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「頼みがあります」

更新遅れました! しばらく不定期になるかもです……。

「さあ、勝負だ」


 外での練習を二時間ほどこなし体育館に戻ってきた大樹にいきなりそう言ってきたのは、もちろん大神だった。


「さあ、さあ」


 ラケットとシャトルの筒を持って、そう急かしてくる……が、大樹はそれに答えられなかった。


「はあ……はあ、うん、待ってちょっと待って」

「なんでだよ」

「休ませてくれ……!」


 掠れた声で疲れを主張すると大神は渋々引き下がってくれた。時間が正午に近づくにつれて暑さも比例して苛烈さを増していき、最後の方は誰もがふらふらとした足取りでダッシュをしていた。大樹も例外なく体力を奪われておりこの状態で大神と勝負など出来るわけもない。

 というか、まだ全体の練習が終わってないような……。

 休憩を取り、練習再開を知らせるブザーが鳴った。急いで集合場所に向かったが四十人近くいる部員は全然集まっておらず、後からぞろぞろと男子の大群がやってきた。


「………」


 それを見つめる姫川の目に温度はない。仕切り直すように咳払いをひとつ入れていた。


「……基礎打ちします。いつも通り二分でローテーション。スマッシュ交互が終わるまで。大会が近いので各自課題を持って打つように。それから二軍は……」


 ちらりと大樹たちの方を見る。


「オーバーヘッドストロークの素振りを、私たちの基礎打ちが終わるまで」


 聞こえてくるのは落胆の溜息と誰かの舌打ち。


「あのさー、部長」

「なに」


 我慢の限界と言わんばかりの先輩男子の態度。対する姫川も冷淡な視線をぶつける。


「いい加減、俺たちにもショット練習させてくれませんかね。もう、四月から俺たちは一回も打ってないんですけど。新入生にも何も教えられていないし」

「集合に遅れてくるような人からは、意見されたくないです」


 正論で切り返す姫川に先輩男子は何も言い返せない。だが、近くにいた大樹にはぶつぶつと声が聞こえた。


「やっぱ、ちゃんとした顧問がいないと、ダメだな」

 

 姫川からの指示が全て通り、練習再開となったとき、大樹は急いで月夜のところへ駆け寄った。


「センパイ、ちょっといいですか」

「? どうかした?」


 すぐに練習に入らなければならないことを考えると、ゆっくり話す時間はない。用件はさっさと済ませなければならない。


「もしかしてこの部活……顧問はいないんですか」

「いない」


 即答だった。ということは姫川は、大人の力には一切頼らずにこの部活を切り盛りしているということになる。そんな高校生がいるなんて……。


「ん? ちょっと待ってくださいよ、センパイ。たしか大会が近いってさっき姫川先輩言ってましたよね」

「言った」

「引率の人間がいないと駄目なんじゃ……」


 大樹もよくは知らないが、確か部活として校外で活動するためには引率の顧問が判を押した届けが必要だったはずだ。

 そこで初めて、月夜の顔が曇った。


「去年までいた顧問は、今年で定年で……今、新しい先生を探しているところ」

「だ、大丈夫なんですか?」

「来週までに目処が立たないと……キケン」


 危険? ……いや棄権の方か。などと言葉遊びをしている場合じゃない。これは非常にまずい状況だ。


「でも、篠原くんが気にすることじゃない。すぐに見つかるから」


 そう気遣ってくれたが、一抹の不安は取り除くことが出来なかった。



「さあ、勝負だ」


 本日二度目の同じセリフ。

 全体練習が終わってすぐ、そう言ってきた人物が誰なのかはもはや言うまでもない。気の早いことに彼のその手には新品のシャトルが三本ほど握られている。

 大神の好戦的な瞳は、もうこれ以上待てないとばかりに大樹を急かしてきた。


「ああ、やろうか」


 大樹は強気な口調で返すが、心中は決して穏やかではなかった。レギュラーメンバーたちの練習に加わることが出来なかった大樹が今日やったことは、郊外でのランニングなどの他に素振りとフットワーク練習だけだ。つまり羽に触れてすらいない。一体今の状態でどこまでやれるか……。


