「映画でも見ませんか?」
いつも読んでいる方、ありがとうございます!
ラケットの次はシューズ。これは特に時間をかけず、適当なデザインのものを選んだ。買うべき物は揃ったのでこれらを持って会計に向かおうとした大樹だったが、その足があるものを見つけた瞬間に止まる。
「………」
「どうしたの?」
大樹の視線を追っていくと――そこにはラケットバッグがあった。様々な種類のものがフックにかけられて陳列されている。
「欲しいの?」
「そうですね、ちょっと憧れます。昨日のセンパイを見たときとか、かっこいいと思ったんで」
「買う?」
「いや、それも買っちゃうとちょっと荷物が多いので、今回はやめときます」
まさか月夜に持たせるわけにもいかない。
「……もし、買いにいくことになったら、また付き合うわ」
「え、いいんですか? 無理しなくても……」
「いえ、行く。行くわ」
「そ、そうですか……」
やけに強く言い切られてしまってので、断るのも少し不自然な気がして大樹は頷いて答えてみせた。
気を取り直して、受付で会計を済ませる。その際、二千円ほど上乗せする。初めて買ったラケットにはガットが張られていないので店員にその作業をやってもらう必要があるのだが……。
「えっと……一時間も?」
「すみません! 普段ならこんなに立て込んではいないんですけど……あいにく予約がいっぱいで……」
しきりに頭を下げてくる女性店員に「大丈夫ですよ」と大樹は苦笑した。
どうやら珍しくご盛況なようで、大樹の分のラケットの作業に入るのは一時間後くらいになるらしい。こうなると、その間の時間をどうしていようか悩む。買い物が終わったら、そのまま帰るつもりでいたからだ。
月夜のことをそのことを伝えた大樹は、もう帰っても構わない旨を伝えようとしたのだが――
「あ……、えっと……篠原くん」
おずおずと胸の前のあたりまで挙手した月夜が、何かを言おうとしている。その姿に、大樹は何事かと踏みとどまった。
「あ、あのですね……」
月夜らしくない口調だ。ただならぬ様子に、大樹は段々と緊張してきた。背中を冷たい汗が伝っていく。そこから何秒かの間に逡巡していた月夜だったが、意を決するように両手で握り拳を作ると、
「よかったら……映画でも見ませんか?」
都会の中心部だけあって、少し歩くだけで映画館にたどりつける。ラケットなどは荷物になってしまうのでガットが張られてからまとめて買う手筈になっている。
そんな映画館の目の前で、ずっと固まったままである男女の姿がある。言わずもがな大樹と月夜だが、二人して赤い顔で俯いている状態である。
(落ち着け、落ち着くんだ、俺)
あくまでも、これは暇つぶしだ。浮いてしまった時間を潰すだけなんだ。大樹はそうやって自分に言い聞かせた。ただ、部活の先輩と映画を見るだけである。そう思っていなければ今にもどうにかなってしまいそうだ。
(間違ってもこれは、デートじゃ、ない!)
決意を固めたところで、やっと月夜と映画館の中へ入る。壁一面にはこの時期に上映している映画のパネルが埋められており、その種類の豊富さに驚いたが、今から見ることが出来るものとなると必然的に数は絞られてくる。
その結果、候補として挙げられたものは三つ。
まずは、恋愛モノである『もう一度、あの喫茶店へ』
主人公である少年は病で母親をなくし、そのショックから立ち直ることなく日常を過ごしていた。そんなとき出会ったのが、古い造りの喫茶店を営んでいる女性だった。少年はその女性に惹かれ、そして恋に落ちるが――彼女が母親と同じ病気を抱えていることに気付いてしまう。残り少ない、限りある時間を、彼らはどうやって過ごすのか……感動要素もあるらしい。
次に、ゾンビモノである『ゾンビが作り直す世界』
突如、世界に謎の疫病が蔓延し、それに倒れたものはゾンビになってしまった。そしてゾンビに噛まれたものはゾンビになっていき、そのゾンビが次々と人々を襲い――と、よくある構成のように思えるのだが、ここからがこの作品の見どころで、ゾンビたちはこの世界にはもう人間がいないことに気付いてしまう。人を喰らうことだけが生きがいだったゾンビにとって、荒廃し破壊され尽くして一切の娯楽が消えてしまった世界で永遠の時を生きなければならないのは、激しい苦痛になりつつあった。その時、一人のゾンビが言った。「ないものは、作ればいいのよ!」と……。ホラーかと思いきやコメディの割合が高いようなのだが、ウケているのかどうか微妙なところだ。
最後が『この世界はフィクションです。』
これはタイトルだけでは内容が全然分からなかったが、調べてみるとファンタジー作品でアニメ画であることが分かった。物語の主人公である少年の家系には代々、小説の世界に入り込んでその物語を疑似体験出来る不思議な力があった。だが、突如、世界からいくつもの物語が失われていく――少年はその力を使って物語を取り戻し、そして謎の解明に乗り出していくのである。この作品には原作が存在していて、その一部が今回映画化されたようだ。
と、この三つを今から見ることが出来るのだが……どれにするべきだろう?
