「悔しいなら実力で見返したら?」
あけまして、おめでとうございます。
今年も頑張っていきます。
試合の始まりというのは、いつだって静かだ。
最初の何本かラリーはお互いの腹の探り合い、そして実力を把握し直すためのものだった。特に大神の方は、一週間前に対戦した大樹が全盛期の力を取り戻したことを警戒している。決めるための球ではなく、見極め見定めるような配球を二人は繰り出していく。
好きなショット、苦手な体勢、得意としているパターンと傾向……それら全てを加味し実力を推し量る。
均衡を崩すきっかけは、突然だ。
コースに速く返球したとき、一瞬反応の遅れた大神が後ろ向きになりながらショットを放った。
ここだ――大樹は前に一気に飛び出してドライブで押し込む。再び苦しい体勢を強いられ大神の返しは甘くなる。プッシュでそのラリーを終わらせた。
「よし。5―4だな」
そこから、比較的順調に、大樹のペースで試合は展開された。そこには秘策……というか戦いを有利にする考えというものが存在していた。
バドミントンは心理戦である――それは大樹が見つけた真理だった。
単純なショットの打ち合いで勝負が決まるのは初心者たちだけ。そこから上のレベルに進むためには、考えることをやめてはならない……そう思っている。
どのスポーツにおいても、頭を使う選手は優秀だが、ことバドミントンにおいてはそれが結果を大きく左右してしまうのだ。それまで手も足も出なかった相手でも、いつもと違うコースを打っていくだけで揺らぎは生まれる。その揺さぶりが途絶えないうちにさらに大きな揺れを与えて震わせる。駆け引きに勝てば勝利は導ける。
大神に対するそれはまず簡単に上げてしまわないこと。低い軌道で攻め続けネット前に持ち込む。前でのショットの多彩さを大樹は自負していた。
大神は大樹ほど頭脳戦に向いていない。もちろん試合経験はあるが勘とスマッシュを武器に今まで戦ってきた。大神のスマッシュは誰も取れない。ゆえにスマッシュさえ打てれば勝ててしまったために頭を使う必要はなかったのだ。そこで大樹に軍配が上がるのだ。
だが、大神も数々の場数を踏んだ者としての意地がある。
「あー、くそっ」
大樹がサーブを打とうとすると大神は汗で濡れた前髪を掻き上げて舌打ちをした。
「姑息なコースにばっかやりやがって。俺のスマッシュがそんなに怖いか」
「……安い挑発には乗らないよ。相手の裏をかいてフェイントを放ってこその勝負だ」
「性格悪い」
「バドミントンのときは、ね。悔しいなら実力で見返したら?」
「……望むところだ」
大樹のサーブに大神が喰らいついてきた。正直読めていた。ここから来るのは強い打撃だ――
「む?」
そう予測していたが来たのはヘアピン。高い打点で捉えたために沈み込むようなショットだ。だが、問題はない。というかネット前は得意なのだ。それは大神も分かり切っているはずだが……?
ステップで移動しストレートにしようと腕を伸ばす。が、そこで途端に大神の体が視界に飛び込んできた。ジャンプして追いついてきたようだ。
「けど、甘い!」
腕をぐっと引きつけ、高いロブを上げる。大神の頭上を通り過ぎたシャトルは後ろで降下を始める。
その落下地点に大神は大樹に背を向ける形で走り出す。ステップを無視した型にはまらない動きだ。
「まさか……」
大神はハイバック(相手に後ろ姿を見せたまま)でスマッシュを放つ。通常時のものとは違いハイバックで打つショットというものは威力や精度が落ちる。上級者でなければ使いこなせない上、それでスマッシュを打つなど至難の技だ。
だが、大神のスマッシュは別格なのだ。たとえそれでも大樹に一泡吹かせるには充分だった。
咄嗟に返球したが中途半端な高さでしかも軌道が緩い。大神は、今度は余裕を持ってシャトルをその目で捉え最大の威力でスマッシュを放った。耳をつんざくような音が炸裂する。体育館にいる全ての人がその音源に目を向ける。逆側を衝かれている上、あのスピードには間に合わない。あっさりと失点する。
「揺さぶりをかけて、崩す……そうだろ」
「……うん」
強引なやり方ではあるが、大樹に一矢報いることが出来た。というか大樹が圧倒的に優勢だったはずがここで再び駆け引きが始まった。
大樹がコースを狙っても大神はそれを運動量でカバーする。それで体力が持つかは不明だがこの一戦にかける気迫が伝わってきて大樹も一歩も引くことは出来ない。
「20オール!」
いつの間にか、注目を集めてしまったようで気が付いたら主審も線審も用意もギャラリーがやってくれていた。誰も固唾を呑んで成り行きを見守っている。
もう、息が苦しい。汗を拭ってもどんどんと噴き出してくる。大神も膝をついて険しい顔をしている。
大樹のサーブから始まったラリーは中々に終わらなかった。始めのようなキレがお互いに失われており、段々といい加減なショットを打ちたくなってくる。
だが、それは事実上の敗北を意味する。
このラリーは絶対に落としてはいけないのだ。もう残り体力は少ない。ここからデュースで試合が延々とされるのは二人とも望むところではない。ここで点を取れば弾みがつくし、落とせば逆に勢いが失速する。お互いにそれを理解している、ということまで理解している。よって常に最善だと思うショットを打つしかない。
だが――
(もう足が動かない……!)
