「上等です」
大型連休が明けた五月八日。久しぶりに制服に身を包んだ大樹は、悲鳴を上げている重い体を引き摺りながら学校へ向かう。
もちろん、買ったばかりのラケットバッグも忘れずに。
「痛い……つらい……眠い……」
体を少し動かすだけで筋肉痛が全身を駆け巡る。ずっと運動をしていなかった体で過激な練習をしたからその反動が返ってきたのだ。おまけに、月夜への頼みごとの件もあって眠気が取れない。絶対授業は寝るだろう。
まあ、それだけの代償を払って得たものは大きいのだが。
電車の中でわずかにだが仮眠をとり、『藍咲学園前』で降りる。同じ制服を着た高校生たちと共に流れるように改札を抜ければ、見えてくるのは学校――ではなく、それに続いていく長い上り坂だ。藍咲学園の校舎は、ここからだとぼんやりとしか見えない。
……いつも思うがこれは一か月以上通った今でもつらい。特に今日は筋肉痛も相まって、もはや気分はラスボスである魔王が住む城に突撃していく勇者パーティのようだ。
だがそれでも、この通学路は学生たちによる話し声と笑い声で満たされていた。友人の肩を組む男子も、集団になってゆっくり歩く女子たちも、仲睦まじく手をつなぐカップルもみんな楽しげだ。
いつもなら、それを羨ましがったり一人でいることが恥ずかしくなるところだが、今はそれを気にする余裕がない。
と、
「うおっ!?」
いきなり後ろから誰かに突き飛ばされ、倒れないように踏ん張って止まる。体中が痛くて呻き声を上げそうだった。
「お、お前……」
「やっほ、久しぶり」
森崎楓はだらしなくも大きく口を開けてあくびをした。長い前髪を払って目のふちに溜まった涙を拭う。休日中にまた伸びたようだ。気を付けないと段々と隻眼キャラに見えてくる。
「髪切れば? うっとうしいよ」
「うん……はいはい、切りますよ~」
「なんか寝ぼけてる?」
「あっはっは、まさか。寝てらいっすよ。シャキッ!」
「むしろ酔っぱらい?」
楓のおっさんのようなダル絡みが止まらない。ラケットバッグの取っ手の部分を容赦なく引っ張るので、今度は後ろに仰け反る破目になった。
「ちょ、おい、やめろって」
「これ何~? ゴルフでも行くの~? お前はうちの父さんかっ!」
「お前の家の父ちゃんのことは知らないけど……。いや、そうじゃなくて、これラケバだよ! バドミントンの道具が入ってんの! 引っ張るな!」
「うあ?」
楓は取っ手を離すと、ごしごしと両目をこすりラケットバッグを凝視する。ようやく覚醒し始めたのか、さっきまでの眠気を宿したものではなく少しはぱっちりとした瞳だ。一瞬、紗季と目元が似ているかもしれないと大樹は思った。
「あれ? 大樹、バドミントンやめたんじゃなかったの?」
「ほら、この間の球技大会で試合したじゃん? あの時すっげえ楽しくてさ……部活にも入ったよ。ゴールデンウィーク中はずっと練習だったし」
「ふうん……」
もう興味を失ったのか、瞳を半開きモードにすると楓は黙り込んでしまった。大樹はずり落ちてしまったバッグを背負い直し学校までの道を黙々と進んでいく。
「………」
「………」
いちいち無言が気になってしまうのが大樹だ。無理に話題を探して頭をひねる。しかし何も出てこないからこそ大樹であり、ちらりと楓を見るが向こうからも会話を提供する気はなさそうだ。
それでもその内そこまで居心地は悪くないことに気付いた。お互い喋るつもりはないが、沈黙が気にならない……みたいな。家族といるときのようなものだ。
(こんな関係もアリだな……)
気を遣う必要がないのはありがたい。適当なきっかけがあったら話すとしようか。
そのまま二人で並んで急な坂に耐え忍んでいると、ようやく藍咲学園の正門が見えてきた。生徒たちが何やら駆け足で中へ消えていく。訝しんで大樹がスマフォで時間を確認するとホームルームまでそんなになかった。
「楓、少し急ごう。チャイム鳴りそう」
「………」
「おい?」
「………えっ、あ、何?」
「お前……そんなに眠いのかよ」
「大樹は違うの?」
「いや……俺も色々あったから確かに疲れてはいるんだよな。ああー、安眠したいわ」
「お前は永眠でもしておけよ」
「寝ぼけていきなり俺を殺さないでくれる!?」
しかもそのセリフだけマジトーンだったためにちょっと本気にしてしまった。大丈夫だろうか、実は死んでほしいのか……。
「ほら。いつもの冗談だから。さっさと行くよ、遅れるだろ?」
「あ……ああ…………」
ちょっと立ち直れない。
「しょうがないなー」
「!?」
左手がひんやりとした感触に包まれる。ぎょっとして見れば、楓が大樹の手をとっていた。みるみると大樹の顔が赤く染まっていく。女子と手を握るなど、リア充時代を除けばこんな経験など皆無なのだ。
「照れてないで、さっさと歩いて大樹♪」
「別に照れてないし……」
からかうようにして、楓はにんまりと笑う。……すごく憎たらしい。とりあえず恥ずかしすぎるので楓の手を払い、逃げるように走っていく。後ろから足音が聞こえているのでしっかりとついてきているはずだ。なんかくやしいので、全力疾走したのだが――
「お、お前……ごほっ、速過ぎじゃね!?」
「そのとき、私は一瞬の風になった……なんてね」
