「あなたを倒します」
更衣室に入ると、室内は既に他の部活の生徒でいっぱいになっていた。ラケバを傍に立て掛けた集団が目に留まったが、どうやらあれはテニス部のようなのでバドミントン部はまだいないようだ。あれだけの人数がいるのに、なんという集合率の悪さだろう。
大樹が空いた場所で着替え始めると、そこで一人の男子生徒が入ってくる。それは今朝方に因縁をつけてきた芝崎和也その人だった。
芝崎は生徒でひしめきあっている部屋にうんざりしたような顔を見せ、人の少ないところに移動していくうちに大樹の近くまで来てしまった。
「よお」
「どうも」
他に行くところも見つからず芝崎も渋々といった様子で大樹の隣で荷物を置いた。二人は着替えの間会話をすることがなかったが、先に来ていた大樹が更衣室を出ようとしたところ芝崎に呼び止められた。
「忘れてないよな、篠原。このあと俺と試合だ。すぐに」
「すぐ?」
大樹は振り返る。
「練習が始まったら俺らの勝手でゲーム練習は出来ねえ。部長や相馬さんが黙ってないし。やるなら今、部活が始まる前にやっちまうぞ」
「……それなら早く準備した方がいいですね」
時間に余裕を持ってきたとはいえ、試合には時間がかかる。大樹は早足で部屋を飛び出し、第二体育館に向かう。そこには大樹と同じ一年生がちらほらといて少ない人数でコートの準備をしていた。モップをかけている者もいたがあれは一年生ではない。相馬遥斗だ。大樹は急いで代わろうと進言するが、
「いいや。まだいくつか余ってるからそっちを使って」
「すみません。こんな雑用を最上級生に……」
「おー、なんだか運動部っぽいね。その考え方」
アンタもそうだろうが、と思わずツッコミを入れたくなったがそれを飲みこむ。
だが顔には出てしまったようで、大樹の表情を読み取った相馬は苦笑する。
「僕たちが一年の時には、今みたいな大所帯じゃなかったんだよ。だから、先輩も後輩も関係なく皆で準備も片づけもやってたんだよね。そうしなきゃ終わらないから」
「……今は違いますよ」
過去の人数はどうあれ、今は充分すぎるほど人手が足りている。それなのに怠けている人間が多すぎる。さっきの更衣室でも思った。多少の差はあれど、本来なら既に到着していてもおかしくなかった。そして今この体育館にも人はほとんどいない……。
「難しい顔してるなー」
気付くと相馬の顔が驚くほど近くにあり、大樹は悲鳴じみた声をあげて後ずさった。
「真琴みたいだ」
その言葉に、大樹は特に何も返答しなかった。言われるまでもなく、気付いていたことだ。自分と姫川は同種の人間だと。
相馬はそっと息を吐く。それから長い独白を続ける。
「多分……君は真琴と似た考えの持ち主なんだろうね。この現状を良く思ってはいない。だから正しくしたい。そのために自分がなんとかしなきゃ――そして一人でやろうとする。一人で考える。君たちの考えは正しい。でもやり方は正しくない。正論だけじゃ、人はついてこないこともある」
なんだか耳が痛かった。
まるで中学時代を失敗した大樹に、今になって説教をしているような……そんな錯覚に陥りそうになる。
要領が悪かった、その自覚はある。だけど、どうすれば良かったのだろう。
何が、姫川を支えたい、だ。未だに迷っている自分なんかでは何の助けにもならない。
「失礼かもしれないですけど……俺、部長は相馬さんだと思っていました。姫川先輩には、そんな雰囲気を感じなかったというか」
言った瞬間、相馬が急に笑い出した。
「ちょっと、何で笑うんですか」
「い、いや……ごめんね。やっぱり君もそう思うんだなって。僕の方が部長みたいって色々な人から言われるから。真琴も立つ瀬がないね」
ひとしきり笑い終えた後、相馬にさっきまでの笑みはなかった。
「でもね、僕がしていることなんて、部長の真琴に比べれば全然大したことない。一人の高校生がこの人数をまとめるのは簡単じゃない。どこかで妥協しなきゃいけない部分も出てくる。それでも常に、可能な限り理想に近づけることを真琴はやめない。いつか破綻してしまうことに気付かずに……」
悲しげに伏せられた相馬の顔を見るのはつらかった。この人はずっと姫川を一番近いところから見てきたのだ。姫川が感じた苦悩を同じように感じてきたということだ。想像するころは難しくなかった。
「だから、本当にありがとうね。新しい顧問のことは、朝日さんから連絡を受けて聞いたよ。助かった」
「それは……いいですよ、別に。ついでというか、もしそうなってくれたら儲けもの、ってぐらいでしたから」
まあ、あの結城かなたなら高い期待値になると見込んでいたのは否定しないのだが。
相馬も含め、今いる全員でコート準備やモップがけを済ませる。そうしてようやく芝崎が姿を現した。
「遅くないですか」
「男には準備ってもんがあんだよ」
芝崎は自分の髪をいじりながらそんなことを言っていた。
こ、この人、もしかしてワックスをつけてて遅れてきたのか……?