 コートに入りサーブ権を決めるトスをすると、それに勝った大神はレシーブを選んだ。いきなり、スマッシュをかまそうという魂胆が窺えた。

 シャトルを手に取り、いざ試合が開始されようとしたとき姫川から待ったがかかった。


「何をしているの」

「篠原大樹と試合をする。悪いけど邪魔するな」


 思わずひやっとする。大神が中学の頃から傲岸不遜な態度であることは知っていたが、まさか同じ学校の先輩に敬語を使わないとは……恐ろしい。大樹なら月夜にそんなことは出来ないだろう。

 だが、そこに関して姫川からの御咎(おとが)めはなかった。溜息をひとつ。矯正しようとして失敗したのだと、勘付いた。


「今日は相馬くんと組んでダブルスでしょう。そっちの練習をして」

「芝崎さんがいねぇんだから、ダブルスは出来ないだろ。今日はこいつを叩き潰す」

「彼はまだ二軍で……」

「言っておくけど、こいつはすぐに上がってくる。あんただって戦ったんだから、それくらい分かるだろ」


 大神は、あの試合を見ていたのか……。あれだけの数のギャラリーなら、それも納得できる。


「でも――」

「まあ、まあ」


 仲裁に入ったのは相馬だ。背後から姫川に忍び寄ってその両頬を引っ張る。むにっ、という擬音がぴったりだった。小さい悲鳴を上げて姫川が飛び退く。


「確かに篠原くんの実力は凄かったねー。とても受験期間のブランクがあるとは思えない。僕ら二人のダブルスが、あそこまで競るんだから」


 それは大樹自身が一番驚いていることだった。久しぶりな割りには動きはそこまで悪くなかったし、速いラリーにも意外と対応出来た。

 多分、月夜のおかげだという面が大きい。


「見てみたいなー、篠原くんの試合」

「……勝手にして」


 すたすたと、姫川も試合練習に戻っていく。とにもかくにも、これで仕切り直しだ。

 大神がユニフォームの左袖をまくった。大樹も知っている、彼の癖だった。試合をするときはいつもそうする。


「うおっ……」


 バドミントンをやっていると……利き腕は反対側に比べて筋肉がつきやすい。肘から先の筋肉は元から見えていたが、今露わになった大神の左の上腕筋は太く、そしてたくましい。よく鍛えられているのが分かる。あそこから繰り出されるスマッシュが反則級の力を持つのは当然だろう。


「ラブオールプレイ」


 相馬が主審としてそう宣言すると、どこからか一年生が慌てて駆けてきた。チェンジだ。渋々といった様子で相馬は離れたところから観戦することにした。


 今、因縁の対決に幕が上がる。




 厳しい戦いになることは分かり切っていたし、現役時代にあれだけしのぎを削った大神がそこまで甘い選手ではないことも理解していた。

 でも、どこかで楽観的になりすぎていたことを、大樹は思い知らされた。


 大樹のサーブから試合を再開。今までショートにしか打ってこなかったが、ここでフェイントをかけてみる。フォームから悟られないように注意し、遠くへシャトルを配球する。

 不意をつかれた大神は、しかし前にかかっていた重心を即座に移動させ後方へ飛ぶ。ラケットが、高い打点で羽を捕まえる。


(あれが届くか!)


 だが、力が入ってきていないため、速さはそこまでない。ここは攻めに入ろう。大神のスマッシュもどきをドライブで返す。大神もそれに対し、ドライブ。そこからは二人によるドライブの応酬だったが、それを制したのは大神だ。強い打撃のショットなら向こうの方が得意だ。


「くっ」


 仕方なく、バックハンドで上げる。高さはあまりなく、軌道も緩やかだ。大神は難なくシャトルの落下地点に入り、迎撃態勢に入る。


 来る――


 直感で分かる。あのスマッシュが、来る。

 やはり、ロブで上げてしまったのは失敗だ。大樹は集中し次の一撃に備える。ホームポジションには既に戻っている。右か……左か……どっちだ……!?


