「お前だって一人じゃないか」
どうして、こうなった。
ひとまずは、状況を冷静に分析してみることから始めてみよう。
ここは『もう一度、あの喫茶店へ』の劇場だ。あの後、この映画のチケットを二人分買った大樹と月夜は、他にもポップコーンやジュースも購入していた。
劇場の照明が落とされ、映画の広告が始まった。本編が始まるまではもうしばらくかかるだろう。
スクリーンから少し離れた席に収まっている大樹の右隣に座っているのは、もちろん月夜なのだが……さっきまでの笑顔はすっかり鳴りを潜め、ジト目で大樹の方を見ている。そして彼女が見ているのは、大樹ではなく、さらにその左隣に座る人物であり――
「えっと……あー、その……」
気まずそうにしている森崎楓だった。
◆
話は十分ほど前にさかのぼる。劇場があと数分で開かれようとしていた。大樹がポップコーンとジュースの入れ物を持ち、月夜はパンフレットを買うために離れていた。そこに真後ろから声がかかる。
「おやおや、大樹さん。ぼっちで映画ですか?」
突然のことだったので、手元が狂いそうになってしまったが慌てて持ち直す。
振り返ると、そこには大樹のクラスメイトにして唯一の友人とも呼べる森崎楓の姿があった。相変わらずの長い前髪が、片目を隠している。
「うわー、悲しいっ! 言ってくれれば付き合ってあげてもよかったよ?」
本気なのか冗談なのかよく分からない口調で、楓はけらけらと笑った。
薄いベージュ色のプルオーバーを頭からかぶり、下はデニムのパンツ。肩から下げたトートバッグにはリラックスしたクマさんがイラストされていた。
なんとなく、楓は服装にまったく気を遣うことはなく、機能性を重視した服を着ていそうなイメージがあったために――意外と可愛い私服姿だな、と大樹は思った。
「うっせ。あまり俺を馬鹿にするなよ楓。俺がいつも一人で行動していると思ったら大間違いだ」
「そんなことは、君の手元のジュースの数で分かるよ。でもどうせ妹さんだとかそういうオチでしょ?」
「ふっ、残念だったな。妹は塾に行っている。ここには別の人と来た」
「えっ……」
そう力なく呟いた楓は青ざめており――そんなに俺に交友関係があることを信じられないのかよ――などと考えていたら、楓が急に手を伸ばし大樹の額に触れた。両手が塞がっている大樹は為す術がなく、されるがままだった。
「頭、大丈夫?」
「別に空想の友達と映画に来ているわけじゃねえよ!! 幻覚なんか見てない!!」
「うそ、ほんとに? 信じられない……、不可解過ぎて気分が悪くなってきた……」
「そこまで!? え、てか本当に顔色が悪いよ、なんか!! 演技だよな? 演技だと言ってくれ頼むから。このままじゃ俺が友達作れないだろ!!」
こんなことで楓の容態が悪くなってたまるものか。リア充への道が途絶えてしまう。
案の定、演技だったらしく、次の瞬間にはけろっとしていた。……こいつは将来役者にでもなったら化けるのでないか? と大樹は感じた。
「というか、そういうお前だって一人じゃないか」
確認してみるが、周囲に楓の連れのような人物はいない。だが楓は、人差し指を揺らしながら「ちっちっち」と口にした。
「男が一人でいるのと、女が一人でいるのとでは全然意味が違う」
「何だよそれ。結局お前は一人なんだろ?」
「まあ、この場において私が一人なのは否定しない。しかし、私のような可愛い女子なら、たとえどこに行っても、同情した視線は受け付けないけどね。君と違って」
「うむむ……」
なんとなく、心あたりはある。大樹も一人で街に出掛けると、周囲の人々から友達のいないやつだと思われているんじゃないかと不安になってくる。その街の雰囲気に溶け込めずに浮いているような気がするのだ。その点、女性は一人でショッピングをしたり散歩をしたりしていても、ちっとも不自然さを感じない。
「まあ……確かに。お前もそこそこイケてる女子だもんな」
「おうおう、もっと褒めろ!」
「初めて見たけどその私服、結構似合ってるな。センパイといい、楓といい、女子って何着ても可愛いよな」
「あっはっは、素材がいいのさ。私はもちろん、朝日先輩だって――」
と、そこでそれまで上機嫌だったはずの楓が頬を引きつらせて硬直した。そしてなぜか、玉のような汗が噴き出ている。楓は確認するように、
「……もしかして、君の連れって朝日先輩なの?」
「おう。今日はバドミントン用具を一式揃えるのが目的だったけど、時間が浮いたから映画でも見ようって話になった」
「マジか……」
さっきとは打って変わった楓の様子に大樹はわけが分からず首を傾げてしまう。
大樹には知る由もないことだが、楓は一昨日の球技大会において月夜とは少し険悪な雰囲気のまま別れてしまったのだ。確かにこちらが不誠実であったことは楓も認めているところだし、いつか謝っておいた方がいいかなーくらいには考えていたのだが、こんな急な話があってたまるか。
どうしたものかと楓が考えあぐねていると、まるでタイミングを計っていたかのように月夜が戻ってきてしまい、今度こそ青ざめた表情になり咄嗟に大樹の後ろに隠れた。
「おい」
引き離そうとする大樹と、意地でも姿を見せまいとする楓。もみくちゃになる二人を月夜は困惑気味に見つめている。
「し、篠原くん? そちらの女の子は……?」
「うちのクラスメイトの、森崎楓です。一昨日の球技大会でバスケに出ていたんですけど、センパイ、覚えていますか?」
大樹に引っ付くようにしていた楓が、ひょっこりと顔を覗かせる。それだけではすぐに思い出せなかったが、その特徴的な前髪を見た瞬間、あの時の手強かった女の子だと気付いた。楓はその時のことを気にして前に出られずにいるのだが、当の本人である月夜は既にそのことを忘れてしまっている。
楓はとりあえず自己紹介をしようと、観念して前に進み出る。
そして、この一言が後に厄介な問題になるとも知らずに、
「ど、どうも……うちの大樹がお世話になっています」
「え」
この時の月夜の動揺は計り知れない。視界がぐらぐらと歪んで、平衡感覚が次第に薄れていく。瞬時に嫌な可能性に思い当たってしまう。
(うちの……? 大樹……?)