限界が近い。足が棒のようになった感じだ。このままラリーを続けるのは旗色が悪い。
大樹は一騎打ちを仕掛けることにした。
センターラインに高いロブを上げる。大神は一瞬、驚愕に目を剥いた。これは自分の得意なスマッシュを打つまたとないチャンスだ。しかしこんな球を返してきた大樹の意図が分からなかったのだ。
だが、目を見てその真意を把握する。
大神は大きくステップしてリアコートまで下がるとオーバーショットの構えをとる。全身全霊のスマッシュを放つ気である。もちろん、ここで他のショットで裏をかくことも出来る。それでも大神はスマッシュのことしか頭になかった。その選択肢しかあり得ない。ここで違うショットを打つことは逃げであり――そんなことは大神自身のプライドが許さない。
大樹も大樹で、大神のスマッシュをレシーブしてこそ本当の勝ちだと思っている。
ここからは、どこにスマッシュを打ってくるかの予測に全神経を集中する。
(右か左か……それともそのまま俺に向かってくるか……!?)
この一騎打ち、実は大樹に不利なのだ。
大樹に求められているのは、大神のスマッシュをただ返すことではない。それをカウンターとして止めを刺すことなのだ。次の打球がどこにくるか予想するだけでは足りない。万全の体勢で飛び込みシャトルに触れさせないようにしなくてはならない。
もしミスをすれば、大神のよる追撃で大樹が終わる。
「うおおっ!!」
大神が吼える。その左腕が繰り出す渾身のスマッシュ。余力はもしかして残していないのだろうか。体が前のめりになり倒れかかっている。
「!!」
読みを誤った。
大樹は左に向かってくると思っていたが、大神はそのままストレートに放っていた。横に余分な力を使うような真似をしない大神らしいといえばらしい。
既に右足で地面を蹴り、体は左に流れてしまっている。ここから真ん中に戻ろうとすればその間にシャトルが床についてしまう。
負けか……?
「あああっ!!」
そんなことさせてたまるか。絶対に負けてたくない。大樹は腕を振りかぶり思いきり振り下ろした。大神のスマッシュを切る。
ガットではなく、フレームでシャトルに触れる。悪あがき以外の何物でもないが、シャトルは空中で回転しながらネットに向かう。
白帯の上に触れ、ネットが揺れた。シャトルはどっちに落ちた……?
