲れた。そのつもりはないのだが、コートに入って目の前に大神がいるという状況は心臓が落ち着かないのだ。基礎打ちをして体が温まったと思ったら、次の瞬間には試合だ。あの日からテスト前日まで、土日も含めて一日も欠かさずこの練習だ。おかげで弱くなるどころか強くなった。


 ただ、そんな調子でテスト勉強がうまくいくはずもなく――


「うぐっ……」

「ありゃー、これはこれは……」


 返ってきた五枚の答案用紙を見て言葉を詰まらせる大樹。そして隣からそれらを覗き込み、しげしげと眺めているのは楓。

 進学校(笑)の藍咲学園は土曜だろうが授業が存在する。二時間しかない授業のために朝早くから学校に来なければならないのは生徒にとって共通の苦痛であるが、今日はその時間を使って答案の返却と問題の解説をしている。

 藍咲学園のテストは大樹の予想を超える難易度であり、その結果は凄惨たるものだった。見渡す限りバツ、バツ、バツ……。


「うそ……うそだろ!? こんな点数これまでの人生で取ったことねえよなんだこれ!?」

「あれだけバドミントンしてればそりゃあ……ご愁傷様」


 いや、これは笑えない。冷静にやばい。だめだなんか頭の中がごちゃごちゃしてまともな思考が出来ない。ふらふらする……。


「ねえ、ねえ」


 しばらく現実逃避をしていたところに楓から声がかかる。その手には答案用紙が握られている。楓の順番が来て受け取ってきたようだ。


「よし、楓のも見せろ。勉強してないって言ってたし、俺と似たようなものだろ。うん、今日は残念会だ!」

「うんそうだねー、はい」


 楓が大樹の顔面に答案を押し付ける。

 近すぎて見えないのでとりあえず離れてみてから目を凝らすと、それらには赤いマルが連続していて、というか中には花マルすらあるものまであり……。

 なんか、三桁の数字が見えるような……?


「え……!?」


 その事実に気付き、改めて五枚の紙面に視線を這わせる。

 全て九割オーバー。数学にいたっては満点。


「えーと……今回の中間テストのクラストップは、というか学年トップはなんと森崎楓さんでしたー」


『なにぃ!?』


 楓を除いたクラスメイト全員の驚愕が重なる。だがそれも仕方のないことと言える。普段の楓の姿を見ていて誰がそんなことを信じる? 遅刻は常習、授業中に居眠り、行事に参加する姿勢の悪さ、どこをとってもダメ人間のイメージしか抱けないはずなのに……。


 大樹がおそるおそる楓の横顔を見ると、楓は癇に障るような不敵な笑みを浮かべて――


「ププッ」


 ち……チキショー!!!!!



「なあ、大神。テストどうだった?」


 二時間にわたるテスト返しを終え、更衣室に着くと大神がいた。練習着に頭と腕を突っ込みながら自然を装って尋ねる。

 教室では残念なことに大樹よりも悲惨な点数な生徒はおらず、ならばと大神のそれを知りたいと思ったのだ。この一週間、長い時間を共にした者同士、わかりあえるはずだと浅ましい期待をしていた大樹だったが、それは簡単に打ち砕かれる。


「別に。平均だったけど。全部」

「裏切り者!」

「はあ? 何言ってんだお前……」


 うんざりしたようにそう吐き捨てた大神はさっさと更衣室を出てしまった。大樹もすぐにあとを追う。

 明日は、高校初の大会が開かれる。今回のこれは関東予選で、ここで勝ち上がった八校のみが来月の全国予選に参加出来る。

 二軍の基礎打ちの風景を見ていて思ったが、やはりテストで部活がなくなっていた分だけ体の動きが悪くなっている。先週に出来ていたショットが今日は出来ていない。この経験は大樹にもある。月夜が言うには、一日休めば取り戻すのに三日かかるとのこと。そう考えるとこの一週間はテストを犠牲にしただけの甲斐があったかもしれない。一軍の誰もが、テスト明けの衰えを感じさせなかった。月夜はもちろん、他の先輩も問題なし。


「はあ、はあ……相馬さん、今の、どうでした、か」

「自分でも気づいているだろうけど、無駄な動きが多いよ。後半はほとんど足が止まっていたよね?」


 芝崎の態度は真面目で熱心だ。コートに出れば必ず先輩にアドバイスを乞う。相馬に限らず蒼斗や、ごくたまに姫川のところに行くこともある。芝崎が明確な目的意識を持ち、そのために必死になっていることは、その姿から容易に想像できた。

 今日の練習は試合が多かった。試合の前日になれば調整のためにこういう練習メニューになることはある。やがて部活が終了し姫川が明日の連絡をする。


「明日、男子と女子の会場はそれぞれ分かれているので各自遅れないように注意してください。試合に出るメンバーは早めに行ってアップをすること。以上で終わりますが、何か質問はありますか?」