大樹は呆れて言葉がなかった。
「んー? 何? 何か始めるの?」
ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、ふらふらと誘われるように相馬がこちらにやってきた。芝崎は軽く会釈をし、
「どうもっす。いやなに、新人が来たみたいだからちょっと俺が相手をしてやろうと」
「ん? 芝崎は何を言っているの? 怪我からの休み明けでいきなり試合なんて無理に決まってるでしょ?」
「だーいじょうぶっすよ相馬さん。アップですよ、アップ」
……なんだかな。
ここまで自分のことを軽く見られると、さすがに苛々してきたというか。
部活のことで思うことがいくつも出てきてしまったことだし、何を考えるべきか迷ってしまうところだが。
「芝崎先輩……ちょっといいっすか」
「あ?」
ただ試合の間は、ひとつのことだけを考えておこう。
「俺――全力を以てあなたを倒します」
「あー、はいはい。まあせいぜい恥ずかしい格好を見せないように頑張りなよ、大神の時みたいな」
そして、後ろの相馬を気にしながら、小声で大樹に耳打ちした。
「朝に言った条件、忘れんなよ」
大樹は頷く。だが、もうそんなことは頭の中から消え去っていた。
◆
コートに入る。サーブは大樹から。主審や線審は芝崎に声をかけられた一年生がやることになった。相馬も、後からやってきた月夜も自分たちの練習をすることなく二人を見守っている。
「ギャラリーも揃ったな」
月夜を見て、鼻の下を伸ばす芝崎。彼の頭の中にあるのは、月夜に言い寄るいけすけない後輩を華麗に打倒し彼女に振り向いてもらうというビジョンだ。
芝崎和也という男は決して弱い選手ではない。飲みこみは人より早い方で、単純な運動能力で言えば大樹を凌駕している。一軍に入るだけの実力、素質は持っているのだ。そして同じく一軍の大神蓮に大樹が惨敗したことを芝崎は聞いており、この試合には余裕で勝てるものだと思っていた。
ただし――数日前ならともかく、今の大樹にその認識は誤っている。
大樹がサーブを打ち、試合が始まった。
まずは小手調べのためハイクリアで大樹を後ろへ動かした。大樹も同様に打ったクリアは中央を通り過ぎ、読んでいた芝崎によるスマッシュが放たれる。当てることは出来たがシャトルはあらぬ方向へ飛んでしまい大樹の失点となる。
まずは一点。やはり楽勝だ。
続く二点目も芝崎が得点した。ヘアピン勝負になり大樹がネットに引っかけたのだ。だんだんと他の部員が顔を見せ始め、彼らは二人の試合に早くも勝負ありという判断を下す。一軍選手の勝利は盤石だと。
しかし、コートの中にいる芝崎は今のラリーで焦りと違和感を覚えていた。
(思ったより強くないか?)