「センパイ、どれがいいでしょう?」
「………えっ? あ、えっと、なに?」
大樹の問いかけに、月夜は遅れて反応した。心ここにあらずといった感じだ。
大樹はもう一度聞き直した。
「どれ、見たいですか? 俺は何でも構いませんけど……」
「えっと……そうね……」
と、考える素振りを見せる月夜。何にするか迷っているように見えるが、その割りにはさっきからちらちらと『もう一度、あの喫茶店へ』のポスターを盗み見ていて、ときおりその視線は大樹にも向けられる。
「………」
「………」
目が合う。しばらく見つめ合っていた二人だったが……大樹は耐えきれずに視線を逸らしてしまった。
(なんだ今の!?)
大樹の心中はパニックを起こしていた。今しがたの月夜の表情は、まるで恋人を見ているようなそれであり、大樹はその雰囲気に呑まれそうになったのだ。これではまるっきり普通のカップルのようではないか。まずい気がする。こんな雰囲気のまま恋愛モノの映画を見たら――何かすごいことが起こりそうな予感がある。
「篠原くん、その……『もう一度、あの喫茶店へ』なんてどう? 前から気になっていた映画だから、是非見たいのだけれど……」
流されるんじゃない、篠原大樹。周りの空気に流されない(というよりは読めない)ことに定評のあるその特性を今こそ、生かして軌道修正を図るんだ。このままでは妙な勘違いを起こすことになるぞ。そう必死に言い聞かせた。大樹はそれとなく別の映画を推そうと――
「だめ?」
その一言が決め手だった。
頭を強く打ったかのような衝撃が襲いかかる。もちろん錯覚であることは分かっているのだが、今ので大樹の理性的な部分が崩れ去ってしまった。
そんな小首を傾げながら不安そうに聞いてくるなんて、反則技だ。可愛くないわけがないのだ。
「あー、やべえ……」
今まで深く考えたことはなかったのだが、朝日月夜という女性はこんなにも魅力のある人だっただろうか。
もちろん、ずっと尊敬していて、大樹の憧れの存在であったことは確かだ。この人がバドミントンをしている姿が好きだ。何事にも真剣で全力を尽くそうとしているその姿が好きだ。それでも……今のような心境に至ったことはこれまでに一度もなかった。
もしかして俺はこの人のことを……。
「――っ!」
その想いを認識したとき、二つの感情が大樹の中で渦巻いた。
一つは、月夜に対する愛情と切なさ。これからも強くなっていく、しかし心を穏やかにしてくれる感情。
そしてもう一つは――お互いを不幸にしてしまうかもしれないという、不安の感情。
中学時代の話である。
二年生のとき、初めて女の子と付き合うことになった。それまでは仲の良い女の子も数えるほどしかいなかったのに、いきなり彼女が出来てしまうという事態に、戸惑いつつも頭の中は一日中お祭り騒ぎだった。告白を受けた日は神様にさえ感謝した。なぜなら、こんな自分を好いてくれる人と出会えたのだから。
ただその恋愛も、数か月で終わりを告げてしまった。フラれた時、何が起きているのかさっぱりわからなかった。
「本当に私のこと好きだったの? 全然そんな風に見えなかったよ」
言われてようやく気付いた。確かに付き合い始めてから、こちらから連絡をしたり会う約束をしたりなどはしなかったし、一緒にいるときもそれだけで自分は満足してしまっていたので、会話がなくても気にならなかった。ただし、相手の女の子にはそれが不安につながっていたようだが……。
ただ、今から思い返してみても、それは仕方ない気がする。女の子との付き合い方どころか、人と接することさえ上手くはない大樹が、初めての恋愛を成功させる可能性は低かっただろう。
そして彼女は遠ざかっていった。
ここから大樹が学んだことは二つある。
運よく付き合うことが出来たとしても、それきりで終わりじゃないこと。相手に愛想を尽かされないために、常に努力し続けないといけないこと。
そしてもう一つは……一度離れてしまうと、もう二度と戻れないほど――他人よりも離れた存在になってしまう可能性さえあるということ。
……それを踏まえた上で、大樹は自分に問いかける。
(センパイとなら、上手くいくのかな?)
もし失敗すれば――あのときの二の舞になってしまうのではないだろうか。これだけ親しくなった人と、疎遠になるのは絶対に嫌だった。
そうならないように、上手く立ち回って付き合っていけばいい――そう思うが、そんな器用なことが果たして出来るだろうか。
篠原大樹は、恋愛に臆病になってしまっていた。
「篠原くん?」
目の前の月夜が眉を寄せて、心配そうな表情で大樹を見上げていた。
いけない。これからすることは、映画をみる、ただそれだけだ。別に月夜と付き合うことが決まったわけではない。これしきのことでいちいちトラウマを思い出している場合ではないのだ。
「すいません、大丈夫です。じゃあ、それにしましょう」
そう言うと、月夜は静かに微笑んだ。
……この人、普段は無表情ばっかりの癖に、たまにこんな笑顔を見せてくるものだから、おそろしい。危うく好きになりそうではないか。