いや、でも、まさか……? つい最近に「付き合っている人はいない」と言っていたはずだ。大樹が意味もなく嘘をつくとは思えないし……一体全体どういうことなんだろう。
「あの、朝日先輩。先日はその……不愉快な思いをさせてしまったみたいで、えっと……反省しています。ごめんなさい」
出来るだけ誠実に謝る。だが、その声は月夜には届かない。彼女の胸中はそれどころではないのだ。何の反応も返さない月夜に、楓は不安になる。視線で大樹に助けを求めると、大樹はそれを察して割って入ってきた。
これも悪かった。
「詳しい事情は知らないですけど、楓もこう言っていますし、もういいですよねセンパイ?」
(楓!?)
いよいよパニックになりそうだった。大樹と楓は、お互いを名前で呼び合うほど親しい仲だということ……。つまり――
「え、えっと! じゃあそろそろ行きましょう、センパイ! 楓もじゃあな」
「う、うん。そうだね……」
場の空気を入れ替えようと気を遣う大樹。楓もそれに乗っかり、この場から退散しようとする。
「ってか、楓はなんでここにいるの?」
「映画を見に来たからに決まってるでしょ、馬鹿なの?」
「どうせ馬鹿だよ! ……で、何見るの? 『ゾンビが作り直す世界』か?」
「よし、君が私をどういう風に見ているのか、今の一言でわかったぞ。後で覚悟しろ」
「何を!?」
「まあ、それも面白そうだったんだけどね。評価がいまいちだったから、今回はちょっと趣向を変えてみて『もう一度、あの喫茶店へ』にしておいた」
大樹の表情が凍る。
「俺らもそれを見るんだけど……」
「え」
大樹も楓も、嫌な予感がした。
「ちなみに座席番号は……?」
「座席は――」
◆
そして話は冒頭に繋がるのである。
「なんだこれ……」
大樹は力なく呟いた。右には美人な先輩。左にはイマドキなクラスメイト。両手に花と表現すれば聞こえはいいのだが……まるで修羅場のようである。
というか、運が悪すぎる。たまたま訪れた映画館で知人に遭遇し、しかも席が隣になってしまうなど、天文学的な確率だろう。
そもそも、大樹はこの気まずい状態の原因に思い当たらない。楓と月夜にちょっとした因縁があることは感じ取ったが、それには決着がついたはずだ。月夜は一体何が不満だというのだろう。
そうこうしている内に本編が始まる。流石に月夜も、映画が始まったことでスクリーンに向き直る。ほっとしたように息を吐く楓。
大樹も姿勢を正し、前を見据える。
映画の舞台になっているのは田舎町のようで、季節は冬だ。夕食を買いに行こうとしていた主人公が、その道中で例の喫茶店を見つけるところからストーリーは始まる。そしてそこに寄っていき……いよいよヒロインの登場だ。
大樹は次第に物語の世界へ没頭していった。
一時間くらいが経過しただろうか。
いよいよ佳境に入ってきた。響の病気が発覚し、絶望する湊(主人公)。現実を受け止めきることが出来ず、彼は閉じこもってしまう。
やばい。すごく面白い。
ここからどうなるのか、先の展開が気になってしまう。心臓がバクバクと鼓動を繰り返しているのを感じるほどだ。
ごくり、と唾を飲みこみ、食い入るようにスクリーンを見つめていると、大樹に肩に何かが当たる。
「ん?」
周囲が暗いので一瞬何かと思ったが、大樹の左肩に楓の頭が乗っかっていた。
まさか――
「むにゃむにゃ……くぅ」
んだとぉぉおおおおおお!?
声にならない叫びをあげる。
寝ているだと!? 馬鹿な、これだけ心を震わせてくれる物語を!? こいつは情緒を感じ取る心がないのではないか!?
「お、おい。起きろ、見ろよ」
なんとか楓を叩き起こそうと思ったその矢先。
信じられない事態がもう一つ起きた。
「えっ」
右肩に何かの感触。
見れば、目の前には闇の中でもはっきり分かるくらいに綺麗な黒髪が。
「え、ちょっとセンパイ。嘘っすよね? これ見たいって言ったの、センパイですよね!?」
「すぅ……すぅ……」
「完全に落ちているだと!?」
なんでだ……面白いのに……と肩を落とす大樹。
「………」
実を言えば、月夜は起きている。楓が大樹の方へ寄り掛かっているところを見て、対抗心からこんなことをしてしまった。
まあ、その内に、本当に眠ってしまうことになるのだが。
「うう……二人のばかぁ……」
残されたのは何故か乙女チックになってしまった大樹だけだった。