「……ありえねえ」
ため息交じりにそう呟く大神。球は大神側のコートに落ちていた。
◆
「……ありえねえ」
掠れた声でそう呟いたのは大樹だった。
大樹は見事、大神に勝利し、前回の雪辱を晴らし気分良く帰るはずだったのだ。
――そのまま連戦になるとは思わなかった。
会場からまさかのアンコールを浴び、渋々と始めた二セット目では大神に勝利を譲ってしまったのだ。せっかくリベンジしたのにこのまま終わらせると気分の悪い大樹は、もう一度だとゴリ押しで再戦をしかけ勝ったのだが……今度は大神が納得できないという話になり、二連勝するまで続行することでまとまった。
結果、午後九時。閉場時間。しかも決着が着かない後味の悪さだけが残る。
「ぐあっ……体が痛すぎる」
「ふん。この程度で筋肉痛かよ。だらしねえ」
「……大神、ズボンが前後で逆だよ」
「うがああ!! 今苦労して履いただろうがっ!!」
まるで死にかけのゾンビ……いや変な日本語だと分かっているが、ゾンビだっていつかは朽ち果てるという意味で受け取ってほしい。その寸前が今の大樹と大神だった。職員によって更衣室に放り込まれてから、もう数十分は経っている。大神はまるで芋虫のような動きでズボンを掃き直していた。
やっとのことで着替えを終え、スポーツセンターを出る。大樹は生まれたての小鹿のようにプルプルと足を震わせながら歩を進めていくが、その横を大神の自転車が通過しようとした。
「待ってくれっ」
「なんだ」
「駅まででいい。お願いだから乗せてくれ!」
「嫌だ。乗せるなら女子がいい。っていうか、二人乗りじゃねえかそれ」
「じゃあ大神が降りて」
「ふざけんなや! なんで持ち主の俺が歩くことになんだ。いいから手ェ離せ!」
「ちょっと、近所迷惑になるからあんまり騒がしくしないでよ……」
「……殴ろう」
沸点に到達した大神が自転車から飛び降り、大樹に拳を叩きこもうとする。大樹は間一髪のところで体を反らすことでなんとか避けた。
「ぎゃあ!? せ、背中痛い!」
「よし、当たったか」
「当たってねえよ! え、てかこっち来るな、なんか怖っ!」
試合で走り回った無理が足に祟ったのか、こっちに迫ろうとしてくる大神は本当にゾンビみたいだった。しかも冗談やおふざけではなくマジで襲うつもりなのである。
「やめろおおおお!!」
「逃がさねえええ!!」
不毛な鬼ごっこは長くは続かず、軋みを立てる体に鞭を打って駅まで逃走した大樹が後ろを振り返ると誰もいなかった。なんとかまいた……。
「よ、よしっ」
おおよそ、これが同級生同士の別れ方とは思えないが、今はそんなこと気にしていられなかった。ここから、いつもより長い時間をかけて家に帰らなければならないという、苦行が残って――
「……あ」
家。それを意識した途端、嫌な汗が背中を伝う。慌ててスマフォを取り出してみると妹からの着信記録が数十件も表示されていた。
「………」
覚悟を決め、電話をかけ直す。コール音は一回でやんだ。その瞬間、
『おにいいいぃぃぃぢゃああああぁぁあああんんんん!!!』
紗季の泣き声が鼓膜を激しく揺さぶる。こんな音量で通話していたのでは聴覚が著しく弱まるので、耳元から離して会話する。
「お、おう、紗季」
『今どこ!? なんでこんなに遅いの!? 今日は部活ないって言ったじゃん!! 塾から帰ってきたら、お兄ちゃんいないし、電話に出てくれないし……』
段々と、紗季の声が尻すぼみになっていく。
あ、まずい。これはまた泣く。そうなると要領を得られなくなってしまう。
「ごめんな。こんなに遅くなるつもりなくて……母さんは?」
『う、うう……ぐすっ、冷凍食品をレンジに入れたけど、全然あったかくならないまま終わっちゃうって言ってる。あと、お風呂をためようとしているのに全然お湯が増えない……』
「………」
『ねえ、聞いてる? お兄ちゃん……』
うちの家族はここまでダメな人たちだったのか……?
身体的な疲労に加え、精神的にも負担がかかり始めた。
「冷凍食品は、解凍ボタンを押せ。それと風呂なんだが……ちゃんと栓してるか、それ?」
『か、怪盗……? なに、泥棒さんが来るの? キッド? ルパン?』
「いや違う」
『あ、あと……線? 線……あっ、確か英語でlineだっけ。最近アプリにもなったよね。あの緑のやつ』
「全然違う」
『もう、わかんないよぉー!!』
「よーし、お兄ちゃんがもう一回説明しちゃうぞちくしょう!」
懇切丁寧に、ひとつひとつの動きまで指示し、さらにこちらが苛々していることを悟らせないために出来るだけ優しい声音で話す。なんとか、理解出来たのか、紗季は鼻をすすりながらも『わかった』と言ってくれた。
『ごめんね、お兄ちゃん……』
「いいんだよ。一人でやれる?」
『うん……でも早く帰ってきて』
「はいよ」
電話を切り、通話時間を確認。たったこれだけの説明に二十分……。
紗季ももう少しスムーズに理解できたはずなのだが、やはりパニックになっていたようだ。普段しっかりしていそうに見えるくせに、その実態はひどく打たれ弱くて泣き虫だ。本当に心配だな、この妹……。
さっさと帰宅しなければ、また新たな問題が発生するかもしれない。いい加減に改札を通ろうと定期をかざす。
「ん?」
その直前、さっき大樹がスポーツセンターから歩いてきた道――その向こうに誰か顔見知りの横顔が見えた気がするのだが、誰かはこのとき気付かなかった。