 大神のラケットが振り下ろされる。

 瞬間、何かが破裂したかのような爆音が轟く。これが高校生の出す音か!? 恐ろしい速度で放たれたスマッシュが向かってくる。

 そしてそれは、大樹が動き出した方とは反対に落ちた。


「20-9」


 主審のコールで、あと一点取られたら試合が終わってしまうことを自覚した。

 ここまで歯が立たないのか。

 昔なら……という思いをどうしても拭い切れないが、無理矢理にでも納得するしかない。

 自分がうじうじしている間に、大神は血のにじむような努力をしてきたのだ。その結果が今の状況だったと、ただそれだけのこと。

 だが大神の表情を見るに、勝負がほぼ決まっても最後まで手を抜く気はなさそうだ。点差など気にかけていない。気が緩むのは試合が終わったその時ということか。


 今のスマッシュ……大樹には一瞬面の向きが見えていた。だから動き出すことが出来た、そのはずがシャトルは逆側を貫いていた。


(わざとか……?)


 おそらく、そうだろう。大神のスマッシュは、面が見えてしまうほど生温くない。故意に向きを見せることでフェイントをかけたのだ。


「マジか……驚いたな」


 直情的なタイプの大神が、そんな技術を磨いていたとは……。以前なら、そんなものを身につけるよりもスマッシュをさらに速くすることに腐心しそうだが……。


 大神のフォアサーブをクリアで奥に押し込んだ。大神が、高さはないがスピードを備えたドリブンクリアで大樹をリアコートへ誘導する。前に戻りかけていた大樹は、また後ろに動かされてしまう。

 しかも、体勢が悪い。これを強く叩くことは出来そうにない、が不用意にドロップを打てばプッシュをされて終わりだ。ここは苦しくても、奥へ飛ばすしかない!

 甘い軌道のショットだと、大樹自身も感じた。こんなに精度が低くなるとは……やはりブランクを痛感せざるをえない。


 大神は高く跳躍し、右手はシャトルに向かって伸ばされる。今までのどのショットよりも高い打点で捉える気だが、これはまさか……?


(ジャンピングスマッシュ!!)


 腰をぐっと低くし、レシーブに備える。あのショットは角度が鋭くなる代わりに力を込めきれない分、速さを犠牲にする。目で追って、反応するしかない。


 だが。


 暴力的なまでの威力を持つ大神のスマッシュはその限りではない。

 幾度と聞いた破裂するような打球音。コースを狙うこともなく、大樹に襲いかかる悪魔の一撃。反応することなど不可能だった。


「……ナイススマッシュ」


 思わず、そんな言葉がこぼれた。




「いやー、いい試合だったねー」


 間延びした、相馬の声。それを聞いて大樹は何を言っているのか理解できなかった。一方的な試合展開。明らかな実力差があることは誰の目にも映ったはずだ。


「何言ってるんですか。こんな風に負けたのに」


 お世辞なら、いらない。図らずも不機嫌さが顔に出てしまう。


「そうかな。二人とも最後まで死力を尽くした見応えのある試合だったよ。ねえ、大神くんもそう思うでしょ?」


 相馬の問いかけには答えず、大神は大樹の元まで歩み寄る。何を言われるのかと思い、身構えてしまう。


「篠原――」


 ゆっくりと口を開く。


「俺は、こんな試合で本当に勝ったとは思わない。早く元の強さを取り戻せ」


 わずかにそれだけ言い残し、そそくさと去っていく大神。そしてそれに連なるように、


「大神くんの言う通り。まさかこのままじゃないよね?」


 少し挑発するように相馬は言う。大樹が頷いたのを見ると満足そうに離れていく。


「当たり前だ……」


 これだけコテンパンにされておいて、黙っているわけにはいかない。普段はおとなしい気性の大樹だが、ことバドミントンに限っては話が違う。今すぐにでもやり返したいが、どうしようもなく実力が足りない。ショットの精度が低い、フットワークが遅い、体力がない――基本的なことからダメなのだ。鈍った体を叩き直す必要がある。

 そのためには……。


「センパイ」


 試合が終わったばかりの月夜に声をかけた。月夜は突然呼び止められて、何事かと首を傾げた。大樹はその瞳を真剣に見つめる。


「頼みがあります」


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