一気に校舎にたどり着いてしまった。が、大樹は体中が痛すぎるし、楓もさすがに疲れたのか汗をしきりに拭っている。確かに時間は切羽詰まっているが何もここまで急ぐ必要はなかったのだ……むしろ髪が乱れたり汗かいたりしたのでマイナスが大きい。
「……おい、お前が篠原大樹ってやつか?」
「楓、ちょっと水飲みにいこうぜ」
「賛成だ。誰だよいきなり走り始めたやつ」
「何も無理してついてくることなかっただろ」
「途中からむきになったのは認めよう」
「聞いてんのか、おい。お前が篠原なのかって」
「あっつー。ねえ、大樹、そのおニューな感じのするラケットバッグとやらに汗ふきシート的なやつ入ってない?」
「うん? あるよ……勝手に開けんな、コラ」
「コラ、はお前だ。なに無視してんだ」
「せっかくだから贅沢にジュースを買おう」
「えー、もったいねえー」
「では、失礼して……」
「え!? それ俺の財布じゃん!? 待て待て、やめ――本当に買いやがった……」
「いい加減にしやがれお前らァ!!」
張り上げられた怒声に、大樹と楓は渋々とそちらに向き直る。
もちろん二人とも気が付いていたのだが……一目見たときから意図的に無視することに決めたのだ。高い背丈、刺々しく立てられた髪、そして極めつきはその人相の悪さだ。どっからどう見ても不良だ。こんな人間に絡まれるとしたらカツアゲしかない。楓から財布を奪い返し、大切にしまう。絶対に渡してなるものか。
「じゃ、私はもういいね? 健闘を祈るよ大樹くん」
「なに一人で逃げようとしているんだ楓さん。というか金返せ」
「もういらないから、あげる」
「は? ……ってか軽っ!? ほとんど飲んでんじゃねえか!!」
「大丈夫だ、問題ない。今その缶ジュースの価値は元値より跳ね上がっている」
「またパクリを……で、なんだって?」
「その缶に口をつければ、私と間接キスできるよ?」
「………」
「いや、その……なんだ、なんかリアクションしてくれないと、私が馬鹿みたいっていうか、恥ずかしいというか……」
「人の目の前で突然イチャつくんじゃねえ!! もう許さん!!」
突然不良が癇癪を起した。すぐキレる若者怖い。
腕がぬっと伸びてきて大樹の胸ぐらをつかんだ。そしてそのまま引き寄せられる。メンチを切られる。
「お前、朝日だけじゃなくその子とも……。まさか二股かけてんじゃねえだろうな」
「あ、朝日……? センパイのこと……? あなた誰なんですか?」
「芝崎和也。てめえの先輩で同じバドミントン部だ」
こんな不良みたいな先輩が部活にいたはずはない。人数の多いバドミントン部だが、それでもこの数日の部活を通して少しずつ名前と顔を覚えているところなのだ。
でも芝崎という名前は何度か聞いたことあるような……。
「怪我でしばらく休んでいたが、今日から復帰だ。まずはお前をボコボコにする」
「ああっ! 芝崎先輩ってあなたのことだったんですか!」
球技大会での月夜の正式なダブルス。そして男子の一軍レギュラーだ。
今までとは打って変わった大樹の態度に、芝崎は思わず胸ぐらをつかむ力を抜いてしまう。
「お、おう……。何だ急に」
「手首をひねったそうですけど……もう平気なんですか?」
「ま、まあな! 心配ないぜ! ……あれ、何か話と違っていいやつっぽい……?」
ついには腕を放してしまい、しきりに頭をひねる芝崎。そんな彼を見て、ぼそっと楓が呟いた。
「……単純な先輩」
「楓、しーっ!」
「ははっ……聞こえてるぞ後輩ども」
額に青筋を立てて憤慨な様子の芝崎をなんとか宥めようとする大樹。どうにか思い止まってくれたようで、ガリガリと頭の後ろを掻く。
「けっ、まあいい……。今に見てやがれ、篠原」
「?」
「お前がどういう関係かは知らないが、朝日は絶対に渡さねえ。俺と勝負しろよ。もし俺に負けたら、今後朝日に妙なちょっかい出すなよ」
そのとき、大樹は一瞬で心の中が冷えていくのを感じた。月夜が周囲からそういう風に見られるのは、あの美貌があるから仕方ないとしても……それを部活に持ち込んでああいう態度になるというなら、こちらも黙っているわけにはいかない。
「それなら、俺に負けたらレギュラーから外されるかもしれませんね」
「あ? 大神に手も足も出なかった二軍のお前が、一軍の俺に何か偉そうなことを言ったような気がするなー? ま、勝ってから好きなように言えよ」
「上等です」
ピリピリと張りつめた空気がその場を支配する。まさに一触即発と表現するのにふさわしい険悪な雰囲気だ。お互い、睨み合うこと数秒。同時に視線を逸らした。
「楓、行こう……あれ? 楓は?」
いつの間にか、楓の姿が跡形もなく消えてしまっている。まさか先に言ってしまったのだろうか。なんと薄情な友人なんだ。と、心の中で楓への不満を蓄積させていると――
キーン、コーン、カーン、コーン
「………」
「………」
なんか、鳴ってはいけないものを聞いてしまったような。
スマフォで時間確認。八時四十分ジャスト。ホームルーム開始時間。
『遅刻だ!?』
大樹と芝崎は同時に叫んで、それぞれの教室へと走る。
遅刻してきて担任に注意される大樹を、愉快そうに見ていたのは楓だった。