 男子の先輩の手が挙がった。


「応援とか行った方がいいですかね?」


 耳を疑う発言だった。普通に行くのが当たり前のはずなのだが……。

 姫川は、はっとしたような顔になって苦々しく小さな声で言った。


「……自己判断に任せる」


 こうして部活は解散したが大樹は納得しなかった。


 帰るときになって、明日のためにシャトルを持ち帰るのを忘れていたことに気付く。大神とジャンケンしてみたが、言いだしっぺの大樹が負けてしまうので何も言えなかった。


「他の一年生が持ってきてくれたらいいのにー」

「そんなもん、誰も来ないだろ」

「……やっぱりそう思う?」

「せっかくの日曜日を潰したくないって感じだっただろ、あの先輩」


 ……確かにそう言いたげだった。


「別に、応援なんかあってもなくても関係ないだろ。それで逆転とかすんのは漫画の中だけだ」


 冷めた意見だが、ある意味それも真実だ。コートに入ってしまえば、試合メンバーたちですら見守ることしかできない。結局自分ひとりの力でどうにかするしかない。

 それでも……。


「やっぱり応援してもらうと嬉しいもんだよ。心が折れそうになったときとか、勇気出てくる」

「俺には分からねえな」


 大神はそう言い残して帰ってしまう。多くの部員がいるにも関わらず一人で。その後ろ姿は一人でいることに慣れきった者の雰囲気だった。大樹のように周囲に馴染めないのではなく、初めからそのつもりがないみたいだ。そんな大神だから応援の重要性など、特に考えていないのだろう。


 それはすごく悲しいことだと思った。


 部室にたどり着きドアを開けると中には姫川がいた。誰もいないと思っていたために多少驚いてしまう。それは向こうにとっても同じだったようで、ドアが開く音にびくっと体を震わせたがそれが大樹だと分かるとむっとした表情で唇を尖らせる。


「急に入ってこないで」

「すみません……忘れものしちゃって」


 愛想笑いを浮かべながらシャトルを探す……振りをする。姫川と個人的に会ったり話したりするのはまだ慣れないので、そこにいるというだけでひどく緊張する。ちっともシャトルの筒を探すという行動に意識がいかない。


「はい、これ」


 見かねた姫川が筒を大樹の頭にヒットさせる。


「どうも……」

「あとこれも」

「……? 雑巾ですか?」

「向こうに置いてないこともあるから。これでシューズの裏拭きなさい」


 部長としての気遣いなのだろうが、なんとも言い難い感銘を受けた。この人ツンデレかもしれない……などと考えながらそれらをラケットバッグにしまう。


「あの……」


 別れを告げようとすると、姫川が弱々しい声で大樹を呼び止める。


「今更だけど……ありがとう。結城さんのこと」


 たった一言のそれのために、随分と長い溜めがあった。月夜にしても相馬にしても、そして姫川まで、こんなにもお礼を言われてしまうことではないのだが……。


「本当に今更ですね」


 大袈裟に肩をすくめて誤魔化してみる。


「その結城さんですけど、明日は男女どっちに引率するんですか」

「どっちでもいいけど。女の人がいた方がやる気出たりする?」


 姫川も、大樹の態度にいくらか緊張がほぐれてそんなことを冗談交じりに聞いてくる。

 ものは試しにと、想像してみる。かなたは性格上のことはともかく、顔つきは端整だし、スタイルも悪くない。年齢だって、大樹たち高校生とそこまで離れているわけではない。女性にエールをもらって試合か……。


 リア充っぽい!?


「いいですね、それ」

「男子ってほんと馬鹿ばっかり」


 ものすごく冷め切った視線で睨まれた。その目つきに体を縮ませる。


「ぶ、部長はここで何を?」


 これ以上は大樹のメンタルが耐えられないので、話題を無理矢理に提供、変換。


「掃除をしに」

「手伝います」

「もう終わったよ」


 この部室が毎回綺麗だったのは、姫川が人知れず訪れていたからだったのか。この人の仕事はいくつあるのだろう。毎日メニューを考え、練習中は誰よりも声を張り上げ、みんなを統率する。細かい雑務だって残っている。


 姫川がじっと、壁に貼ってあるものに視線を注いでいる。釣られて大樹もそっちを見ると何枚かの表彰状があり、横の棚には小さなトロフィーが飾ってあった。


「それって……」

「もちろん本物じゃないよ。二年前、全国行ったときに先輩が買ったおもちゃだけど……ずっと飾ってある。私も出たよ」


 思わず言葉を失う。一年生のときに既に全国レベルの実力って……。というか、女子ばっかりが全国で結果を残しているのは、表彰状から分かる。


「分かってはいましたけど、部長、超強いですね。団体勝てますよ」

「どうだろ。私と月夜以外は今回が大会初出場だし」


 過去の栄光を懐かしむかのような言い方だ。確かに、去年は全国まで行くことが出来なかった。そして今回も、決して選手が恵まれているわけではない。藍咲学園はスポーツ推薦をしていないのだ。関東は日本中の猛者が集まってくる激戦区だ。勝ちあがるのは容易ではないと思う。が――


「応援していますよ。駆けつけられませんけど」

「応援……か。せめて線審と主審を頼めるくらいは来てほしいけど」


 かなり後ろ向きな言葉に、自然と今日の出来事が思い出される。


「どうしてあそこで強く言わないんですか。来いって」


 姫川が気まずそうに頭を掻く。再び長い沈黙。


「前に……大会に来たくせに遊んでいる人もいたから。じゃあ二度と来なくていい! ……って言った」

「……でも」

「それに強制するのも、妙な話だし」


 分からない話じゃないが、素直に首を前に倒すことは難しい。そこを指導してこそだと正直思う。

 さらに食い下がる大樹に姫川は有無を言わせなかった。


「部長は私。私は私のやりたいようにやる。だから邪魔をしないで」


 大樹はただ黙っていた。これ以上言葉は不要だと判断したようで、姫川は立ち去ってしまった。ドアが閉まる音がいやによく響く。


「なんなの……」


 分からない。あの人が考えていることが大樹には分からない。果たして姫川はこの部活のことを真剣に考えてくれているのだろうか。こんなやり方が正しいとは思えない。自分ならもっと上手くやられるはずだと自信だかうぬぼれだかの感情が氾濫する。


 猜疑心が拭えないまま、明日の朝を迎えた。


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