芝崎の疑問を置き去りにするように試合は再開される。長いラリーの末、芝崎がミスで上げてしまった球を大樹が押し込む形で決まった。そこからは流れが切り替わったかのように大樹が連続得点し逆転されてしまった。
小さかった違和感がようやく明確な危機感に変化した。
大樹のフォアサーブが高く空中を舞い、落下を始める。落下地点に追いつくのはもちろん容易だった。早く同点に持ち込みたいという気持ちが先行しスマッシュに渾身の力を入れる。が――
「あ?」
思ったより力が入っていない。芝崎は気付かなかったが、この時彼のフォームはいつもより無理をした安定していないものだった。さらに、真下に落下するシャトルに力を加える場合、ガットと羽が触れ合う面積が大きくなるためにわずかに速度が落ちる。
大樹は既にネット前にいる。この場面での最適なショットはヘアピンで落としてしまうことだ。芝崎の位置からは最も遠いからだ。
「させっかぁ!」
足の爪先が地面を蹴り、芝崎は前へ飛び出す。ギリギリかもしれないが間に合わせてみせる。
「……?」
芝崎には意味が分からなかった。未だに、大樹のラケットはシャトルを捉えていない。何故まだ打たない……。
大樹はラケットをぐっ、と引いてロブを放つ。
体が前に向かっている芝崎に、これに対応する手段はない。ただ呆然と頭上を通過していくシャトルを見守るだけだ。
「……マジかよ」
ここまでの少ないラリーで芝崎の力量を見極めた大樹は、芝崎が追いつくことを予測した。芝崎がネット前に出てきたタイミングでショットを打つために、わざと触れるのを遅らせたのだ。
結果、完璧なまでのフェイントが決まる。
「5―3」
主審がそうコールする。そこで野次が飛んだ。
「芝崎さん、落ち着いてください! あんなのまぐれっすよ!」
まぐれなわけないだろ、馬鹿が。あいつは狙って今のショットを打ったんだよ。そんなことにも気付かねえ奴は黙ってろ!
外野の声を無視し、シャトルを大樹に手渡した。
大樹はフォームを確認するようにその場で何回か素振りをし、ステップで足を動かす。
……落ち着け。
この一年生は中学からの経験者だ。多少強いことは認めよう。テクニックや試合ならではの駆け引きの勝負に持ち込まれると分が悪い。
――なら、あいつを消耗させればいい。
そこからは定石通りに攻めることにした。クリアで奥まで行かせたら、今度はドロップを打って対角線上に走らせる。それに反応してきたら今度はもう一度後ろ――というようにコートの四隅に散らすように配球していけば隙が出てくるはずだった。
「なんでだよ……!」
しかしそれも相手が初心者ならの話。
どれだけコースを狙ったとしても大樹はそれらを全てカバーしてきた。むしろ、ラリーが継続していくうちに苦しくなってきたのは芝崎の方だった。
だんだんとジリ貧になる中、芝崎に一筋の光明が差す。
大樹が上げた球がゆるく、甘かった。
「おっしゃあ! ラッキー!」
すかさずプッシュで素早く叩く。これは決定打になる、芝崎がそう確信したのも束の間――それは打ち砕かれる。
篠原大樹は、自分の体の前にラケットを置く。そのガットの位置に正確にシャトルは向かっていった。滞空状態にある芝崎の足は地面についていない。またしても、何も出来ない。球がコートに落ちた。
――先読みによるレシーブ。
相手が返球する前にコースを読み、それに合わせてカウンターをする。当然、カウンターをするのはスマッシュやプッシュといった速さのある強打に対してだ。もし当てる位置や角度を間違えたら、もしくは全く違う場所にショットを打たれていたら失点は免れない。
まさに諸刃の剣。それを今の大樹は必中で使いこなす。
(なんだ、これ……!?)
こんなことがあり得るのか。だが、まぐれではない。芝崎は驚愕に目を剥く。同じようなケースで失点は続き、追い詰められた芝崎は一計を案じる。
(お前がカウンターするなら、もう強打はしねえよ!)
緩い、あまり速くないラリーが続く。芝崎がスマッシュを打たなくなり、かといって大樹にチャンスを与えないようにして試合は展開された。やがてネット前での駆け引きが始まる。
大樹と芝崎のドライブの打ち合いになり、両者とも前に出てくる。バドミントンのラリーはできるだけ前で、そして早くに触れて返球するのが基本だ。ネット前にまで来た芝崎は返ってきたドライブに柔らかくラケットを当てる。それを見た大樹はラケットを横に寝かせてヘアピンの体勢となる。そのフォームからロブはない。打ったとしても甘くなるはずだ。そう予想した芝崎は前でラケットを立てて構える。
しかしフェイントは大樹の真骨頂。特にネット前では十八番と言ってもいい。
フォア側に腕を伸ばしたまま、面だけ回転させることでバック方向にヘアピンを打つ。
不意を突かれ、咄嗟には動けずに見送る形となる。
もはや、勝敗も実力差も、誰の目にも明らかだった。




